1話「スライムキング」
『その男を、人の体液を集める異常者だと呼ぶ者が大勢いた。だが、現代社会は彼を"王"と評価する。
手塚正剛氏は、もともと医師だった。
病理医。手塚氏がそれを専門としたのは、特殊な恐怖症をもつ彼にとってある意味必然だったといえる。
手塚氏には、極端に部屋に物を置きたがらなかったり、米は粥でなければ口にしなかったり、書くにしても見るにしても面に鼻がくっつきそうなほど近づいていたり。いつも伏し目がちで人と目を合わせようともせず、目が悪いわけでもないのに点字で本を読んだり、と変わった行動が多々あった。
しかし、寛大過ぎる手塚氏の両親は、それら行動を子供の個性と理解し特別気にはしていなかった。
それが、一種の疾患――恐怖症だと知るきっかけになったのは、消しゴムだ。
手塚氏が幼い頃はまだ、書く、という動作が知育に効果的であることから、文筆は当時もまだ義務教育の一つとして存在していた。その時両親が準備した文房具一式に、当然のごとく消しゴムが含まれていたわけだが。
手塚氏が小学四年の時のことだ。
学校から両親への日常生活ヒアリングの際、手塚氏を担任していた教員がふと口にした。
『お子さんは、いつも小さな消しゴムを使っていますが』、という一言。
手塚氏の両親は、広く子供を許容する精神もあって、最初訊いた時には何の疑問も感じていなかった。
しかし思い返すと、手塚氏は頻繁に『消しゴムがほしい』と訴えていた。その時ちょうど消しゴムを箱ごと買い与えたばかりだった。
とはいえ、この瞬間はまだ両親の感じ始めた疑問も明確な形を得ていなかった。
だがある日手塚氏が、"いちいち消しゴムを細切れに千切っている"、という行動を初めて目の当たりにし、ついに両親は子供に訊いた。
『どうして消しゴムを細かくするんだ?』
手塚氏は顔をしかめながら、『ムズムズするから』、と答えた。
さらに訊くと、手塚氏はもっと幼い頃から、『ピッとしたものにムズムズする』傾向があったと両親は知る。
その、ピッ、について、手塚氏は指でなぞって消しゴムの、辺、面を指摘したが、あくまで一般的な感覚しかもっていない両親にはそれが理解できなかった。
そこで両親は、手塚氏を理解できそうな専門家のところへ連れて行く。
いくつかのヒアリング、何度かの検証実験を経て。
そしてようやく手塚氏に感じられる、ムズムズ、の正体が恐怖症だと結論された。
直線恐怖症。
手塚氏には、"直線的な物を見ると嫌悪感を得る"という性質があった。
粥ばかり食べるのも、やけに物に近いのも、人の顔を見ないのも、それが原因だったのだ。
と、事情が理解されたからといっても、手塚氏の生活が大きく変わるようなことはなかった。
両親は初めから手塚氏を矯正しようとなど考えもしない存在であったし、手塚氏自身も克服するまでもない苦手意識だと感じていたからだ。
草書のような字を書き、点字で文字を読み、映像は色と音で楽しみ、粥を食べて手塚氏は順調に成長していった。
そして高校生になった手塚氏は、細胞、という定形であって不定形な存在に恋をし、細胞を知る道を進み始める。
至って病理医に、というのが手塚氏の人生の過程だった。
その現在に至るまでの手塚氏の人生が、"外道であり異常者"としてのレッテルに変わったのは、手塚氏が病理医を辞めるきっかけが起因する。
病というものに近いところにいたからこそ、手塚氏は健康と不健康に詳しかった。
特に、とある疾患においては健康な人間の細胞や菌を不健康な人間に移植することで健康さを得る、という事実がある。
当初こそ、それを治療法の一つとして事務的にしか認識していなかった手塚氏だが。ある時ふと、「細胞はこれほど活発なのに、人は不健康になる。なぜ、細胞の活発さと人の健康は比例しないのか」、と真面目に考えるようになった。
