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たとえばこれはαルート  作者: 扉野ギロ
第一章 赤いカード
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2話「芳しくも胡散臭いもの」

ホームレスの男からカードを受け取り、アジトに戻ってから三時間経っても、コロは窓辺の操舵席の前から一歩も動いていなかった。

カードがより美しく輝いていた夕日も、もう大海原の向こうに沈みかけている。


「まだやってんの?」


ペロは、ふとタブレットデバイスから顔を上げてそう言った。


それまでの三時間。部屋を出たり入ったり、普段はほとんど近づかない船首まで行ってほとんどやらない釣りをやったりしていたペロ。ソファに落ち着いてタブレットデバイスを弄り初めたのは、ほんの十分ほど前からだった。


しかし、コロは「うん」と相槌を打っただけで、残り日にかざしたカードをうっとりと眺めている。


「そんなに気に入った?」


愚問ともえる質問を投げかけ、視線を逆光で影になったコロの背中に向けたまま、ペロは意味もなくタブレットデバイスの上で指を遊ばせる。


「うん」


返ってきたのは、暗にわかりきっていた反応だった。

ペロは、ふぅ、と短いため息をついた。

そして脇に置いていたグミを一粒口に投げ込み、ころころと口の中で転がす。


「そんなプラスチックの何に惹かれるんだか」

「……プラスチック、かな」


ようやく言語で返事をよこしたコロ。

ペロは、だね、とため息まじりに言って体を起こすと、徐に口の中のグミを摘み出す。


グミは、唾液でわずかに表面が溶けて色の薄くなった夕日を浴びててらてらと輝いている。


「なあ、見てみろよ。これとそっくりじゃん」


ペロがコロに見せつけるようにグミを掲げる。

呼びかけられ案外すんなりと振り返ったコロだったが、一瞥してまたすぐに正面に向き直ってしまった。


「全然違う」


そう言ってまたカードに釘付けになったコロを見つめ、ペロは、ふーん、と唸って改めてグミを口に放り込んだ。

それを飲み込んですぐもう一つグミを口に入れると、また一つため息をついてペロは立ち上がった。


「出かけてくる」

「うん」


つれない反応に、乾いたため息をもらして、ペロは部屋を出ていった。

後を追うようにして、室内の照明が自動で点灯する。

ゆっくりと光度を上げていく明かりは、数秒かけて室内に白色の帳を下ろし、対して部屋は沈みかけた夕日のせいで影を浴び曖昧になっていた輪郭をはっきりとさせる。


それから少しの間、水平線に消えていくかすかな日差しにカードをかざして眺めていたコロだったが、空に橙色が見えなくなったのを機に窓に背を向けた。



二時間ほどして再び部屋に帰ってきたペロは、総打席にいないコロの姿を見るなり開口一番、


「やっと飽きた?」


皮肉っぽく言って、二つのショッピングバッグと、四角く膨らんだフードバッグをソファの前のローテーブルに置いた。


おかえり。

とコロは一応は返事をしたものの、目線はラップトップデバイスの画面をじっと見つめたまま。ペロの皮肉にも特別な反応はない。


「晩飯買ってきたから食おうよ」


対して返ってきた、「うん」、とその声を訊くなりペロの口からため息が漏れる。


出ていく前に操舵席の前にいたコロは、今部屋の中央に置かれた横に長いテーブルの端に座っている。カードもテーブルの上に置かれている。

位置と格好は変わっても、しかし大事な部分で何も変わっていなかった。


「まあ、いいけどさ」


何の解決にもならない納得を口にし、ペロは脱力した体をソファに押し付けるように腰掛け、フードバッグから五目焼きそばの詰められた箱と箸を一人分だけ取り出した。


蓋を開くと、醤油と油の芳ばしい香りをはらんだ生暖かい湯気がふわりと溢れ出す。

そこに箸を突っ込み、手慣れた様子で中身をかき混ぜると、引き上げられる麺に絡まって、あんかけの下で十分に熱を保っていた湯気が溢れ出し、炒められた具材一つ一つの香りが際立つ。


今回、ペロの口から飛び出した息はため息のそれではない。

熱い湯気を吹き飛ばすために吐かれた息に乗って、濃密な湯気が逆巻いて中空に消えるのが目に見える。

かといって、適温は目で見てわかるものではない。

あくまで経験に則って二回、温度を散らしてからペロは五目焼きそばを口に、


「ねえ、ペロ」

「……なに?」


入れそこねた一口を改めて、


「怪しいのを見つけたの」

「へえ、どんなの?」

「見て」


コロがラップトップデバイスの画面をペロに向ける。

暗に促されて、ペロは口元まで運んでいた五目焼きそばを結局箱に戻し、そこへ近づいた。


「ウェブ?」

「うん。"ビーヴ"は信用できないし、こっちのほうが好き」

「情報に好きも嫌いもないと思うけど……。まあ、わかる」


相槌の傍ら、ペロはようやく五目焼きそばを口に入れた。


画面に映し出されているのは、黒い背景にびっしりと埋められた白い文字と記号の羅列。


味気ないこの黒と白の二色、文字と記号の羅列は、ウェブブラウザ"ドラゴン"の仕様だ。

画像、動画を含めウェブサイトの情報を全て独自の文字列で表現するドラゴンブラウザは、画面に表示するだけで視認性感染してしまうこともあるウェブサイトに対し、優秀な防御力を誇る。

