130 打診してみた
頷いて、ニールの方へ視線を戻す。
「それならやはり、早いうちにここを発って移動することだな」
「うむ。ハックの提案を前向きに考えていいかな」サスキアも頷き、隣に説明した。「王都より少し北の、ヘルツフェルトだったか、その街ならばイザーク商会と連絡をつけやすいのだそうだ。そこにハックが住みついて、商会とニールの橋渡しをしようという提案だ」
「ふうん」
「俺も見たことはないのだから、実際に行ってみなければ分からないところもあるけどな。この領から西寄りの山道を辿る街道と東から平地を辿る街道、どちらも王都に繋がっている。そのどちらからでも途中で中央寄りに逸れて、そのヘルツフェルトに達することになるらしい。ここからだと、徒歩で七日程度の道のりになるようだ。まあつまりはここから王都にかけて街道沿いに捜索していく者からは、とりあえずいくらか逸れている地になる。二人の今後の希望にもよるが、その街の中でも近郊でも居を構える形で、ニールとサスキアの生活の場は作れるだろう」
「ふうん」
いつもの無表情で、ニールは頷いている。
おそらくのところ、移住場所選択に意見はないのだろう。どういう地域だとどういう生活が可能かなど、そういう方面の知識はあまりありそうにない。
「場所は、任せる」
「そうか。まあハックの言う通り、行ってみなければ分からないだろうしな。まずそのヘルツフェルトに行って、様子を見てみることにするか」
「うん」
「定住場所選択の観点はいろいろあるだろうが、ニールがこれからどうしたいかということにもよると思うぞ。サスキアも俺もそれに合わせることはかなり可能だろう。ニールは何か、こんな生活がしてみたいという希望があるか」
きょとん、と一度目を丸くして。
腕を組み、考え込んでいた。
あまりこのような希望を考えたことがありそうにはない、答えは出ないだろうか、と見ていると。少しの黙考の後、小さな口が開いた。
「植物栽培……してみたい、かな」
「植物――薬草とかか」
「うん、それと野菜」
確かにこの半年程度、ニールは何度か庭での薬草などの栽培を試みていた。
二度にわたる転居、その後冬を迎えた、などの都合で、思うような成果を得ていなかったわけだが。
「それなら近郊の農村でも、小規模なら街の中でも、可能かもしれないな」
「うむ。街の中や近郊や、ある程度見て歩いて決めてもいいだろう」
「アカマソウ、栽培できないかな」
「分からないが、また森の中などで見つけられたら、移植してみることはできるかもな」
「他の地でも食べられてないなら、広めてみるの、面白そう」
「なるほど、やり甲斐はあるか」
「ナジャに習って、ソースの作り方、覚えたし」
「うむ。それなら、それをひとつの目標にするか」
サスキアも顔を綻ばせて、頷く。
ニールの口から前向きな希望が出てきたことが、嬉しいらしい。
おそらく、これまでまずそんな反応は得られたことがなかったのだろう。
「それじゃあ、数日中にヘルツフェルトを目指してここを発つ。三日を目処に準備することにするか。それまでに俺は、ナジャの勤め先を固める」
「分かった」
「うむ」
「そういうことで、今夜ブルーノに話すぞ」
「うん」
夕食後、下の囲炉裏周りにこちらの三人、ブルーノとマリヤナ、ナジャを集めて話し合いをした。
サスキアが近日三人で南方へ移住することを話すと、三人はさほど驚く様子もなく頷いていた。
「そうか。事情は聞かない方がいいんだろうな」
「うむ。ニールが命を狙われていることだけ、承知をしていてくれ。詳細は知らない方が、もしその相手が探りに来たとしても過剰反応したりして問題が起きることはないだろう」
「分かったぜ」
短い説明で、納得をしている。
前説を終えたところで、ナジャとマリヤナが口を入れてきた。
「そういうことならニール、くれぐれも気をつけてね」
「頑張って」
「うん」
「ハックも、ニールのことくれぐれもお願いね」
「しっかり頑張って」
「あ、ああ」
頑張っての意味が何処まで事情を承知してのことか分からず、一瞬戸惑ってしまう。
どうも少なくともこの三人は、口には出さないがニールの秘密の一端に気がついていた節がある。
女子二人はニールと組んで作業をすることが多かったので、不思議もない気がする。
「早い方がいいんだろう? いつ発つつもりだ」
「三日ほど準備して、と考えている。まず最優先で、ナジャをレオナルトの店に紹介したい」
「お願いします」
「ああ、そこは頼むぜ」
軽く頷いて、ブルーノはこちら三人の顔を見回した。
「ナジャの件は、ぜひともハックに頼みたいがな。その後のことは心配しないでくれ。チビたちも含め、残りの連中は俺が責任を持って、こいつらにも協力してもらって、何とかやっていくから」
「ああ、そこは心配していない」
「ハックとニールにはみんなの生活基盤作りに役立ってもらったし、サスキアにはずっと護られていた。今さらだが、感謝しているぜ」
「みんなの生活はみんなの願いなのだから、特に感謝されることではない。わたしとニールも、ここの仲間に入れてもらえて護られてきた。それこそ感謝のしようもない」
「そうだな。お互い様、と言うより、みんな仲間の利益で仲間の希望だったものな」
「そうだな」
頷き合っている。
特にまたこの二人は、一時ほぼ彼らだけで全員の生活を支えていた。そんな戦友のような共感があるのだろう。
