103 報告を聞いてみた
近づいていくと、門番が二人立っているようだ。それでも別に、出入りの者をいちいち調べているようでもない。
寄っていき会釈をすると、右側の男が軽く目を瞠った。
「おや、こないだトーシャと一緒に魔物討伐にいた――ハックとか言ったか」
「ああ、はい」
「覚えてないかもしれんが、俺もあのとき山の中まで出張っていたんだ」
「そうでしたか、どうも。済みません、まだ街の中に慣れていなくてあちこち見ているんですが、こちらはどういう門になっているんですか」
「ああ、南西の門と言うんだがな。少し北側にある森に行ったり、南西ずっと先のバルリング伯爵領に続く街道を使う者が出入りしたりする」
「そうですか。伯爵領に続くわけだ」
「かなりの山道なんで、多くの荷物を運ぶことはできないんだがな」
この辺は、前にも聞いたことがあった。このハイステル侯爵領からは近隣の領や隣国に続く道がいくつかあるが、ほとんど山中を通る形になっていて徒歩の通行しかできない。
ある程度多くの荷物を運搬できるのは、南のツァグロセク侯爵領と結ぶ街道だけだという。
伯爵領に続くという街道より南の方向はほぼ森か山地ばかりだが、オオカミなどに気をつければ中を歩くことはできる。壁沿いに六マヤータ(約六キロメートル)ほど進むと、南門がある。
そんなことを教わり、それでは南門を目指して歩いてみる、と断って外に出た。
「くれぐれも、オオカミに気をつけろよ」
「分かりました、ありがとうございます」
会釈して、まずは街道を歩き出す。
しばらく進むと左方向に森の中に入る細い道があったので、辿ってみた。
もう秋深い季節なので葉の色が変わったり落葉した樹木も多いようだが、一方で常緑樹も少なくないらしく、森に入っても上方が寂しいということはなかった。
代わりに、前世日本のように紅葉が楽しめるというほどの景色でもない。色の変わった葉も、統一性がない印象だ。
『鑑定』をしてみても、特別な情報はない。とりあえずどの木も薪には使えるようなので、落ちた枝類を目についた程度拾って『収納』しておく。
丈の低い植物の中にも実などが食用になるものの情報があったが、やはりこの季節になるともうすべて落ちきっているようだ。
いつものように警戒用の『鑑定』を常時発動しているので、時おり遠くノウサギやオオカミの光を捉える。とりあえず気にするほどの接近はないようだ。
足元はほとんど道の態をなさず草が茂るばかりになってきたので、木の棒を取り出してがさがさ前を探りながら進んだ。
森の中を探り、やや高所まで山道を登り、いろいろと見て回ったが特に役立つような発見はなかった。
一日足を動かしていい運動になったというだけの収獲で、かなり陽が傾いた中、街の防壁方向に進路をとる。
門近いらしい森の中には、ちらほらと薪拾いをしている人影が見えるようになってきた。
ややしばらく南向きに進んで、ようやく門が見えてきた。
「ご苦労様です」
拾った薪を一抱え結わえたものをぶら下げて、門番に挨拶して街に入った。
こちらに顔見知りはいなかったが、何事もなく通してくれる。
薪拾い目的の出入りは、かなりありふれているのだろう。
門を十分離れたところで道を逸れ、薪は『収納』した。
別にこそこそする必要はないのだが、この付近であまり衛兵などの印象に残りたくなかったのだ。
顔を上げると、一キロメートル程度先に石の壁が見えている。領主邸の、昨日訪ねたのとは逆の方向の景観だ。
周囲には、街の北方向より少し高級感のある住宅が増えてきている。
プラッツもそうだったが、こちら方面には領主の家臣や、そうした層向けの商人などの住居が多いのではないか。
間もなく仕事も終わりかという頃合いで、やや気忙しげに行き交う人の姿が多い。
そうした中でできるだけ奇異に見られないように足どりを合わせ、住宅が途切れる辺りまで進んだ。
街中ではあるが比較的木々が密集した一帯が、領主邸の東側の防壁際まで続いているようだ。
その小さな森のような中に入ると、まったく人の姿はなくなった。
不規則に並ぶ大きな木の間を縫って、先に進む。
「わっせ、わっせ」
「よし、もう一丁」
「おおーー」
石壁に近づくにつれ、右手はるか遠くに集団の声が聞こえてきた。
数十人程度の姿が豆粒のように見えているのは、どうも兵士たちの訓練場のようだ。領主邸から見て、およそ北東の側ということになるか。
その姿も、石壁間近に寄ると角に隠れて見えなくなった。
左手、つまりは南側かなり先には門が見えているが、そちらからも訓練場側からも死角になるように寄ったこの付近は、屋敷の中でも裏手になっていると思われる。
建物と防壁は十数メートル離れているようで、裏庭とかそんな感じになっているのではないか。
しばらく、辺りの様子を探る。
壁の内も外も、人の気配は感じられない。
日が短い季節なので、そろそろ薄闇が降りてきているところだ。
十分警戒しながら、石ブロックをいくつか取り出して積み上げた。
高さ二メートルあまりかと思われる壁の上から、すぐに中を覗くことができる。
そっと首を伸ばし、覗き込む、と。
「わ」
かなり近くに人の後ろ姿が見えて、慌てて首を引っ込めた。
どうも、見回りの衛兵がちょうどこの付近を過ぎたところのようだ。
恐る恐るもう一度覗くと、衛兵は左右を見回しながら訓練場方面へゆっくり歩いていく。
少し肝を冷やしたが。逆に考えるともうしばらくはここへ人が近づくことはないのではないか。
