107 埋蔵してみた
翌日は西門を出て、やや南西方向の山地を歩いてみることにした。
運よく数箇所でアカマソウを見つけ、熟した実を採取する。
まだ緑色が強く一部赤みがかったものも持ち帰って、放置して赤くならないか試すことにする。
山地の中に意外と見つけることができ、合わせて袋二つ分になった。
成果に満足し、それらは『収納』してさらに山の奥へ進んでみた。
緑が枯れかけた茂みの果てで小さな川のせせらぎに行き当たり、その上流へと辿ってみる。
しばらく登ると少し川岸が開けて、向こう岸が低い岩の崖になってきた。
――それなりに、お誂えの環境かな。
ここまで気をつけて歩いてきたが、茂みの中に蛇やネズミ、ノウサギなどはそれなりに棲息している。オオカミの姿も、遠くに見かけられた。
それに比べて、人が入り込んだ形跡は見かけられない。岩地にも、岩石採掘などを行った跡はないようだ。
そして何より、似通っている気がするのだ。
三ヶ月前にイムカンプ山地の中でオオカミに襲われ、ツェヒリン川に転落したあの場所に。
手頃な石を移動して流れの上に足場を作り、川を渡る。
崖に近寄って、岩の具合を確かめる。
岩肌を辿って、やや茂みに隠れた一角に当たりをつけた。
――この辺なら地盤もしっかりして、これまで人目に触れなかった理由もつくだろう。
三ヶ月あまり前の目撃を思い出し。
岩肌の地面と触れた付近から地中へ向けて、深さ五百メートル、広がりと奥行それぞれ二キロメートルほどの葉脈状に続く細い空洞を空ける。
それから。これは少し前に一度、街の中から試してみたのだが。
西北西方向に八百キロ程度の長さ、アーチ状の空気紐を指定し下に落としたところで、「塩水を『収納』」と指示すると、相当量採取できたのだ。
多少左右に移動しても先に延長しても同様の結果が得られるので、先日地図で見たクラインシュミット王国北部の海に達したと思っていいだろう。
今回も同様に空気紐を指定し、さらに、「西北西へ向けて、直径一メートル、長さ一千キロメートルの円柱状の海水の中にある、すべての塩とミネラル類、それを溶解するぎりぎり量の水を『収納』」と指示する。
その『収納』した溶解度限界でどろどろの食塩水を、さっき空けた地中の空洞に流し込む。
その後、食塩水から完全に水分を抜きとる。
これを、辛うじて塩の上端が岩の間に覗く程度に収める。
結果、地中で葉脈状に食塩の結晶が埋蔵されたことになる。
かなり大雑把な概算で行ったので、『収納』した食塩水の大半は残ることになってしまった。
それでも本当に概算で、『収納』した食塩水の中の塩の量は約二万トンあまり、埋蔵させた量はおそらく一万トン近く。
人口三十万人程度だというこの領の年間食塩消費量に、ほぼ匹敵するはずだ。
他の岩塩採掘と並行していく限り、数年は保つと思われる。
――こんなもの、だろうな。
当然ながらこの方法で埋蔵した食塩は、自然に形成された岩塩とは違った様相になっていると思われる。
とはいってもこの世界、専門に岩塩の形成を研究している学者など、いるとは思えない。
今までの岩塩と見た目は違うにせよ、とにかく塩が採掘されたことにただ歓喜するのが正直な反応だろう。
また海水の採取に当たっては、なるべく細長く遠方まで続く形で行った。
あまり狭い範囲から大量の海水を消すと、津波の発生など環境の影響が大きくなることを懸念したためだ。
とは言っても、今の方法で周囲への影響がどうだったか、確かめるすべもない。
何らかのバタフライエフェクトのようなものまで考えると、何があってもおかしくはないかもしれない。
北部の海岸付近は住人も少ないらしいから、人的被害がないことを祈って、あとは頬被りさせてもらおうと思う。
地中から顔を覗かせた岩塩脈の周囲を一メートルほど掘り下げ、ある程度の量を確かめることができる状態で、雑草を被せて隠しておく。
――よし、任務終了、と。
やや南寄りの進路で山を下りると、西南の門が見えてきた。
アカマソウの実を入れた袋を二つ『収納』から取り出して、両手に提げる。
一度話したことのある門番が、大きな袋に目を向けてきた。
「ずいぶんな収穫じゃないか。山菜か何かかい」
「あまり知られていない実らしいんですけど、使い道はないかと思いまして」
袋の口を開いて赤い実を見せると、門番二人は首を傾げている。
初対面の方の男は、少し考えて顔をしかめた。
「あまり詳しくはないんだがそれ、毒があるって聞いたことがある気がするぞ」
「ええそう言われているそうなんですが、赤く熟したのは無害だと確かめられたので」
「そうなのかい」
一応怪しいものを持ち込んだわけではないことを確認してもらい、ついでにこの実が無害であることを少しでも広めてもらいたいと思うのだ。
その程度の会話で、門を通過して街に入った。
ここからさらに南向きに道を辿ると、領主邸に近づいていく。
最近二度訪れた大きな屋敷の門に着き、門番に文官カスパルとの面会を申し込む。
いつもの小規模な応接室で少し待たされた後、文官が入ってきた。幸い、それほど多忙ではなかったようだ。
「お忙しいところお邪魔して、申し訳ありません」
「うんまあ、そこは大丈夫だが、何か急用かい。ずいぶん大きな荷物を抱えているようだが」
「お見苦しくて恐縮なのですが、こちらは用件とは無関係なんです。ちょっと考えるところがあって山の中でこんな植物を当たっていたんですが、途中でまた岩塩らしいものを見つけたので、ご報告に上がりました」
「何だと、岩塩だって?」
