8話「無名のオークション-3」
午後六時。
数時間かけて駐車場内とその周辺を探し回っても、ビークルは見つからなかった。
いずれ行く宛もなくなり、ペロが疲労困憊したようすでアジトに戻ってくると、船にはすでに明かりが灯っていた。
見慣れた光にはたと顔を上げるなり、ペロはまたスロープを、階段を駆け上がる。
最上階まで上りきったペロの視線の先、操舵室の扉の窓から白い光が溢れている。
ペロは、その扉を突き飛ばすようにして室内に突入する。
彼の足元を、冷えた空気がとろりと床を流れていく。
「コロ……」
乱れた呼吸の間に、ペロが彼女の名を呼ぶ。
コロは、ソファで仰向けになっていつものように赤いカードを透かしていた。
上体を起こし、
「おかえり。遅かったね」
平然と言う。
「お、おまえなあ……。どこ行ってたんだよ」
部屋の中へ足を進めつつペロが目で不満を訴えると、コロは「それ」と言ってダイニングテーブルを指差す。
不満顔のまま、ペロが彼女の指先に従って顔を向けると、
「これ……」
それだけ言って絶句した。
テーブルの上には、"アレ"が置かれている。
見た目は日本刀のそれ。刀身は鞘に収まっており、見るからに短い全長からして一般的な打刀ではなく脇差に違いない。
柄の色も、鞘の艶も同じ。数時間前、画面の中で横になっていたものが、実体となってそこにある。
「落札、おまえが……?」
うん、とコロが頷く。
「たぶん、見ていたんだと思う。声も聞こえていたのかもしれないけど、みんな同時に話したら聞き取れないし。上手くいってよかった」
そうじゃなくて。
軽く首を横に振るペロの顔から表情が消える。
「これ、落札できたのか? 支払いは?」
「普通の買い物と一緒。指定の口座にマネーをアップロードしただけだよ」
「杜田治郎に払ってもらったんじゃなくてか?」
「わたしの紹介者はペロだから、その人は関係ないじゃん。落札承認の連絡が来て、乗ってきたビークルに戻れって書いてあったからそうしたの。あとはただ係員に言われたとおりにしただけ」
「それをなんで黙ってたんだよ」
「だって、言ったら買わせなかったでしょ?」
「当たり前だろ。もう言ったけど、こんな高額なもん買えるだけの資金はないからな……」
だから、ありえないんだよ。
ため息まじりに言うペロ。
その発言にコロの表情が怪訝そうに歪み、首が少し傾く。
「でも、アップロードは上手くいったよ。こうして刀も手に入ったのに?」
「どうして……」
ペロの口から悩ましげにつぶやかれた一言は、コロに向いているようには感じられない。
ペロは項垂れて下に向いた視線に割り込ませるように、ハンディデバイスを取り出した。
自身のMVGI(貨幣価値保証機関)口座に接続し残高の画面を開くと、ぐぐぐ、とペロの瞼が押し上げられていく。
彼の目に映るその残高の値が大きく変わっていた。
続けざま、その入金者を確認した途端、
「見ていたんだ……」
辻褄の合わないことを言い、はたと顔を上げるペロ。
その表情には陽が差している。
「コロ」
窓の向こうを眺めたまま名前を呼んだペロが、一度だけ目元を拭うのをコロは見ていた。
「なに?」
「おまえは、正しいことをしたみたいだ」
「この買物が、ってこと?」
「ああ、そうだよ」
振り返ったペロは微笑を残したままそう言って、呪いを謳われる刀を手に取った。
鞘を握り、肘に力が入ったかと思うとすぐ、「おっ」と唸って手を止めた。
「固いな、これ。もしかして、錆びてるのか?」
ペロは独り言のようにいって、再度鞘を抜く手に力を込める。
瞬間、ピキ、と乾いた音が鳴り、また慌てて手を止めた。すると。
「大丈夫、壊れないよ」
コロがそう言ってソファから立ち上がった。
「試したのか?」
「ううん、ペロを待っていたから。でも、知ってる。それは、簡単に錆びたり壊れるような代物じゃないよ」
「知ってる? どこで」
気が逸れたペロに、「いいから、まずは抜いてみて」とコロが急かす。
不承不承といったようすで、ペロはまた鞘に抜く手に力を入れた。
ピキ。
ピキキ。
鞘の内部で何かが剥がれるような音がし、徐々に柄と鞘の口が離れていく。
そしてさらにペロが力を入れた途端、
「――うっ!」
刀身が勢いよく飛び出す。
突然抜けた勢いに振られ、ペロが姿勢を崩した。
危うく刀ごと振り回しそうになった体を立て直すと、ペロはほっと息をついて全体が晒されたその姿を見つめる。
その金属の色は、白。
