7話「行くべきところ-3」
ペロと来た日、辿り着くのに一時間ほどかかったこの門までの道のりは、プロの腕に掛かればほんの三十分しかかからなかった。
周りのビークルを追い越す技術もそうだけど、そんなことよりも信号機で停止した回数の少なさが、彼らの仕事っぽい。
「ありがとう」
バイクから降りて、風で固まった前髪をぐしゃぐしゃに掻きほぐす。
「いえいえ」
ミカはバイクに跨ったまま頭を下げた。
目の前の門は閉ざされている。
住宅地だし、もともと人の行き来が多いようなところではないみたいだけど、まだ明るい時間に人の姿がないのは、ちょっと変な感じがする。
彼女ならもしかすると、あえてこういう場所を選んだのかもしれない。
「林理沙は、近いの? 今帰って来てるってこと?」
「それがねえ……」
ミカが気だるそうに言うのが不思議で、わたしは振り返った。
「まだよくわからないの」
思った通り、気だるそうな顔でミカは首を振っていた。
「林理沙の居場所が特定できてないってこと? それなのに、ここへ?」
「いや、その。できていない、っていうかできないっていうか……」
アッシーなら、こんなことにならなかったかもしれない。
やっぱり彼を待つべきだったと思うと、ため息がこぼれる。
「これが、怪しいポイント3なんだよ」
「……どういうこと?」
「林理沙は、デバイスを所持していない。正確には、林理沙のIDが登録された通信できるデバイスをおそらく所持していない、ってとこ。購入記録が無いのもそうだし、通信の記録もない。だから、林理沙本体を追跡することができないっていう状況なの」
ミカは気まずそうに指先で頭を掻いて、「参ったよ」と付け加えた。
「じゃあ、ここにはいないの?」
「だから、わからないんだよ。いるかもしれないし、いないかもしれない」
「つまり、わたしは割高なタクシーを使ったのと変わらないわけか」
「まあ、そう言わないでよ」
ハハハ、と笑う声に元気はないけど、かといってその表情にみえるのは申し訳無さじゃなく、不服さ。
下唇が上唇を覆って、睨むような目でどこかを見つめている。
ミカはたぶん、そういう性格なんだろう。
アッシーの相棒らしいし信用しないわけじゃないけど、頼りにはならない。
ポケットからハディデバイスを取り出して画面を立ち上げると、ペロからの着信通知が貼り付いていた。
その枠の中に、『今どこ?』とおまけのメッセージがくっついている。
ペロに一応到着の連絡を、と思ったけど。なんとなく気が削がれた。
悪いけど。わたしは着信履歴を画面の脇に弾き出して、またデバイスをポケットにしまった。
「動かない情報か動く情報かで、入手難易度ってものが全然違うんだよ。ここの住所みたいに、戸籍やら登記簿を調べればわかることとは違う。たしかに、こういうことはレアケースだけどさ……。それだけ林理沙は、難易度が高いターゲットってことなんだよう」
そう言って、ミカが重苦しいため息を吐き出すのが聴こえた。
「それでもここに連れてきたってことは、なにかがあると思っていいの?」
「なにか、というか。ここしかヒントがないって感じかな」
「ヒント、か……」
何かが引っかかっている。けどそれが、何に、なのかがわからない。
でも、もし林理沙がわたしの思う通りの人なら……。
ぼんやりと浮かぶ想像の傍らで、わたしの足は自然と門へ近づいていた。
――コン、コン
とりあえずノックをしてみたけど、やっぱり反応はない。
かといって、前回のように都合よく家主が門を開けてくれる気もしない。
わたしは扉に触れ、体重を乗せた。
――ぐぅーう……
苦しそうな呻きとは裏腹に、扉は思いの外軽く動き始めた。
その隙間から流れ出す風には、湿った緑の香りが含まれている。追いかけて、サワサワ、と擦れ合う草木の音。
わたしは扉の隙間に体を通した。
クローゼットの奥には、未知の世界が広がっている。そんな物語がいくつかあるの知っている。
たとえば、怪物の世界。たとえば、鼠の魔女に支配された闇の世界。たとえば、剣と魔法の世界。詳しい内容は知らない。
世間と一線を画したここは、きっとそんな不思議で神秘的なイメージの場所だとわかる。
だけど、違う。わたしが感じているのは、懐かしさ。
冷えた空気、湿度、土と緑の匂い。そして、ログハウスと――
「ジープ……」
それがどんなビークルなのかは知らなかった。ただ、『Jeep』のロゴと、四輪でタイヤが大きいことや背面にスペアタイヤを背負っていることを知っている。今目の前にある、この車のように。
彼女――上山宮は、"これ"に乗っていた。
これは、林理沙がおばあさんから受け継いだもの?
