かくれんぼしねえ?
連休で帰省した。
たまたま、時間があった友人四人と、久々に顔を合わせた。ファミレスでだらだら喋り、そのまま友人の実家の飲み屋に行って、俺と西森というやつ以外はそれなりに吞んだ。
「しかしさあ、しばらくぶりに戻ってきたら、第二小が廃校とはな」
酔った友人、米川の言葉に、なあ、と俺は相槌を打つ。
第二小とは、坂部東第二小学校といって、俺達が卒業した学校だ。俺達の在校していた頃から児童数は少なかったけれど、一昨年とうとう十人を割り込み、去年廃校になった。第一小学校があるので、この辺の子どもは今、そちらに通っている。
「スクールバスだって」
「俺らものってみたかったな」
「な」
笑いが起こった。みんな、だいぶ聞こし召している。
クラス一可愛かった成瀬が去年、大学のミス・コンテストで二位をとったらしいとか、山口が地方局のアナウンサーになるつもりらしいとか、かつてのクラスメイト達の近況をひとくさり話した後、米川の発案で、第二小へ行くことになった。
皆、この辺りに実家があるから、移動は徒歩だった。西森だけは少し離れたところに今も住んでいて、車で来ていたから、俺達は西森の運転で第二小へ向かった。第二小は坂の上にあり、米川と、同じくらい吞んでいた水口とで、この状態で坂を登らされたら絶対に吐くと訴えたからだ。車で酔いそうなものだが、ふたりともそれは平気らしい。
西森は、車内で吐くなよ、と釘を刺し、俺達はそんなことはしないと誓った。
車で行くと、第二小は近かった。ただ、まわりが田んぼだらけで街灯がなく、校庭も広いので、くらくて少々気味が悪い。
さいわい、田舎だ。車には懐中電灯が数本備えられているのが当然である。西森の車には懐中電灯が三本あって、俺と米川以外が懐中電灯を持った。
「なんか、覚えてるよりちっちゃいなあ、校舎も門も」
「お前、ちびだったもんな」
そう言って、実家で散々吞んだ泉が水口の頭を叩いた。どっと笑いが起こる。吞んでいる三人は、なにを言われても面白くてたまらないらしい。
米川が、ぴっちり閉じられた門扉を乗り越えた。「おい」
「なんだよ、ちょっとくらいいいじゃんか」
「そうそう、おれら、ここのOBだぜ」
水口が続き、少々不格好な動きで泉も門扉をよじ登った。不法侵入だぞ、と言いたいが、ここで制止するのはなんとなくノリが悪い。
それに、八年ぶりの小学校を、見てみたくなった。
「まじかよ」
俺が門扉を越えると、西森は呆れた様子で、しかし懐中電灯をこちらへ放り投げた。すぐに門扉をよじ登り始める。
不用心なことに、錠前は壊れていた。
玄関扉に南京錠がかかっているのだが、泉がふざけて触るとぽろりと外れたのだ。やった泉が一番びっくりしていた。
俺達は顔を見合わせ、米川が言った。「はいれって言われたみたいだな」
それに同意した訳ではないが、誰ともなく校舎へあしを踏みいれた。
解体の話が進んでいるらしい校舎は、廊下に土足のあしあとが沢山ついている。俺達は、どうせもとから汚れているのだから、と、誰も靴を脱がなかった。
まず、六年の教室へ行った。俺達が最後につかった教室だ。机も椅子もなくなり、教室の後部にあるロッカーも撤去されていた。ベランダへ続く窓は幾つか外されていて、玄関に南京錠をかける意味がないと、泉がけたたましく笑った。
体育館は、玄関のものよりもっとずっとしっかりした南京錠がかかっていて、はいれなかった。
音楽室には何故か、木琴だけ残されていた。黒板に、最後の児童の誰かが描いたらしい、少女の似顔絵がある。なかなか上手に思えたが、嬉しそうな笑顔がくらい校舎内にはそぐわなくて、ちょっと不気味だった。さしこむ月明かりに、口許だけ照らされているのも、不気味だ。
「なんか、天井も低いな」
「廊下ってこんなにせまかったっけ?」
「なあ、かくれんぼしねえ?」
「おー、いいじゃん。なあ、お前得意だったよな、米川」
「ああ」
「ピアノがあったら弾いたんだけどな」
