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ずたぼろ令嬢とカラッポ姫  作者: とびらの


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2/2

後編

 

「……なんだ、この黒い物体は」


 お父様が呟く。あたしは言った。


「おそらくパンであろうと存じます」

「では、あっちの黒い物体は?」

「お肉ではないでしょうか」

「その黒い塊はなんだ」

「……ニンジンか芋? えーとなんだったかしら……」


 ひとつひとつ、丁寧に答えてあげたのに、お父様は癇癪を起こし、テーブルを叩いた。


「マリーはどこだ! 炭ばかり並べおって、私に復讐しているつもりか!」


 復讐って何よ、普通の親なら「こんなに大失敗するなんて、熱でもあるのか?」と言うところじゃないの? そう思いながらも、あたしは黒いパンに黒いジャムを塗る。


「マリーは風邪で寝込んでしまいました。仕事ならわたくしが代わりますわ。食事も、作り直しましょうか」

「だめよアナスタジア! あなたにやらせるくらいなら、ママが働くわっ」


 お母様が席を立つ。そう言うと思ったわ、どうぞ行ってらっしゃい。

 厨房に駆け込む母親を、半眼で見送る。


 ――とりあえず、家のことはこれで良し。マリーがいなくなったことを、家族は誰も気付いていない。

 マリーは今頃、『待ち合わせ場所』に到着した頃だろうか。

 行ったところで、楽しいことにはならないだろうけどね。



 あの手紙……すべての文章は見えなかったけど、どこかで待ち合わせようと、マリーを誘い出す内容だった。うきうきとやってきたマリーを見て、みんなで指さして笑うつもりなのよ。

 投函していたあの少年達には、明らかな悪意があった。悪戯、イジワル……いや、イジメだわ。


 可哀想なマリー。きっと酷く傷つくだろう。

 そうすればきっと、弱音を吐くわ。学校になんか行きたくないって。勉強なら家でも出来る。もうあんな、ずたぼろにならなくったっていい――


 あたしは黒いスープを啜った。


 ……それはそうとして、どうしてどの食べ物も、黒くて不味くなったのかしら?


◆◇◆◇◆◇◆


 手紙にあった、水車小屋まで辿り着いたとき、辺りはもう真っ暗になっていた。

 誰もいない。もしかして遅れてしまったかしら。いいや、家を出てからずっと走ってきたから、まだずいぶん早いくらいのはず。

 わたしはずたぼろの服で汗を拭うと、小屋の戸にもたれかかり、息をついた。


 ああ……どきどきする。

 わたしはポケットから、あの手紙を取り出した。差出人が無いから、誰からのものか分からない。

 隣の席のシエラかな。忘れ物の多い子で、何度か鉛筆を貸したことがある。後ろの席のミレイナかも。背中を突かれて、振り向くとナンデモナイと手を振られたことがある。まさか廊下側の席のケイン? 日直のわたしがプリントを集めて回ったとき、彼一人だけが手で持ち上げて渡してくれた。他の子は机に置いたままか、丸めて投げてきたのに、優しかった。

 それとももしかして。いや、きっと――


 手紙を胸に押し抱いて、わたしは夜空を見上げ、ほうと息を吐いた。

 今日はなんて嬉しい日だろう。わたし……本当はずっと、お友達が欲しかったの。


◆◇◆◇◆◇◆


 夕食を終え、風呂に入り、寝間着に着替える。

 そんな時間になってもまだ、妹は帰ってこなかった。

 ……おかしい。いくらなんでも遅すぎる。イジワルをされて嫌なことを言われたら、すぐに泣いて駆け出したはずなのに。

 イジメっ子たちだってまだ子供、そんなに夜遅くまで出歩けるわけがないわ。

 ……まさか……まだ待ち合わせ場所で、ひとりでいるなんてことは……ないわよね?