何度かの面談でお互いそこそこ気心が知れた感覚で緩めていた表情を、カスパルは一瞬で緊張させた。
問い返す声が、心なしか震えている。
「それは、前回のものとは違う場所で、ということかね」
「はい、当然そうです」
「いや確かな情報ならありがたいが、それにしてもまた君がそんなものを見つけるとは、俄に信じがたいというか」
「ええ、自分でも驚きなんですが。どうも僕は、獣だとか植物だとか、他の人よりそうしたものを見つける才能があるみたいで。前回岩塩を見つけたのと何処か似たような地形なんで、まさかとは思いながら少し掘って探してみたら、明らかに塩らしいものが埋まっていまして。塩であることはまちがいないし、一ヤータ以上地中まで続いているように見えました」
「それが事実なら、本当に信じがたい幸運だなあ。いやうん、確かに報告として受理しよう。場所を教えてもらいたい」
「はい」
また簡易地図が持ち出されて、だいたいの位置を指し示す。
川の畔であること、岩肌の崖が地面と触れる付近、茂みに隠れた一角で、一ヤータ程度掘って埋蔵を確かめ、雑草で覆い直している。
そういった説明を、うんうん、と文官は大きな頷きで一言も逃すまいと聞き入っていた。
「分かった。明日にでも調査の者を送ることにする。一定以上の埋蔵が確認されたら、君に発見の報奨が支払われることになる」
「それなんですが、少々勝手な要望をしてよろしいでしょうか」
「何だね」
「いえ、ですね。贅沢な悩みなんですが、最近ちょっと高額な現金が入ってくることが続いたもので、手元に慣れない大金を置いておくのが不安になる現状なんです。金庫などのしっかりした設備はないし、信用して預けられる当てもない」
「ああ、なるほど。確かに続いているねえ」
「勝手を申し上げて恐縮なんですが、今回の岩塩については販売して生じた利益から一定の割合をいただく、という形にすることはできませんか。ご面倒をかけることになると思うので、この割合については想定される最低レベルで構いませんので。つまりは今大きな額を手にするより、将来にわたって少しずつでも収入になるようにできれば、と思うのです」
「ふうむ。いや確かに過去、そうした扱いにした例はあったように思うが……」
「問題、ありますか」
「そういう形をとることに問題はないのだがね。ただ過去のそうした例では埋蔵量が期待したほどでなく、結果として発見者が損をしたというものが多かったはずだ。言い換えれば、当初は埋蔵量が正確に把握できない事情で、規定の報奨は心持ち多めに設定されているのだよ」
「ああ、そうなるのですか」
「他の製産品類に比べても岩塩は採掘量や販売量について正確に記録されるので、そこから一定の割合を支払うということに面倒は少ない。しかしそれでもやはり事務手続きは付いて回るのだから、最初に一括で支払う場合より減額になることは避けられない」
「はい、そこは理解できます」
「最悪を言えば、君は将来にわたっての収入にしたいと言うが、埋蔵量が少なくてあっという間に採掘が終了してしまうということも、十分考えられるのだ」
「言ってみれば、賭けということになりますね。埋蔵量が少なければこちらの損、多ければ将来にわたって得になるかもしれない」
「乱暴に言ってしまえば、そういうことになるね」
「ご丁寧な説明を、ありがとうございます。ちょっと面白いので、その賭けでお願いしてみたいと思います」
「ふうむ」
カスパルは掌で顎を撫でた。
わずかに愉快そうな視線が、正面に向けられる。
「もしかすると、発見した岩塩の様相を見て、量が多そうだという手応えを掴んでいるわけかね」
「一ヤータ程度掘って様子を見た限りですけどね。何となくそこそこの量はあるのではないか、賭けてみる価値はありそうだという、何と言うか勘のようなものですか」
「ふうん、面白いね」
頷いて、カスパルは手元の書類に何か書き入れた。
「分かった、そのように手続きしよう。断っておくが、調査してみて一定以上の埋蔵が確認されなければ、どの形にせよ報酬はないことになるからね」
「はい、承知しています」
お互い納得を確認して、その場を辞することになった。
ここまで大っぴらに曝して歩いてきた荷物を今さら隠すこともできず、大きな二袋を担いで家に戻る。なかなかに体力を鍛えられそうな、二十分間程度の徒歩移動になった。
しかしそんな体力消費も苦にならないほど、充実した達成感だ。
――まず、上々の首尾と思っていいだろうな。
これで、イーストに勝るとも劣らない、継続的な収入源を確保したことになる。
文官とはあのようなやりとりをしたが、もちろん今回の塩の埋蔵量は一括の報奨より一定割合の継続支払いの方が上回るだけのものになっているはずだ。
十分な、埋蔵量になっている。というだけではない。
あの岩塩鉱脈には、極端に言えば永久に埋蔵を追加することができるのだ。
ある程度採掘が進んだところに、追加するでもいい。
ごく近くに、新たな鉱脈を作り直すでもいい。
年に一二回程度でも、採掘の人の目が離れたところへ寄っていき、簡単な作業をすれば済む話だ。往復移動に要する以外、ほとんど体力も時間も必要としない。
そして――実のところ、こちらの方が当初の目的だったわけだが――領内の塩の自給量が増えることで、他領との戦乱の可能性が減ることが期待される。
住民にとって安心が増え、イーストなどの運搬に際しての懸念が減じられることになる。
当面のところ、こちらの生活の安定度はかなり増したと思っていいだろう。