年長三人ともにそんな同様の回想をしたようで、ブルーノがふっと笑った。
「何か思い出しちまうな、あの壁工事の石運び」
「ああ。なかなかにきつかったな」
「ああ」
ここで、ズルをしていたので自分はそうでもなかった、などと言うわけにもいかず、頷きを合わせる。
かなり短期間だったらしいが同じ労働を経験していた女子二人も、顔をしかめて頷いていた。
「きついなんてものじゃなかったよお、あれ」
「もう二度と起き上がれないんじゃないかと思ったよ。ねえ」
「今となっちゃ、いい思い出だよな。本当に、お前らのお陰だ」
もう一度ブルーノは、胡座の膝に拳を置いて頭を下げた。
その後は、簡単な確認。
こちら三人の行き先は、あえて知らせない。
イザーク商会と連絡がつくようにしておくので、何かあればそちらに当たってほしい。
イーストなどによる一同への供与金はまちがいなく継続して支払われるように、商会と話をつけておく。
そんな情報共有で、話し合いを終えた。
翌朝、見習い組が仕事に出る前に一人家を出て、西門に向かった。
顔馴染みの門番から、今後の狩りに向けてと言って天気の知識などを聞き出し。世間話のついでの調子で。
「もう雪もほとんど解けて、この門には隣国からの人も入ってくるんですよね。今年ももうそういう流入が始まっているんですか」
「いや今年になってからは、まだはっきりそういう動きはないと思うな」
「そうですか」
「ただ、他国のことだからな。間諜のような見た目を装った者なら、目立たず出入りしているかもしれないが」
「ああ、そういうものでしょうねえ」
家に戻って、サスキアにその情報を伝えておく。
あからさまに隣国から捜索に来ている集団はまだ見かけられていない、ということだ。
黙って、サスキアは頷いている。
一般家庭でも朝食の後片づけなどが終わっただろう頃合いを見計らって、ナジャを連れて商店街へ向かった。
料理屋を訪ねると、店主のレオナルトは長閑な様子で開店に向けた準備をしているところだった。
ナジャの見習い就職を打診すると、予想通り渋い表情になった。
「いやあ、女の料理人など苦労するだけだぞ」
「そこは承知の上でですね。将来自分の店を持つ目標に向けて、鍛えてもらえないかと」
「絶対、音を上げたりしませんので、お願いします」
「ううむ……」
「ナジャは例のアカマソウソースの開発者ですので、その点でも店の役に立てるのではないかと思います」
「そうなのかい」
「それとですね、ふつうの料理修業に加えて、ここでちょっと目新しい商売を試させてもらえないかと」
「何だい」
二人で分担して抱えてきた、包みを開いてみせる。
数種類ずつのニクマンと総菜パンを並べると、店主は目を丸くした。
「味見をしてもらえますか」
「お、おう」
少量ずつ味見をして、レオナルトの目が輝いてきている。
販売するに当たって、十分な価値があると認定されたようだ。
知っての通り、この国では昼食の習慣がほぼない。ただ、貴族や裕福な商人などの間では、昼過ぎに軽食を摘まむティータイムのような休憩をとる場合がある。
また、プラッツのあの壁工事のような肉体労働者は、途中で簡単にでも何かを腹に入れるようにしているようだ。
そういうニーズに向けて、午前中にここでナジャにニクマンと総菜パンを作らせ、昼前から販売するというのはどうだろう。
そういう提案をすると、店主は真剣に考え込み始めた。
「うん、面白いかもしれねえ。広く受け入れられるかは分からないが、当たれば凄いことになるかもしれん」
「すぐに昼の販売に繋がらなくても、まずは夕食と朝食用に売り出しをしていって、浸透を図るという方法もあると思います」
「ああ、この味ならそこそこ売り上げが見込めそうだ。やってみる価値はありそうだな」
乗り気になった店主と、細かいとり決めをした。
毎日朝食後に、ナジャとレオナルトで協力してニクマンと総菜パンを製作する。現在十種類程度ずつ考案されているが、当座はそのうち二~三種類ずつを選んで試していく。
昼前から、店先で販売を始める。
余った分は、夕方からの料理屋営業時にも販売を続ける。
これらの売り上げから、開発者ナジャと店の取り分配当を決めておく。
ナジャの勤務時間は、この軽食の製作時から店の夕食営業時、酒が入り始める前の十八時までとする。
調理見習いについては無給だが、給仕手伝いに対して適宜と軽食開発者分について、十日ごとに支払われる。
――等々。
一区切りついたところで、訊いてみた。
「そう言えばレオナルトさん、この商店街付近で、親が働いている間小さな子どもを預かってくれるようなところはありませんか」
「うん? そんな小さな子がいるのか。ちょうどうちの婆さんが、そんな小遣い稼ぎをしているぞ。隣の家で、今六人だったか預かっている。広い部屋で遊ばせて、危ないことないように見ているだけだがな」
「この隣なら、好都合です。六歳くらいの子どもを三人、お願いできないでしょうか」
「おお、確かめてみよう」
一度引っ込んで、確認してきてくれた。明日からでも、三人を預かれるそうだ。預り賃も、生活費から無理なく出せるだろう。
ナジャと一緒に来て一緒に帰れるということで、この点も好都合だ、と二人で頷き合う。
本日から打ち合わせと見習い修行を始めよう、という二人を残して、店を辞した。




