プロローグ
「神様にお願いするときは、自分の住んでる場所を言わないといけないんだって」
両手をこすり合わせ、白い息を吐きながら枝穂はそう話しかけてきた。手袋をしてくるのを忘れた、と先ほど言っていた彼女の指先は真っ赤になっている。
「住んでる場所? なんでまた?」
そんな彼女の仕草につられて、俺も寒さの証を口から吐き出す。
「私もよく知らないけど、お願いと一緒にきちんと伝えておかないと神様が願いを叶えにきてくれないんだって。ほら、神社から帰っちゃったら私たちどこにいるかとかわからないでしょ?」
「ふーん……」
そういうものなのか。
ぼんやりと、聞き流す。なんでいきなりこんな話を始めるのだろうかと思ったが、俺たちが来ている場所と時期を思えばなるほど納得がいった。
初詣。
宗教観の薄い日本でも年明けになれば誰もが欠かさず行っているであろう行事。
しかし。
「やっぱり人いないねー」
「まだ三が日も過ぎてないっていうのにな」
神社にとって書き入れ時というか、一番賑わう正月だというのに、境内は閑散としていた。俺たち以外には誰の姿もない。
「とりあえずさっさとすませて帰ろうぜ」
あたりをきょろきょろしている枝穂を放って、俺は中央の社へと向かう。
「あっ、待ってよー。そんなに急がなくたっていいじゃん」
「だって寒いだろ。こんなところ来ても」
コートのポケットに両手をつっこんで身震いする。
季節は冬の真っ只中。いくら厚着してきても寒いものは寒い。小さい子どもじゃないんだから、暖房の効いた部屋でゆっくりしたいに決まっている。
「こんなところとか、バチ当たりなこと言わないの」
「って言ってもこんな誰もいないようなボロい神社に神様がいるのかよ」
俺が神様だったらとっくに捨ててもっときれいなところに移住してるな。
「でもちょっと遠出して大きな神社に行くのは実、イヤなんでしょ?」
「近いからな、こっちの方が」
「もー」
苦言を呈すようにため息をついてから、枝穂は俺の隣に並ぶ。
「ま、わたしはこの神社好きだからここでいいんだけどね」
言って、寒さで紅潮した頬を緩ませる。
「実はなにお願いするか決めた?」
「そういうお前はどうなんだよ」
「私はひみつー」
「じゃあ俺も教えねえよ」
「いいじゃん。けちー」
ひとしきり言い合ってから、首に巻いたマフラーを口元まで上げる。うう寒い。
「五円玉は……とあったあった。よかったーお財布に残ってて」
財布から金色に光る穴の開いた硬貨を取り出し満足げな枝穂。ご縁があるとか、そういうやつだろうか。俺の財布には……生憎五円玉はなかった。まあ十円玉でいいか。
二人そろって賽銭箱に投銭。色の違う二枚の硬貨はチリンチリンと、小さく音を立てて箱の中へと消えていく。
それを確認したあと、パンパンと二拍手して目を閉じる。本当は正しい手順があるのだろうけど、知らないのでこれでいい。というか他にやりようがない。
そして思考する。真っ暗闇の視界の中で、形のないなにかに向かって念じる。
『神様にお願いするときは、自分の住所を言っておかないと』
あれ? これ誰から聞いたんだっけ。まあいいか、とりあえず何をお願いしようか。
といっても、神様なんて本当にいるのだろうか。いたら願いのひとつでも叶えてほしいものだが……。まあ、今日日神様をちゃんと信じてる人間なんてそうそういないか。
惰性で行われる恒例行事。通過儀礼。結局のところはそんなものだ。
でも――。
片目を開いて、隣を見やる。真剣な表情で、なにかを願う。
どんなことを願っているのだろうか。いるかどうかも、聞いてくれているかどうかもわからない相手に向かって、己の何を伝えているのだろうか。
そんなことは、俺の知る由もない。