12話「急流-2」
そろそろいいですか?
と前置きをして、アッシーは座席の間から腕を覗かせた。
その手には、なにやら細い紐のようなものが握られている。
「二人ともこれを身に着けてください」
「なんだこれ?」
言いながら、紐を受け取る。
広げてみると、端に留め具のついたネックレス状のもののようだ。
妙にグリップのきくゴムのような素材をしている。
「当社の"ミミック"と呼ばれる装置です。装備することでご自身の顔を別の顔として誤魔化すことができます。誤魔化せる対象は、人の目でもカメラでも。
ただ、あくまで簡易の変装にすぎません。錯覚させられるのは顔だけで、髪型や体系や服装といった部分は錯覚させられないので、覚えておいてください」
そんなものがあったのか、という言葉は飲み込んだ。
早速首に装着してみると、肌に張り付いて少し窮屈に感じる。
感想としてはそれだけで、これで顔が変わるといわれてもいまいち実感はない。
確認しようと、どこかに自分が映るものはないかと窓の方に目を向けると、
見知らぬ男が真剣な面持ちで前を向いて座っていた。
「き、木田さんか?」
突然人が変わることなんてないとわかっているのに、それでも訊かずにはいられなかった。
声をかけられてこっちを振り向いた木田らしき人物が、訝しげに目元を歪ませる。
「当たり前だ」
「ああ、そうだな」
その通り、当たり前だ。気を取り直して前を向き直す。
「ところで、訊きたかったことの話を覚えているか?」
ああ。と隣で返事が聴こえてまた顔を横に向けた。
「狩役が欲しているものは、"カラーリング"の技術だ」
「カラーリング……の技術?」
それが、機体Ωに搭載されているという兵器。
いや、まだそうはなっていない。兵器になる前の技術ってことか。
だとすると、と考えてはっと息を呑む。
木田の話しぶりからして、カラーリングとやらはまだ実現されていない。
だから、フラッシュが言うところの"機体Ωに搭載されている兵器"はまた別だ。
つまり俺は、質問し間違えている。
狩役が造ろうとしているもの、ではなく。造って世界にバラ撒いたもの、を訊かなければならなかったのに。
変に雇われた殺し屋のフリなんかしたために、おかしなことになってしまった。
愕然として頭がうまく働かないうちに、「そうだ」と木田が何かに納得した。
「狩役が求めているのは、"不可視の存在を可視化する"技術。つまりはそれをカラーリングと呼んでいる」
「不可視の存在を……」
ズレた質問が、何やらわけのわからない答えを引き出したのか。
予期しない方向に動き始めた事態に多少は狼狽えるものの、とりあえず耳を傾ける。
「口頭で訊く限りでは、任意のエネルギーを可視できるようにすることで細かな計測そのものから逸脱し、誰もが感覚的に制御できるようにするためだといっていた。だが……」
ふと、また木田が怪訝そうな表情を浮かべる。
「不可視の可視化、という言い方は狩役の発言を私が言い換えたものだ。たしかに狩役はそれで納得していたが……、だとすればおかしいとは思わないか?」
エネルギーは基本的には不可視で、何かしらの媒体を利用して可視化するという流れにおかしなことがあるとは思えない。
彼が何を疑問に思うのか、俺には少しもわからない。
とにかく、小首を傾げるしかなかった。
そんな俺の様子をどう感じたのか、木田は「ふん」と鼻を鳴らした。
「狩役は当初、任意のエネルギーと言っていたんだ。いいか。任意のエネルギーだ。奴には、色を付けて目視したい特定のエネルギーがある。それが不可視の存在、ということでもあるのだろう。だから奴は私の文言にすんなり納得したんだ」
ダメだ。何が疑問なのかやっぱりわからない。
とりあえず今俺にわかるのは、
「狩役が求めている可視化したいエネルギーが不可視の存在……ってことか?」
だから、それはそうだ。エネルギーは普通目には見えないんだ。
わけもわからないまま発言したことを後悔する俺に、木田は「そういうことだ」と言った。
驚いてはたと木田の顔を見つめる。
「俗に"ゴースト"と呼ばれているアレだ。目視することに理由があるエネルギーが、それも存在とまでいうのなら、それが一番納得できる答えだろう」
「ゴ、ゴーストって……」
まさか、ナニカのことなのか?