周囲に満ちる蛍光灯の光を余すことなく吸い込み、そのせいか刀身の周辺はどこか薄暗くすら感じられる。
そういう奇妙な陰影も相まって、刀身部分は全体的に白く靄がかって見え。雲のように曖昧な輪郭の刀身と錆びたはばきと柄との間には、現実と夢との境目を具現化したような不可思議な色の違いがある。
「銀の刀……」
美しい白刃を見つめ、息が抜けるように言うペロ。
すると。
「違うよ。それは、銀じゃない。隕石だったはず」
ペロが徐ろにコロに近づく。
「隕石……って、まさか"流星刀"か!?」
ペロの目がぎょっと見開いた。
「リュウセイトウは、知らないけど……」
きれい。
言いながら、コロはそっと刃に触れた。
「これの場合、隕石とはいっても、よくある鉄とかニッケルとかだけじゃく、完全に未知の成分を含んでいたはず。だけど、硬すぎてサンプルが採れないから、詳しくは調べられていなかった、気がする」
「へえ……そうなんだ……」
気のない相槌を打つペロの目線がコロに向く。
「で、コロ」
「なに?」
「どこで、これのことを知ったんだ。もしかして、記憶が戻ったのか?」
「記憶は……」
コロは首を横に振った。
「本当に、知っているだけ。どうして知っているのかもやっぱりわからない。だけど、これについては誰が持っていたか、わかってる」
こくりとうなずく彼女の顔を、喉を鳴らしてペロが凝視する。
「上山宮。彼女は山梨県にある山に住んでいる――」
◆
山梨県にある山。
コロの言うような場所は、山梨県に関わらず日本中無数にある。
その中にたった一人の人物が住む家を特定するなど、たとえ個人の名前がわかっていたとしても相当困難だというのは、想像に難しくない。
あくまで一般的な人々ということであれば、一生かけて見つけれれない可能性だったあるはずだ。たとえ見つけられたとしても、通常何ヶ月という期間をかけるのは当然ことだろう。
『だけど、Don't worry! 我々は、お客様の"大切"を必ずお届けします!』
いかにもな安っぽいキャッチコピーを掲げる、彼ら超運送社"ドントウォーリー"であれば、いかなる探しものでも瞬時に見つける。
彼らには、そう"お墨付き"がされている。
そのため、報酬は高額だ。
支払いは前払い。配達は、基本料金百万から。さらに、送る荷とそれらのケアの具合や保管期間によって、担当するスタッフそれぞれが明記する料金表に従い加算される。
それとはまた別にチップの概念が存在し。これについては払うも払わないも依頼者次第だが、金額はスタッフの機嫌、もしくは信頼に直結するため、最悪ドントウォーリースタッフの誰も依頼を受けない、という事態も起き得る。
総合してドントウォーリーの配達料は相場で五百万から、とされる。
そんな配達とはまた別に、ドントウォーリーが提供できるもの。
それが情報だ。
非常な高精度を誇るサービスであることから、依頼者が利用するためには、ドントウォーリースタッフからの信頼によって可否――というか有無の証言から異なる。
利用料金は、特定される情報となるものの重要度による。
情報は口頭のみでの提供、支払いは配達と違って提供が絶対ではないため、後払いとなっている。
ただし、世間に名の知れたVIPから、世間に出てこないVIPだったり。失踪者、現在の死者、それから秘密の地下室なんてものも、現実社会に存在するものであればなんでも必ず特定する、という点は配達同様に絶対だ。
そういった情報屋としてのライバルと呼べる組織はいくらか存在するが、ドントウォーリー最大の売りは、特定にかかる早さだ。
大枚はたいて数ヶ月、年単位で時間を必要とする個人の特定であっても、ドントウォーリーの手にかかればわずか数分か、長くても一日二日で完了する。
それほどに高速高精度な個人の特定が可能なのは、つまるところドントウォーリーが存在してはならない存在だからだ。
ドントウォーリーからの返事は、十一月二十六日午後七時を少し回ったころにあった。
そこでペロに告げられた金額が無料だったのは、『リストで検索したらすぐにわかったよ。ただの一般人だ』からだ。
『上山宮は、すでに死んでいる。五十年前の五十の時、死因は心筋梗塞。その山奥の家には百年近く前から住んでいたみたいだな。上山宮の死後、家は当時二十五歳の娘上山ミズホが引き継いだ。それからしばらくは住んでいたみたいだが、二十五年前に甲府に家を買って、それからは無人だ。
ちなみに、引っ越しからほどなくして上山ミズホも病死した。今、甲府の家には彼女の娘――つまりは上山宮の孫のハヤシリサって女性が住んでいることがわかっている。住所が必要か? それとも配達しようか?』
