125 焚火してみた
翌日。
ブルーノとルーベンは木工所へ出勤。
サスキアは裁縫組三人を連れて、店へ。
ナジャは小さな三人の面倒を見ながら、家で料理の研究をする。
そういった動きの落ち着きを確かめて午近く、ニールを伴って森へ向かうことにした。
「じゃあナジャ、留守を頼む」
「うん、分かった。ああ二人とも、後で味見をお願いするね」
「了解」
料理専業に移ってとにかく張り切っている少女は、笑顔で送り出してくれた。
前日とはうって変わって三の月とは思えない暖かさだ、こりゃ一日好天だぞ、と門番も話している。聞いて、ニールは顔を綻ばせた。
門を出て進行先に木立を見ると、平常無表情の多い顔で、大きな目に期待が輝き出しているようだ。
森での採取活動などそんなに面白いものか、と首を傾げてしまうが。ほとんど外に出ることのないこの子どもにとって、数少ない楽しみになっているらしい。
一人で数回森に入った際、ニールが求めていると思われる薬草や野草を見つけてはいたのだが、本人が採取する楽しみのためにあえて持ち帰らずにしていた。この日はまず、そのような場所を巡ることにする。
「あった、薬草」
「おう。採取の仕方、覚えているか?」
「あたりきだ」
軽く口を尖らせてから、真一文字にしている。
この子に少し似合わない言い回しは、どうもルーベンを倣ったらしい。
この日、狩りの方は急務でない。帰り際にでもノウサギ一羽程度狩れればいいかというところなので、ゆっくり植物採集に付き合うことにしていた。
薬草の葉をニールが丁寧に腰の袋に収め、先へ移動する。
同様に何種かの植物を採集。庭に移植する予定のものは、根と土をつけたまま袋に入れる。大きなものは近くの木に印をつけておいて、帰りに掘り出すことにする。
そうして奥に進むうち、『鑑定』の光が見えた。変わった形の葉の間に、何かに似たような緑の実が覗いている。
【アオアヒイ。アヒイの別種。食用。緑の実が香辛料として有用。赤いアヒイより辛みが強い。】
「これも摘んでいくか」
「食べられるの?」
「アヒイの仲間だと思う」
「……辛いんだ」
「もしかすると、赤いアヒイよりもっとな」
「うう……」
そもそもアヒイ自体口に入れたことがほとんどないはずだが、初めて採取の際説明したときからニールは、名前を聞いただけで顔をしかめるのが決まりのようになっている。それだけ。辛いものが苦手なのだろう。
「赤いのと同じように、乾燥して試してみよう。ニールとチビたちは接近接触禁止だな」
「……触らない」
「そういうことにしてくれ」
「でもそんなに辛いの、食用になるの?」
「辛い味が好きだという人はいるからな。それに、食用以外にも使えるかもしれない。武器の一種みたいに」
「ああ、前に破落戸にやったみたいな」
「そう」
小さな子たちと攫われそうになったときのことを、当然思い出したらしい。
変わらず顔をしかめながら、少し苦笑いになっている。
その後も、『鑑定』が教えるこの季節だけ見つかる薬草を採取したり、「あれ、アカマソウじゃない?」と駆け出したり。
いろいろ観察と採取を続けて、川で区切られた岩場に辿り着いた。
下流方向にノウサギを一羽見つけたので、これ幸いと狩ることにする。
傍に川の水があるので、その場で二人協力して解体を行う。
皮を剥ぎ終わったところで手を洗い、ニールは向こう岸に目を向けた。
「向こうは生えている植物が少し違うんじゃない?」
「かもしれないな」
「この川、渡れないのかな」
「もう少し上流に、丸太橋がかかっていたはずだ」
「あっち?」
大きな岩に遮られて見えにくくなっている山の方向を、身を捻って覗き込んでいる。
そこへ、バサッ、とやや重みのある音が響いた。
「わあ!」
「どうした?」
肉を切り分けていた作業から顔を上げると。傍らをノウサギが駆け抜けていった。岩陰から飛び出して、ニールを驚かせたらしい。
その小動物はこちらに突進せず去っていったので、それは構わないのだが。
「わ、わーー」
川の近くで体勢を崩したようで、ニールが片足でよろけかけている。
危ない、と手を伸ばしたが、届かず。
そのままニールは、横手にたたらを踏んで尻餅をついていた。
バシャ、と水音。浅瀬ではあるが、見事に腰まで川に浸かってしまっている。
「おい、大丈夫か?」
「ドジッちゃったあ」
見上げて、照れ笑いのような顔になっている。
特に何処かを痛めたというふうでもないが、手を差し伸べながら気忙しく確認の声をかけた。
「大丈夫か、怪我はない?」
「うん、水に浸かっただけ」
「そうか――」
握った手を引っ張り、立ち上がらせる。
そうしながら、急いで考えを回す。
天気はよくいつもより暖かいとはいっても、まだ春先だ。この濡れたままの格好では、帰る間に凍えてしまうだろう。
「今、火を焚いてやるからな。とりあえず――」背中の袋を下ろして、中から大きな布地を引っ張り出す。「これしかないが、濡れたものを脱いで着替えろ」
「あ、ああ――」
「その岩の陰を使え。そっちは絶対見ないから、心配するな」
「う、うん……」
取り出した自前の上衣を手渡してやる。
