第二話
怒気を纏わせた黒髪メイドがゆっくりと扉を開いていく。
開かれた扉に気づいた人々によって、人の波が別れ、中央の玉座の前までの道ができてしまった。
銀のベールで銀糸と新緑の瞳を隠し、あえかな口元を虹の扇で覆う。
すると、ほとんど顔立ちはわからなくなってしまう。
クラリスは、ゆっくりと歩を進めていく。
身に纏っている群青のドレスには、裳裾に向かって銀糸で刺繍がほどこされ、クラリスが動くたびに光を受けてまるで夜星のように煌めく。宵闇のグラデーションを現した美しいドレスは女性らしいラインに沿って流れるように広がる。
「わたくしの名をお呼びでしたか?」
アルトの声に、ホールの注目が集まった。
「やっと出てきたか、クラリス!
私が先ほど言ったことを聞いていたか!」
ホールより一段高い、玉座の前でアンドレが告げる。
扇ごしにクラリスは答える。
「大きな声でしたので、聞こえておりましたわ。
…ですが、どなたか、もうお一人、クラリスという名前の方がみえるのかと思っておりました。」
訝しげな声に逆撫でられ、アンドレは更に大声で叫ぶ。
「お前のことに決まっている!
お前との婚約、ここに破棄させてもらう!」
扇をそっと閉じ、口元に笑みを佩き、答えるクラリス。
「どうぞ、ご自由に。」
「なっ…
お前!
何か、言うことはないのか!」
クラリスの平坦な声と笑みにカッとなり、またしても大声で叫ぶアンドレ。
ちなみに、既にホールのざわめきは静まり返っており、叫ばなくてもホール全体にアンドレの声は響いていた。
「もう、申しましたわ。
どうぞ、ご自由に、と。」
あくまで優雅にゆったりと、では…と告げながらその場を辞する様子を見せたクラリスに、追い縋るような勢いでアンドレが声を掛ける。
「待て、クラリス!
そなた、このノラ・アンサンセに対して行った数々の暴挙、知らぬとは言うまいな!」
「…どなたでしょうか?」
なんとか、(はぁ?)という声を出さずに振り向き、答えたクラリスだったが、1匹目のネコが逃げ出し掛けていた。
「アンドレさまぁ〜〜
ノラ、毎日毎日いじめられて、ホントにこわかったんですぅ〜」
第二王子の腕に引っ掛かっていた金髪桃目が顔を覗かせ、ソプラノよりも高い声で囀った。
「こんなにもノラが傷ついているというのに!
自らの位を笠にきての傍若無人な振る舞い、ジャルダンの王子であり竜皇の後継である私の婚約者として、相応しくない!
婚約を破棄し、ノラに謝罪するのだ!」
このやりとりの最中にも、ホールには次々と紳士淑女が入場している。
始まった頃は、下級貴族ばかりであった会場にも、伯爵、侯爵といった上級貴族が増え始めていた。
彼らは既に開演されていたこのパフォーマンスに目を瞬かせ、内容を理解すると同時にサッと顔色を失くした。
「中央の国の竜皇女…」
ホールに再びざわめきが広がった。
クラリスは閉じた扇をもう一度広げ、アンドレに向き直った。
「マヤ。」
「はい、姫様。
お呼びでしょうか。」
黒髪メイドが音もなくクラリスの傍に控えた。
「わたくし、どうもこの方の言ってみえることが理解出来ないようですの。
通訳して下さらない?」
小首をかしげ、困ったように呟いた。
「お任せくださいませ。」
黒髪メイドの榛色の目がキランと光った。