違う、今さらそんな風に考えるのは、お門違いだ。
「これが例のビークルかあ……。デザインからいって、今時のじゃないね」
いつの間にか着いてきていたミカが、ビークルをまじまじと見つめてそんなことを言った。
「ジープ、だよ。たぶん、車がビークルって呼ばれるようになるよりずっと前のもの」
「へえ……。じゃあ、アンティークだ。ガソリンエンジンなら走れないだろうし、ただの置物かな。祖母って人の遺品だろうね」
「……かもね」
口からでまかせの相槌が漏れていた。
林理沙は、上山宮だ。少なくともわたしはそう考えている。
根拠という根拠はないけど、見た目や性格、とわたしの持つ上山宮の記憶と林理沙には符合する点が多すぎる。
上山宮だった彼女は、戸籍を変えて生活しているに違いないと思えてならない。
そしてその理由がきっとこの車に隠されている、とも。
迷わずわたしの足は車体の正面に向かった。だけど、あると思っていた"三角屋根のお家マーク"は見当たらない。それこそが彼女の嘘の正体だと思っていたけど、予想が外れた。
でも、だったら本当に山台工業のビークルは存在するということ?
「ねえ、山台工業のビークルって見たことある? 三角屋根のお家マークの」
「山台工業のビークルなんて無いと思ったけど。っていうか、三角屋根のお家マークって?」
「山台工業のビークルを見たって人が、言ってた。山台工業のステッカーだって、だから山台工業のビークルだって」
「それは、違うよ」
ぶるぶるぶる、とミカは何度も首を横に振った。
「山台工業のロゴは、『sanday』。文字が山なりに描かれているだけだよ。もし、山台工業製のビークルなんてものがあったとしても、ひと目でわかるシンボルを作る時点で、家とは無関係の山台工業がアイコンにするはずがない。三角屋根のお家ってのがどんなのか知らないけど、文字がないなら違うだろうね」
「そうなの?」
「間違いないよ」
だとすれば、やっぱり林理沙は嘘をついていたことになる。
それならニセフラッシュは、ホンモノ?
じゃあ、あの逃げた男の人は、誰?
一つの事実が明らかになったことで、別の謎が増える。
この深みにハマる感覚。だから、わたしは正解に近づいていると確信できる。
こみ上げる嬉しさを噛み殺して、わたしは髪をバサバサと乱した。
心を落ち着けるために、長く深呼吸をする。
ニセフラッシュのことは、ニセフラッシュに確かめるしかない。逃げた男の人についても同じだ。その辺りは、ペロに期待するとして。
今わたしがするべきなのは、上山宮がなぜ嘘をついたかを調べることだ。そのためにわたしはここへ来た。
林理沙ないしたぶん上山宮の嘘が、『RED HAIRS』と無関係だとは不思議と思えない。根拠はないし、それは勘というしかない。
でも。クラブ然り、秘密兵器然り、『RED HAIRS』を調べようとしてここに辿り着いたんだ。根も葉もなくても、その事実がわたしにとっての根拠になっている。
たぶんわたしは、『運命に設定された』というニセフラッシュの意見を無意識に信用している。
わたしが抱く疑問が、先へと進むカギになっているはずだって信じたいから。
「嘘を信じる、か……」
現状、嘘として正しいのは、実は山台工業のビークルが存在しない、ということ。
なら、三角屋根のお家マークも?
