84 聞いてみた
驚愕、愕然。
――というほどではない。
というか、向こうの最後の手段はその程度しかないだろう、と半ば以上予想していた。とにかくなりふり構わず、こちらの全財産を奪うというのが目的なのだろうから。
今の決闘を「無効」ではなく「ハックの反則負け」とする手もあるだろうが、あまりに強引で、第二隊長にとって恥の上塗りにしかならないだろう。
一方でおそらく、この決闘の成り行き以外に「侮辱罪」などという本当に成文化されているかどうか知らないがそんな罪で断罪することは、当初から用意されていたと思われる。その刑罰として全財産没収が妥当、と言い立てることが可能なのか。
少し前の段階なら「お嬢様に対する侮辱罪」だったろうところ、今し方の成り行きで「領主への侮辱罪」と適用を変えた、という程度の違いではないか。
本音を言えば「何処が侮辱に当たるのか」と朝まで徹底討論に臨みたいところだが、まあもう抵抗するだけ無駄だろうと思われる。
「よし、動くな」
「無駄な抵抗はするなよ」
寄ってきた二人の兵士に、後ろ手に縄をかけられた。
そのまま、館の方向へ歩かされる。領主邸の屋内に牢獄があるのか。
「明朝に、裁きの場が設けられる」
「それまで、地下牢で大人しくしているように」
――地下牢、ということらしい。
神妙に引かれながら、何処か醒めた頭で考える。
屋内に、地下への階段があるわけか。
さっき二階へ上がった階段の付近に、そんなものはなかった気がする。
少し前外に出た裏口のようなところから、中に入る。
かなり陽は落ちかけてきていた。振り返ると、三々五々引き上げる兵士たちの影が長く伸びている。
この裏口や兵舎が館の西側、訓練場はそこからやや北側に当たっているようだが。縄を引く兵士たちの向かう先は、屋内を横切った東側のようだ。
東端の廊下に出て右に曲がり、正面口の方へ向かう。
かなり離れた正面口近くと思しき辺りに、先に屋内に入っていた領主の姿が見えた。見覚えのある商人二人らしい姿と言葉を交わし、すぐ脇の部屋に入っていく。
以前数回入ったことがある、商人たちと打ち合わせに使っている応接室だろう。
縄を引かれて進み、その応接室の横を過ぎようとする。
してみると、地下への階段は玄関口近くにあるのだろうか。
左手には、外に面した木の窓がいくつか半開きで続いている。
「ちょ、ちょっと、済みません」
「何だ、どうかしたか」
「少しだけ、休ませてもらえませんか。さっきからの運動の疲労で、足が攣りそうで」
「何だ、情けない奴」
それでも左足けんけんをしてみせると、兵士たちは足を止めてくれた。
無理に引きずっていくより、「攣りそう」という程度なら短時間休憩した方が面倒がない、という判断だろう。
縄が緩められ、「済みません」と頭を下げながら右側の壁際に腰を下ろして右臑を揉む。
「わ、わ――ますます攣ってきた」
「慌てるな」
必死の表情で足を揉み、曲げ伸ばししながら。
凭れた壁の耳元近く、室内まで通る直径五ミリ程度の穴を開けてみた。
さりげなく耳を寄せると、中の声が聞こえてくる。
「――――なら、手に入れるのは明日というわけですか」
「ご存知のように、一日の違いで収入は大きく変わるのですが」
「慌てるな。裁きは、明日早朝に行う。すぐに刑を執行すれば、明日の出荷分からすべて召し上げられるはずだ」
「そうですか、それなら違いはありませんか。今日はもう終業ですし」
「そういうことだ」
予想通り、聞こえてくるのはアイディレク商会、ヘラー商会の会長と、領主の声だ。
ちなみにこれ。こんなシチュエーション、生前のフィクションでは「何で主人公が盗聴したタイミングで、ドンピシャリ有用な会話を聞くことができるんだ?」という疑問が珍しくなかったわけだが。
今のケースは、おそらくこの話題が目的で訪ねてきた商会長たちが主人とともに部屋に入り、挨拶が済んでさて本題に入ろうというタイミングなのだから、不思議でも何でもない。
――いや、誰に言い訳してるんだ、俺。
「とにかくもこれで、明日にはイーストのすべてが領のものとなるわけですな」
「我々も、イザーク商会などを経ずに十分量の入荷ができるわけで」
「慌てるなよ。今製造中のものはすぐ押さえられるだろうが、製造法を訊き出すにはあの小僧を締め上げなければならん」
「時間が貴重でございます。手段を選ばずお願いいたします」
「今まで調べた限りであの小僧、本人を締め上げるより、小さな子どもを捕らえて見せつけた方が効果がありそうに存じます」
「ふむ、考えてみよう」
――わあ……。
ここまで露骨に、それこそ手段を選ばない悪巧みがされているとまでは思わなかった。
そのまま三人の会話は、「捕らぬ狸」と言いたくなる楽観の未来の話に移っていく。
必死に臑をさする動作を続けながら。
「もう、大丈夫かな。――あ、わ――」
「おい、大丈夫か?」
立ち上がりかけて即座によろけ。けんけんしながら左側の窓横にまた蹲る。
慌てふためいたた素振りで、また臑揉みを再開。
「済みません、まだのようです。もう少しだけ、そう、百を数える程度、待ってもらえますか」
「仕方ねえな」
溜息で、二人顔を見合わせている。
そのままこちらから目を離さないようにしながら、世間話を始めた。
注意しながら、そっと外を覗き窺う。
さっきから続いていた東に向かう窓の外、ひと気のない草地がずっと見えている。
建物の張出しなどに囲まれ東向きに開いた半分中庭のようになっていて、人の目がほぼ向いていないと判断してよさそうだ。