「……マリーのばか。友達なんてできるわけないのに」


 あたしは髪をとかしながら、呟いた。



 夜が更けて、家の灯りがすべて消えた。


「おやすみなさいアナスタジア。今夜も良い夢を……」


 お母様はいつものとおり、あたしの髪を撫で、頬にキスをして、部屋を出ていく。あたしはベッドの中でぼんやりと、天井ばかりを見つめていた。


 時々頭を動かして、開けっぱなしの窓を見る。シャデラン家の門はずいぶんと錆び付いて、開けばけたたましい音が鳴る。マリーが帰ってきたら、わかる、はず。

 ……だけど、いつまでたっても音がしない。あたしはとうとうベッドから起き出し、窓から顔を出した。

 ……視界全部、まっくろけ。村の灯りもほとんどなくなって、月と星だけがわずかに草木を照らしていた。

 こんな闇の中を、たったひとりで、女の子が……?

 マリーは夜まで働いていることがよくあった。こんな闇でも平気なんだろうか。あたしには無理。大体お母様が許さないわ。こんな夜中に出歩いたって知られたら、二度と部屋からも出してもらえないでしょうね。

 そんなの嫌だ。闇は怖い。あたしには無理よ。マリーだって、本当は……。


 あたしは呟いた。


「……ばかマリー」


 直後、あたしの低い鼻先に、ぽつっと冷たい滴が落ちた。雨だ。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ――少しずつ、強くなっていく。

 あたしは叫んだ。


「――もう! ばかな妹!」


 クローゼットを開き、服を漁る。なるべく走りやすそうな靴を探し、水を弾きそうな外套を羽織って、あたしは部屋を飛び出した。


◇◆◇◆◇◆


 ぽつぽつと降り始めた雨は、やがてざあざあと、大きな音を立てわたしの上に降り注いだ。

 わたしは自分の腕を抱き、身体を縮めていた。

 服の中にしまい込んだお手紙が、雨で濡れてしまわないようにして。


 ……遅いな。

 今、何時だろう。少なくとも待ち合わせの六時はずいぶん前に過ぎたと思う。もしかしたら真夜中なんじゃないかな。

 そう何度も思った。でももし、時計を確認しにこの場所を離れたら……その一瞬の間に、待ち合わせ相手が来てしまったら。

 きっと悲しみ、そして怒って帰ってしまうわ。そうしたら二度とお友達になることはないだろう。

 こんな夜遅くなって、雨が降っていたらなおさら、せっかく来たのにって思うよね。

 わたしはここを離れるわけにはいかない。


 それにしても遅い。今日は来られなくなったのかも知れない。

 家を出る前に、用事を言いつけられたとか。途中で転んで怪我をしてしまったとか。

 もしかして――わたし、場所を間違えた?


 その可能性が頭をよぎり、わたしはハッとした。

 もうびしょ濡れの服をまくって、手紙を取り出す。気をつけていたのに、封筒もかなり濡れてしまっていた。紙を破かないように、そうっと手紙を取り出す。


 夜闇の中、どうにか文字を読み取ろうと四苦八苦。その時ちょうど雨雲が途切れ、かすかな月明かりが手元を照らした。

 ぼんやり浮かぶ文字を、目を細めてやっと読み取る。


「クローバー畑の水車小屋……合ってるわ……」


 ぼうっと見つめている間に、わたしの髪からボタボタと水がしたたり、手紙を派手に濡らしてしまった。慌てて封筒に戻そうとしたが、紙も指も水浸しなので上手く開かない。

 そしてうっかり、破いてしまった。アッと思ったときにはもう、封筒の側面が抜けて、一枚の紙みたいになってしまう。せめて便箋を挟んで護ろうと、封筒を開き、挟もうとして……。


 封筒の内側が見える。字が書かれていた。


『 ブス 』


「……あ……」


 ……それで……わたしは、やっと気が付いたの。

 わたし、嫌われていたのね。


 ……そうか。……そうか。


 ざあざあと雨は続いている。

 びしょ濡れになってしまった、二枚の手紙。仲良くなりましょうという便箋と、ブスと書かれた封筒。どちらも捨てることも抱き留めることも出来なくて、わたしはその場に立ち尽くしていた。