「あ、なあ、雨降ってきたみてえ」
「いつも校庭だったじゃんかくれんぼ」
「一階でやろうぜ」
「隠れる場所多過ぎだろ。鬼が不利」
「西森は鬼得意だろ」
西森が笑って承諾したので、俺達は年甲斐もなくかくれんぼをすることになった。
俺が選んだのは、保健室だ。
西森は玄関の外で待っている。全員が隠れたら探し始めると約束していた。俺達は隠れたら、西森にケータイでメッセージを送る。
ほかの場所も覗いてみたが、保健室には棚や衝立などが残っていて、廊下からぱっと見たくらいでは全容がわからない。俺は衝立の裏にしゃがみこみ、ケータイで西森に連絡した。
「かくれた」
「おけ」
「米川があほな電話かけてくる」
「後隠れてないのは?」
スクロールするのが面倒で尋ねてみると、泉、と返ってきた。
しばらく待っていると、泉からも隠れたと連絡があり、西森が「鬼出動」と書いて寄越した。
膝を抱えて座っているのは結構きつい。ケータイをみると、もう日付が変わっていた。欠伸をしたところでドアが開き、西森がはいってきて衝立の向こうから顔を見せた。懐中電灯で顔を照らされる。「三人目」
「鬼はえーよ」
「今日は大漁だな」
「え? 俺ら食糧なの?」
西森がふざけて歯をむきだしにした。
廊下に引っ張り出される。泉と水口が居る。ふたりはへらへら笑った。
西森が歩いていくのに、捕まった俺達三人はついていく。西森は教室をすばやくたしかめ、たまにあしあとなんかを見ているらしかった。
下駄箱が並んでいるところのすぐ近くにある図書室に、西森は確信を得たのか、にんまりしてそこへはいっていく。
出入り口辺りはなにもなくなっていたが、奥は本棚も本もそのままだった。西森はその辺りをさがし、引き返してくると、カウンタ奥のバックヤードへ通じるドアを開く。なかにはいっていったので、俺達も続いた。
懐中電灯三本がそこを照らす。長机がひとつと、ベニヤ板が数枚壁に立てかけられているのを除けば、がらんとした部屋だ。奥の壁の一部にベニヤ板が張ってある。おそらく、窓を塞いだのだろう。部屋の隅にすきまがあって、月明かりがかすかにさしこんでいた。
西森は黙っていた。ここに米川が居ると踏んだのに、推理が外れて不満なようだ。
西森が踵を返し、俺達もついていく。西森はめげずに一階をうろついたが、三十分もするとさがす場所もなくなってしまった。
「だめだ、わからん」
西森は俺に懐中電灯を持たせ、ケータイをとりだした。「図書室だと思ったんだけどな。あしあとがあったから」
言いながら、ケータイを操作する。米川に電話をかけているようだ。だが、米川はそれに応じなかった。
西森はいらついた様子で、米川にメッセージを送る。西森の手許を覗きこんだ。
「降参!」
「お前ほんとに一階に居る?」
「階段下で張っとくからな(# ゜Д゜)」
すぐに、米川の返信がある。
「やった」
「寝てる間に勝利」
「一階おる」
「としょしつ」
「は?」
西森の指が動いた。
「なに」
「いってんお」
「図書室調べた」
「マ?」
「いる」
「は」
「いみわからん」
「図書室の億」
「かうんたーの」
カウンタの奥に居る、ということだろう。
西森と俺の表情になにか感じたのか、泉と水口がケータイをとりだし、西森と米川のやりとりを読んでいた。泉がささやく。「これまじ?」
水口がメッセージを送る。
「ヨネカワ」
「ふざけんな」
「は?」
「ふざけてね」
「図書室」
「奥」
「だから調べた」
これは泉だ。
「カウンターの奥だろ」
「そのドアの向こうもはいった」
「テーブルと板きれがあっただけだし」
「西森てーぶるの下までさがしたぞ」
米川はしばらく返信しなかった。たっぷり三分も経っただろうか。
「まじで」
「あのさ」
「でぐちわからんくなった」
「おれさっきからどあさがしてて」
「みつからねの」
「は?」
「なに言ってんだこいつ」
「誰か米川に電話」
