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たとえばこれはαルート  作者: 扉野ギロ
第二章 レッドヘアーズクラブ
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3話「日記とメモ-2」

「未来……」


それまでペロと芳隆の間で視線を右往左往させていたコロが、ふいに口を開いた。


「そうでしょ? 現実の未来。清子さんには、それが視えるようになった。日記には、その未来の出来事が書いてある」


まだ日記を読んでいないコロが、まるで内容を言い当てるようなことを言う。ぴくりとペロの顔が動き、芳隆の顔がはたと彼女を向いた。

そんなコロの表情にペロに浮かんでいるような困惑のシワはなく、いつもと変わらない。


ちょっと見せて、と徐ろに芳隆から日記を取ったコロの振る舞いは、状況も相まってどこか冷静なふうに見えなくもない。


パラパラと日記を捲り、「なるほど、そっちか」と呟くコロ。


「そっち、って?」


相変わらず複雑な顔のまま、ペロが訊く。


「未来の見え方には、大きく二種類あるでしょ。一つは文字っぽくわかることと、もう一つは風景とかいわゆる映像でわかること。これを見る限り、清子さんの未来予知は文字っぽくわかるほうだったんだと思う」

「どうして、そう思うんだ?」

「映像なら、自由に動けないだろうし、たぶん日付を知るのが難しい。それに、このスケジュール帳を日記だって言っていたこともそう。他にも、映像で視た割にはって感じるし、映像だけじゃわかりづらいことが多いとも思うから」

「なるほどねえ……」


納得するペロの表情からシワが消えている。


「しかし。であれば清子様は、その夢の中でこの日記を読んでいた可能性があるとも考えられるのではないしょうか。その場合、映像で未来を覗いたとしても日付がわかるはずです」


芳隆が言った。

コロは静かに首を横に振る。


「だとしても、これには『にっきをかく』としか書かれていないし、これがその『にっき』かはわからない。それと、もしこの『にっき』を視ていてこの日記を書いたんだとしたら、時系列の辻褄が合わなくなるよ。これがそもそも、あった、っていうなら別だけど。水沢さんは、清子さんがこの日記を書いているところを見たことがあるんでしょ?」

「ええ、そのとおりです。であればなるほど……たしかに東照宮様の仰るとおりです。では、清子様はどのようにしてその、未来、を?」

「わからないけど。やっぱり怪しいのは……」


と、コロは日記の五月のページを開いて二人に向ける。


「五月十七日だと思う。この日、清子さんに何かが起きたのは文字の乱れでわかる。たぶんこの時に未来を視たんだと思う。水沢さん、なにか覚えていることはある?」


コロがまた芳隆に日記を渡すと、乱れた『test』の文字をじっと見つめながら、芳隆は「それが」と首を横に振った。


「当日、私は正剛様と一緒におりましたので、清子様のそばにおりませんでした。

ただ、代わりに木織きおりが付いておりました。五月十七日については私も気になりましたので、当時木織に確認しましたが、清子様は家から出られなかったと聞いております」

「その、キオリ、っていうのは?」


コロが訊くと、「これは失礼しました」と芳隆が頭を下げる。


「木織は、お二人を案内した女性です。加えて、手塚家に仕えているのは私と木織の他に、運転手を専門にするヒューゴとアントンがおります。ヒューゴは正剛様に付かせていただいており、アントンが主に清子様に付かせていただいている運転手です。

ちなみに、当日のことをアントンにも訊きましたが、知らない、と……」


そっか、とコロは日記の内側を自分の方に戻し、じっとそこを見つめる。


「ところでさ」


と、ペロ。


「これが妙な日記だってのはわかったけど。それとオレたちの目的とどう関係があるんだ? もう一度言っておくけど、オレたちは清子さんが参加していたっていう集まりのことを知りたいんだよ。でも、日記にはその手のことが書かれていない」


腕を組み、顎先で日記を指す。

芳隆は、「ええ」、と何の脈絡もなく返事をした。


「実はこの日記ですが、いつから清子様がお持ちになられていたのか、私はそれを知らないのです。そもそも清子様が字を書かれることはほとんどありませんでしたし、日記もアプリケーションで行えば事足りるはずでしょう。それがなぜ紙の、しかも手書きである必要があったのか……」


そっと瞼を落としてかぶりを振り、ゆっくりと目を開くのに合わせて芳隆の顔がペロに向く。


「集まり、と言いましたね」


意味深に向けられる視線を受け、ペロは「そうだね」と頷く。


「それは、ただの集まりではない……会合ともいうべきもの。そうですね?」


再びペロの眉間にシワが寄る。


「……なにか知ってるのか?」


はい、と芳隆は短く頷いた。


「清子様のことについては、私ども執事が一任されております。つまり、清子様と執事にしかわからないこと、があるのです」

「それが、会合だと」

「ええ、おそらくですが」


曖昧な返事に対し弾むように顔を縦に動かす芳隆は、これまでの礼儀正しい姿勢がわずかに砕け、若干のふてぶてしさすら窺える。


「ここだけの話、です」


と、芳隆は目線だけ閉じられた部屋の出入り口に向けた。


「ああ、もちろん」


ペロが頷く。


「そこの扉の先――」


次いで芳隆が目線で示すのは廊下に続く出入り口とは斜向い、文机と正反対の壁にある一枚の扉だ。


「不定期に年に一度か二度、清子様は"長風呂"をされました。入浴中ですから、もちろん扉には鍵が掛けられ、通常は三、四時間ほど。長ければ五、六時間ほどですか。そうして清子様が入浴を終えた後、必ず買い物をなさるのです」