 ……帰ろう。

 夜の家事を放り出してきてしまったから、眠る前に、片付けないと。

 明日の朝も早いわ。いつもの家事があるし、いつものように学校がある。


 学校には……行かなくてはいけない。わたしが行きたいと言ったんだもの。高い学費がかかっているのだもの。


 わたしは学校に行きたかった。お姉様と違い可愛くないわたしは、せめて教養だけでも身につけないと、何の役にも立てないのだから。

 ……家の役に立ちたかった。誰かに求められ、褒められたかった。

 よくやったマリー、ありがとうマリー、両親にそう言われながら、頭を撫でられてみたかった。

 そのために服を売って家事をして、毎日汚れても通ったの。ずたぼろになって走って行って、おはようと挨拶しても無視をされ、物を投げられ、鼻を摘まむ真似をされても、それでも。わたし。

 わたし……。


「う……」


 喉が震える。手の中で、『ブス』と書かれた手紙がクシャリと潰れた。


「う。う……っ。ぇ、あっ。あ――……」


 ざあざあと雨は続いている。


◇◆◇◆◇◆


「――水車小屋って、どこよ!」


 ぶら下げたランタンに向かって、あたしは叫んだ。


「シャデラン領は農村よ、水車なんて山ほどあるわっ! わかるわけないじゃないのっ!」


 いちいち大きな声を出しながら、走る。体力的にはどう考えても非効率だけど、こちとら深窓の令嬢、自分で声を出しながらじゃなきゃ、夜道を一人で行くなんて出来ません。


「はあ。疲れた……眠い……足痛い……」


 ダッシュと早歩きを交互に繰り返しながら、進む。


「はあ……はあ……ゲホッ。はあ、そんなに遠くはないはずだわ、きっとウチから学校までの間よね。とりあえず水路沿いに、学校まで行けば良いんでしょ。はうー。うー!」


 そんなあたしの唸り声に、まさか共鳴したのだろうか……遠くから、ウウウと犬っぽい声がした。野犬……もしかして狼!? あたしは震え上がった。今すぐ踵を返し、屋敷に逃げ帰りそうになったけど、踏みとどまる。


 やっぱり危ない。怖いわ、怖くて怖くてたまらない。

 こんな所に……妹を一人、置いておけるものですか。

 妹はまだ十二歳、あたしより背は高いけど、あたしよりも二つも幼い子供なの。

 あたしがこんなに辛いんだから、マリーはもっと辛いはず。

 マリーは妹で、あたしはお姉ちゃんだもの。


 家を出てから、四つ目の水車小屋に到着した。ぐるっとあたりを回って確認する。マリーはいなかった。


「――次っ!」


 あたしは再び駆け出した。

 いつの間にか、雨はもう止んでいた。明るい月と星明かりのなか、あたしはマリーを探して走る。


◇◆◇◆◇◆


 いつまでも、雨は降り続けている。月と星はもう明るいのに、大量の水がわたしの頬を伝い、顎に溜まって落ちていく。

 もう水浸しになって、滲んで見えなくなった手紙の文字。だけどいつまでも手放せず、わたしはただ、それを濡らし続けていた。


「――ァ……ああ、あーっ……!」


 涙が止まらなくて動けない。

 もう夜も遅い。早く帰らなくちゃいけない――帰る? どこに。誰の元に?


 シャデランの家に、わたしを待っているひとなんて誰もいない。

 本当は分かっていた。どれだけ学校へ通っても、両親がわたしを褒めることはない。どれだけ勉強して家事をして、家の役に立つって認めてもらえたとしても、愛してはもらえないんだって。分かってた……全部分かってたの……。


 天を仰いでただ泣き叫ぶ。


「あ――っ………………」


 その時、誰かに呼ばれた。



「マリーっ!!」



 わたしの泣き声よりもずっとずっと大きな声で、わたしの名を呼ぶ声がした。



 アナスタジア・シャデラン男爵令嬢は、美しい。完璧な金髪と青い瞳、年よりも小柄で華奢な身体を、いつも煌びやかに着飾っている。

 その姉が、目の前にいた。


「……お……お姉様?」


 びっくりして、涙が止まる。


 確かに、姉だった。けれどその姿は変わり果てたものだった。天使のように愛くるしい顔立ちは汗だくで、髪はボサボサでぺしゃんこ、服も濡れ鼠になって、足下は膝上まで泥だらけ。一度だけわたしの名を呼んだきり、姉はもう喋れないようだった。しゃがみ込み、俯いている。


