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我が共和国と、隣国にあたる帝国の紛争が始まったのは、今から遥か昔のことだ。どれほど前かというと、主な攻撃手段の動力が人力で賄われていて、硫黄を主原料とする黒色火薬なんていう骨董品が最大火力だったころから、らしい。

自慢ではないが、幼い頃からかなり国の歴史を学んでいる俺ですら、隣国との紛争に関しての知識はこの程度なのだ。教師どもに渡される歴史書には、都合の良いことしか記されていないなどある程度の年齢になれば馬鹿でも気づく。

結局のところ、誰も紛争の原因なんて分かっていないし、解決の糸口なんて探ろうとすらしていないのだ。

俺と、あいつー女狐が生まれたのはそんな時代なのだ。


和平の証なんてお題目で二国共同出資のもと設立された学園の食堂は今日も殺伐としていた。まあ、どんだけ綺麗事を並べたところで、共和国と帝国は、敵対国であると幼い頃から教わってきたのだ。突然皆仲良くなんて言われても、できるわけもなく、故郷を同じくする連中同士で固まっていた。

融和なんぞ、果たせそうにない。

だが、俺の周りは空白ができていて、


「下衆男」

「なんだ女狐」

「そこは、私が最初から目を付けていた席だ」

「そうか……知るかボケ」


話しかけてくるのは、艶やかな黒髪をひとまとめにした帝国の変な女だけだ。


「知るかとはなんだ、どけと言ってるのがわからんのか」

「あいにく、共和国は帝国の連中と違って言われてもいないことに従う流儀はないんでな」


鼻で笑って要求を無視する。

女は舌打ちをすると、俺の真向かいの椅子をひいた。今日の食事場所はそこらしい。

対面の変人は、血が滴るように赤い見るからに生臭そうな切り身を、美味そうに口に運んでいる。気が知れん。


「なんだ、そんなに顔を見てもこれはやらんぞ」

「いらんわ」


誰が、生魚なんて欲しがるか。


「私からしたら、牛をうまそうに食すような男には、近づきたくもないのだがな」

「だったらどっか行け」

「そうもいかん。貴様は、自分とは違う生き物に囲まれて食事ができるか?」

「…………………」


俺は口をつぐんだ。

そうなのだ。この点が、共和国出身の俺と、帝国出身の女が一緒に飯を食っている理由なのだ。

俺は、為政者になることが定められて生まれたにも関わらず、他人を人間と認識できない。

この女は、帝国の兵器となることが定められて生まれ、他人を人間と認識できなくされた。

このくそったれな共通点が、俺を周囲から孤立させ、そしてこの女と繋がりを持たせてしまったのだ。


「なあ、女狐」

「なんだ下衆男、この鯛はやらんぞ。胡瓜ならやる」

「勝手にのせるな。お前食い意地が張りすぎだ。神は、いると思うか?」

「…………さあな。だが、もし存在すると言うのならば……」


残念ながら、もう一点この女狐との共通点があった。


「ぶっ殺したいたとは思っているよ」


ああ、まったくその通りだ。


学園での生活は、何事もなく過ぎ去っていった。生徒同士で融和が進むなんて事はなく、愛と平和の素晴らしさを実感する機会なんてなかった。

強いて言えば、視力が落ちて眼鏡を購入したことくらいだろうか。

俺は、卒業後軍に入った。実家では軟禁状態にされるのが目に見えていたからだ。

軍の肉体矯正プログラムのお陰で、視力も回復した。

そして、実に意外なことにも他人の才を見る力はあったようで、指揮官として出世していき広大な共和国の東半分の守りを任されるようになっていた。

そうして忙しなくどこか空虚な日々を過ごすなかで、東部戦線で帝国のある兵士についての噂話が流れていると情報が伝わってきた。その兵士は、黒い死神と呼ばれているらしい。

俺はそれがあの女であると言う半ば確信めいた予感を抱きながら、その兵士の存在を静観するように命じた。たった一人の兵士の活躍など、長く続くものではない。あっさりと死んでいくのが戦場の理だからだ。そう、願っていた。