「三角屋根の……お家?」
思い立って、そばに建つ家に目を向けた。
黒光りする瓦葺き風の屋根は、たしかに三角形をしている。だけどその三角が際立っているとはいえない。三角を乗せた屋根、といった感じだ。
この家を三角屋根のお家と呼ぶには、それ意外のパーツが多すぎる気がする。
三角屋根がシンボルだとすると、もっと単純なものになるはず。
もっと具体的なイメージが欲しい。そう考えるのと同時に、ハンディデバイスを立ち上げていた。
呼び出すのは、ビーヴのアプリ。現れた検索バーに、『三角屋根 家 画像』と打ち込む。
映し出される『三角屋根』の検索結果の画像には、予想通りというべきか、目の前にある家のような複雑な形状の三角を乗せた屋根はない。
ほとんどが、底辺に直角がある五角形の建物ばかりだ。
するとそこに、見つけた。
「ログハウス……」
偶然じゃない。
彼女の嘘は、わたしに残したメッセージだ。
◆
林理沙の家には、鍵が掛かっていなかった。
家具が残されていて、食器や電化製品みたいな生活に必要なものが丸ごと残されていたけど、箪笥の引き出しがいくつか空になっていて、金品の類と靴が一足も見当たらなかった。
それをもぬけの殻というのは少し違うかもしれないけど、少なくとも彼女が戻ってくるつもりがないのは明らかだった。
まるで、どうせ何もないから勝手にどうぞ、とでもいうような状況。そこに、性格が悪い、という上山宮の記憶と食い違いはない。
だからわたしにとっては想定内のことだったけど、ミカはがっかりしていた。
「出し抜かれるなんて……くやしい……。宇宙一の運び屋の名折れだよう」
それが理由らしい。
それで意地になってくれたおかげで、「林理沙の件に関しては、一切請求しない。なんでもいいから、彼女の情報を知りたいの。少しの間、同行させて」、ということになった。
「だったら早速だけど、長野県に連れて行って」
「長野? 山梨じゃなくて?」
「山梨の家は、違う気がする。ヒントは、三角屋根の家だから」
「三角屋根……。ま、いっか。とにかく行ってみよう」
上山宮と長野県に繋がる記憶はない。上山宮の名前と繋がるのは、あくまで山梨県の山奥というフレーズだけ。
それでも、わたしの脳は『長野県の森の中の別荘地』という場所を連想した。
そこには、三角屋根のありがちなログハウスがある。住んでいるのは、やっぱり女。
それが、上山宮かどうかはわからない。だけど、上山宮が"三角屋根のお家"をメッセージとして残したんなら、この連想が全く無関係なはずがない。
ミカいわく、「たしかに、山奥の家は甲府のものと似てるから、三角屋根って感じじゃない」らしいことを踏まえれば、ほぼ間違いないだろう。
次の行き先は、決まった。
◆
彼をを思いだしてからわたしの様子がおかしい。
彼を感じると猛烈に襲ってくる寂しさ、懐かしさ。今まで呼び起こされることのなかったわたしではないわたしの感覚が、少しずつはっきりとしてくるのを感じていた。
これは、いわゆる解離性同一症というものなんだろうか。
ペロと出会う前――記憶を失う前のことを含めれば、わたしには少なくとも三人分の人格が存在することになる。
今のところ負担ではないけど、いずれそうなるのかもしれない。
そのことも少し不安だけど、それよりも……。
そもそも、わたしは初めからわたしだったんだろうか。
記憶を失ったんじゃなく、わたしは『RED HAIRS』を調べることで始まったんじゃないんだろうか。
単なる好奇心だと感じているものが、実はわたしの中の別のわたしのために用意された使命だってことはないだろうか。
だとしたら、わたしは運命に設定なんかされていないのかもしれない。だってわたしが在る意味は初めから、世界から逸脱しているんだから。
考えてもどうしようもない疑問が、頭の片隅で成長し始めている。
結局どのわたしだろうが、わたしはわたし。わたしじゃなくても、わたしだ。
わかっているのに、どうしてかわたしの疑問は止められない。わたしが触れられない位置で、誰かがわたしを操っているかのように。