そう言って芳隆は徐ろに天蓋に近づき、「たとえば、これですね」と彫刻のされた柱に触れた。


「他にも、一階ロビーにあるテーブルや椅子もそうです。清子様が長風呂の後に購入されたものですよ。特に多かったのは、絵画や人形です。とはまた別に、募金されることもありました。それも、長風呂の後のことです。

言わずもがなですが、それらは皆高級な値の付けられた一品や支援ばかり。正剛氏はマネーに無頓着な方ですから、清子様がいくら使われたかについては一切知らないでしょうね」


くい、と芳隆の片側の口角が上がった。


「長風呂と……散財……か」


こぼすように呟くペロ。


「それと、会合です」


芳隆は付け加え、奥のまっさらな壁に近づくとそっとそこに触れた。


「ひとりでしたから、清子様は……。私どもが執事として傍にいたとしても特段の意味は持たないのですよ」

「旦那があんな感じで、寂しかったから。だから、秘密の会合に首を突っ込むようになったって?」

「ええ。ですが、単純な寂しさを紛らわすためだけではなかった」


壁に向かって答え、そして芳隆は二人を振り返った。


「少なくとも……いえ、便宜上ですね。私はなにも知らないことになっている。気づかないフリをしていますが、木織もアントンもそのフリに気がついています。

それでいてなお、あれらが私に隠し事をしようとするのは、私には私の役目があるからです。正剛様並びに国、ですか。彼らを欺かなければ清子様の自由が無下になってしまう可能性があった。

つまり、私は囮なのです。生命に用意された終焉を封じられた清子様の、せめてもの希望を守るための」


フっ、とつまらなそうに笑う芳隆。


「終焉……?」


怪訝な顔でペロが訊ねる。

芳隆は、そんなペロの表情を薄い笑みを湛えたまま見つめ、ええ、と頷いた。


「死、ですよ。正確には寿命。清子様は、生きていれば必ず訪れるはずのそれが封じられていました。いえ、奪われたといってもいい」

「それってつまり……不死ってやつなのか?」


怪訝さから一転、驚愕に目を見開いてペロの表情が停止する。


「いいえ、不死などという絵空事ではありません」


芳隆は、煩わしいものを払うかのように何度も左右に首を往復させる。

動きを止め、ペロを見つめる目つきには、まだ嫌悪の色が滲んでいる。


「……不老だ不死だと、人類が求める夢のように語られる戯言があの人、手塚正剛という御人の手にかかれば現実となる。

ええ、表面上は素晴らしい技術です。しかし、戯言は戯言、絵空事なら絵空事のままであればよかった。結果が不死に近いものだったとしても、そこに生じる弊害は行われなければわかることではなかった。それもわかります。しかし、なぜ、清子様が……」


芳隆の口から、くっ、と苦しげな音が漏れ、固く瞑られた目からふいに一粒の雫が溢れた。


「清子様は、もともとおおらかで、周囲の時を止めてしまうかのような柔く悠長な空気の持ち主だった。それなのに、正剛様は清子様を変えてしまわれた。

清子様は、"あのバケモノ"を入れられてから狂ってしまわれたのです。

いつも笑顔で、よく笑う。常に前向きな発想を持ち――恐怖も不安も感じなくなったかのようにです。わかりますか?

消えてしまったのです、憂いが、清子様から。アレが、全てを取り込み健全な形へと変えてしまうからですよ」


前髪を乱暴に掻き上げ振り払う。


「わかりますか、憂いを失くした人間がなにを思うのか。なにを感じられなくなるのか。笑顔のまま、悲しげな涙を流す人を見たことが……ありますか?」


ぽた。と絨毯が芳隆からこぼれた雫で滲む、


「ずっとそうだったのでしょう。清子様は求めるようになられていた。死を、憂いを抱かずに死ぬ方法を……」


そして滲んだシミを革靴で踏みにじり、芳隆はコロの手元を指差した。


「言いましたが、私は囮に過ぎません。正確にそれがどこでなんなのかは知らないことです。木織もアントンも、清子様のため決して答えることはないでしょう。ですから、これは私個人が聞いた人づての話と膨らめた妄想の話です」


前置きを語り、芳隆は自身の左胸に右手を置いた。


「オークション、だそうです。清子様が件の――長風呂の時に、会場で会った、という証言があります。

聞けば出品物は、いわゆる芸術品のような調度の類のようで、通常のオークションのそれと変わらない、とのこと。ただ、そのオークションに関して通常ではあまりないことがあるといいます。

それは、出品物のほとんどが作者不明の物であるということと。それから、調度とはいえない臓器のようなものなどが出品されること。また、それらが通常オークションの出品物の中でも稀なほど高額な値で取引されているということ。

そして最後に、それら全てに"曰くが付いている"、ということです。

年に数回行われるというその謎のオークションに、清子様はほぼ欠かさず参加されていた――」


その意味がわかりますか?

