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たとえばこれはαルート  作者: 扉野ギロ
第二章 レッドヘアーズクラブ
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2話「日記とメモ-1」

「清子様は、亡くなられた当時おひとりで寝室におられました。第一発見者は私です。私がお部屋に入ると、清子様は机に伏しておりました。声を掛けても返事をされず、すでに息を引き取っておられました。診断結果としては、脳動脈破裂――即死だったそうです」


ペロとコロが芳隆に案内されたのは、応接間を越えて廊下を曲がった先、階段を登って目の前の部屋だった。


清子の寝室だというそこは、応接間と同程度の広々とした空間で、ソファーやローテーブルの代わりに化粧机や文机といった家具が置かれている。

その中央で主人公然として置かれた天蓋付きのベッドは、いわゆる少女趣味のようなものではなく、装飾の凝ったいかにも上流階級らしい高級そうなものだ。

天井に開けられた大きな丸い窓から注ぐ陽光を一身に受け、ベッドはその赤茶色の奥に秘めた濃厚な血の色を浮かび上がらせている。


天井から部屋の隅までをぐるりと見渡し、「その机です」と示された文机の周り、そばの化粧台、と一通り観察してから、ペロは「ふむ」と納得するように頷いて芳隆を振り返った。


「ところで、なんだけど。オレたちがご主人に会いに来た理由ってわかってる?」

「正剛様からは、清子様の当時の状況を知りたがっている、とお伺いしおります」

「……やっぱりね」


ペロはそう言って芳隆から目を背け、後頭部を掻いた。


「たぶん、真千子さんの説明不足だったんだと思うから、先に言っておくけど。オレたちは、清子さんが当時ハマってた"集まり"ってやつのことについて知りたいんだ。だから、亡くなった時のことじゃなくてさ」

「集まり……なるほど。そうでしたか」

「ああ。だから、それよりも前のことを知りたいっていうか……」


場を取り繕うようにペロはまた頭を掻く。

しかし、相反して芳隆は凛とした佇まいのまま、


「……であれば、やはりまずは清子様が息を引き取られた当時の状況を説明するべきかと」


そう言うと芳隆は部屋の出入口から離れ、文机に近づいた。

そして徐にポケットから取り出した鍵を、机に一つしかない引き出しの鍵穴に差し込んだ。


「清子様は、ここで息を引き取られました。そしてその傍らには、これが置かれていました」


引き出しから取り、差し出された本をペロが受け取る。

芳隆が日記だと言うビニール製の本の表紙には、『2121』と西暦だけが印字されている。


「日記です」


ペロはどこか腑に落ちていないような低い声で、「日記……」、と芳隆の言葉を繰り返した。

それが事実か、確かめるように手の中で本を回転させるペロ。

ひっくり返した裏表紙には何も書かれていない。


「見ても?」

「はい、ご覧ください」


芳隆が顎を引く。

ペロは数字の書かれた方の表紙を開いた。

その一ページ目を見て、早速ペロの頭がわずかに傾く。

書かれているのは、十二ヶ月分、月ごとマス型に日付が並べられている文字列。言わずもがな、それは暦とわかる。


次のページへ進むと、見開きで一月の三十一日分が一日ごと大きな正方形のマス目で並べ直された内容に変わる。


「これって日記……じゃないよね。スケジュール帳ってやつじゃ?」


少しだけ目を上げ、ペロが訊く。


「仰るとおりです。私は、清子様が亡くなられるまで、清子様が書かれているそれが『日記だ』としか聞いておりませんでした。それに、当然ですが中を覗いたことがありませんでしたから、初めて見た時には私も妙に思いました」

「ふーん、なるほどね」


適当な相槌をし、ペロは再び日記に目を戻して空白ばかりのページを先に進める。一月の次ページには、日ごとが行書きに並べ替えられた内容となっている。しかし、そこにも何も書かれていない。


二月、三月、四月も関連するページには何も書かれていなかったために読み飛ばされ。

そして五月のページ。


「なんだ、これ」


五月十七日のマス目、中には『test』と小さな文字でそう書き込まれているのがわかる。

その最後の一文字だけが大きく歪んでおり、溜まったインクが引き伸ばされてマス目を無視して長く尾を引いている。


変わった点はあるものの、それ以外に特別な書き込みはない。

小首を傾げながら、ペロはページを捲った。


『わたしはにっきをかく。ゆめをみた。ゆめだったはずだ。いったいなにをみたというのか』


日ごと行に分かれた枠を無視して大きく乱雑に書き込まれていることは、内容だけでなくその様相もまた支離滅裂だ。

ペロに浮かんだ険しい形相を確認し、芳隆は意味ありげな顔で頷いた。


「思えば……ですが。清子様はその日記をつけられるようになった時からすでに、心境の変化などではない変化が起き始めていたのでしょう」


芳隆が言い終わるのと同時、ペロがはたと顔を上げ「ちょっと待て」と彼に手をかざす。


「変化だって? それが、起き始めた? あんた、なにを言おうとしているんだ」


ペロの険しく歪んだ眉間がさらにシワを深くする。

芳隆は短く深く息を吸い込み、ふぅ、と息を吐いて肩の力を抜いた。


「清子様はもともと日々の予定などを気にしたりはしませんでした。ですので、清子様の日頃の予定は専ら私がお伝えしていたのです。しかしながら、ある時から――日記によれば五月十七日でしょう。以降清子様は日記をつけるようになり……」


