3話「監視する者-2」
自らを疑われる質問に、フラッシュは表情を変えず首を横に振る。
「何者か、は。フラッシュだと言っています。それ以外の何者でもありません」
「そういうのはもういいんだよっ」
突如ペロが声を荒げる。
「あんたがサイト主じゃないことはわかってる。だとして、どうしてそんなに山台工業に詳しいのかが謎だ。だから、サイト主から聞いたんだろ? そいつとあんたとの関係はなんだ、教えろ」
詰め寄られ、フラッシュは「やれやれ」とかぶりを振った。
「あなたが知りたいのは、私自身のことではないでしょう? 山台工業の真実を知るのに、そんなことはどうでもいいはずです」
「そうはいかない」
ペロは大きく首を横に振った。
「話の内容にいくら現実味があっても、話している本人がわけのわからない奴である以上、俺たちは信じることができない」
「…………」
そうですか。
呆れるように呟き、フラッシュはふーと長く息を漏らした。
「それもそうですね。では、私が何者なのか、もう少しだけお話します」
ゴクリ、と固まったままのペロの喉から音した。
「まず、あのサイトは紛れもなく私が作ったものです。そこに嘘はありません」
「だから――っ」
と、ペロが言いかけた言葉に、フラッシュは手のひらをかざす。
「私の実年齢は、五十二です」
「俺を、バカにしてるのか?」
「嘘ではありません。三十で山台工業に転職し、三十六の時に死にました。いえ、殺されたのです」
フラッシュが言った瞬間、ペロは立ち上がりその胸ぐらを掴み上げた。
衝撃で倒れた空のカップがテーブルの上を転がる。
「いい加減にしろよ」
「いい加減もなにも、これは事実です。単純な話ですが、サイトの更新日が偽りなのですよ。もちろん、書き込みに対してもです。考えなかったのですか?」
「……考えたに決まってるだろ」
「では、なぜあなたはこれほどに怒っているのでしょうか……。まさか、嘘が嫌いだから、とかではないですよね?」
男の言葉を受けたペロの手から力が抜け、開放されたフラッシュはさり気なくネクタイを直した。
そのまま、どさっとソファに腰を下ろしたペロを追う目線、若干歪んだ瞼には憂いのようなものが感じられる。
「……阿良が殺されたのは、彼が狩役の――山台工業の秘密を知っていたから、というだけではありません」
ペロの様子を真っ直ぐに見つめ、フラッシュが言った。
「また、秘密……」
力なく項垂れたペロが、こぼすように言葉を返した。
「ええ。彼は、私に『これを話せばお前も殺される』と言っていました。それでも、阿良は山台工業のその秘密を話さなければならなかった」
「ああ」
気のない相槌をし、「それで」とペロは促す。
「ナニカ、です。阿良は、『狩役はナニカを破壊するために、"グルーオンコントロール"の開発を目論んだ』と」
「グルーオン、コントロール……?」
「はい」
フラッシュは、すとん、と落としたものが型にはまるような反射的な肯定をした。
「その技術は聞いてそのまま、グルーオンをコントロールするものです。極端にいえば、物質そのものの在り方に変更を加えられる可能性があります。転じて、万物を確実に破壊可能、ともいえるということです」
「ちょっと待て……」
ペロがわずかに顔を上げる。
「グルーオンは、素粒子だ。それをコントロール? グルーオンに似たものを生み出すってことか?」
「いいえ、グルーオンそのものをコントロールするのです」
またか。
吐き捨てるように言い、「くだらないね」とペロは天を仰ぎ、
「けどまあ、ヒミツヘーキ、だからな」
そして、ふん、と小馬鹿にしたように笑った。
対して、フラッシュの口元にも引きつったような笑みが浮かび、「想像よりも随分と……」、とそんなことをつぶやいた時だった。
「ペロ」
これまで黙っていたコロが、「わたしは、ちゃんとこの人の話を聞きたい」、と静かに言った。
天井に向いていたペロの視線がゆっくりと、彼女に向かって降りてくる。
「でも、どうせ――」
何か言いかけたペロの言葉を断ち切るように、コロは首を横一閃に振る。
「わたしは、別に真実を探してるわけじゃない。ただ、知りたいだけ。情報が新しいなら、ウソか本当かなんてどうでもいいじゃん」
なんか変だよ、ペロ。
と、コロがポケットに手を入れた瞬間、
「おい」
ペロは制止するような声を発したが、コロは取り合わなかった。
赤のカードを右手にかざし、
「秘密兵器の名前――"レッドヘアーズ"に由来は?」
そう言って彼女はすぐ隣の男を見る。
フラッシュは訝しげな表情を浮かべた。
「名の由来ですか。そこに意味はありません、どうでもいいことですから」
ですが、と言葉を切る。
「強いて言えばただ単に、秘密兵器だ、とするよりも現実味を感じられるからです」
「そのグルーオンコントロールの装置が赤い色をしているとか、何台もあるからじゃなくて?」
コロの質問にフラッシュは、目線を斜め上に伸ばし、「そうですね……」何事か考え込む素振りを見せる。
「少し説明させてください」
うん、とコロは頷いた。