急に尋ねられ、コロは静かに首を横に振り、次いでペロは口を半開きにしたまま呆然と頭を揺らした。

芳隆は、「ふぅ」、と一息つくように漏らした。息を吸い、


「死ぬため、です」

「死ぬ……? どうして?」


訊いてすぐ、あ、と短く言ってコロは日記で口元を隠した。


「言ったでしょう。"憂いを抱かずに"、と。それが、清子様にとって重要な作法だったのです。絶望を奪われた清子様の絶望は、あくまで希望として意志に宿っていたのです。つまり、清子様はその曰く――呪い、によって命を終えようとした」


断言するように言い濡れた視線を向ける芳隆に、コロは小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。


「いやしかし、オークションの参加者たちが皆狂っていたことは違いありません。たとえ死ぬためでなくとも、あえて曰く付きをいくら払ってでも手に入れようなどと考えるのですから……」


なんにせよ、と芳隆は話を切る。


「馬鹿げた話ですよ。呪いなどというもので本当に人が死ぬわけがない……」


俯きがちにかぶりを振る芳隆の周囲に、ぽた、ぽた、と雫が散る。


「しかし私は、長風呂の事実を知った後、改めて日記を読んで気づいたのです。そんな絵空事に、清子様はなんと長い時間を費やしたのか……。そうして、ついに清子様は成し遂げられたのだと」


満面の笑みを浮かべ、だらだらと涙を流すその男は、中空に表情を投げ出す。

溢れ出す狂気に押し流されるように、ペロが静かな足取りでコロに近づく。

コロは、そっと日記を閉じた。


「これって、呪いなのかな……」


コロの声に反応し、芳隆が彼女を向く。


「清子様に訪れたことを考えれば、呪いに他ならないでしょう。死は人にとって不幸でしかなく、それを齎すものは呪いなのですから」

「そうなんだけど……」


不満げに言うコロ。

ふわりと漂い初めた追求の空気を堰き止めるかのように、「それで」、とペロが割って入る。


「結局のところ。その日記がいわゆる呪物ってやつで、清子さんはそれが原因で未来を視るようになって命を落とした。そしてその呪物は、あんたが誰かから聞いた謎のオークションで手に入れた。

つまるところ、オレたちが知りたい清子さんが熱心だった集まりがそのオークションだったってこと。それでいいか?」

「ええ、そのとおりです」

「じゃあ、質問。あんたにオークションのことを教えてくれたのは、誰?」


ペロが訊くと、芳隆はまた天蓋の柱に触れた。


杜田治郎もりたじろう、という芸術家です。清子様が購入された調度品はほとんど彼が作ったものですよ」

「なるほど、そういうことか……」


ペロが指先で頭を掻く。


「そのモリタジロウって人に繋いでもらうことはできるかな。オークションについて詳しく訊きたいんだけど」

「もちろんです。それについてはこちらで手配させていただきます」


腰を折り、戻す。それだけの挙動で、芳隆は礼儀正しい執事としての気配を取り戻していた。

ペロと芳隆で連絡先を交換し。そうして部屋を後にする三人の間のどこにも、秘密を共有した親密さは窺えない。


ロビーまで来ると、受付カウンターの奥で木織がペロとコロの二人に向かって深々と頭を下げた。

きちんとケアされた艶のある髪に照明が反射し、囚われた光が彼女の頭頂部で弧を描く。

それとなく視線を向けて軽く会釈したペロが、はたとカウンターに向き直り、そこへ近づいていく。


「これって……」


そう言って手に取った物は、手のひら大の白紙の束が収められた黒いスタンドだ。


「メモスタンドです。正剛様はお忙しい方ですから、突如思いつきを記録されることも多く。いつでも書き留められるようにわかりやすいこの場所に用意しています。もちろん、私どももそれぞれに携帯しています」

「……ふーん、そっか」


ぼんやりとメモスタンドを見つめたまま返事をし、ペロは踵を返した。


そうして二人で自動扉を潜って外へ出ると、「それでは、お気をつけて」と屋内に留まったまま芳隆が頭を下げた。

遅れて二人が振り返る。


「ああ、それじゃあ」


ペロが言って目線を送ると、芳隆は微笑んでわずかに顎を引いた。

行くぞ、とペロが合図してコロも手塚邸に背を向ける。

二人で地面を踏み、鳴らす。それが少し続いた頃、ふとコロが後ろを振り返るも、そこには閉じかかったガラス扉の隙間に閉ざされていく芳隆の背中が垣間見えただけだった。

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