8話「聞くべきこと」
呪い。それが結局で、全部。
コロが吐き捨てていった言葉の意味がわからなかった。
運命に設定されたという現実が受け入れられずに言ったのか、奇跡というニュアンスが気に入らなくて訂正しただけなのか。
なんにせよ、あいつが席を立ったということは、聞くべきことは訊いたということだろう。
だからたぶん、結論としてこの男にはこれ以上『RED HAIRS』に関係する情報は出ないと踏んだ……。
コロは、それでいいかもしれない。
だけど俺には、まだ訊きたいことがある。
「なにか、気に触るようなことでも言いましたか?」
一見ふてぶてしい男が、そんなことを気にするのは意外だ。
「いや、あいつのことは放っておいていい。いつものことだから」
「いつも、ですか」
そう言ってフラッシュは、微かに聞こえる程度小さく笑った。
一瞬、その反応に違和感を感じたが、そういえばこの男はどこまでかはわからないけど俺たちを監視していたんだ。微笑は愚問に対してのもの、ということだろう。
ここに来て初めから漂っている、この男の余裕。
それが単に監視していた分の情報があるから、というわけでないことはついさっきわかったばかりだ。
この男は、"あの人"を知っている。
正直なところ、そうなると山台工業について語られる真実とやらもその野望も、胡散臭いと一蹴はできない気持ちもある。
とはいえ、なかなかあの人との関係を話そうとしないこの男からどうやって言質を取ればいいのか。
「なあ、"黒い欠片"を知っているか?」
ふと、思いついたことを口にしていた。
「黒い欠片……ですか。ビークルと同じく、山台工業と関係が?」
無関係だ。
「いや、知らないならいい……」
当てが外れた。というか、そもそも知っているはずがない。
思わず口にしてしまったことを少し後悔しつつ、当たり前とはいえ何の情報も得られなかったことが少しだけ残念に思えた。
もし知っていれば、あの人との繋がりに確証を持てたかもしれないのに。
知りたいことはあるのに上手くいかない。言葉と一緒になんとなく目のやり場を失くして、店内を見流した。
あれからそれなりに時間が経っていても、やっぱりこの店に客は入ってきていない。
マスターが一人、カウンターの内側でいつも通り何かの作業をしているというのに、気をつけないとほとんど物音も聴こえない。客への気遣いで身につけたのか。常々思うことだけど、マスターの気配の薄さは異様だ。もしかすると、どこかで特殊な訓練でも受けていたんじゃないかと思うほどに。
だから、今俺はフラッシュと二人きりみたいなものだ。
余計なことを言いがちなあいつがいなくなって安心したせいか、やけに……。
「あんたは……、あの人に会ったのか?」
どことなく漂うプライベートな空気に、もしかしたら、と思った。
フラッシュも同じものを感じているのなら、少しくらい口が軽くなっているかもしれない。
「まったく、あなたもしつこい人だ……」
相変わらずの反応だけど、呆れて嘲笑する表情にはさっきまでの断固さが和らいでいるように見えた。
「どうしても、知りたいんだ。腹を割って話そう。俺がなにを求めているのか、なにを探しているのか。今なら教えてもいい」
この男は、同胞か、同僚か。こっちの手持ちのネタ明かしでこの男が本性を現す可能性に賭ける。
フラッシュの瞼にわずかに力が入った。
今はそれが、気になっている証拠、と考えておく。
「あなた方の目的は、あの"赤いカード"……ですよね。『RED HAIRS』でしたか。その言葉の意味を探しているのでは?」
「概ね間違っていない。でも、それはあくまで趣味の範囲でだ。あいつのやりたいことに付き合って始めたことだよ。とはいえ、あんたみたいのが出てきたんだ。完全に遊びでやるわけにもいかなくなったけどね」
「つまり、あなたの言う"黒い欠片"はまた別だと……」
「ああ、そうだ。それだけというわけでもないけど」
「……なるほど」
フラッシュの視線が上に逸れ、首が小さく動いた。
男は今、揺れている。
「……最近、あの人から連絡は?」
「連絡?」
