100 会談してみた 2
魔物に関する件は、その程度の確認で終わりになる。
続いて家宰の会話相手は会長に移り、イーストに関する話題になった。
ジョルジョ会長から、マックロートにイースト製産の工場をいくつか設立する計画、ここにいる開発者のハックに定率の利益配分がされる予定、などを説明する。
おそらくこのマックロートに置く製産拠点で、国の北半分のほとんどに対するイースト供給は賄える。しかしこれから王都やさらに南方に販売を広げるに当たって、国の残り半分への対処には別の拠点が必要になると思われる。
イーストの実物を見せての説明はすでに支店長から済ませているということで、家宰の理解は速いようだ。
しかしこの、国の南半分に対する件では、初老の顔がわずかにしかめられた。
「このマックロートで製産して全国に回すということはできぬのか」
「はい、日保ちに限界のある製品ですので。ここからですと、王都まででぎりぎり、それより南方の領への供給はほぼ不可能です」
「そうか。であれば、致し方ないな」
渋々という表情で、頷いている。
この辺どうも見たところ、商会と領の側で腹の探り合いめいたものが続いているようだ。
その事情も大まかながら、事前に会長から話を聞いていた。
当面しばらく、王都にイーストを広める辺りまではこのマックロートでの製産が拡大し、領の税収が増えることになる。
しかしその後南方に別の工場を設立して生産をしていき、もしもそちらの利益がマックロートでのそれを上回ることになったら、納税の相手が移ることになってしまう。
家宰の懸念はおそらく、その辺りにあると思われる。
南方への販売拡大は、止めようもない。
もし工場をおおよそのところ国の北と南の二箇所に設立したとして、南の方に王都や大きな都市が含まれているので、そちらの利益が大きくなるのも止めようがないのだろう。
その動きが不可避だとしたら、侯爵領として残る望みは、せめて北半分に当たる納税をこちらに残すことだろう。
国の決め事として、商会からの納税は最も収益の大きい店の場所でということになっているが、便宜上商会の名義を二つに分けるなどして、その辺りの対処は可能らしい。
だとしたら。その名義分けをするかどうかについては会長の胸三寸なのだから、今から領がどれだけ商会に便宜を図るかにかかってくる。
現状、その辺の綱引きが行われているということらしい。
マックロートや領内他地域での販売に協力する商会との顔つなぎ、工場設立予定地の土地代について、など細々とした交渉が続いていく。
また、南方へのイーストの搬送に当たっては領兵の護衛をつける、といった条件も加えられた。どうも、王都への途中に安全が危ぶまれる地域もあるらしい。
腹の中ではかなり綱引き鍔迫り合いがくり返されているのかもしれないが、領の重鎮と商人は傍目笑顔で和やかにとり決めを交わしていた。
一通り確認事項を終えたようで、改めて笑顔で頷き合う。
この日は基本、会長との初顔合わせで直接話し合いを持つことがいちばんの目的だったらしく、初老の家宰はとりあえず満足の様子だ。
後日改めて、他の商会主も交えて話し合いを持とう、という確認になっている。
頷いた初老の視線が、それからわずかに移動した。
「それにしても、ハックと言ったな。其方にはこの短期間での領への貢献、大いに感謝している」
「は――そう、なのですか?」
「今話していたイーストをこの地に持ち込んでくれた点が、最も大きいがな。魔物退治と革素材の発見で地域の職工に活気を与えた、ということもある。またこれまでになかったパンの販売で商業にも興隆をもたらし、さらに何やら、ミソと言ったか、料理屋界隈で評判を呼んでいるというではないか」
「はあ……恐縮です」
ミソの件まで耳に入っているとは。この家宰殿、なかなか隅に置けない。
日頃から、領都の情報収集に傾注しているということだろう。
現状でミソについては、先日少し親しくなった料理屋に売り込んだという程度で、この街ではまだいくつかの店で研究中という段階のはずだ。
「これまでイーストの製造を主に担ってきたということのようだが、それをイザーク商会に委譲して、その後はどうしていくつもりなのだろう」
「ああ、はい――まあこれで当面、経済的には楽をさせてもらえそうでして」
「まあ、そうであろうがな。しかしその若さで、隠居するつもりというわけでもないのであろう」
「はい――まあぼちぼち、何かまた役に立つものはないか、探していこうとは考えています」
「イーストのような、皆に大きな利益をもたらすものであればよいがな。期待してもよいか」
「あまり大きな期待は身に余る。と言いますか。さしあたって考えているのは、どちらかというとミソに近い辺りのものです」
「そうか。まあ強制などをするつもりはないので、好きにやってくれ。興味を持って見ていきたいと思っている」
「はあ、光栄です」
何処か、くつくつとした笑いを見せている。
食えないオッサンだ。
まあともかくも「好きにやれ」という言葉を頂戴しただけで、ここはよしとしておくべきだろう、と思う。
その後、多忙さを思い出したとばかり家宰は話を切り上げ、会談は終了となった。
結果に満足げな会長は、この後工場新設予定の場所を見て回るという。
さらにこの日の午後には作業場に派遣の職員を増員するので、一通りイースト作製の手順を伝えてもらいたい、という要請になった。
トーシャは知り合いの衛兵に誘われて、トカゲ魔物の皮加工の現場を見せてもらいに行くのだそうだ。
そちらに付き合う気もそそられかけたが、商店街に戻ってきたところで用を思い出し、それぞれ別れることになった。
口入れ屋に依頼していた女の子たちの裁縫修業先について、そろそろ結果が出ていそうなのだ。