視えないから視えるようにして破壊するって?
だとすれば、グルーオンコントロールはオバケ相手に使うつもりだというのか?
目眩がする。そんなことのために人の命を奪おうとさえしてくるなんて。
呆然として足元から目を離せなくなっているところに、木田の「ふん」と鼻を鳴らすのが聴こえた。
「呆れてものも言えないか……。だが、お前は知らないだけだ」
何を言うつもりかと、顔を上げる。
木田は、俺をじっと見つめていた。
「山台工業には、機体Ω以前に秘密裏に作成していた物がある」
「……それは?」
世界企業の山台工業、その最高責任者がオバケを殺そうとしているなんてことを聞かされたあとで何に驚けというのか。
ぼんやりとした頭で耳だけ澄ませていると、
「少し寄り道をします」
前からアッシーが言った。
ふと窓の外に目をやると、ビークルはいつの間にかどこかの建物の中に入っていたようだ。
「想定通りにドローンの追跡を巻けていません。木田さんがマーキングされている可能性があるので、解除し、ビークルを乗り換えますのでご協力をお願いします」
ここはどうやら立体駐車場で、人工灯で不自然に明るく照らされた無機質な印象の空間がずっと奥へ広がっている。
「マーキングのことなら、すでに処理は済ませてある。もう私にマーキングはされていないはずだ」
「本当にそうなら話は早いのですが、ここへ来るまでに三機のドローンが別々に追跡してきています。もしかすると、ご自身が認知されているものとは別のマーキングがされている可能性がありますので、念のため調べさせてもらっても?」
「構わないが、そもそもマークされているのはこのビークルじゃないのか?」
ビークルが柱の陰に曲がり、坂を上って上階へ進んでいく。
「いえ、それはあり得ません。当社が使用するビークルは特別な権限で保護されているため、当社代表の許可なしではどのような情報にも保存されることはありませんので」
「なるほど。だとしても、相手は山台工業だ。狩役の……それこそ特別な権限を利用すれば、保存されないはずの情報を保存できている可能性は高いぞ」
「…………」
ひとときの無言を挟んで、それからアッシーは「確認します」と、独り言のように話し始めた。
何気なく窓の外にやった視界に人の姿を見つけて、改めて周囲を眺める。
停められているビークルの数は、まばらではあるけど少なくはない。
人の出入りもまったくないようなこともないようだ。
ミミックの偽装と木田のマーキング解除、それと乗り物を変えることができれば、さっきみたいな連中でも俺たちを襲うことは難しいだろう。と、アッシーの算段を想像する。
だけど、ここが一般的なオフィスビルなら、構造的に考えて駐車場の出入口の数は入ってきたあの一つしかないんじゃないかと思う。
もしそこが抑えられた場合、アッシーの算段通りならそれも問題はないんだろうか。
広場での連中のあのやり方が、一抹の不安として眉間をくすぐった。
大丈夫か、と声をかけようと口を開いたタイミングで、
「木田さん」
アッシーが神妙な声で彼を呼んだ。
「狩役の持つ権限というのは?」
「国家承認の、ということだ。少なくとも個人情報の編集まで許されているのは間違いない」
「なるほど、そういうことですか……」
考えてみればそうだ。
ドントウォーリーも狩役も、親は同じ。
アッシーの口ぶりからして、ドントウォーリーは狩役のような存在を知らなかったんだろう。
しかし、狩役のほうはドントウォーリーを知っていた。
つまり、承認という形でより信頼度や優先順位が高いのは狩役のほうだということか。
アッシーが、ふうー、とたっぷり息を吐くのが聴こえた。
「それで、どうする」
木田がせっつくのにアッシーは何も答えないまま、到着した階層で上るのをやめた。
そのままぐるりと駐車場内を走り、柱の陰の空いているスペースにビークルを止めた。
「ビークルを乗り換えます」
言うなりアッシーが先にビークルを降り、徐ろに建物の出入口に近い一台の白いビークルへと向かっていった。
小首を傾げつつ、木田と一緒に後を追う。
「乗ってください」
後部のドアを開けて促すアッシーに、木田が「待て」と足を止めた。
「タクシーを使うのか?」
タクシー?
