13話「借り物」
今どき、別荘地といえば長野県ではない。と聞いて、「へえ」と声が漏れた。
そういう話にあまり実感が沸かないのは、こんなところに来たことがないし、それに特にこれっていうイメージもないからだと思う。
たしかに車もそれほど見かけないし、駅前なのに人気がない。
とはいっても、まさかこんなふうに閑散としているのがその証拠ってわけでもないはず。
時期的な問題だ。きっと夏にはもう少し、せめて車くらいはもっと走っている。
「やっぱり、難しい?」
ふとハンディデバイスに目を落とす。
通りの片隅にバイクを停めてからもう五分経っている。道中にある程度の検索をお願いしてからの分を含めると、もう一時間以上か。
それでも、まだお昼にもなっていない。なんだか今日は、いつもより時間の進み方が少しだけ遅くなっているように感じる。
「うぅーん……」
この五分間ずっとだ。
止まない彼女の唸り声は、急坂に性能が足りていないエンジンのそれみたいに聴こえる。
運び屋だから情報屋にもなれる彼らが、林理沙や上山宮について性能不足とは思えない。けど、違和感のある公文書的なこと以外に特別な情報を得られていないのが現状。
単純に考えれば、その急坂が地に足のついた状態じゃ登れないくらい角度がキツいってことなのかもしれない。
でも、わたしではないわたしの感覚は、ここにあの人たち――というか、あの人がここにいたって知っている。
夢を思い出すような曖昧な感じでしかないけど、わたしはわたしを疑えない。
信じるっていうのとも違うし、わかるっていうのとも違う。
たぶんわたしではないわたしの感覚的に、上山宮が三角屋根のログハウスに住んでいるっていうことはいちいち考えるまでもなく、当たり前のことなんだと思う。
なら、その道もわかるかもと辺りを見回してみても、何も感じることはできなかった。
運命に設定されている云々。ニセフラッシュが言っていたことの意味は、とりあえずそういうことではないみたいだ。
というかそもそも、運命に設定ってどういう意味だろう。
端から決まっているから運命なのに、後付けで加えられるならそれは運命じゃないと思う。
だからつまり、誰かの運命に巻き込まれることになった、って考えるほうが意味合いとしては近いのかもしれない。
誰の、だろう。
思い当たるのは――
「あれ……」
カードがない。
「カードがないっ!」
どのポケットにもない。シャツのどこかにポケットはなかった?
ない。ない。
どこかで落としたのかもしれない。
「……ミカ。今来た道を戻って」
「え……? 今?」
「そう、いまっ」
早く、早く。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そのカードってなんのカード? 大事なものなの?」
「そう、大事なの。失くしたらヤバいの!」
早く。
わたしがいくら急かしてもミカはなかなか動こうとしない。
「もういい。自分で行くからバイクの鍵貸して」
いったいどこで落としたんだろう。
花菓子町からここまでの道路、街を出る時、物置通りのどこか……。今朝ベネチアで取り出したから、そこまでは間違いなくあった。
あー、バイクなんて乗っていなければすぐに見つけられたのに。最悪だ。
「ちょっと落ち着きなって……。ツーホイールに鍵はないし、ウチは社員以外に使える代用コンバーターを用意してないの。だからごめんだけど、私しか運転できない。でも、もし今すぐに戻らなくちゃいけないなら――」
ちょっと待って、とミカはバイクのハンドル周りで何かをした。
すると、マフラーだと思っていたそこから小石サイズの小さな玉がいくつも飛び出す。
飛び出した小さな玉は、勝手に転がってミカの足下に群がっていった。