二件当てが出ている、と口入れ屋の職員が報告してくれた。
その上で、二件を比べるとこうこうこういう理由でがこちらがお薦め、と説明してくれる。そこそこ丁寧な説明に納得して、お薦めだという方の情報を受け取り持ち帰ることにした。
その後、この地区へ来た際の習慣になりつつあるルートで、パン屋の盛況を眺め、ミソを卸している先の料理屋を覗いてみた。
「おおハック、よく来た。まあ入れ、さあ」
「え、どうかしましたか」
顔を出すなり、レオナルトという料理屋主人に腕をとって引っぱり込まれた。
ここ数回いろいろやりとりをして顔馴染みになっているとはいえ、初対面時の無愛想な対応が信じられない熱心さだ。
店内はまだランチタイムに向けての準備中のはずだが、食欲を誘う匂いに満ちていた。
「いやあ、ミソを使った料理なんだがな。昨日から煮物と汁物を出しているんだが、煮物に比べて汁物の評判が今イチなんだ」
「そうなんですか」
「煮物についちゃ、見てくれは悪いが変わった味でいけるって、好評なんだがな。汁物はどうも、ミソの風味が鼻に付くみたいなんだ。特にプラッツから来た人の話じゃ、あちらで評判の汁物に比べて具材が汁の味に負けてるっていうんだな」
「ああ……」
元日本人にとっては、味噌汁ならどんな具材を入れてもいけるという気がしてしまうが、慣れない者にとってそういうわけにはいかないのだろう。
それに、プラッツのデルツの料理とは元の条件が違っているはずだ。
「プラッツの人が言っているというのはたぶん、ノウサギの内臓肉を使った汁物のことだと思います。内臓は癖が強いので、ミソの風味を強くしてそれを消す感じなんですね。こちらではふつうのノウサギの肉を使っているんでしょうから、客が慣れないうちはミソを強くしない方がいいと思います。煮物と一緒に出すなら汁物にはミソを使わないとか、隠し味程度にするとか」
「なるほど。言われてみれば、そんなものか」
腕を組んで、レオナルトは大きく頷いている。
複数の料理の味つけ組合せについては、こちらが言うより専門家の方が詳しいはずだ。その辺、いろいろ思うところがあるのだろう。
「新しい調味料を手にすると思わず何でもこれで作ってみたくなっちまうが、確かにそうだよな。献立の組合せは考えなけりゃいかん。言われて気がつくんじゃ、恥ずかしい話だった」
「これ、元々はその内臓料理を食べやすくする目的で取り入れたものなんで、調味料として癖は強いんですよ。少しずつ客に慣れてもらうように工夫した方がいいと思います」
「だよなあ。実は焼肉にもこの味つけを試してみたんだが、身内の味見段階からあまり評判がよくなかったんだ」
「へええ、焼肉にというのも、面白い気はしますけど」
「味見してみるかい?」
厨房に招き入れられて、ミソ漬けにしたノウサギ肉を焼いたものを試食させてもらった。
確かに、ミソそのものの風味と塩味が突出している。日本人としては許容範囲で受け入れられるが、慣れない者には拒否されて不思議はない。
何よりこれほど塩味だけが強く感じられるくらいなら、ただ塩を振って焼いた方が肉の味が楽しめるという感想もあるだろう。
――前世の味噌漬け焼きは、もっと甘みもあった気がするな。
たぶん、味噌に砂糖や味醂などを混ぜて調合するのだろう。
この地域では砂糖は貴重品だし、味醂などあろうはずもない。
「焼肉こそ今まで単純な味つけしかなかったから、工夫のしがいがあると思ったんだが」
「僕はこれで嫌いじゃないですけど、やっぱりミソの味が立ちすぎると抵抗のある人もいるでしょうね」
「だよなあ」
「やっぱりまずは煮物で始めて、客に慣れていってもらうべきと思いますね」
「そうだな」
料理人は、まだいろいろ工夫を続けるという。
レオナルトと頷き合って、料理屋を辞することになった。
住居に戻ると、イーストとミソの作業が続いていた。
昨日辺りから指示をして、ほとんどの作業を派遣職員だけで進められるように移行している。この日も三人の職員が手を動かし、ニールとナジャが横について指導している格好だ。
残りの三人の女子は年少者の遊びに付き合い、サスキアはその両方を見守る位置についている。
昼の休みに入ったところで、サスキアと四人の女子を呼んで話をすることにした。その間は交代して、ニールが小さい子の面倒を見る。
「口入れ屋に、裁縫の修業先の話が来ていたんでね。四人に伝えておこうと思う」
「わあ」
「ようやく来たのか」
四人はそれぞれに期待で顔を輝かせ、保護者よろしくサスキアが落ち着いて頷く。
前から伝えられていたように、時期的にずれているので大きめの店の見習い募集はなかなかない。一方こちらの希望は四人一緒の修業先なので、条件合致は難航したようだ。
ちなみに最初希望を聞いた際には、三人は服飾、ナジャは料理関係ということだったのだが。
こちらとしても前世の常識で簡単に考えてしまったが、実情として女の料理人としての仕事先はほぼないらしいのだ。
店を開いたり貴族などの家に雇われたりする料理の専門職は、まず男の仕事とされている。そのため、現役料理人が見習いとして受け入れるのも男に限られる。
料理屋などへの女の就職は、まず女給か、料理をするとしても手伝い程度しか考えられないということだ。
そういう事情なので、結局ナジャも仲間たちと一緒に裁縫見習いを目指すことになった。
裁縫関係なら、衣料店への就職にしても、下請けの内職にしても、それなりに女性の仕事は見込めるようだ。
そんな条件で口入れ屋が探してきてくれたのは、腕はいいが店構えは小さな服屋だという。
裁縫の腕だけならこの街でも一二位を争うほどだがお世辞にも商売上手とは言えないという評判の老婆が、娘夫婦と三人で経営しているらしい。