56 褒め合ってみた
小屋には荷物運び組が戻っていて、さっそくニールたちとともに薬草を畑に植えようと外に出ていった。
一人夕食の支度を始めるために残ったマリヤナに、ナジャが料理屋の手伝いで遅くなることを話すと、手を叩いて喜んでいる。
「よかったあ、ナジャはお料理が好きだから」
「そうなんだな」
「これからもお料理の仕事ができるようになれば、きっとあの子喜ぶよ」
「期待は持てるかもしれないな。あのままパンと煮込みが好評なら」
「そうなるといいねえ」
陽がかなり傾いたところで、ナジャがブルーノとサスキアに伴われて帰ってきた。二人が必ず寄るはずの口入れ屋に伝言を残して、一緒に帰るようにしてもらったのだ。
三人で、全員の二食分になる量のパンを抱えている。昨夜ナジャとマリヤナを中心にこねた生地を、今朝から合間を見て竈で焼かせてもらったものだ。販売用より質の悪い小麦粉で作っているので色合いなどはよくないが、十分に自分たちの食糧にはなる。
ナジャは明日からも来てくれとデルツに頼まれていて、この生地持参と幼い子同伴はずっと続ける予定にしている。
帰り道で詳しく聞いたというブルーノとサスキアは、しきりと感心の顔になっていた。
「本当にうまくいったんだな、パンとあのミソってやつ」
「パンはともかく、ミソってのはどうかと思ったが、今見てきた煮込みの試食、近所の人たちに好評みたいだったぞ」
「そうか、よかった」
サスキアのいつになくなかなか熱のこもった説明に、安堵の胸を撫で下ろす。
夕食の後、全員で今後の確認をした。
これまで協力して作ってきたイーストとミソの、売れる公算ができてきたということ。
しばらくはデルツの店でパンと煮込み料理を販売して、町中に周知を広げる。
売れる手応えが確実ということなら、イザーク商会にイーストとミソを卸し、販売してもらう。
当分はこの両製品の生産量増加と、デルツの店での販売宣伝に協力する。
これに伴い、継続的にナジャが店の手伝いに通うことになった。
朝から夕方までの勤務ということで、原則ブルーノとサスキアの仕事行き帰りと同行する。
また、年少三人を昼間は店で遊ばせてよいということになったので、一緒に連れていく。
デルツは妻を亡くし、子ども二人が成人して家を離れている。その子どもたちの幼い頃の玩具が残っているので、提供するという。
一方、明日から防壁工事の仕事が西側で再開されることになり、ブルーノとサスキアはそちらに通う。もう登録を済ませていて早朝から並ぶ必要がなくなったので、ナジャたちと行動を合わせることができるのだ。
年少組の世話の当番がなくなり、ナジャに固定される。残りの四人はイーストとミソの製産を手伝いながら、今まで通り荷物運びに通う。
ニールはイースト、ミソの生産管理、統括とともに、薬草採取、今後栽培の研究をする。
ノウサギ狩りも継続され、一日六羽ペースで肉屋に売るとともに、二~三日に一羽程度みんなの食料として持ち帰る。
全員に適宜両製品の製産業務に協力してもらい、内容と時間に応じて賃金が支払われる。その配置等については、年長三人で相談して決める。
それこそ三人で確認しながら全員に言い渡し、ブルーノが考えながら顔を覗いてきた。
「こんなもの、かな」
「当面はな。ただもしかすると、パンの評判次第で急激に忙しくなることもあり得るから、そのつもりでいてくれ」
「うむ。それも仮定の話ではなくなりそうだな」
夕方に料理屋の前の行列を目の当たりにしてきたというサスキアも、真顔で頷いている。
年少組を寝かしつけて、年中の六人は協力して翌日の自分たちの分のパン生地作りを始めていた。デルツの店でまた合間を見て焼くことになる。
ナジャによると、夜の営業終了後からデルツも翌朝分の生地作りを始めることにしているらしい。今日のパンの販売が一人一個限定になって、ふつうの家庭では夕食一回分にしかならないので、翌日は朝からの売り出しを求められているのだそうだ。