男の視線が、左右にゆらゆらとまた動く。
記憶を探っているのなら、当たりだ。真実を語るにしても、嘘をつくにしても、悩んだ時点でフラッシュはあの人と面識、ないしコンタクトを取ったことがあると考えられる。
それもおそらく間接的にではなく、本人とだろう。
じっと見つめていた視線に気づいたのか、フラッシュは俺と目が合うなり短く嘆息した。
そして、諦めたようにかぶりを振る。
「連絡は来ませんよ」
俺の粘り勝ちだ。
「来ない、っていうのはどういう意味だ?」
歓喜しようとする口元に力を込め、不格好にも冷静を装う。
フラッシュは、また嘆息した。
「あなたの質問に答えるのは簡単です。しかし、まずはあなたのことを伺いましょう。たしか、わけのわからない奴の話は信じられない、ですよね?」
ようやく俺に興味を持ったようだ。
「いいね。いい感じだ」
思わず頬が緩む。
「俺がこの街に来た目的は、"インターフェースを探すこと"。
そのインターフェースってのは、『異次元に触れるための媒体』と考えてもらっていい。
というのも、俺たちのボス――"あの人"が持つ思想に、『四次元以上空間という現状の概念は、情報そのものが保管されている位置のこと』っていう理解があるからね。俺たちはこれらを集めて、管理することを目的としている」
「なるほど」
飲み込むほどのことでもない。咀嚼だけするように頷く様は、予想通りの反応だ。
「だからあなたは、奇跡はある、と。そう考えるわけですね」
「考えているわけじゃない。知っているんだ」
「それは、失礼。つまりあなたは、体験者というわけですか。ただ信じているわけではなく」
「ああ、まあそんなところだね」
アカシックレコードにアクセスするペン、テレポーテーションを体験させるタイル、主観性を無視して記憶を焼き付ける椅子、その他諸々。
インターフェースによって実際に奇跡を体験した奴は、大概脳に多大なダメージを受けてまともじゃなくなってしまった。
手塚清子のように、死んでしまう奴だって当たり前にいる。
だから当然、実際に使用するのは御法度だ。
体験者なんてものになってしまえば、俺は俺でいられなくだろう。
だから実際に体験したことはない。
「だから、未知の現象――あんたが言うところの、辻褄の合わない事象ってのは、確実に存在するってプロとして断言するよ」
「そうですか」
どこか気のない返事だ。
なにか腑に落ちないことでもあるのか、フラッシュの目線はテーブルに向いている。
「その、インターフェースにはどういった物が? 回収したインターフェースは今も保管を?」
「どっちも言えない。悪用しがいのある物ばっかだからね。あんたがそういう目的で使うとは思えないけど、秘密だ」
「それも、そうですか。では――」
ふと、フラッシュの目が俺に向く。
妙に強い視線だ。なにか来る、と肌で感じた。即座にこれまでの会話の中に落ち度がなかったか探す最中、
「なぜ、"黒い欠片"のことを教えるのですか?」
正直なところ、予想していなかった質問だった。
黒い欠片のことは、ほとんど無意識に訊いていた。あの人と関わりがあると思って焦ったせいか、奇妙なことを調べているこの男ならなにか知っているかもと期待した結果だったのかもしれない。
今思えば持たれて当たり前の疑問だけど、まさかそこを突っ込まれるとは思っていなかった分、やや反応が遅れて、
「次のミッションだからだよ」
なんとかそう答えた。
「答えが噛み合っていませんね。あなたは、回収したインターフェースについては秘密にしようとしているのに、同様の次のミッションである黒い欠片のことだけは口にしている。腹を割るどころか、あなたが隠し事をしようとしているのでは?」
ぐうの音も出ない。
馬鹿げたミスを犯した自分に腹を立てる傍ら、なんとか状況を打開しようと言葉を模索していると。
「しかしまあ、いいでしょう。私もあなたに隠し事をしようとしていますし、これでおあいこです」
ふいに妥協するようなことを言うフラッシュの発言に多少驚いた。
それにしても、まだ隠し事をしようとしていた?