まじまじと目の前のビークルを確認すると、ボンネットの先端に確かにそう象られたエンブレムが光っている。
「どうせ筒抜けなら……ということです。とにかく、乗ってください」
そう言うアッシーの表情が硬い。
追手を振り切れるかどうかは五分五分、ということなんだろうか。まさかとは思いつつも、見たことのない彼の表情を目の当たりにして微かな不安に実体がつき始めているのを感じる。
それは、粗雑で乱暴な結末。
できる限り多くの人間を殺すイメージトレーニングを行いながら、木田に続いてタクシーに乗り込む。
少し遅れて乗ってきたアッシーは、前列の助手席側に座った。
「本当にこんなことで狩役の追跡をかわせるのか?」
不安を隠さない木田が心の底から疑っているのがわかる。
だけど、後頭部越しアッシーが今どんな表情をしているのかはわからない。
だからあの硬い表情を想像して、俺はまた三人の敵に銃弾を打ち込んだ。すると。
「手は打ちました」
アッシーの声が聴こえて顔を上げると、勝手にビークルが動き出す。
このまま面倒なことなしにここから出られればありがたい。
手持ち無沙汰に何気なく窓の外に視線を向けると、停められていたビークルの何台かが同時に動き出すのが見えた。
この階層にはまだ狩役の手先はいないはず。そうは思ってもタイミングが良すぎて身構えずにはいられない。
些細な変化でも見落とさないよう神経質になって眺める景色の中、どういうことか、あちこちでビークルが動き出していく。
それらはあっという間に俺たちの前に列を成していった。
何かがおかしいとは思うけど、この現象をどう説明付けたらいいのかがわからない。
ただ、絶対に偶然じゃないことだけはわかる。
「もしかして全部なのか? 駐車場内全てのビークルが同時に……」
「そうだな」
混乱する脳を無理くり働かせた俺の独り言に、アッシーが何事でもないかのように応えた。
「ってことは、お前らが?」
唖然と質問を返すとまた、「そうだな」と前方から声が聴こえた。
いつものドヤ顔なら、そんなふうに言わないだろう。
至って真面目な空気で満たされたタクシーは、車列の一部となって階層を下っていく。
俺は、前方を気にするような素振りでたぶんデバイスを弄っているアッシーの後頭部を気にしていた。
なんとなく気になる、この神妙な雰囲気。
さっき連中とやり合った時には余裕面していたのに、どこからこんなふうに変わったんだったか。
ああそうか、と納得する。
存在を知らなかったきょうだいのこともさることながら、いきなり命の取り合いをすることになったんだ。ショックに決まっている。
正直なところアッシーにどれくらいの実践経験があるのかは知らないけど、そんな精神状態ならとんでもないミスくらいするかもしれない。
だったら今回はただの客ではいられない。
これから無事に身を隠すためにできることがないか記憶を探って視線を泳がせていると、ふとサイドミラーに映り込んだ後方のビークルが気になった。
よく見てみれば、人が乗っている。
もしやと思って前方を下っていくビークルに目を凝らすと、数台先の車内にも人の姿が一瞬見えた。
気の毒に。
よくわらからない内によくわからないことに巻き込まれてしまったんだ。
もし自分にこんなことが起こったら……と、考えて違和感を覚えた。
もう一度後方のビークルを確認する。
後ろの人物は、微動だにしていなかった。パニックになるどころか、腕を組んで少し首を傾けて、むしろ退屈そうにも見える。
もうすでにこの状況に適応したのか?
それとも、偶然出発のタイミングが一緒だった?
目深に被ったフードのせいで表情はわからないけど、もしかして眠っているのか?