しかし、おかげで画像も動画も詳細に欠け、ページを改構築するせいで読み込みも長い、というのが欠点だ。


そんな玄人向けのブラウザを使用してまで危険なウェブシステムを利用する者がいるのは、新世代ネットワークシステムである"ビーハイヴ(Beehive)"とは違い、良くも悪くも、自在に"生の"情報をやり取りできるからだ。


「レッドヘアーズ……"クラブ"?」


過去、国内で最も有名だった掲示板サイトの名残をとどめたデザインのウェブサイト。

『669名無し』のユーザーの書き込みには、『レッドヘアーズクラブ』の文字がカタカナで表記されている。


『そういえばこの間、レッドヘアーズクラブってとこに招待されたって友達が言ってた』、とある発言を読み、ペロはまた「ふーん」と鼻を鳴らした。


「この前後ってどうなってる?」

「前はなにも。スレッドが『都市伝説を語りましょう』だから、そういう意味の書き込みだと思う。ただ――」


コロが腕を伸ばし、画面を下へスクロールさせる。

流れていく画面をふいに止めたそこには、レッドヘアーズクラブについて書き込んだ『669名無し』へのレスポンスがある。


『どぞ』と一言書かれた続きに、どこかのサイトへのURLが書き込まれている。


「釣りでしょ、これ」


ペロが苦笑すると、コロは無言で一つ頷き、「でね」と続けた。

自ずとペロの無感情な視線がコロに向く。


「リンクに飛んでみたたんだけど……」


コロの発言に、「やっぱり」とつぶやきペロはがっくりと肩を落とす。

そんなペロの様子などお構いなしにコロは二本指で器用に操作盤を叩き、画面を別のウィンドウに切り替えた。


『ほんとにあった都市伝説掲示板』


と、本末転倒気味な表題が鎮座するホームページと思しき画面。

それは太字の明朝体と、そこから小さなサイズの文字や記号が下方へ連なって何かが滴るように表現されている。


加えて枠組みのところどころにも同じような小さな文字の表現がされており。ブラウザの仕様上、背景は黒一色のままだが、その手のサイトを覗いた経験があれば自ずと背景を想像できそうなものだ。


ペロが呆れたため息を吐き出すそばで、コロは淡々と作業を続ける。


「ここ」


コロが指差す位置にはまた、『レッドヘアーズクラブ』と書かれている。

今回は単なる書き込みではなく、リンクテキストだ。

しかしコロはリンクではなく、すでに用意されていた別のウィンドウに切り替えた。


『レッドヘアーズクラブ

主催者不明、会場不明、参加者情報の一切が不明の集会。

ほとんどの情報が不明とされるこの集会において、実は参加者は世界各国の富裕層であり、そこでは出品物として様々な肉が競売にかけられると噂されている。』


ページの最上段に書かれているところから始まり、下には先ほどのものとはデザインの違う掲示板が続いている。

そこに表示されるユーザー名は、『噂ノ一』、『噂ノ二』、と連続する番号が当てられている。


『高級レストラン美乃富士には、一品200,000円の裏メニューが存在し、そこに使われる肉は高級ブランド和牛の希少部位と謳っているが、実際は何の肉かわからない。使用しているのは、社長が不定期に持ってくる肉の塊であり、以前そこに従業員の物ではない長い髪の毛が一本混じっていたのを見た。』


ペロは八つあるものの『噂ノ一』の書き込みを音読し、最後に間を取って、「(元従業員証言)」、とわざとらしく付け加えるように言い、画面に近づけていた顔を遠ざけた。


「こんなの、噂じゃなくて嘘でしょ。まだまだウェブの使い方ってのがわかってないね」


ペロは得意げに笑みを浮かべ、また一口五目焼きそばを啜った。


「でね」


と続けるコロは、やはりペロの反応など気に留めている様子はない。

また別のウィンドウを開く。


『秘密兵器レッドヘアーズ

吉國グループが来る世界大戦に向け、秘密裏に開発した殺戮兵器。

形態、仕様など兵器に関わる全てが不明であるが、それには世界中の殺人鬼、サイコパスの思考データが組み込まれている、と噂される。』


『噂ノ一   6月13日19:09

五十嵐製鉄所には、定期的に直接オリオン建設のオートパイロットトラックが商品を受け取りに来る。加工業者が材料を取りに来ることが通常であるのに、なぜゼネコンであるオリオン建設が直接鉄材を取りに来る必要があるのだろうか。取引先の加工業者にそれとなく聞いてみるが、どの業者もオリオン建設のトラックを見たことがないという。