アッシーの提案にペロはコロを横目に見てから、「住所を教えてくれ」と答えた――。
翌日。
都内のアジトから、ビークルを約一時間ほど走らせた場所。
上山宮の孫だという人物『林理沙』の自宅は、いくつもマンションと一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅地の一角にあった。
他の一般的な一軒家が構えるものに比べて一段高級な門塀。敷地の広さこそ隣家より割と大きい程度だが、奥に見える入母屋造りの屋根からして家屋は明らかに豪奢であるといえる。
「やっぱり、門はこうだと思う。このほうがしっくりくる」
閉ざされた門戸の前に立ち、コロが感慨深げに言った。
その脇でペロは、門戸の付近をつぶさに観察しながら、
「それでどうだ。ここに見覚えは?」
コロは「ない」と首を横に振った。
それからも少しの間、ペロは門戸の周りをうろうろとしたあと、
「呼び出しのベルってないのか?」
ありそうなものが見つからないことに首を傾げ、木製の戸を遠慮気味に叩いた。
しかし反応はない。
「留守か……。まあ、アポイントも取ってないし。そういえば彼女が仕事をどうしているかも聞いてなかったか」
とりあえず待つか、とペロが嘆息混じりに踵を返そうとした時だ。
ゴッ、と門の奥で音がし、ぴったりと合わさっていた中央部が裂けて戸の片側が押し開かれていく。
そうして特に音もなく中途半端に開かれた向こう側から、肩にバッグを引っ掛けた濃い化粧の女が体半分を覗かせた。
女は、そこにいる男女二人を足元から舐めるように見つめると、
「どちらさま?」
訝しげに眉根を寄せて訊いた。
「突然すいません」
およそ反射的に、といった早さでペロが会釈する。
「結城翔平って言います。その、上山宮さんはご存知ですよね?」
「一応、祖母ですけど……、なんなんですか?」
依然不審者を見る眼差しの変わらない女に対し、ペロは大げさに、ほっ、と息をもらし笑みを浮かべる。
「少し訊きたいことがあるんです。お時間は……」
と、徐ろにバッグ向けられたペロの視線に気づいた女は、唸るように低く嘆息し、
「十分だけなら」
どうぞ。と女は再び門の奥へ戻り、ペロとコロが後を追って敷地の中へと足を進めた。
門をくぐった正面には、外から屋根だけ見えていた家屋が鎮座している。
目の当たりにすればおよそ想定内といった豪華さで、家主の人物像が透けて見えるようである。
家屋の手前一面は、薄青色の石畳が敷き詰められており、そこには一台のビークルが止められている。
建物の側壁から敷地を囲う塀に向かって、仕切るように扉のついた竹垣が設けられており。奥に垣間見える鬱蒼とした濃い緑色の集団からは、さわさわ、とさながらささやき声のように音が聴こえてくる。
すたすたと家屋に向かって進んでいた女は、石畳の真ん中辺りで徐ろに立ち止まり、くるりと二人を振り返った。
「門を閉めてもらえるかしら」
女の声に反応したコロが門まで戻り、戸を閉める。
「それで、お話というのは?」
怪訝な、というより最早嫌悪するような表情を浮かべ、女が言った。
忙しいところ本当にすいません。平謝りを重ねたあと、ペロは「失礼ですが、林理沙さんですか?」と訊く。
「ええ、そうです」
女は頷いた。
「よかった。聞きたいのは、刀のことなんです。話すと長くなってしまうので端的に言いますが、僕たちはそれを探しています。それで、所有者が上山宮さんだと訊いて、そちらでお話をと思っていたんですが、すでにお亡くなりだと……」
ペロが状況を説明すると理沙は、ふう、とかすかにため息をつくような息を吐いた。
「すでにもなにも……、祖母が亡くなったのはもう何十年も前のことです。私は顔も覚えていませんが」
厳しい声色とは相反してしおらしく理沙は首を傾げた。
「そういうわけで、あの人のことについて私は当然なにも知りません。それで、刀……ですか? あれなら、他のガラクタと一緒にしばらく前に売ってしまいましたよ」
「売った……、そうでしたか。その、売った先は業者ですか?」
「ええ、そうです。よくある骨董品の買取業者だったと思いますが、それも私ではなく母がしたことなので。よくはわかりません」
買取業者、という言葉にペロの片眉がぴくりと反応する。
「その業者の名前とかわかりますか?」
ですから、という理沙の声には若干の疲れが窺える。