改めて建物を見ると、こちら向きにほとんど大きな窓などはない。板の窓は閉じられて、まず人目はないと思っていいだろう。
この壁から十メートルほど先は建物にコの字型に囲まれた広めの草地がある。特別手入れをされているようでもない、ただの空き地のようだ。
かなり南方向に進んだ辺りには花壇らしきものが見えているが、おそらくこの付近は陽当たりも望めないのだろう。
――とりあえずは、お誂え向き、かな。
改めて、前後左右を窺い。完全に人目がないことを確認。
一気に、事を終える。
即座にその場を離れる。
森の中を伝い、人目を忍んで、さっきとは違う辺りの住宅地に出た。
ことさら目立たないように気をつけて大きな通りに戻り、北に向かう。
こちらは一度も来たことのない地域だが、前にイザーク商会で見せてもらった地図によると、この通りを真っ直ぐ進んで馴染みの商店街に到るはずだ。
小一時間ほど歩いて、見覚えのある建物の並びに入った。
商店街の端を抜けて「ハイデ縫製工房」に入ると、一同は作業の後片づけをしているところのようだった。
朝以上に愛想よく、店主の娘が迎えた。
「ああ、お迎えだね。ご苦労様」
「どうも。どうでしたか、この子たちは」
「四人ともなかなか有望で、大助かりさ。今朝話した通り明日から交替で来てもらうことにしたけど、それでいいんだね?」
見ると、女の子四人とも納得顔で頷いている。
奥に座る店主も表情は少ないが、何処となく満足の様子だ。
「両者が納得のようなら、よろしくお願いします」
「ああ、任せておくれよ」
「はい、くれぐれもお願いします」
「はいよ。じゃああんたたち、話したように明日から頼むよ。きちんと片づけて、今日はお帰り」
「はあい」
ばたばたと動き回る少女たちを、満足げに眺め回して。
笑顔のまま、娘は向き直ってきた。
「そうだそれに、いただいたイーストってやつ、ありがたく使わせてもらったよ。本当に見事なパンができるし、この子たちの作る手際にも感心さね」
「そうですか、よかった」
「これから毎日、このパン作りも見習い修行の内に加えさせてもらうよ」
「はは、分かりました」
「あのイーストは、これからも買うことができるんだろうね?」
「ええ、イザーク商会で販売しています。よければ今後定期購入するして、この子たちに持たせてこさせるようにしましょうか」
「そうしてくれると、助かるよ」
朝方よりも心持ち穏やかに見える店主とご機嫌な娘に見守られて、四人は片づけを終えていた。
相談の上予定通り、明日はまずマリヤナとレナーテが見習い修行のため店に来る。ナジャとビルギットが家に残って内職仕事をする、ということになったらしい。
何でも今日技能を確認した「なみ縫い」とか「まつり縫い」とかいう基本の縫い方でできる、安価な製品の縁や裾などを整える内職を請け負うということで、二人はそこそこ大きな袋に入れた布類を受け取っている。
そんな満足げな女の子たちを連れて、店を出た。
ナジャとビルギットの大荷物を手伝おうかと言ってみたが、「大丈夫」と笑って首を振り、大事そうに袋を抱きしめている。これから毎回の運搬になるし、何より仕事を任されることが嬉しくて堪らないということらしい。
「マリヤナがいちばん、手際がいいって褒められたんだよ」
「ナジャも、見込みがあるって言われてたね」
「それよりもナジャは、パンを焼く手際で驚かれてたし」
「はは、裁縫の才能に関係ないけどね」
歩きながら、口々に報告してくれた。
要約するとどうも、マリヤナとナジャは一般的な見習いと比べてもそこそこ技能が身についていて見込みがある、レテーナとビルギットは見習い開始として申し分ない、という評価だったようだ。
教えていた店主はもっと何か言いたいことがあるようでも我慢していたみたいだ、とナジャが笑って言っている。明日以降はもっと厳しくなるのかもしれない。
家に帰って、四人で争うようにサスキアに同様の報告をする。
夜にはさらに同じ話を、ブルーノにしていた。
何だかしばらく、女の子たちの興奮は治まらないようだ。
「何にせよ、見習い先に問題はなさそうか。一安心だぜ」
「そうだな。しばらくは様子を見ていかなければならないかもしれんが」
他の子たちが寝静まった後、ブルーノとサスキアも安堵の顔になっていた。
次の日からは予定通り、店に通う二人と内職で残る二人とに分かれる。
もう行き帰りは本人たちに任せていいのだが、用事があったのでマリヤナとレナーテと途中まで同行するつもりで家を出た。
商店街の中央部で、手を振って別れる。
大きく構えた口入れ屋の建物に寄って、前日の報告をしようと思うのだ。
入っていくと。
「だから、どういうことなんだ」
「訳分かんねえぜ」
朝早くで賑わっているのはいつものことだが、受付台の中でも外でも、妙に落ち着かない会話が行き交っている。
誰もがここに来ている用事のはずの仕事の件ではなく、街の噂話のようだ。「精霊の悪戯」などという言葉が聞こえてくる。
ちょうど昨日同行してくれた職員の前が空いていたので、そちらに寄って、目的である報告を簡単にした。
「それにしても、何か落ち着かないみたいですけど。何かあったんですか」
「いやあ、よく分からないんだけどね。領主邸で何だか不思議なことがあったらしいんだ」
「不思議なことって、どんなことでしょうね」
「本当によく分からないんだけどね。何かとんでもないものが庭に現れたとか。ここにあるはずのないものだって、大騒動になっているらしい」
「へええ」
ここは当然、驚いてみせるしかない。