幸いというべきか、そこは病院で、手塚氏が欲する内の『不健康』なサンプル採取に不自由はなかった。
しかしそこはただの総合病院。いずれもっと『不健康』について知りたくなった手塚氏は、より貴重な患者に触れる機会の多い大学病院へと異動する。
そうして手塚氏は、病理医としての仕事よりも細胞学者としての頭角を顕にしていく。
以降治療法の研究よりも、細胞そのものへの理解を深めたい理由から大学病院を辞めて、生命総合細胞科学研究所のいち研究員として勤めることとなる。
手塚氏が『理想の細胞(万変自化細胞:EPC)』を生み出したのは、そこでのことだ。
この大発見は、今でこそ手塚氏を救世主として讃える常識となっている。
だが当時、EPCの発見を疎ましく思う研究者は少なくなく、そのために手塚氏の行いは多く非難された。
特に、排泄物、嘔吐物に対するサンプル収集が彼らの的にされた。
手塚氏の発見をよく思わない研究者たちは、氏を異常者と呼び、許諾を得たうえでのサンプル採取を、無許可だ無断だとあることないこと触れ回った。
そうした意見が当時ウェブ上に広まり、手塚氏は一時的にではあるが、不名誉な呼ばれ方をすることとなったのだ。
しかし、今や誰もが知る通称『スライム』は、この世から病の大半を無くした最強の矛であり、未知の病原菌から私達を守る最強の盾である事実は揺らがない。
だから私達は、敬意をもって彼をこう呼ぶのだろう。
スライムキングと――。』
ビーハイヴ上にあった手塚正剛という人物の紹介記事を目で追った後、「まあねえ」とペロは背伸びした。
「実際、手塚正剛の発見はすごいもんだよ。昔は癌だなんだって人には勝てない病気があったけど、そういうものもぶっ潰しちゃったし。それこそ、当時はキングっていうより、救世主的な一面の方が昔は強かったみたいだな」
「スライムヒーロー、ってこと?」
「いや、単純に、『手塚正剛マジ神』みたいな感じ」
「あー、なるほど」
ハンディデバイスの画面を眺めたまま、こくこく、とコロが頷く。
ペロがその横顔にちらと視線を送る。
それから少しして、ビークルが停止した。
二人が車から降りると、周囲はまだらに雑草の生えた大地が剥き出しになっており、そこを貫く足下の黒い帯が道として先にある一画の敷地内へと続いている。
ここは、都市開発の手が届く最も遠いところ。
花菓子町を含む市の住所を与えられる最後の場所に位置する。
また、それ以上都市が拡大し得ないことを証明するように、鉄柵が横切っている。
それは左右にずっと、街の一ブロック分ほど。来る者をただでは入れまいとする気概をもって佇む灰色の太い鉄柵の下を、大地だけがさもなく敷地の中までくぐり抜けられている。
同じく敷地の内へと伸びる道は一般道路との地続きで、大型ビークルがすれ違って十分な道幅を柵と同じ灰色の金網の屋根が跨いでいて、最低限、門としての佇まいではある。
風雨から守る形をしていて、その機能の一切を持たない屋根。それがなぜ屋根でなければならないのか。
答えはそこに留まっている。
一応鳥の形をしてはいるが、頭部は一眼のカメラそのもの。
見た目はマシンでありながら、時折本物の鳥のように身を捩ってみせる。
「生だと画像より百万倍物騒だな……」
そこを二人は、「自宅」、と聞いていた。
しかし今目の前にあるのは、プライバシーを護るための防御とは程遠く、むしろ検問としての意味合いの方が強く感じられる門だ。
まさしく、門に据えられた検問の詰め所だろう箱型の建物の窓の奥から、キャップ越しに来客を覗き込む男の姿が見える。
「真千子さんが話を通してくれているから大丈夫。さ、行こ」
コロが勇んで一歩先に門へと近づくと。
「ちょいちょい、お客さん」
二人の背後から男が声をかけた。
ペロとコロが、ムスッと眉根を寄せて振り返る。