無表情だが、少し寂しげにも見える伏し目がちの表情。芳隆は、わずかに首を一往復だけさせ、そしてペロの手の中にある日記を指す。


「次のページを見ていただけますか」


ペロはちらと不満げな顔を向け、それから芳隆に言われた通りにページを捲った。

瞬間、ゴクリ、とペロの喉が鳴る。


『6 くつをかいかえる○』

『11 でんしゃにのる○』

『13 デバイスをリビングにおく○』

『20 よしたかをへやによぶ○』

『21 あの人とはあわない○』

『29 すきなものをようい○』


六月最初のページには、予定と思しきことがなぐり書きにされている。

内容に深い意味を持つような文言はなく、あくまで些細な日常が書き記されているだけだ。


ペロは日記に睨むような視線を向けたまま、次のページへ進める。


『6

その日、わたしはドレスコードをまちがえた。けっかてきに、くつをかいかえるしかなかった。』

『11

その日、わたしはどうしてもビークルにのることができなかった。けっかてきにでんしゃにのる。』

『13

デバイスはリビングにおいた。ひつようになるので、とりにかえった。』

『20

よるになると、かれがきになる。いつものことだ』

『21

どうせ、きょうもあの人はこちらにこない。あわないのはいつものことだ。』

『29

また、わたしはあの人にすきなものをよういするようにいった。』


きちんと日付の行内に収まって書かれてはいるものの、字が崩れているのは変わらない。内容らしい内容がないことも然り。ただ言いたいことを書き綴っただけのようにも思える稚拙な文章がそこには並んでいた。


ペロの険しい目つきの片眉が釣り上がり、対して口元は反対端が上がる。そんな捻れた表情を浮かべ、


「日記……か……」


ぽつぽつとこぼすように呟いた。

芳隆は、ペロから向けられた覗き込むような視線をじっと見返したまま、こくりと頷いた。


「清子様が亡くなられたのは、七月十七日。今から約三ヶ月前のことです」

「七月……」


ぱら、とページを捲れる音が響く。


『1 みたことのないふく。いつもとはちがうみせによる』

『2 テーブルゲームにさそわれる。Ouija boardはにせもの』

『3 いつもとはちがうあさ。あのひとは、やっぱりちょうしょくはとらない』

『4 Rub Rovertのこう水。きっとたいせつなものになる。』

『5 ナイトクラブ。どこかのおくじょう。わかもの。』


七月の初週、狭いマス目に押し込められた荒い文字を見つめたまま、ペロは怪訝そうに眉を歪めた。


「なあ、水沢さん。これってやっぱり日記なのか? 少しだけ内容が具体的になったっていうか……」


ペロの問いに芳隆は応えない。

ただじっと、様子を窺うようにペロの額を見つめている。

かといってペロもまた返事がないことを気に留める様子もなく、日記から視線を離さない。


六、七、八、九、十。日々には何も記載がなく。


『11 ゆめのはなしをする。あのことをきく』


飛んで十一日に、相変わらず無様な字で意味ありげな文章が張り付いている。様子の違いに、ふとペロの顔が歪む。


そして、次に文字の書き込まれたマスを目にした途端、険しい表情の中でその瞳が、くく、とむき出されていく。


『17 ゐ――――――――――――――――』


一本の線が予定の書き込まれるべき欄をおよそ一直線に横切る様は、五月のものと似ている。

しかし今回、その先端はインクが滲み何かになりかけた奇妙な形の文字の痕跡が残されているだけで、単語にもなっていない。

ただ、その異常さだけがはっきりと形になっていた。


表情を固めたままのペロ。沈黙した室内にまたページが捲られる音が響く。


『17

もういちど、ゆめをみる。わたしはいつしぬのだろう』


ペロは続けざまにページを捲るが、八月には何も書かれていない。次も、その次も、清子の日記は七月十七日の書き込みを最後に完全に沈黙していた。


日記を閉じペロが水沢に目線を戻すと、水沢はペロに近づき、無言のまま手を差し出して日記を受け取った。


「おそらく、この日記のせいだと思われます。清子様は、今日が何日なのか、そんなことを度々気にされていました」

「で、実際はどうだった?」

「私の記憶している限りでもいくつか、当てはまる事実があります。つまり、ここに書かれている『ゆめ』というものが現実の……その……」


ふと言い淀んだ芳隆は、息を吸い、何かを振り払うかのように首を大きく左右に振りながら体の中の息をゆっくりと吐き出した。

そしてまた大きく息を吸い、


「清子様は……この日記は、み――」


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