あの人との関わりだけじゃなく、他にも隠し事をしようとしていたことを全く見抜けていなかった。
「そう、だな。じゃあ、ここからは本当に腹を割って話そう」
みっともなく取り繕う言葉は、ふっ、と鼻で笑われた。
「ではまず、確認作業としましょう。あなたの所属している組織とやらの名前とボスの名前を伺います。しかしこれは、答え合わせです。それが私の知っていることであれば、あなたを改めて信頼することにしますよ」
「ああ、わかった」
信頼を断言するあたり、きっと俺たちの間に本当の信頼はあり得ないんだろうと思う。
それで結構。今、俺に必要なのは情報だ。
「組織の名前は、ソンダーダッハの竜。ボスの名前は……」
だけど、本当に口にしていいんだろうか。
組織の名前はともかく、あの人は現実に存在する。調べれられれば素性が知れてしまうかもしれない。
あの人のことだから、きっとそういった情報は抹消済みだとは思うけど、いち構成員としてボスに関することを話すのは裏切りにならないか?
あくまで存在不明の組織が、あの人の名前を出すことで敢えての不明さが失われるんじゃないか?
だけど、今嘘を付くことはできない。この男は、あの人の名前を知っているかもしれない。
だったら、もし、この男が組織を危険に晒すようなことをするつもりなら……。
「……ミツキ」
「ミツキ……?」
発言はオウム返し。だけどまっすぐこっちに向いた目は何かを求めているように感じる。
この男は、ミツキに続きがあることを知っている。だとすれば、確実だと認めてもいいはずだ。
フラッシュは、少なくとも組織と関わりがある。
「三月あさひ、だ」
俺の答えを聞き、フラッシュは瞼を閉じた。
テーブルの上で組まれた両手と相まって、その行為が深く頷いたように錯覚する。
「……いいでしょう。あなたを信頼します」
若干緩んだように見えるフラッシュの表情に釣られて、肩から力が抜けた。
「それじゃあ、あんたの知っていることを教えてくれ」
「いや、まだです。その黒い欠片について聞いてからです」
それは、もっともだ。
情報の先出しはあまり好ましくはないけど、下手を打った自分が悪い。
「……黒い欠片、は他のインターフェースとは違う。あれは、本物の呪物だ」
「呪物……ですか」
「そうとしか言えない。インターフェースは、使用者を四次元以上の空間にアクセスさせるものであって、それ以上のことは生じない。使用者が死ぬこともあるけど、それはあくまで結果そうなるってことに過ぎない。
だけど、黒い欠片は違う。あれは、使用者の肉体を死なせずに結局死なせる」
「肉体を死なせず……」
囁くようにつぶやいて、フラッシュは「ふむ」と顎に手をやった。
多少は驚くだろうかと思ったけど、この男は奇跡を信じる類の人間だ。驚かないのも納得できる。
「肉体が死なないということは、脳死という状態は含まれるのでしょうか?」
「いいや、脳死なんてまともな状態にはならない。あれは……」
当時の記録を口にしようとして、ゴクリと喉が鳴った。
だって、あり得ないだろう。
伊藤雅の体は、臓器を失ってなお体温を保ち続けていた。
死ともつかず、ただ本人に意識はない状態が生きているといって正しいのかは微妙だ。それでも、血流が一切ないまま、伊藤雅の体はその後三十年生命活動のような振る舞いを続けていた、らしい。
「とにかく、異常だ。そもそも臓器を失った体が生き続けられると思うか?」
「臓器を失ってもですって?」
さすがに驚いたのか、フラッシュはぎょっと目を見開き、顎においていた手を放った。
それからゆっくりと息を吸い込み、飲み込みきれない事実を胸に溜めたまま大きくかぶりを振る。
「今さらあり得ないなんて言うなよ?」
余裕を失くした男のリアクションに思わず軽い笑いがこぼれる。
「それは、知りませんでした……」
驚愕の表情を浮かべたまま、フラッシュはそう言った。
は?
