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たとえばこれはαルート  作者: 扉野ギロ
第一章 赤いカード
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3話「本物まがいのホンモノ」

遠く離れていれば柱のそれに見えていたビル群は、一歩その群れの中へと踏み込んだ途端、巨大な壁としての様相を呈す。

ただ立ち尽くしているだけでいくつもの曲がり角を生み出し、そこは出口を惑わせる意地の悪い迷路のようでもある。


そこで黒く見えていたガラス窓が今は白く光り、中空へ無機質な明かりを放ち。

夜に始まる人の朝は、一部の人々に終わりがないことを暗に伝えている。


海風のせいで、季節が夏でも放射熱はほとんど感じられない街の空気。

長袖を纏った人々の流れは昼間の縦横無尽さを失い、駅のある方向へ整っている。


ペロとコロは、その流れに逆らうようにしてビル群の奥へと進んでいた。


「真千子さんにそんなもの見せたらめんどくさそうだな……」


ペロは不安げな声を足元に垂れ流し、視線が灰色のタイルの目を先へ辿っていく。


「大丈夫。本物だから」

「本物だったら、だよ。ペラペラなのが、なんだよなあ……」


カードの真贋鑑定を言い出した張本人がぼやくのを横目に一瞥し、コロは上着のポケットからカードを取り出した。


道端に連なる地中街灯、その光を吸い上げて白く輝くガードレールの明かりに触れ、カードは昼間とはまた印象の違う赤色を浮かび上がらせている。


「でも、本物だよ……」


少しだけ落ち込んだコロの声が届き、ペロは気まずそうに頭を掻いた。


二人の行く先、二本目の横道にこの街にあって異質な瓦屋根が姿を覗かせる。

その手前の横道を通り過ぎた時だった。


コロがふと足を止め、背後を振り返る。


「どうした?」


ペロの声を無視して、コロは数歩進み、


「なにか用?」


横道に向かって、その人物に声をかけた。


目深にフードを被った誰かが、そこに立っていた。

フーディー、ズボン、スニーカー。黒一色で統一された姿がひと目でわかる特徴であり、それ以外に特徴らしいものが一つもない。


否が応でも影そのもののような印象を与えるその誰かは、唯一露出しているはずの顔すら、フードが下ろす暗い帳の奥に隠れていて一切窺えない。


だが、体がコロの方に向いている。それだけが、その誰かが"見ている"と感じられる理由だ。


「ねえ、なにか用なの?」


また一歩、コロが詰め寄りながら話しかけると、男は半歩だけコロに寄った。

瞬間、ペロがコロの腕を引き、男との間に自分の体を割り込ませる。


男の顔に視線を集中させ、しかしペロは何も言わない。

男は棒立ちのまま身じろぎもせず、わずかに傾いた首の角度だけでペロを見ていると感じさせている。


ほんの数センチばかり、誰かはペロより背が高い。それで自ずとペロの視線が微妙上向く。

図らずも二人が睨み合うような構図が出来上がっていた。


「行くぞ」


誰かをはっきりと認識しながら、まるでそこには誰もいないかのように、そして告げるかのように、ペロは言った。

そのまま目的地へと向きを変えたペロに続き、コロも誰かから目を逸したが、その姿が横道の奥に消えていってもなお、何度も振り返って背後を気にしていた。


「コロ」


二人が横道に入り、そこには建物の壁しかなくなっても癖のように向こうを気にするコロをペロが呼んだ。


「ああいう輩は、必ずいる。あんまり怪しいとかわからないかもしれないけどそれでも、できれば変わったヤツは相手にするな」


いつになく厳しい口調のペロを、コロは半ば驚くような顔で見返す。


「頼むから、な?」

「……うん」


説得されるような言葉に曖昧に返事をして、コロは鼻から息を抜いた。


そんな二人のやけに神妙な空気感のそばにあって、この路地のやかましい明かりは変わらない。


乗用車一台がギリギリ通れる程度の道幅に、五つの店舗が軒を連ねている。

その狭い道端に置かれた看板が光り、各々店名を好きに主張している。


右手に、

『スナックラッキー』

『テーラー美園』

『ジュエリートーショーグー』

左手に、

『喫茶ベネチア』

『花菓子プラザ』


店舗は、枯木に絡みつく蔓のようにビルを這う配管を背後に、まるで荒廃した遺跡のような佇まいとも見えるが。古びたレースのカーテンの向こうから、やけに閉塞的な扉の隙間から、ぼんやりと溢れ出す暖色系の明かりが人の気配を漂わせる。


人が知恵を巡らせて輝くようになった大通りや建造物に囲まれていて、ここではあくまで旧来の電飾の在り方を変えていない。

じわじわと迫る街の開発の波の中、彼らがこの路地だけは変化を許さなかったのだ。


だから、ペロが花菓子町に来た時から、この路地はずっと変わらず博物館のいちブースか映画のセットのように存在している。


どの建物もモルタルの外壁を持ち全体的に薄汚れいる、という点が共通しており、それ以外に外観だって似てもいない。にもかかわらず軒を連ねているため、統一感というものが感じられない。