こんな近くの散策にいろいろな着替えを持参しているのは妙なものだが、とりあえずこれなら、と『収納』から取り出した大きめの上着だ。
小柄なニールなら、羽織れば膝くらいまで覆うことができるだろう。
少しの間もの言いたげに目を瞬いて、それから思い切ったように子どもは岩の陰に小走りで回っていった。
急いで辺りから枯れ枝を拾う。『収納』していた分もそれに足し、砂地の上に積み上げる。
乾いた木の皮を載せ、『収納』していた種火で火を点ける。
しばらくもどかしい燻りを続けた後、木の皮に引火することができた。さほど待つことなく、積んだ薪に燃え移っていく。
そこそこ大きな炎が落ち着いた頃、ペタペタという足音が近づいてきた。濡れた靴も脱いだようで、裸足で石の上を辿ってくる。
ちらり見ると、無事羽織った上衣の下に細い臑を覗かせた格好だ。
こちらは少し火から離れて、横向きに石に腰を下ろした。
「冷えただろう。近くに寄って、火にあたれよ」
「……うん」
何処かおずおずと、炎の脇で身を縮めている。
その先に目を上げると、脱いだ衣類は岩の上に広げて並べたようだ。比較的暖かなまだ陽の高い頃合で、少しは乾くだろうか。
思っていると。腕まくりをした手を火にかざしていたニールが、妙な上目を向けてきた。
「ハック……気がついていたの?」
「ん、ああ……まあな」
「いつから」
「……まあ、かなり前から、かな」
「そっか」
かなり前、というより、ほぼ最初からだ。
孤児たちと同居を始める際、全員の名前、性別、年齢を訊いて整理したわけだが。
その際、「自己申告や見た目等からの想像も混じっているので、正確の保障はない」と頭に刻んだ。
まあ、名前についてはどうでもいい。偽名だろうがただの愛称だろうが、区別さえできれば。
しかし性別と年齢は、同居生活の中でそこそこ重要だ。正確に把握しておきたい。
他人に言えないことだが、個人的にはその把握ができる。
人間相手の『鑑定』で、細かい情報は無理だが性別と年齢を知ることだけはできるのだ。
この世界で『鑑定』能力はふつうに知られていないのだから、何処かの小説の中のように礼儀として失礼だとか習慣上禁じられるとか、察知されると命を狙われとか、そんな懸念はない。何処かに害を及ぼすこともない。
ということで、やらない理由はない。
あの時点で全員に『鑑定』してみたところ。
一人だけ、齟齬のある者がいた。
自己申告では「十二歳男子」としていたが。
『鑑定』では【人間。女。十四歳】と出る者が。
当然、困惑を覚えるわけだが。見たところ、事情があってのこととしか思えない。その事情も、おぼろげながら想像できる。
というわけで。脳内の孤児名簿については「正確の保障はない」と頭に刻むことにした。
言い換えれば自分にとって、そんな理由以外この断りが必要なわけもないのだ。
その後の共同生活の中でも、ニールだけは特別な認識になった。
他の面子に対しては「少年」「少女」「男の子」「女の子」といった認識が常にあるが、ニールだけにはことさら性別意識を持たないように努めてきた。
おそらくのところ一度も頭の中だけでさえ、そうした言葉を付与して考えたことはなかったはずだ。せいぜい「子ども」という単語をつけることはあったか。十五歳成人の前なら性別を問わず、この理解でまちがいない。
まあそのさらに頭の奥では、認識を消し去ることもできずにいたのだが。
「……ごめん」
「ん?」
ややしばらくの沈黙の後、ニールが謝罪の言葉を漏らした。
炎の向こうで。視線を低く落として。
意外というか、謝罪される理由も思い当たらないので、やや当惑してしまう。
「隠しておくの、悪いと思ったんだけど……」
「事情があるんだろ。詳しくは知らなくても、まあその必要は察することができる」
「うん」
「だからまあ、気にするな」
「説明したい、けど、今は……」
「今は、いい。少なくとも、サスキアと相談するまではやめておけ」
「……うん」
「どんな理由があっても、ニールが責められる話じゃないだろう。その必要があるなら、俺はいつでも何でも協力するぞ」
「……ありがと」
なるべく座り位置の距離をとり、対面しない姿勢で会話を続ける。
炎が大きくなって、その首より下がほとんど隠れているのが幸いだ。
――意識してしまうと、意識しないでいられないからなあ。
悲しいことに、夏場の薄着でも隠蔽に無理のない体型。
加えて、男子でしかあり得ない服装と常に切り整えている五分刈り頭のせいで、傍目ことさらに疑われることはないはずだ。
しかししつこいようだが、意識すると意識してしまう。
肌の白さ、大きな瞳。その気で装い整えると、かなり人目を引く外見になると思われる。
それ以上にこちらにとって、今やこれ以上ないほどの相棒、絶対に手放したくない存在なのだ。
意識しないように努めていたのだが。
しばらく前、あちらの男爵令嬢とのやりとりの中で、思わず本音を口に漏らしてしまっていた。
少し前、ジョウの脅しの言葉への反応は、まずこの一人の存在が頭にあってのことだった。
そんなことを自覚すると、どうにも平静でいられなくなっている。