「それ、"は"? 今そう言ったか?」
つまり、フラッシュは伊藤雅のこと以外の情報を持っているということだろう。黒い欠片の存在ですら、組織でも最高レベルの秘密事項だというのに。
思わず顔面に力が入る俺をどう思っているのか。フラッシュは、「なるほど、それが黒い欠片……」と独り言を言って、特に表情を変えないまま短く頷いた。
「クロヤジリ、です。私はそう呼ばれた黒い欠片のことを知っています」
「クロヤジリ……なんだ、それ」
俺の質問の何を否定する気なのか、フラッシュはまず首を横に振った。
「黒い色の鏃です。私はそれを見たことがありませんが、ただ、黒鏃はその名の通り鋭い黒い石の欠片のようなものだとされています」
「それは、ボスにも……?」
「ええ、お礼……ではないですが、彼女に話すことにデメリットはないとかんじましたから」
「それで、ボスはなんて言っていた?」
「間違いない、と」
ボスがそう言ったのだとすれば、そうなのだろう。その黒鏃とやらは黒い欠片――俺たちのターゲットだ。
だとして、どうして構成員の俺たちにその名前が知らされていないのかが疑問だ。
特別な名称があるなら、知っている方がずいぶん的を絞りやすいというのに。
「どうかしましたか?」
思わず顔に出ていたものを覗かれていた。今さら平静を装ったところで無意味だろうけど、反射的に「なんでもない」と答えていた。
「それで、黒鏃を使うとどうなる?」
「あなたの知っている黒い欠片の情報と同じですよ。今さら答え合わせが必要ですか?」
「もちろん、必要だ。仮にあんたを信用するけど、黒鏃の話が事実かはわからない。念のため確認させてくれ」
俺としては最もなことを言ったまでだった。
でも、フラッシュは少しだけ訝しむように小首を傾げてから、「いいでしょう」と頷いた。
「簡単にいえば、"使用者の存在を対象とすり替える"ことです。その際、対象が死ぬ、というのはご存知の通りです」
『すり替え』という文言が、"入れ替える"と聞いている俺の知識と多少違うのが少し気になる。それだけじゃなく。
「俺は、認識、と聞いている。黒い欠片が起こすのは、"使用者と対象の認識を入れ替える事象"だ、ってね。黒い欠片と黒鏃を、ボスが同じ物だと言ったのは本当か?」
「同じ物だ、とは明言していませんよ。彼女は『間違いない』と言ったのです。それに、文言に多少の違いがあるのは当然ですよ。情報の出処が違います。だから私は、使用者が死ぬ事実を知らなかった」
「情報の出処……?」
盲点だった。
黒い欠片のことは組織、ないしボスだけが知っていると思い込んでいたせいで、情報元が別にあるなんて考えもしなかった。
フラッシュは、俺の動揺に気づいていないのか、それとももうどうでもいいのか、静かに頷いた。
「私が知っているのは、つまるところの諸悪の根源に関わるものです。"森居の記録"というものが今の話のソースですよ」
「も……」
森居。
ソンダーダッハの竜が創設されるきっかけとなった存在。過去数十年に及び、無差別に人を殺し続けた悪しき一族。井伊上周作失踪事件の重要参考人。
まさか、こんなところでその名前を聞くことになるとは思いもしなかった。
「まさか、あんたも森居なのか?」
声に思わず力が入る。
この男がもし森居なら、と過った後始末の発想が漏れたんだろう。フラッシュが、背もたれに体を押し付けるようにして身構えたのがわかる。
「お、落ち着いてください。たしかに、私は森居を知っていますし、私たちは親しい家系でもあったようです。
ですが、私個人には無関係です。森居はすでに解体され、両親より先の世代で森居との外家の間柄も終わっているんですよ」
「関係が終わってるって証拠はあるのか」
「今お話した内容もそうですし。森居の記録が存在すること、それ自体をあなたに教えたことが証拠です。もしお望みなら、実際に記録をお見せしても構いません」
フラッシュはこっちに向けていた怯えた目を、一瞬俺の手元に移した。
それで初めて、俺は自分の右手が腰に触れていることに気がついた。その指先に、ザラザラとした滑り止めのついた柄の感触が遅れてやってくる。
「いや、悪い」
そんなつもりはないと知らせるために、俺は両手をテーブルの上に置いた。
「一応訊くけど、あんたが森居と関係があるってこともボスには話しているんだよな?」
「ええ。というより、彼女はすでにわかっていたようですが」
「そうなのか……」
ボスがそういう情報に耳が早いことについては、驚くまでもない。
俺は、あの人がその辺り、人間とかそういうものを超越しているとすら感じている。
意味不明なのが、ボスだ。きっとその解釈は、俺だけでなく組織の構成員で皆同じだろう。
ふ、とため息がもれる。
すると正面のフラッシュの口からも、ふう、とニュアンスの違う息がもれた。
「やはり、妙ですね」
「なんだよ、唐突に」
意味がわからず質問を返すと、フラッシュはまず自分自身を指し、それから俺の方へと指先を移した。
「私とあなたの、この出会いがです」
は?