噂ノ二――』


ペロが記事をぼそぼそと独り言のように読み流していると、


「怪しいのは、これ」


コロが強引にスクロールした画面の中央は、『噂ノ六』。


『山台工業が研究しているのは介護ロボットなどではない。「メンテナンス不要」ということが何を意味するのか考えるつもりのある者はここに来てくれ。』


表題にある説明を無視したかのような文章、そのうえでなにやら確信めいているその発言の最後には、URLが記載されている。


「また、このパターンか。でもさすがに……」


ペロが半ば訴えるような目つきでを向けると、コロは短く頷いて画面を指差した。

その指し示すところには、折り重なってもう別のウィンドウが出来ていた。

嘆息し、ペロはそこを開く。


瞬間、画面の光度が上がった。

気づくのと同時、ペロは目を瞑り顔を背け、「おい!」と声を荒らげるが。


「大丈夫だよ、電子ドラッグじゃない。わたしも最初はびっくりしたけど、全然普通のサイト。悪意はないみたい」


至って真面目にコロは言った。

ペロが恐る恐る目を開ける。

目を細め、警戒した様子で光る画面に顔を戻すペロの目に映るのは、薄緑色の背景に赤文字ででかでかと書かれた『山台工業の真実』という文字だ。


『山台工業の真実


世界中に介護ロボットを輸出する山台工業。

しかしそこでは、日夜破壊を目的とした兵器を研究が行われている。

人々が目にし、利用している山台工業の介護ロボットは、むしろそうして研究される破壊兵器開発の一端でしかないのだ。


筆者は警告する。

このまま人類が山台工業の商品を使い続ければ、山台工業はいずれ国や権力を超えた地上最強の結社となるだろう。

その時はそう遠くない。


何十年と実しやかに囁かれ続ける世界大戦が起こらずにいるのはなぜか。

過去数度に渡って生じた国際的な不安の時期と、山台工業の最新技術が発表され世界に授与された時とが重なっているその意味を真剣に考えねばならない。


故に、筆者は考える。

世界大戦の勃発は、この山台工業の軍隊の完成を以て勃発するに違いない。

その時勝利するのは、国ではない、軍ではない。

山台工業だ。

その代表【狩役乃永】によって世界は牛耳られることとなるのだ。


もし、これが単なる都市伝説や作り話だと思うのなら、下記の図面見るといい。

筆者が命がけで手に入れた山台工業の秘密を掲載している。

その図面を見て、それでも山台工業がなんでもない善意の企業だと思えるだろうか?


判断は読者に委ねるしかないが、筆者はそれが歯がゆくてならない。


しかしもし、図面を見て山台工業に闇があることを信じる者がいるのなら、筆者に連絡をしてほしい。

そこで詳しく真相について語ろうじゃないか。』


文章の最下部には、『秘密兵器図面』とありその脇に件のURLと、改行して『Contact』とアドレスが記載されている。


それ以上に書かれていることはない。

一画面に書かれていること全てに目を通したペロは、「くっせー」と嘆息するように言って、コロに真剣な眼差し向けた。


「あのな、コロ。こういう噂には、見方ってのがあるんだよ。そもそも、本当に山台工業が秘密兵器を作っているとするなら、絶対、厳重に守ってるはずだろ?

あれだけデカい会社が簡単に重要なデータを盗まれるはずないし、それに、もしデータを盗めたとしてこんなところに貼り付けるわけがない。今度こそここを触ったら、電子ドラッグー……」


途中まで言って、「まさかね?」とペロが訊くと、


「そんなのわかってるよ。こんなの開きたくなるに決まってるし、電子ドラッグの可能性が高い」


コロがすまし顔で言うと、ペロは「よしよし」と満足げに頷く。


「絶対開くなよ」


コロに釘を刺し、ペロは再び五目焼きそばを口に入れた。

もう何度目か、うん、と頷いたコロは、うわの空だった先ほどまでとは違い瞳に何かしらの色を宿している。


「それとね、もう一つ"執行人レッドヘアーズ"っていうのが――」


コロが言いかけたところで、「わかったわかった」、とペロは適当に受け流した。

さらに、まるでその続きを阻むかのように、コロの目の前には強引に未開封のテイクアウトの箱が置かれる。


コロは、不満げな顔でその芳ばしい香りを漂わせる箱を見下ろす。


「とにかく、まずは飯食おう。で、腹いっぱいになったら出かけるぞ」


これまでの表情とは打って変わって朗らかな様子でペロは言った。

それを不思議そうに眺めてから、コロは箱の中の唐揚げ丼を口にした。

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