考察を続けようとする思考が、ふいに既視感を呼び起こす。
シチュエーションではなく、後ろの人物の服装。フードと黒い服……。
はたと閃く。
路地にいたあの男だ。たしか物置通りに着く手前の路地にいて、コロが変に絡もうとしたのを俺が止めた。
なぜこんなところに、と考えるのはおかしいだろう。
かといって、これが無意味な偶然とは思えない。
じゃあどんな意味があるのかというと、考えたって一ミリもわからない。
わからないけど、俺は意味があると確信している。
なぜ、どうして……。
「おい」
ふいに木田の声がして、真正面の座席の背に焦点が合った。
「なにかあるのか?」
「いや、あんたには関係ないよ」
疑念から目を逸らすために一度木田に顔を向ける。
「こんな時に余計なことを考えていられるんだな」
行き違いに木田が正面に向き直った。
「あんたには関係のないってだけだ。余計ってことでもない」
そんな俺の答えが気に入らなかったのか、木田の口から吐き捨てるようなため息が漏れた。
「まあいい。それが条件なんだからな」
何が、まあいい、のか。
条件、が何を意味するのかもわからずに思わず首を傾げる。
「山台工業が機体Ω以前に造ろうとしていたものは、いわば完全防御――あらゆる外力を無力化する"不滅の鎧"だ」
機体Ω、完全防御、と聴こえてようやくそれが狩役の破壊を目論むナニカについての何かだと気がついた。
それにしても。
「ちょっと待ってくれ。こんな状況じゃ聞いていられない、もう少し落ち着いてからにしてくれよ」
半ば慌てて木田を諭すが、彼は「いいから、聞け」と小さく首を振った。
「カラーリングの技術はもう完成していると言って問題ない。多少の時間稼ぎにはなるように細工をしたが、近いうちに間違いなく狩役は完成させる。そうなった時、狩役は本腰を入れてソレを探し始めるだろう。だから、お前たちはソレを狩役より早く見つけ出し、破壊しろ」
「ソレっていうのは、その不滅の鎧のことか? それを破壊っていうのはどういう……」
無論だ、と木田は正面を向いたまま深く頷く。
「未来を守るために決まっている」
木田の言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
同僚を一人死に至らしめた人間が、そんなことを言うのか。
ショックでぼんやりしている頭に、「ドローンが来ます。とりあえず慌てずに」とアッシーの助言がねじ込まれる。
横目に前方を見ると、一機のドローンが車列を撫でるようにこっちへ飛んでくるのが見えた。
「まあいいよ……。それでその不滅の鎧は、破壊しろってくらいなんだから完成しているってことなんだな?」
「完成かどうかについては、おそらくとしか言いようがない。私は詳しいことをなにも知らない」
「知らない? どういうことだ」
「そもそも、そういった物があること自体、私たち後継者には知らされていなかったんだ。ただ、機体Ωの開発にあたってその初期完成図とされたものが、あとになって考えると不自然だったと気がついた」
木田が顔をこちらに向ける。
「まず、それが人の形をしていたという点だ。当時はなんの疑問も抱かなかったが、冷静に考えればおかしいだろう……」
と、また木田は正面に向き直った。
「なにがおかしい……?」
「人の形は、活動という点において特に効率的ではないからだ」
「要は、介護ロボットなのに、人型なのが非効率だから山台工業が提示する完成図としては――」
安直すぎておかしい、ということなのか。
訊こうとした一言は、唐突なビークルの加速で封じられた。
何が起きた。
驚いてアッシーに目線を送ったその向こうから迫る異様な光景に、自然と焦点が合う。
「……イカれてるな」
それが俺に向けられたものなのか、独り言なのかはわからない。小さな声で吐き捨てたアッシーの声が耳に触れるのと同時、ビークルの窓を突き破って腕を突っ込んだ状態の何者かの背後を通り過ぎる。
その一瞬、今まさに介護用アシストスーツの怪力で車外に引きずり出されようという彼の怯えた顔がこっちを向いた。
目を引かれて背もたれまで体を捻る俺の脇を、続々と無人のビークルたちが逆走していく。
「アッシー! あの人のビークルも……」
荒げた声は、車外に引きずり出された彼のぶら下がる姿を前に萎びる。
呆然と眺める視線。遠ざかる常軌を逸した光景に、置き去られた窓の割れたビークルが一台、二台と増えていく。
乗っていた人の姿は探さない。
結局何もできない、何も浮かばないまま前方に向き直るしかなかった。
「これが、狩役乃永の……」
ぽつりと浮かんだ言葉を口にすると、
「単に、というわけではない」
木田が否定した。
「おそらくあれは、山台工業法務執行部の仕事――」
これが、山台工業のやり方だ。
静かにそう言った男はじっと前を見続けていた。