「そもそもグルーオンコントロールは、過去時点では実現不可能なものでした。つまり、成り立ったのは理論だけであって、実験の段階にも進展はできなかったのです。
理由は、その膨大となる力を保管できるだけの"入れ物"がなかったからです。元々は、そのために私たちは三つの新技術を生み出したのです。それが――」
機体Ω。
と、その答えはコロが引き継いだ。
フラッシュが頷く。
「と、なった……といのが正しいでしょう。だから当時、機体Ωの発売を知った時私は、まさかグルーオンコントロールが完成したのか、と驚きました」
「ってことは、まだ完成していない?」
「おそらくは」
瞬きと共にフラッシュの首が縦に引かれる。
「件の技術の主任は、私でした。当然ですが、阿良から狩役の目論見を聞いたことで、開発は中断しました。とはいえ、ラボの技術者であれば私が残した痕跡から完成形を導き出すことは不可能ではないでしょう。
だとしても、です。それを大量に、しかも機体Ωに組み込めるだけの練度に至らせるには早すぎます。つまり、まだグルーオンコントロールは完成していないと予想します」
なるほどだけど。とコロがカードに目を落とし手元で遊ばせる。
「それで、グルーオンコントロールとレッドヘアーズの関係は?」
ふるふるとフラッシュは小刻みに首を振る。
「先ほども言いましたが、意味はないのです。グルーオンが色荷を持つ関係から赤色が無関係ともいえませんが、それでもイメージとは異なります。たとえば、その効果は毛髪のようだともいえなくはありませんが、やはり違うでしょうし」
肩をすくめるフラッシュを怪訝そうに見つめるコロ。
「……だからどういうことなの?」
「……よく覚えていない、といえば満足しますか? しかしもう何年も前のことです。特段大切なことでもありませんし、当時なにを考えていたかなど覚えている必要はないでしょう」
片頬を釣り上げ、ぎこちなく笑うフラッシュ。
コロはつまらなそうに鼻から息を漏らした。
と、彼が横目に向けたコロの手元で一瞬、それはキラリと輝いた。
フラッシュの目が、くく、とわずかに剥く。
「それは?」
「もらった。おじさんから」
「見せてもらっても?」
うん、とコロが答えてカードを目の前に差し出されてから、フラッシュは膝の上に置いていた手を伸ばした。
それは、光にかざすと文字がよく見える。
コロが伝えるよりも早く、フラッシュの体は半身になって窓を向いていた。
「これは……」
カードの中に浮かび上がる文字を見つめ、愕然と声をもらすフラッシュ。
「偶然……でしょうか」
「普通に考えれば、そうだと思う。けど、少し変」
「変、というと?」
「"もう一つの"レッドヘアーズもそう。本当は名前なんてないのに、ウェブではレッドヘアーズの名前が付けられていた。あなたの場合は忘れちゃったみたいだけど、やっぱり秘密兵器とは関係ないみたいだし……」
変でしょ。とコロは肩をすくめ、フラッシュの手からカードを取った。
「偶然とは思えない……ですか……」
つぶやきながら、フラッシュの目がちらとペロに向く。
互いに目が合うと、ふいにフラッシュは声を上げて笑った。
「なんだよ」
不機嫌そうなペロの声が、笑い声に混じる。
すると、ハ、ハ、と余韻を響かせ、フラッシュの声が止んだ。
「やはり、間違いない。あなた方は"ナニカ"に向かうのですね」
そう言う声は、やけに楽しげで弾んで聴こえる。
「ナニカ……っていうのは、山台工業が破壊しようとしているナニカだろ? なぜ俺たちがそんなものを知らなきゃならない? 今さらだけど、俺たちが知りたいのは山台工業のビークルだ。むしろそれが本題――」
だった。
そう言って一呼吸置くと、ペロの眉間に刻み込まれていたシワが解ける。
そうしてどこかぼーっとした顔のまま、瞼を落として小さくかぶりを振った。
「そういえば、そうでしたね。山台工業のビークルです」
くすくす、とおかしそうにフラッシュがまた笑う。
「で、あんたはなにか知っているんだろ?」
「ええ、まあ」
ほとんど表情に変化がなかった男の顔には、まだ笑顔が浮かび続けていた。
曖昧な返事と相まって、その顔はどこか小馬鹿にしているようにも見える。
「とはいえ、これはあくまで可能性として聞いてほしいのですが……。あなた方の言うビークルは、そもそも存在しないかもしれません」
「それは、どういう意味だ?」
「そのままですよ。物理的に存在していないのではないか、といことです」
「そんなはずはない。俺たちはたしかに……」
そこまで言いかけて、ペロは言葉を飲んだ。
再び口を開いた口からこぼれるのは、「もしかして」。
「……嘘、だったのか」
「その可能性は大いにあるでしょう」
フラッシュは軽く顎を引いた。
「ただ、私も山台工業の全てを知っているわけではありません。どこかでそういったものを作っている可能性はあります。が、少なくとも私は知りません」
「……だったら、あんたはなぜここに? 山台工業のビークルが存在しないって、わかっていたんだろ」
「ええ」