「この子たちに探させるから、そのカードの大きさと形、重さ、色、と他に特徴あるなら教えて」
「透き通った赤色で――ルビーの赤色で。大きさは手の平くらいで四角。プラスチックじゃないから重いけど百グラムもないと思うから、五十グラムくらいかも。それで、カードの内側にアルファベットで『RED HAIRS』って刻印されているの。すぐに探して」
「オッケー」
ミカは頷いて、わたしが言ったことをそのまま「すぐに探して」まで復唱した。
それを合図に玉たちは各々何かの力で、パン、と小さな音を立てて空中に飛び上がり、少しだけ膨張してシャボン玉みたいに風に乗って飛んでいく。
「あのさ、それがもしだれかに拾われてたらどうする? なにかコロちゃんのものだって目印とかある?」
「目印なんてない。でもたぶん、あんなカード何枚も存在しないのは間違いない。だから、時間的にここから近いところで持っている人のものはわたしのに決まってる」
「珍しいカードってことね。で、それが珍しい理由って? 数が少ないっていうのはわかるんだけどさ……」
「素材がルビーなの。何種類かのルビーがくっつけられて一枚のカードの形に加工されているもの。真千子は現代技術じゃ作れないって言ってた」
「それは、たしかに……何枚もあるわけないね。じゃあ、見つけた時には強引にでも取り返してくる感じでいい?」
「もちろん」
「オッケー」
そう言ってミカがデバイスを弄っているのを見ていて、ふとペロの姿が過った。
そういえば、彼の方がベネチアには近いはず。
『カードを落としちゃった。ベネチアで出したのが最後だからベネチアかもしれない。通りも全部探して』
とりあえず、これで大丈夫。
デバイスの画面から顔を離すと、ふと何か忘れているような気持ちになった。すぐにまた画面と向き合っても、かといって何も忘れたような気はしない。
「それでさ、ログハウスの件についてなんだけど……」
ミカの声がしてまた顔を上げる。
「上山宮の別荘がここにあるっていうのは、どこで知ったの?」
「どこでっていうか、そういう記憶があるだけだけど」
「あーっと……でも、ないんだよね。だからそういうことをさ、誰かに聞いたりしたのかなって」
「ないって、ログハウスが?」
「っていうか、上山宮名義になってる建物が山梨のもの以外にないって感じ。土地の売買とか名義変更とかそのあたりもひと通り調べたけど、彼女が別荘を所有していた記録はどこにもないんだよ」
そんなはずがない。
ミカが「それって本当に――」と言いかけた続きをかぶりを振って止める。
「あれは、ココにあるよ。間違いない」
たぶん、と過った不安を眉間に力を入れて押し込めた。
そんなわたしの目を一瞬だけ見て、ミカは「オッケー」とまたデバイスに視線を落とす。
「ってことは、だ。やっぱりって感じだけど、彼女らの情報は故意に書き換えられてるかもしれないわけか……。だったら地図上からも消されている可能性が高いよね」
まいったなー、と指先で頭を掻く姿にはとりあえず焦っている感じはない。
「でも、ドローンで登記簿にない建物を探せばいいだけでしょ? そんなに難しいこととは思えないけど」
「まあ、やることはそうだね。簡単だと思う。けどさ、ウチらの上が隠したものを暴いて案内するってのは……ねえ?」
「あ……」
そうか。
最悪、組織そのものの解体に繋がるかもしれない。だから、ここから先に進むということは、ミカにとって反逆に繋がる可能性があるってことだ。
「…………」
たしかに、わたしは上山宮のログハウスへ行って真実を確かめたい。それは絶対。
だけど、ミカたちを道連れにするのは違う。
でも、もしかしたら。
「……吉木さんに言ってみればなんとかなるかも」
だれ?