「マ、はあはあはあはあ、マ、リ、ひ、はあはあはあはあはあぜえっぜ、ぜっゲホッ。ゲホゲホげほウエッ」


 わたしは慌てて、自分の服を引き裂いた。なるべく綺麗な部分を使って、お姉様の顔を拭く。だけど姉は乱暴に、わたしの手を振り払った。


「お姉様、大丈夫ですか?」

「だいじょーぶじゃない、マリ……ッ、マリー、バカ。ほんとバカ。信じられないバカ……」

「ごっ、ごめんなさい?」


 ぺこりと下げた頭を、姉に引っぱたかれた。


「帰るわよ」


 それだけ言って、姉は背を向けた。

 わたしは後ろについて、歩き出した。



 二歳年上のアナスタジアは、わたしよりも背が低い。骨格から違うのだろう、どこもかしこも華奢で、後ろ姿はまるきり子供のよう。

 ぺしゃんこになった髪に、泥だらけの服。足下は可笑しいくらいにふらついて、今にも真横に倒れそうだった。


 それでも、姉は前を行く。

 わずかな月と星明かりに、濡れた金髪をキラキラ煌めかせて――姉は、わたしの前を歩いて行く。


「ふー。はーはーはー……げほっ。オエッ」


 時々咳き込み、えずきながら。


 わたしは姉に駆け寄った。小さな背中に抱きつき、持ち上げる。姉の身体は羽のように軽く、わたしは簡単に彼女を背負うことが出来た。

 姉はずいぶんぼんやりしていたのだろう、わたしに背負われ、数歩あるいてから、「んえっ!?」と素っ頓狂な悲鳴を上げた。


「マリー何してるの、下ろしなさいっ」

「わたしはずっと立ってただけだから平気」

「そういう問題じゃないっ! あなたは妹っ……」

「身体はわたしのほうが大きいわ」


 姉の両足をしっかり捕まえて、わたしはのしのし、夜道を歩く。いつもの通学や、薪や水桶を運ぶよりも全然らくちん。お姉ちゃんは本当に軽いなあ。


「……ばかマリー」 


 姉は諦めたのだろう、わたしの肩に額を置いて、脱力した。



 真っ暗闇の夜道を、ちいさなランタンとちいさな姉と一緒に、家へと帰る。

 わたしは歩みを進めながら、背中の姉に語りかけた。


「――ありがとうございます、お姉様。

 わたし、大丈夫です。家事も、勉強も続けます。……少しでも、お姉様に近づきたいから。

 ……イジワルされたって、大丈夫。わたしにはお姉ちゃんがいるもん……」



 シャデラン家の門が見えてきた。錆び付いた鉄門を開くと、いつもけたたましい音が鳴る。

 お父様達に気付かれないよう、そうっとそうっと開いたけど、やっぱり少し鳴ってしまった。


 それでも起きない、熟睡している姉。


「いい加減、さびを落とさなくちゃいけませんね。油はまだあったかしら?」


 答えられない姉に向けて、わたしは独り言を言いながら、シャデランの屋敷に帰ってきた。


お読み頂き、ありがとうございました。


こちらのエピソードから6年後を舞台にした基作品、「ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される」は、現在もなろうで連載しております。書籍一巻が絶賛発売中、二巻とコミカライズ企画が進行しております。応援していただけたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんな出来事があったんですね。涙が出てしまった。 不器用な姉と妹の接点。親たちが気づかないところで。 あの二人が幸せになってくれて本当によかった。
[気になる点] この酷い状況、個として優秀だけど、子供の保護者としては失格ぽい、亡き祖母さんにも、責任の一端が有りますわな。 彼女が病死していなかったら、姉妹は、その能力を活用できる人生にはなったので…
[一言] いじめっこたちにもざまぁしてやりたい(ToT)
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