フラッシュは、ペロの質問にひとつ頷き、
「私にとってはどうでもいいことだった、ということです。ビークルでなくても別に」
どういう意味だ、とペロは質問するのと同時、
「じゃあ、図面は? そのことについてメッセージを送ったのに、あなたはなにも返事をくれなかった」
コロが声を被せた。
「図面、ですか。あれは、小さな工場が開発していた玩具の一部ですよ。大したものでもありません。単に調べ物をする人間では理解できないでしょうが」
くく、とまたフラッシュがおかしそうに笑うと、彼の発言に注目していた二人の顔に驚愕が浮かぶ。
「いわゆるブラフです。ふるいにかけるための、です」
「ふるい?」
「ええ。サイトに書かれていることがどうであれ、ああいったものが残されていれば、大概の人の目はそこに集中します。当然、連絡内容もそこに沿ったものになるものでしょう……」
フラッシュは、ちらとペロに目線を送り、「あなた方も、そうだった」、と微笑む。
だから、返信の必要を感じなかった。
「そもそも私にとって重要なことは、山台工業の真実に近づこうとするかどうか、です。図面についての意見は、図面が気になっているだけ。そこにある理解困難な複雑な物事の真相を知りたい、知ってみたい――その程度のことでしょう。
ですが、真実は違います。真実はあくまでシンプル。だれにでも理解できる結果だというのは、冷静に考えればわかることですよ。つまり、訊くまでもなく、まずは考えるべきことでしょう」
ただ。とフラッシュは言葉を切る。
「単純には近づくことができない――いえ、だから遠いと気がつくもの、でしょうか。真実とは、やはり虹の根元のようなものだということです。
光の屈折、角度、色……そんなものはどうでもいいこと。虹の根元の真実とは、厳密には存在しないこと、と辿り着いてしまえば、答えは至ってシンプルなのです。
それがなぜか理解できなくなってしまう。その理由は、虹が"生えている"という在り方が前提となっていることに気が付かないからだと私は考えます……」
前提。
と、フラッシュはまた独り言のように繰り返し、
「非常に厄介なものですよ」
ふっ、とひと息分だけ笑い飛ばした。
「虹は、光学現象です。目に見えているものを、仮に"虹"として認識しているにすぎません。その事実に気づくきっかけが、水撒きだったのか、滝壺だったのか、それとも雨上がりだったのか――それはわかりません。
ただもし、そういう気づきを得た者がいなかった場合、人類は今もなお虹の根元を想像し続けていたかもしれない。その、前提のせいで、です。恐ろしいとは思いませんか?」
フラッシュがコロに顔を向け、目で促す。
「わたしは別に、怖いとは思わない。謎なんて当たり前だし、前提でもなんでも、疑問に思う人がいるからそうなるだけ。それを怖がる意味はよくわらかない」
「そうですか」
頷き、フラッシュは次にペロの方に顔を向けた。
ペロは、まずゆっくりとかぶりを振った。
「あんたがなにを言いたいのか、わからない。前提は、物事の土台になるものだ。それがあるから疑問を抱けるし、そうやって人は進歩してきたんだ。だから、怖い怖くないって考え自体がお門違いだと思うね。あんたのその恐怖は、そう考えてみれば、っていう結果論、感想でしかない。くだらないね」
ペロが言うと、フラッシュは瞼を歪め「ほう」と唸った。
「少し意外……ですが、まあいいでしょう」
発言に、ペロがわずかに首を傾げる。
「なんにせよ。やはりあなた方は、言うところの"前提に疑問を抱ける人"だというところに間違いはなかった。それがつまり、図面に関する私の知識ではなく、私が持つ山台工業の知識を引き出そうという行動を生んだのだと理解しておきましょう」
訝しむ表情を口元に残したまま、ペロは「そうかい」と言った。
「で、俺たちはあんたのお眼鏡に適ったんだろ。いい加減、まともな情報をくれよ。昔話やら結果論やら感想じゃなくて」
「まともな情報、というところがよくわかりませんが……。ビークルが彼女の嘘かもしれない、とお伝えしました。それから、秘密兵器のレッドヘアーズという名前には意味がない。図面はブラフです。それ以上、なにか余計に知りたいことがありますか?
先に言っておきますが、私がなにを話しても話さなくても、あなた方は、山台工業が破壊を目論む"ナニカ"へ向かうことになりますよ」
それだ。
と、ペロがフラッシュを指差す。
「どうしてそうなる。あんたは、ナニカの正体がわかっていない。ビークルのことだって真偽は曖昧なままだ。それなのに、そういう運命じみたことについてだけは断言する。その理由を教えてくれ」
真っ直ぐに向けられる視線を受け、フラッシュは溜めた息を長く吐いた。
「理由、ですか。であれば……」
そう言って、フラッシュは焦らすようにコーヒーカップに口をつける。
唇で空気と液体が混ざり、些細に爆ぜる音が静かな店内にやけに際立って聴こえる。
こく、と喉を鳴らすと間を置かずフラッシュは口を開いた。
「あなた方は、"運命に設定された"可能性がある」