その草地の上に、『収納』から大物を取り出した。
しばらく前に作っておいた、筒部分が長さ五メートルほどの石の空気鉄砲だ。
高さ五メートルほどの空中に、押し子を下にして取り出す。
落下して、地面に衝突。筒部分が重みでぐいと下がる。
その拍子。
ボム、と音を立てて、木の球が空中に撃ち出された。
木の球は外側を薄くした半球二つを合わせた形状で、中に白いノウサギの毛を詰めてある。
心持ち鉄砲の向きを傾けたので、東方向、三階建てよりはかなり上の高さまで撃ち上がっていった。
すぐに本体は『収納』で消す。
それほどの轟音ではなかったが、傍らの兵士が音を聞きつけたらしい。
二人ともに窓に寄ってきて、外を覗く。
「何だ? 何か音がしたか」
「別に、何も見えないぞ」
もう行方を追えないが、木の球は高さ十数メートル、水平距離二百メートル以上は飛んでいったはずだ。
おそらくのところ、空中で半球二つに分解するか、何処かの屋根で破裂するか、道に衝突するか、のどれかと思われる。
いずれにしてもここから東側、大きな通りを越えて庶民の店や家々が建ち並ぶ辺りまでは到達するだろう。
何処かで破裂して、白いノウサギの毛が散乱する。
何らかの噂になってたちまち人々の口に上ることは、まず期待していいと思う。
「よしもういいか、立て」
「はい」
用事は済んだので、まだ痛みは続くと装いながら、立ち上がった。
後ろ手の縄がかけ直され、ぐいと引かれる。
情けなく諦めた表情を作って、とぼとぼとそれに従う。
虜囚の引かれ旅は、正面口外まで続いた。出るとすぐ左手に折れて、館横手の物置のような木造扉が開かれる。
すぐ中には、地下へ続く木の階段が見えてきた。なるほど、ここが地下牢の入口らしい。
普通に地下一階として不思議のない高さを降り、通路のランプに火が灯される。
それほど広くない。床も壁も天井も、ただ土を固めたものが露出している状態らしい。
左手だけに古びた太い木の格子が続いている。
まるで絵に描いたような、牢屋の外観だ。
頑丈そうな幅十センチ程度の角材を縦横に噛み合せ、それぞれの隙間も十センチ四方あるなしといったところか。そんな格子が一面に続く。
近づくと中が区切られて、三室に分けられているようだ。
先客はなく、いちばん手前の格子にかけられた大きな南京錠が開かれた。
「入れ」
引き縄だけ外して背を押され、高さ百五十センチほどの入口を屈み気味に通る。
中は、四畳半程度かと思われる広さだ。
左手の壁に寄せられた、脚つきの寝台らしいが何も載っていない木の板。
奥には便所と思われる穴が開いていて、悪臭を漂わせている。
壁も床も剥き出しの土で、他には何も調度品はない。
一面埃や汚れやがそのまま堆積しているようでもあり、床のある程度は無造作に掃いたのかもしれない痕跡があるようなないような。
当初からここに宿泊客が入ることを予定して、慌てて格好だけはつけたのかもしれない。
一歩入ったところで嘆息していると、無造作に格子の戸口が閉じられ、がちゃりと南京錠がかけられた。
「済みません、この縄を解いてもらうことはできませんか」
「解くだけ無駄だろう、明日の朝にはまたすぐ縛らなければならないのだ」
「そうですか」
諦めて、首をゆらゆら振る。
その間に兵士二人は簡単に言葉を交わし、一人が「じゃあな」と階段を昇っていった。
残る一人だけが見張りになるらしい。看守、ということになるか。
看守の目が仲間を追っている間に、素速く一仕事を済ませた。
寝台らしき木製品を『収納』し、すぐにまた取り出す。
以前にも木賃宿でやったように、これで上の埃も小さな虫なども消えたはずだ。
一応強度を確認してから、やれやれ、とそこに腰を下ろす。
一人残った看守は、こちらの牢の真ん前で用意されていた木の椅子に腰かけ、腕を組んでいた。
すぐ傍らにランプを置き、とりあえずこちらから目を離さない構えのようだ。
一息ついて、狭い室内を見回して。しかしそれだけで、もうすることはなくなった。
見回した室内に、何か役に立ちそうなものが見つかるでもない。
ただ後ろ手拘束という慣れない姿勢で、だんだん身体のあちこちに痛みが出てきそうな感覚だ。
さっきまで慣れない運動をしていたことだし、少しは身体を休めておきたい。
仕方ない、と心を決める。
「済みません」
「何だ」
「この縄、緩んできてしまったんですが」
当然『収納』して取り出しただけなわけだが。解けてしまった縄の輪を持ち上げてみせる。
見て、看守は顔をしかめた。
「何だあの野郎、縄の縛り方も知らないのか。まあいい、それ寄越せ」
「はい」
「そのまま囚人に縄を持たせておいて、目を離した隙に首をくくられても困るからな」
「大事ですよね、そこ」
素直に格子に近づいて、隙間越しに縄を手渡す。
予想した通り、鍵を開いて入ってきてまで縛り直す気はないようだ。
それでももしかして、「自殺だけには気をつけろ」という指示が下されているのかもしれない。
イーストの製法を訊き出す都合があるから、その点は気になっているはずだ。
自由になった両腕をこきこき回して、中へ戻る。
ついでだから、奥へ向かい、
「用を足させてもらいますね」
「おう、勝手にやれ」
人に知られず排泄は行えるのだが、まったくその素振りを見せないというのも不自然だろう。
大っぴらに事を済ませ、見えないように取り出した水で手を洗って寝台に戻った。
――さて。
固い木の板に脚を伸ばして座り、考える。
この先、どうしようか。