「え、っと。ヨシキさんって、だれ?」
「わからない」
口をついて出た人の名前が誰だか全くわからない。
覚えのない記憶に混乱するわたしを落ち着かせるのに、慌てて道端の小石に視線を集中させる。
「ミカ、その人のこと調べてくれない?」
一言焚べただけで、"彼"の漠然とした情報がどことなく浮かんだ。
「大吉の吉に、treeの木って書くの……それと偉い人。政府に近い、偉い人」
「……わかった。とにかく調べてみるよ」
小さな嘆息と、彼女の鼻声気味の音が脳裏を通過していくのを感じた。
その一瞬に何度も、思い出してもどうにもならない虚無が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
形がないのに、それがわかる。
わたしの無知は、歪んでいる。原因は考えるまでもない。
根源的に本来なら思い出せるはずもないことを知っているということが苦しい、と今初めて感じている。
だけど、だからこれも感じる。
わたしの中のわたしは、決してわたしじゃない。
「コロちゃん!」
大声に気がつくのと同時に、膝に傷みを感じた。
「ちょっと、どうしたの。大丈夫?」
わたしはいつの間にか地面に膝をついている。
「まだ大丈夫……」
正直なところ休みたいけど、こんなところでそうする気分でもない。
肩に触れられている気遣いを無視して足に力を入れた。
「それで、吉木さんのことなにかわかった?」
「政府に一番近いっていうのはニュアンスが違う気もするけど、とにかく偉い人っていうと……一人該当した。でも、本当にこの人?」
「だれなの?」
その人が上山宮の情報を書き換えた。
理由はわからないけど、わたしはそれを知っている。
「今から約一世紀前の総理大臣、だけど……」
「総理大臣……なんだ」
でも、百年前の人じゃとっくに死んじゃっているか。
だけど、
「いち個人の情報をわざわざ書き換えているくらいだし、相当特別な理由があるはずだよ。だからきっと引き継がれている。その人に事情を話せばなんとかならないかな……」
「わかるけど……」
そう呟くように理解を示したミカの表情。彼女が何かを飲み込もうとしていることはわかる。
わたしの情報で合っているのは百年前の総理大臣の名字だけ、だ。傍で聞くだけなら、わたしがその人と通じていると考えるほうが難しいに決まってる。
だけど、それで間違えているとわたしは思わない。
正直なところ、総理大臣と聞いてピンとは来なかったけど、吉木という人物はそういう類の人だったと感じられる。
「っていうかさ、引き継がれているのが今の総理とは限らないよ。かといって、関係者っぽいところを調べて変に嗅ぎ回ってると思われたらそれだってマズいし……」
まあ、そうか。上山宮関連についてこれ以上ミカに調べさせるのは酷なのかもしれない。
だったら仕方ない。
体調不良を見せつけるようにふらついてバイクに手をかけると、ミカはすぐに「大丈夫」と手を差し出してくれた。
「ごめん、気分が悪いから飲み物を買ってきてくれない?」
言ってみると、ミカはコクコクと頷いて「水にしておくね」と駅に向かって走り出した。
そんな彼女の背中を少しだけ眺めて、それから体を起こしてバイクに跨る。
ドローンの起動はどうするんだろう。
ハンドルの間にあるメーター辺りを撫でていると、ふいにメーターを象るリングが青く輝いた。
同時に、車体全体がお腹の辺りから血が巡るようにほのかに暖かくなる。
思いつきで青い光を指先でなぞると、触れた部分だけが白く滲むような色に変わり、メーター面に次々と文字が流れていく。
『Air Conditioner』、『Veil』、『OF』、『DF』。
次の『Search』とあるそこで手を止めると、『Drone』と『Sensor』の選択肢が浮かび上がった。
迷わず『Drone』の文字に触れて振り返ると、例の"あの子たち"が排出口から3つだけ飛び出したのが見えた。
とりあえず上手くいきそう。
思わず口元を歪めながら前に向き直ると、こっちに気がついたミカと目が合った。
「ごめん、ちょっと借りるね」
挨拶程度に呟いてみたけど、どうせ怒られる。
慌てて走ってくるだろうとすぐにハンドルを握る手に力を込めたものの、ミカは首を傾げて両腕を垂れて立ち尽くしていて、なんだか唖然としているみたいに見える。
動かないはずのバイクがわたしに動かせたというのは、きっとそれほどすごいことなんだろう。
とにかく、ニセフラッシュのハッキング技術が相当なものだということは理解できたし、一石二鳥ってやつかも。ただ、相変わらずどこから見ているのかがわからなくて気味が悪い。
右のハンドルグリップを手前に巻くと、バイクは何事もなく動き出す。
合わせて体を大きく右に倒して向きを変えて、ミカに背を向けてバイクを加速させた。