「出会いもなにも、ここに来るように言ったのはあんただろ。わけのわからないことを言うなよ」
呆れつつも、ふいに発された原点に立ち返るような疑問に気味悪さも感じた。
小馬鹿にして笑ってやるつもりが、思いの外口角に力が入らなかった。
「だから、それも含めてです。あなた方が私のサイトを見つけたことも、そこに連絡をしてきたことも、私があなた方に会う価値があると認めたことも、全て……。
それが運命に設定されるということの意味なのは、わかります。つまりは必然のようなことなのだと。
しかし、だとしてなんのために私たちは……。今、ここに一緒にいることにどんな理由があるのでしょうか?」
「どんな理由もなにも、それだってあんたが言った通りだろ。山台工業が隠しているナニカ、そのことを伝えたかったってさ。俺たちはそのナニカを追うことになるって、ドヤ顔してたじゃないか」
「それは、もちろんそうなのですが……」
納得しながら、それでもフラッシュは小首を傾げている。
「……なにを考えている?」
口にしてすぐ、馬鹿げた質問だと恥ずかしくなった。
自嘲で頬が引きつったのを感じた。
「黒い欠片、黒鏃……。組織にとって重要なことの情報交換は、山台工業と無関係であるにも関わらず、今でなければあり得なかった。そう思いませんか?」
「まあ、そうだけど……」
黒い欠片のことを口に出したことについては、はっきりいってしまえば口が滑ったといってもいい。
ただ、考えてみれば、この男はボスと通じている可能性は事前にわかっていたわけだし。フラッシュがこっち側の人間なのか、確かめる意味にもなった。
全部ひっくるめて、俺は考えるより先に行動を起こしていた、というある種のゾーン状態だったのだろう。
「タイミングが良かっただけだ」
「タイミング……それは、コロさんが出て行ったからでは?」
「それも一つの原因かもね」
「であればやはり……」
ぽつりとつぶやいて、フラッシュはふいに店内を見回しはじめた。
「安心しろよ、ここに監視やらの類のものはない」
「いえ、そうではなく……」
フラッシュはブツブツと言いながらまた視線を巡らせ、そして自分のすぐ右脇に視線を落としたところで動きを止めた。
テーブルの向こう側で、何かを手に取ったのがわかる。
その正体が視界まで上がってくるのを目を凝らして待っていると、
「これが、動き出す時の感覚……」
そう言ってフラッシュはニヤリと口元を歪ませた。
風景のほとんどの色が影に染まり、台頭して光の艶だけが際立つ水面。蠢く波も影と光の二色だけでは止まっているかのように見えて、氷と区別が付かない。
そこで唯一、明確に色を放って在るもの。
天板のニスの艶に赤い色を薄く溶かし、まるで夕日が浮き上がってくるかのようにテーブルの端に姿を覗かせたのは、
「ここが、ターニングポイントです」
あの赤のカードだった。