「あの馬鹿女……なんで思い通りになってくれないんだ」


一人だけの執務室で、報告書を読みながら思わず呟く。それは、我が軍の被害報告書であり、黒い死神の活躍を意味していた。

願っていた。

あの女が死ぬことを。

関わってしまえば。

どうしても、生を望んでしまう。

だから、願っていた。

俺があの女に二度と関わらなくてすむことを。

だが、その望みは叶いそうにない。

ああ、まったくこの世界は悪趣味だ。




「久しいな、くたばってなかったのか」

「……………………」


再開した女は、軽い調子で俺に声をかけてきた。あの頃と同じ調子で、しかし背中を覆うように下ろされた女の髪が、あの頃との違いを表している。

ここは、共和国の尋問室だ。黒い死神ーー帝国の英雄は俺の罠にはまり、それでも共和国軍に甚大な被害をもたらしながらも捕縛された。

くすんだガラス玉のような目は、かつてとは似ても似つかない。相手も、同じことを考えていそうだ。


「それで、いつ私を殺してくれるんだ?」


女の目に、キラリと光が差す。

お前は、命を奪われる立場にあると言うのに。それを、望むのか。


「……まだだ。お前はしかるべき時に、効果的に殺す」

「…………………そうか」


再び、女の目は無機質な黒い玉に戻る。それは、鏡で毎朝目にしているものにそっくりだった。


カツンカツンと、武骨な廊下は俺の足音を大きく響かせる。

共和国に戻ってから、一度も身に付けなかった眼鏡は、俺に世界を歪んで見せていた。

見回りの兵士に軽く会釈すると、彼は怯えたようにその場を立ち去った。

ふっと、自嘲的な笑みが浮かぶ。


(まあ、仕方がないか)


気が狂ったと思われているのかもしれない。

捕虜の食事の世話なぞ、軍のトップがする仕事ではないのは確かだ。

俺は立ち止まると、ロックを解除し扉を開く。そこから見えたのは、ひとり拘束された女の姿だ。

ピクリとこちらに反応する女の背後に回り、両手の拘束と目隠し、口枷をはずしてやる。

女は、首をブンブンと大きく振った。


「食事の時間だ」


俺がそう告げると、ゆっくりと俺の方に首を動かした女は、口を開こうとして、


「ヒューヒュー……げほっ!」

「……………」


俺は水を飲ませてやる。

しばらくして、ようやく女は喋れる状態になった。


「ようやく、私を殺してくれる日が決まったのか、下衆男」

「食事だと言っているだろう、女狐」


俺が食事の載ったトレーを掲げると、失望した目になる。

どうして、お前は生を望んでくれない。

かつてのような女の舌打ちは、やけに大きな音に感じられた。


なんて、なんて最悪な気分だろう。

あの女の処刑の日を決定した。効果的に帝国にダメージを与えられる最良の日だ。俺が、そう決断した。

女に伝える。

すると、女はあの頃のような微笑みを浮かべた。


「女狐」

「なんだ?」


この問いに意味はない。だが、それでも問わねばならない。


「ひとつだけ、教えてくれ。生きたくないのか?」


果たして、女が返したのは、俺に対する失望だ。そう、女の黒々とした双眸が告げる。


「貴様の質問に答えてやる義理はない」

「…………そうだろうな」


分かっていた。

だけど。

俺はお前に生きていて欲しいんだよ。

たとえ、俺が恨まれても。


その夜、俺は女を犯した。

だが、得られたのは、壊れた眼鏡と、ふかいふかい空虚さ、込み上げる酸っぱい味だけだった。


朝になった。

俺は自室で、元帥としての、仮面をかぶる。

どこまでも、冷徹で、合理主義な男の仮面だ。この顔は、眼下の民衆を見て微笑んだ。

時間だ。

まるで、跳ねるような足取りで、女が処刑台に伸びる階段を上ってくる。それに従うように、ひとつに結わえられた黒髪が弾む。


(なんで……!)


お前は、あの頃の髪型に戻した。なぜ!

女が俺を視界に納めた。口がかすかに動く。

ありがとうと、そう言った。


女の亡骸は、それでも美しかった。

俺は、民衆を鼓舞する。太陽は、空っぽで耳障りの良い言葉を並べ立て続ける滑稽な男を嘲笑っていた。

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