弟妹分の働く姿を見ながら、ブルーノとサスキアはしみじみ嘆息していた。
「こいつらがこんな生き生き笑い合っている姿、半月前には想像もできなかったぜ。何にせよ、食い物が足りているってのは凄いことだ」
「だな。しかし、それどころじゃない。ニールが試算したこのイーストによる利益というのを見せられて、腰を抜かしたぞ。商会との卸値の交渉次第ということだが、少なめに見積もっても、全員でこの冬を憂いなく越すことができそうだ」
「そういうことになるな。そうじゃなきゃ、やった意味がない」
「みんなハックのお陰だ。ありがたい」
いきなりブルーノに頭を下げられて、面食らった。
サスキアも両拳を胡座の膝に置いて、頭を低めている。
「何より、ニールが元気を出していることがありがたい」
「ここしばらくの成果は、かなりのところニールの手柄だぞ。イーストもミソも、まちがいなくニールが管理しなければこんな結果を出すことはできなかった」
「確かに、ニールのあの丁寧さ? 感心したぜ。あの桶の中の世話も記録のとり方も、他の奴にはできないな」
「それはまちがいなくても、みなハックが始めてくれたお陰だ」
「まちがいねえな。ニールもそうだし、ナジャも自分ができることが増えて嬉しそうだしな。言ったっけ? ナジャとマリヤナは前に壁工事の仕事に行っていたんだが、体力が続かなくて諦めたんだぜ」
「そうらしいな」
「そのマリヤナがいちばん力がなくて苦労していたんだが、今は料理や裁縫ですることができて、元気いっぱいに見えてるしな。本当にみんな、ハックのお陰だぜ」
「みんなで協力してやっている成果だよ。俺一人じゃ何もできない。ブルーノのリーダーシップもサスキアの頼もしさも、俺じゃ真似できないしな。ブルーノとルーベンであの土間を使えるようにしてくれて、箱や桶やを作ってくれたから、こんなに順調に作業できたんだし」
「適材適所と言うからな。しかし何度も言うが、ニールの適所を見つけてくれた、これには本当に感謝する」
「ニールの才能あってこそだ」
何だか期せずして、お互いの褒め合い大会になってきた。
気がつき、三人顔を見合わせて苦笑になる。
がやがやと笑い声が近づいてきたのは、パン生地作りが終了したということらしい。
ルーベンがブルーノの隣りに駆け込んできて「ねえ、何話してたんだ?」と問いかけてきた。
サスキアが苦笑で六人を見回した。
「みんなで協力してやって、今日の成果が出た。よかったな、という話だ」
「だよねだよね、みんなよくやった。俺も頑張ったよね」
「ルーベンはもっと綺麗に桶を作れるようになったらハックも助かったのに、という話だぜ」
「ああ、あの隙間ができるのなくしてくれたらな」
「ちえっ。いいよ、今度はもっと綺麗なの作ってみせるから」
「期待してるよお」
「頑張って」
女の子たちに笑われて、ルーベンも頬を膨らませながら目は機嫌よく細めている。
日頃表情の少ないニールさえ、サスキアの隣で穏やかな顔になっていた。
翌日、朝食を済ますとナジャと小さな三人はブルーノとサスキアに付き添われて、料理屋へ出勤していった。
残った者たちは荷物運びやノウサギ狩りやへ出かける前に、イーストと麹の様子を見て、ミソの仕込みの準備をする。
ひとしきり動き回っていると、訪問者があった。顔見知りの、イザーク商会のウィルという小僧だ。
「済みません、旦那様からの伝言で、ハックさんに来ていただけないかと」
「何だろう。急用かな」
「何でも、新しいパンを領主様に献上するのだそうです。それに同行してもらえないかということです」
「へええ」
四人に後を任せて、ニールとともに小僧の案内を受ける。会長はデルツの店で、今日一番のパンの焼き上がりを待っているのだという。
「やあハックくん、いきなりで済まないね」
「ずいぶん急な話なんですね」
「うん。昨日から領主様に面会を申し入れていたんだが、今朝早くに、すぐ来るようにと連絡が入ったんだ」
「なるほど」
ふつうではあり得ない慌ただしさだが、貴族相手に文句も言えない。