上下黒のスーツ。シャツの上から三段目までをはだけており、だらしなくぶら下げられたネクタイがまるでネックレスか何かのように胸元で揺れている。
ネクタイ刻印された翼の紋章は、とある七十番の悪魔に由来する。
艶のない黒色のスポーツタイプビークルにもたれ、"運転手"はふてぶてしくも紫煙を吐き出している。
「まだいたの?」
ペロが不機嫌そうに言う。その脇でコロが頷く。
「ちょいちょい、お客さんよ。お客さんだよね?」
「さま、だろ。お客様と呼べよ。こちとら常連だぞ」
「じゃあ、お客さんだわ。ほっとした。お荷物でも載せてたかと思ったよ」
胸に手を当て、男が大げさに、ふぅ、と声を漏らす。
「で、なんの用なの?」
「いや、なんの用なの? じゃねえよ。コレコレ」
と、男は人差し指と親指をいじらしそうに擦り合わせる。
「お前んとこは前払いだろ。ちゃんと確認しろよ」
ペロが男の腕を指差す。
夏にも関わらず黒いスーツに覆われた袖口に、彼のアームデバイスが発する薄緑色がかすかに窺える。
「ちーがうって。チップだよ、チップ。わかってるだろ?」
男が言うのと同時、どこから取り出したのか擦り合わせていた指の間から一枚の黒いカードが現れた。
カードには、日本語で『毎度有難うございます』と白色で刻印されている。
その文字が目に入るなり、ペロは「やれやれ」と面倒くさそうに嘆息し、渋々といった様子でハンディデバイス片手に男に近づく。
差し出された男のカードにペロのハンディデバイス触れると、小さく、チリン、と音が鳴った。
「毎度あり」
男が満面の笑みを浮かべ、
「じゃあ、お得意さんに一つオマケの情報を」
詰め所の中から二人を見つめるキャップの男を指差す。
ペロとコロもつられて振り返る。
「まあ、言わなくてもわかってるとは思うけども、ここは国がしっかり守ってる。あいつはゴリゴリの軍人。あんま変なことすると帰って来られなくなるかもしれないぜ」
そんなのわかってる。
と、ペロが運転手に顔を戻す。
「そもそも仕事じゃないんだって。これはただの趣味だよ。それに、そういうのは情報じゃなくて忠告っていうんだよ」
「なるほどね。じゃあ、まあ気をつけろよ」
心配を語る運転手に背を向けペロとコロが門に近づくそこへ、
「お帰りの際も、ぜひ」
運転手の朗らかな声が投げかけられ、次いでモーター音が開けた空間にこれでもかというほどやかましく響いた。
一部始終をじっと眺めていたにも関わらず、男は詰め所から外へ出てこようとはしなかった。
それはペロとコロが門の下まで来ても変わらない。
「このまま通っていいの?」
コロがペロに言うのと同時、
『止まれ』
どこからともなく拡張された男の声がする。
二人の視線が詰め所へ向くと、そこで男が手元のマイクに顔を近づけて、
『ここは一般人が入っていい場所じゃない。許可がない者は立ち去れ』
有無を言わせない口調に動じず、ペロは窓の向こうの男に向かって、「アポイントメントなら取ってある」と言った。
『名前は』
「東照宮真千子で通ってるはずだよ。オレたちは代理」
ペロが言うと、男が視線を手元に落とし何やら調べ始める。
しかしすぐに顔を上げ、首を横に振った。
『そんな名前は記録にない』
「そんなはずないね。二日前だ、もう一度ちゃんと調べてくれよ」
ペロの抗議には耳を貸さず、男は正面を向いたまま、また首を横に振る。
面倒だな。ペロがつぶやくのと同時、コロが一歩詰め所に近づく。
「レッド――」
「なるほど!」
コロの言葉の続きを遮るようにペロが声を上げた。
「わかったよ。もう一度こっちで確認する。行くぞ、コロ」
ハンディデバイス片手に適当に促すペロの後ろ姿を、小首を傾げながらコロがついていく。
門から離れ、男の視線だけが届く程度の距離まで遠ざかったところでペロが「コロ」と囁く。