「母がしたことなので、私はわかりません。当時私は学生でしたし、離れたところに一人で暮らしていましたから」
「なるほど。じゃあその、しばらく前、というのはいつ頃のことですか?」
「二十年以上前です」
「ということは、もしかして――」
ペロが言いかけた言葉を、「あの」、と理沙の苛立った声が阻む。
「もういい加減にしてください。さっきから、なんなんですか? 突然現れて根掘り葉掘り……。どうして、私が祖母の遺品の売った話をしなければならないんです。私には関係ないと言っているのに。あなたたち、いったい誰なんですか」
「いや、その……すいません」
気まずそうに顔を歪ませ、ペロは頭を下げる。
「もう帰ってください。これから用があるので」
腕を組み、厳しい表情を浮かべる理沙からは、言わずもがなこれ以上の質問には答えない、といった気配が窺える。
察したように、ペロはもう一度平謝りを口にして腰を折った。
もう帰るぞ。
ペロが無表情のまま突っ立っているコロに声をかけ、踵を返した時。
「盗まれたの」
コロの口から飛び出た言葉に、理沙は首を傾げ、浮かんだ厳しい表情の意味を変えた。
対してペロは口を半開きにし、コロの唐突な行動に呆然としている。
「は?」
「刀は、盗まれた物。盗難品。警察から、だれかが盗んだ」
突きつけるように並べられた言葉に、
「け、警察……?」
目に見えてうろたえた理沙はまた、「は?」、と声をもらした。
「だから、あなたのお祖母さんは泥棒かもしれないってこと。それに、あれは人を殺した凶器として保管されていたわけだし。盗んだ犯人がお祖母さんじゃなかったとしても、そんなものを持っていたら面倒なことになるよ」
「そ、そんなこと言われても知らないわよ。っていうか、どうしてあなたがそれを知っているわけ? まさかあなたたちが警察とかいわないわよね?」
ぶん、ぶん、とコロが頭を左右に往復させ、
「それは言えない。でも、あなたの祖母さんが犯罪者かもしれないってことを知っていて、わたしたちは刀がどこにあるのか探しているの」
説明がてら、じっ、とコロは理沙を見据える。
向けられた視線に弾かれたかのように、理沙の視線が逸れた。
「刀のことを知らなくても、その買取業者について知っていることはない?」
「それは……」
ふいに口ごもる理沙に、「お願い、教えて」とコロが詰め寄る。
理沙は苦々しい表情を浮かべ、無言のまま睨みつけるようにコロを見つめた。
「わたしたちは、刀のことが知りたいだけ。あれが盗まれた物だとか、警察が探している、とか。そんなことはどうでもいいの。だから、ヒントだけでいい。教えて」
理沙と似たような厳しい表情だが、コロに浮かぶそれは、彼女の口から真実という剣を引き抜くべく湛える、その真剣さだけを訴えているように感じられる。
相対して、理沙は押し潰されるように瞼を落とした。
「クロイソ……。祖母の遺品を買い取ったのは、クロイソアカンド、という男よ」
「クロイソアカンド。それが、クラブの……」
「クラブ?」
ふいなコロの発言に改めて眉間にシワを寄せる理沙。
漂い始めた微妙な雰囲気の間にペロが、ずい、と一歩近づいた。
「その、アカンド、っていうのはずいぶん変わった名前ですね……。さっきは業者と言っていましたけど、会社の名前っぽくはないようですが?」
「……ええ、まあ」
うん、と理沙が顎を引く。
「応対していた母におかしなところがあった記憶はありませんし、会社の名前は私が忘れただけだと思います。ですが、名前は変わっていたので……。それに真っ黒で見るからに怪しかったというのも、そう。でも、それよりも彼が帰ったすぐあとに見かけたビークルが珍しかったので、なんだったのかと……」
「珍しかった、というと?」
「三角屋根のお家マーク、ですよ。フロントガラスに貼ってあるシールに、山台工業のロゴが入っていたんです。救急なんかだとわかりますけど、一般用のビークルで山台工業のものなんて見たことありますか? 怪しい人が来た後にそんなものを見かけたら、嫌でも記憶にも残るでしょう?」
突如発された『山台工業』という単語に、ペロ射抜かれたように表情を固くし、「うっ」と喉を鳴らした。
そのまま動かなくなってしまったペロを横目に、理沙は、
「話したんだから、他に余計なことは言わないでちょうだいよ」
と釘を刺す。
「当然、言わない。立派な家だしね」
そう言ってコロが理沙の背後に建つ家へ視線を向けると、彼女は一段と苦々しく顔を歪め、小さく舌打ちをした。