焼き始めていたパンから五個を買い上げて、会長はお付きの店員に大事に箱に収めさせた。
「デルツさん、ニールを預かってもらえませんか。無給でこちらを手伝わせますので」
「そりゃあ、助かる」
ナジャほど調理の手際はよくないものの、イーストによる発酵具合の見極めなどはニールがいちばん弁えている。一昨日からそれを見て承知していたので、デルツは心底ありがたそうだ。
荷物運び作業の四人が出かけた後ニールが一人になるのが心配だったのでそう取り計らい、しっかり手伝いをするようにと指示する。生真面目な子どもは、口数少なくうんうんと頷き返していた。
「じゃあ出かけましょう」
「はい」
会長と店員一人とともに料理屋を出た。行き先は、二十分ほど西方向へ歩いた領主邸だという。
ただし商品を見せるのが目的で改まった拝謁のようなものではないので、それほど取り繕う必要はないとのこと。面会場所も奥に招かれることはなく、商談などに使う手前の実務的な部屋になるだろう、という。
まあ、改まった謁見の場に連れ込まれても、こちらが困る。正式な礼儀など知らないし、服装だってふだんの作業用のものしかないのだ。
その辺を確認すると、「服装などは気にしなくていいですよ。領主様は気さくな方ですから」という会長の返事だった。
歩き進めて口入れ屋の前を過ぎると、町並はぐっと落ち着いた雰囲気になる。
「実を言うと、こっちまで来るのは初めてなんですよ」
「ほう。まあ領主様や領の役人、兵士たちの居住で、他はそちら相手の商人や職人が集まっているところだ。東の住人が滅多に来ることはないね」
「そうなんですね」
ちらとだけ周りに視線を巡らせ、ジョルジョはわずかに苦笑の顔になる。
見ると、イザーク商会を一回り大きくしたような店構えの前に差しかかったところだ。
ことさらもうそちらへ目を向けないようにしながら、ジョルジョは声をひそめた。
「店員がこちらを気にしているね。予想通りかもしれない」
「どういうことですか」
「ここがアイディレク商会、もう一つヘラー商会というのがあって、領主様の御用達のような形になっているんだがね、今回のパンの件を聞きつけたら、黙っているとは思えない。店員の様子だと、もう何か手を打っているのではないかと思う」
「そうなんですか」
――商会の争いに巻き込まれるのは、御免蒙りたいなあ。
「我々としましてはお約束したように、特に不都合がない限りイザーク商会さんを優先して取り引きをしていきたいと思っています。しかしそういう大店や領主様側から何か強制された場合、それに対処するすべはありません」
「だろうね。そのつもりでまちがいないなら、今後他への取り引きはすべてうちを通して、ということにしよう。複数の商会を競争させて買い上げ価格をつり上げるなどの利点はなくなるが、強制や暴力などから君たちを護ることはできるよ」
「それでお願いします。そういう権力的なものと渡り合う知識や経験はないので」
「じゃあ、そういうことでな。正式な契約は後日ということになるが、今日はどんな話の流れになっても私が前に立つということで」
「お願いします」
進むにつれ、街道の両側はそこそこ立派な住宅が増えてきていた。
そのうち、右手に小さめの陸上競技場のような広場が見え、先に大きな三階建ての屋敷がそびえていた。
石造りのようだが、落ち着いた外見の中にそこそこ装飾も感じられる。これが領主邸らしい。
門番に挨拶すると、すぐ中の入口脇の部屋に通された。
簡素な応接室らしい設えの中、正面の席に領主が座っている。工事現場などで見慣れた、活動的な服装だ。
その横手に少し距離をとって、年輩の男が二人、席に着いていた。こちらのジョルジョよりやや豪奢な、商人っぽい外観に見える。
すぐジョルジョが床に膝をついたので、それに倣う。
「イザーク商会のジョルジョでございます。このたびは誠に急な懇請をお聞き届けいただき、ありがとうございます」
「よい。楽にせよ」