「あいつは門番だ。レッドヘアーズクラブのことは言わないほうがいい」
「どうして?」
「さっき"アッシー"も言ってただろ? ここは国が監視してるんだよ。だからだ」
「だから、なんで?」
「だから、変な客が来たと思われると手塚正剛自身が疑われることになるかもしれない。ってことは国の方から、それこそ門前払いが指示されるかもしれないってことだよ」
手塚正剛の知らないところでな。
付け加えて、ペロはハンディデバイスに東照宮真千子の連絡先を呼び出す。
数秒して、真千子が通話に応じたサインにペロのハンディデバイスが短く振動し、それからペロがぼそぼそと話し始めた。
プライベートな客には厳しいみたいっス。中から伝えるように指示してもらえますか。
ペロの声だけが独り言のように漏れ聴こえ、そばでコロは退屈そうに足下の小石を蹴飛ばしている。
よろしくお願いします。一言を最後にペロは独り言を止め、ふいに詰め所の方を振り返った。
その視線の先、わずかな時差を経てキャップの男が口を動かし、身振りで何やら話をしているように見える。
キャップの男が小刻みに頷き、ふと向こうの視線がペロの視線と交差すると、
『どうぞ、通ってください』
打って変わってキャップの男の丁寧な声がどこからともなく響いた。
ペロは片手を上げて挨拶がてら、コロは変な顔でキャップの男を一瞥して門を通り抜ける。
だだっ広い空間には、そこにある建物以上に背の高い物が木の一本も見当たらない。
人気も、ビークルも何もない。
ぽつんと一つだけ黒い道の先に寝そべる横に長い白い建物は、さながら棺かのように静かだ。
二人が向かう建物の正面には、二つ対象ではない半端な位置に全く同じガラスの入り口がある。
ペロの足は、迷うようすもなく右寄りのガラス扉に向いていた。
薄っすらと景色を映すガラス扉は、二人がそばに行くと自動で壁の裏に避けて隠れた。
中に踏み込むと、正面に人が四、五人並んで通れるくらいの廊下が見え、その脇には何も飾られていない真っ白な壁が右手の端までずっと伸びている。
外の風景然り、何の色気もないだだっ広い空間は、いわばロビーであろうところだが。
窓が一つもなく、ただ白い光りだけがそこら中に貼り付けられた無機質感からは、人を招く気概など感じられない。
そのうえ、来客を徹底的に選別するような場所だ。
天井に埋め込まれた照明の間隔と同じく並ぶ奇抜なデザインの椅子とテーブルは、薄く埃を纏っており、忘れられた置物のように佇んでいる。
ペロの右に流れた視線が見どころをみつけられずに踵を返し、左手に向くと、
「いらっしゃいませ」
見計らったかのように受付らしいカウンターの奥の女が声をかけた。追ってその受付嬢は、型に嵌まった笑顔を刻んだまま小さく会釈を加えた。
「結城翔平様と東照宮ユリ様ですね?」
「……ん?」
コロが小首を傾げる。
それを横目にペロが、「そうそう」と首を縦に揺らした。
「手塚は今研究所から向かっております。先に応接間でお待ちいただくことになりますが、お時間よろしいでしょうか」
「うん、問題ないよ」
またペロが頷くと、受付嬢もまた会釈し、カウンターから出てくる。
「では、こちらへ」
受付嬢の後に続き、ペロとコロも唯一建物の奥へ続く廊下へと進んでいく。
少し先で廊下が奥で右に折れているが、受付嬢はその手前の扉の前で足を止め、徐に壁に手を触れた。
瞬間、彼女の手の形に青白い光が壁面に浮かび、カチャリと音を鳴らしてそこにあった両開きの扉が内側に開く。
その光景を目の当たりにし、ペロは「へえ」と興味深そうに唸った。
受付嬢が応接間と呼んだ部屋は四十平米ほどの広さ、中央にローテーブルを挟んでソファが向かい合っており、その奥には空っぽの机が置かれている。
見るからに良質な物ばかりであることは同じだが、ロビーの家具とは違って埃は積もっていない。