そんな風采から、ペロとコロはこの路地を『物置通り』と呼ぶ。


無言のまま、二人はプラザの忙しなく蠢く光の前を通り過ぎ、『ジュエリートーショーグー』の前に立った。


ペロがその植物の蔓を模した白い扉を開く。

キラキラ、とウィンドチャイムが来客を店内に知らせる。


「久しぶりね」


ペロが思い浮かべた"物置"は過言ではない。

ぎっしりと宝飾が詰まったショーケースで満たされている室内は、所狭し、というよりもそもそも人が通ることを想定していないように感じられる。

その最奥で、胸元まである背の高いショーケースのさらに向こうから、女が頬杖をついたまま言った。


口の全てにしつこいほどフリルがあしらわれた衣服。それだけ見れば、首から下は洋人形を思わせるが、襟口の上に乗っかった顔面に施された濃い化粧でも、彼女の老いを隠しきれていない。


数多の宝飾が輝く中で、東照宮真千子という存在はそこら中にある高価なものの価値そのものを打ち砕く強烈さをさもなく放っている。


「ども」


ペロは軽い会釈とともに挨拶し、ショーケースの隙間に出来た道を進む。


「あら、あなた」


おかしそうに、ふふ、と笑い真千子はコロの方に目をやった。

その表情に、一瞬ペロは表情に怪訝さを浮かべたが、小首を傾げてすぐに正面に向き直った。


「鑑定、お願いしたいんスけど」

「鑑定? 適当な石ならその子に見てもらえばいいじゃない」

「コロに?」


と、今度こそ怪訝な表情でペロは隣のコロを見た。


「だからね、わたしは本物だと思うって言ったんだけど」


文句を言うように呟き、コロはポケットからカードを取り出し、ショーケースの上に置いた。


「なにこれ」


不思議そうに言って、そこでようやく真千子は体を起こした。

カードには触れず、顔を近づけてそれをじっと見つめる。


「なにかはわからない。おじさんはどこかの会員証かもって言っていたけど」

「会員証?」


コロの言った意味を確かめるように繰り返し、真千子は徐に後ろの棚から白い手袋を出して手に嵌め、それからショーケースの隅にあった漆黒のベルベット生地が貼られたトレイと、デスクライトを引き寄せた。


それから、引きずらないよう慎重に両手の指先に引っ掛けてカードを手に取り、トレイの上にそっと寝かせる。

その上からデスクライトを当て、凝視。

また手に持ち宙に浮かせて裏表を回転させ、また凝視。


少しの間無言で観察を続けていた真千子の目線が、ふと上目がちにコロに向いた。


「これが本物だって? 何、の?」

「ルビーだと思う」

「ルビー?」


三度コロの言葉を鸚鵡返しにし、真千子はふいにケラケラと声を上げて笑い出した。

唐突な変化に、コロもペロも唖然として女を見つめる。


「あなたに教えなかったかしら。ルビーはもう採れないの。それに、これほど大きなものが切り出されたんだとすれば、原石のサイズも相当なものよ。存在するだけでものすごく価値があるはずじゃない。それをわざわざこんなふうにするなんて信じられないし。

なにより、このサイズのルビーが採れたんだとすれば相当昔のこと。だったらつまり、これほど美しく切り出すことなんて技術的に不可能よ」


馬鹿ね、と付け加えて真千子はまた声を出して笑った。

どこか楽しげに笑う真千子を、「違う」、とコロが止める。


「そうじゃない。一個の原石からじゃなくて、色んな石が混ぜてあるの」

「ルビーだけじゃなくて、他の石が混じってるって? だからなんだっていうのよ。溶かしてくっつけるなんて、そんな簡単な話じゃないわ」

「違う、そうじゃない」


コロはゆっくりと大きく首を横に振る。


「これは、全部ルビー。違う色のルビーが混ざって出来ている。少なくともわたしにはそう見える。インクルージョンが綺麗すぎて不自然なのが、その証拠だと思う。だから、これは作れた。つまり、昔でも不可能なんかじゃなかったってこと」

「馬鹿言わないで。さっきも言ったけど、天然の石を溶かしてくっつけるなんてできないの。再結晶化させることができたとしても、こんな色合いにはならない。だから、不可能よ」