西森が鋭い調子で言った。俺はケータイをとりだして、そのとおりにする。西森は俺に見やすいようにケータイを傾ける。
「今電話かけてる」
「ちゃくしんない」
「そっちからかけろ」
俺は電話を切る。
「でんわつかえない」
「これやばくね」
「むかえ来て」
米川はすぐにふざけるし、下らないことを言い出すやつだが、こんなわるふざけはしない。
三人もそう思ったようだ。泉と水口が大口を開け、西森がケータイの画面をすばやく叩く。
「いいから出てこい」
「でれない」
「くらくて見えな」
「スマホだとぜんぜんまっくらで」
「全然見えない」
泉がごくりと咽を鳴らす。
「米川」
「どあ」
「壁伝いに歩け」
「やてる」
「は?」
「壁にてつけて歩いてる今」
「ずっとあるいてんだよ」
「あの部屋そんなに広くねえだろ」
水口はまっさおになっていた。俺も似たようなものだろう。
その後も米川とのやりとりは続いた。だが、埒があかない。
米川のメッセージによれば、西森が「あほな電話」と言っていた電話を切った後、米川は壁にもたれかかってうとうとしていたらしい。
その後、メッセージの着信音で目を覚ますと、室内がまっくらになっていた。鼻をつままれてもわからない暗闇だ。この辺は田舎で、街灯こそないが、かわりに星や月の光が強い。壁にできたすきまからかすかにさしこんでいた光もなくなっていて、米川は雨が酷くなったと思ったらしい。
実際は、雨はもうやんでいるし、降り始めが一番酷かった。
米川は西森が降参したので、出ていこうとしたが、ケータイの乏しい灯ではなにも見えない。それで、壁に手をついて、ドアがある筈の方向へ歩いていった。だが、歩けどもあるけども、ドアに辿りつかない。今もそうらしい。
西森が走り出した。三人で追う。
西森は図書室のドアを乱暴に開け、飛び込んだ。バックヤードへの扉を開け、懐中電灯でなかを照らす。
米川は居ない。
俺は眩暈を感じながら、ケータイを操作する。
「米川」
「今来てる」
「は」
「なにいって?」
「来てない」
「ドア開けて」
「あけてる」
米川はしばらく返事を寄越さなかった。
「たすけて」
西森がドアを閉め、ケータイを握りしめた。
「米川今からドア開ける」
「手いれるから掴め」
「は」
「やれ」
西森は慎重にドアを引く。ほんの少しだけだ。俺は過呼吸を起こしそうになりながらそれを見ている。泉がふらついた。
西森がすきまに手を差しいれた。
西森がよろけた、と思ったら、米川が泣きながらとびだしてきた。
俺達はそのまま走った。米川は喚いていた。「手が目の前に出てきた。それで掴んだら西森だった」
「なんだったんだよ今の」
はぐれたら死ぬような気がして、俺は西森の上着を掴んでいた。米川もだ。泉は水口の腕を必死に掴んでいるし、水口は西森の手をしっかり握っていた。
校舎を出ると安心した。月が煌々と輝いている。俺達はばらばらになって、息を整える。みんな、程度の差はあれ、泣いていた。
少しだけ落ち着くと、俺達はまた走った。門扉を楽々乗り越えて、西森の車にとびこみ、西森がやけにがちゃがちゃと音を立てながらトランスミッションを操作した。
車が猛烈な勢いで走り出し、第二小が見る間に遠ざかった。坂道を下ると、校舎は見えなくなった。
「なんだったんだよ」
「なあ」
「米川大丈夫か?」
「大丈夫じゃねえよ、死ぬかと思った」
「いみわかんねえ」
「ほんといみわからん」
「誰だよ、かくれんぼしようなんてばかなこと言い出したやつ!」
米川が怒りをこめて言った。泉が息を吸いこみ、不思議そうな顔になる。「あれ?」
「……誰だったっけ」
「なあ……」
水口に、西森が頷いて応じた。俺も頷く。
車内が静まりかえった。その疑問については掘り下げてはいけない気がしていた。きっと、四人もだ。だから誰も、「誰がかくれんぼをしようと言い出したのか」を、それ以上追求しなかった。
俺達は黙って、西森の家まで行き、西森の親に歓迎されて、みんなで泊めてもらった。こわかったからだ。