ここまで無機質な印象しか与えなかった空間が、その清潔感によって人の使用感を窺わせていた。
さらに、部屋の片隅に備え付けられたバーカウンター。
これがこの部屋を正しく応接間だと象徴している。
ガラスの戸棚にはいかにも高級そうな酒の瓶が並び、同じくガラス戸の向こうに覗かせる凝った装飾のグラスが、ただならぬ客人たちの気配を匂わせる
「お飲み物はいかがいたしましょう」
ペロとコロの二人をソファに座らせた後、受付嬢だった女はバーカウンターの奥に回り、テンダーさながら訊く。
「じゃあ、一番減ってるボトルのを。コ……いつには、オレンジジュースで」
「かしこまりました」
しばし無言の時が過ぎ。
受付嬢はペロの前にウィスキーを、コロの前にはオレンジジュースを置き、「御用の際は、テーブルをノックしてください」、と言い残してトレイと一緒に部屋を出て行った。
受付嬢が出て行くなり、「ねえ」とコロがペロに怪訝な顔を向けた。
「ユリ……?」
「ああ、そうか。本当はユリコだからなあ。真千子さんがうっかり伝え間違ったんだろ」
答えながらペロはウィスキーを口にし、真っ直ぐコロを見つめたまま肩を撫でるように、くい、と首を横に振った。
そんなペロの奇妙な仕草を目の当たりにし、ふとコロの表情が解ける。
「まったく……。わたしの、コ、って必要かないのかもしれない。どうせならユリと名付けてくれればよかったのに」
「かもな」
頷きながらペロが苦笑する。
それからしばらく待っても手塚正剛は来なかった。
結局グラスを空にしたペロが、「ちょっとトイレ」に行くためテーブルをノックし、再び現れた受付嬢に案内されて部屋を出ていった。
腹を擦りながら戻ってくるなり、おかわりを頼んだペロの前にはまた別の色の酒が置かれ、そしてコロが別の飲み物を拒否した時。
ようやく応接間の扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、二人の男。
一人はよれたチェックのジャケットを着た痩せた男で、もう一人は正反対にノリの効いた濃紺のスーツを着た凛とした男だ。
「結論から言いますとね、僕は知らないんですよ。清子には自由にやってもらっていましたから。僕は彼女に干渉しない、彼女も僕に干渉しない。それでもきちんと愛していましたよ」
名乗るよりも先に一息に言い放ったのは、先に痩せた男の方だ。
男はペロとコロが言葉の意味を考えている間にさっさと部屋の奥の机に、どさ、と腰を下ろした。
「この部屋だってね、清子の趣味ですよ。僕は応接間なんて面倒だから使わなくてもいいって言ったんですけどね。いちいち人を研究所に入れるのは危険だとかなんとか。でもね、どうせわかりませんよ、僕が何をしているかなんて。
清子は心配性だったんです。同じバッグの色違いのものを買ったりね。まあ、僕はその点、研究以外のことに注意を割くのは苦手ですから。清子がいてくれて随分助かっていましたよ。でも……」
室内の誰しもを置き去りにしていた男は、そこでふいに失速した。
短く嘆息し、「温かい緑茶をください」とバーカウンターの受付嬢に言った。
「ですからね、水沢に訊いてもらったほうが早いんですよ。普段から水沢は清子と一緒でしたから」
そう言って男は、まだ扉の前に佇んでいた男を手のひらで示した。
「水沢芳隆と申します」
見えない線を辿るようにペロとコロが視線を扉の前の男へと向かわせると、男は体の前で手を組み腰を折って頭を下げた。
「そういうことですから、後は水沢が対応しますので」
今しがた腰を下ろしたばかりの椅子から立ち上がり、「では、失礼します」、と温かい緑茶も室内の人間も残して出ていった。
カチャリ、と扉の爪が噛み合うのを聞いてから、
「……ぷぅ」
とコロの栓を抜いたような嘆息が部屋に響いた。