「じゃあ、真千子はこれが何で出来てると思うの?」

「そんなの、決まってるじゃない」


真千子はいやらしく鼻で笑い、「プラスチックよ」と言った。

そう聞いた途端、コロは悲しげに目を伏せ、「……そんな」、とこぼして緩くかぶりを振った。


そんな二人のやり取りを黙って傍で見ていたペロ。

会話が途切れたのに合わせて、顎にやっていた手を解き、


「本当スか? 真千子さん」


怪訝な表情はそのまま、しかし目線だけは真剣そのものといった様子でペロは訊いた。


「当たり前じゃない。そんなものあり得ないわ。絶対に、ルビーじゃない。石ですら無いわよ。ほぼ確実に、プラスチックね」


真千子は、再度カードが石ではないと否定した。

だがそう聞いていてなお、ペロは「本当に……」と思いに耽っている。


「残念だったわね。で、会員証っていうのは、ここに書いてある『RED HAIRS』の会員証ってことよね?」

「あー。たぶん、そうっスね。でももしかすると、レッドヘアーズ"クラブ"ってとこかもしれないんスけど」


どこかうわの空でペロが頷く。


「なにか知ってることあります?」

「うーん……」


左右に視線を泳がせてから、「ないわね」と真千子が言った。


「でも、少し知り合いに訊いてみてあげようかしら。なにかわかるかもしれないし」


そう続けてトレイを引き寄せる真千子に、「ねえ」、とふいにコロが声をかける。

ただ呼びかけただけだったが、その声には湿っぽい何かが滲んでおり、切実な何かを訴えるかのようだ。


なによ、と真千子の手が止まった。


「どうして嘘をつくの?」


コロが放ったのは、話の前後とも繋がらない奇妙な質問だった。その、嘘、という単語にピクリと反応し、真千子は半ば睨むような視線を送る。


「嘘? 私がなんの嘘をついているって?」

「これ、プラスチックじゃないんでしょ? わかってるはずなのに、どうして?」


コロの表情は険しく、声が少し大きくなっている。


「なんのことよ。私は嘘なんかついていないわ」


真千子はあくまで淡々と特段感情もなく言ったが、引き寄せられるようにその視線がペロへ向き目が合うと、ちっ、と小さく舌打ちした。

ふてくされたように口を曲げ、真千子はわざとらしく視線を背ける。


「やっぱ、本当なんスか。最初からカードのこと否定しないし、変だな、とは思ったんスけど」


ペロの意見に対する返事とばかりに、真千子は「フンっ」と強く鼻で唸った。


「言っておくけど、だとしても私はそれを宝石だとは認められない。結局のところプラスチックと変わらないわ」

「ってことは、プラスチックじゃないってこと?」


コロがほっとしたように、確かめる。


「ええ、そうよ」


いたって不満げに真千子は吐き捨てるように言った。


「そんなもの、私は見たことがない。だけど、そうね。もしかするとルビー……ルビーのようなものでできているのかもしれない。でも、それはルビーじゃない。絶対に、違う」


言い聞かせるように、そして畏怖するように声を吐き、真千子はゆっくりとカードに向き直る。


「やっぱり、本物なんだ」


ボソリとコロがつぶやく。


「だから、本物なんかじゃないってば。これは……もしこれがあなたの言う通り天然石で出来ているなら、それは……」


ぼんやり、呆けたように言いながら、スルスルと徐々に真千子の手がカードへ伸びていく。

そしてその瞳には、カードを覗くコロが見せる魅了された色が滲んでいる。


「真千子さん?」


真千子の異変に気がついたペロが、彼女の正気を確かめるかのように慎重に声をかけた。

少し遅れて声に反応し、真千子はカードの手前数センチというところで拳を握り、腕をショーケースの向こうに引っ込めた。


「とにかく、現状それは無価値のもの。会員証だっていうなら、そうなんじゃない」


目は潤んで魅了されたまま、しかし言葉だけははっきりとした意見でもって真千子は言った。

そこにいるのは、宝石好きの女か、それとも博識の宝石商か。


好奇心と誇りがせめぎ合う今の真千子の姿には、威厳ある社会的先人としても、希少価値の意味を教授する先生としても、どちらの気配も感じられない。

ペロとコロは呆然とし、表情も言葉を失っていた。


「もう、帰ってくれるかしら。今日はあの人と食事をする予定なの」


嘘か本当かわからないそんなことを言って、真千子はショーケースに背を向けた。


「す……すみません。こんな時間に押しかけちゃって」


突如恐縮し、真千子の後ろ姿に短く会釈してからペロもまたショーケースに背を向けた。

コロは、先へ行くペロの姿を横目にちらと一度だけ真千子の背中へ不安げな視線を送り、カードを手にとって後を追う。

すると。


「そういえば」


どこか疲れたような声で、真千子が二人を呼び止めた。

二人がほぼ同時に振り返ると、真千子はまた正面に向き直っている。


「昔、知り合いがやけに熱心に勧誘してきたことがあるの。昔っていっても二十年くらい前の話だし、会の名前は忘れてしまったけど。もしかしたら、彼女ならなにか知っているかもしれないわ」


その立ち姿に普段の風格はなかった。まるで、疲れて老いた労働者のように。

だがかすかに、宝石商東照宮真千子としての気配を弱々しくも漂わせてはいた。

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