悪餓鬼たち
校庭に出てタローマルと向かい合った。互いに二間ほどの距離がある。級の生徒が俺達を囲み、楽しそうに眺めている。今日は朝から見世物になってばかりだ。だが構うもんか。見世物になったとしても守らなきゃならんものだってある。
サクヤが俺の脚元に木刀を放り投げて渡した。「何のつもりだ」と言うと、「いくら何でも素手じゃ先生が可哀そうですから」と答える。いくら棒切れでも、こんな物を持ったら喧嘩じゃない。殺し合いだ。無暗に命を取るつもりはない。俺は木刀をへし折り、投げて返した。
「せっかくの武器なのに、要らんのかよ、先生」とタローマルは鼻で笑う。
「悪餓鬼のしつけにあんなもん必要あるか。ほら、来い。いんちきなんぞ使っとらんことを証明してやる」
「じゃ、遠慮なく」
タローマルは上着を勢いよく脱いだ。よく鍛えられた身体があらわになる。続けてズボンも脱ぎ、下着一枚になる。相撲でも取るつもりかと思ったが、そうではなかった。空に向かって大きく吠えたタローマルの皮膚は見る見るうちに石炭の如く黒く染まり、岩山のようにごつごつとしていった。それだけではない。身体の大きさや形そのものさえも変わっているし、幹のように太い尻尾まで生えてきていやがる。あれもスキルの一つだってのか。だとすりゃ、いよいよとんでもない。
あっという間に二足歩行のサラマンダーめいた化物みたいな見た目になったタローマルは、口から黒い煙をふしゅうと吐いた。
「俺のスキルは『大怪獣』ってんだ。先生よぉ、一つ忠告しちゃる。痛い目見る前に、とっとと白旗上げた方がええぞ」
「上げん。それより一つ聞かせろ。この学校に治癒術使える奴はいるのか」
「おるぞ。腕のいいのがおる。死ななきゃどんな傷だって治すぜ。でもよぉ、先生。いくら腕のいい治癒しでも、俺にぼこぼこにされた時に折れた心は治せんぜ」
周りの生徒が「いいぞ」「いいぞ」と歓声を上げる。校長の言っていたことがようやくわかった。確かにこいつらには、模範やら、規律やら、生き方やらを教えてやれる相手が必要だ。でなけりゃ、ロクな大人にならん。それが俺で務まるのかは知らんが。
タローマルはもう一度空に向かって咆えると、牙を剥き出しにしながら真っ直ぐ走り込んで来た。すんでのところで躱し、すれ違いざま腹に拳で一撃くれてやったが、びくともしない。なるほど。立派なのは見た目だけじゃないらしい。
「無駄じゃ。俺の皮膚は刃だって通さん。いくら先生が力自慢だろうが、傷の一つもつくことなんてねぇぜ」
余裕ぶった様子のタローマルはまた真っ直ぐ走り込んで来た。あれじゃ馬鹿の一つ覚えだ。自分の身体の強さを過信してるんだろう。弱い奴や臆病者が相手ならあれでいいかもしれん。だが、それじゃ無理な相手なんていくらだっている。
拳から少しだけ盛り上げた右手中指を、人差し指と薬指で強く挟み込み、顔の横で構える。大口開いて向かって来るタローマルをじっと見据えた俺は、奴の鼻先に向かって拳を突き出した。脆い感触が中指にぶつかったのと同時に手首を捻ると、赤黒い液体が噴水のように上がって鉄臭い。タローマルはうぎゃあと、夜泣きする赤ん坊みたいな声を上げながらその場に転がった。身体の色も大きさも、元の姿に戻っていく。集中が切れるとスキルの効果も切れるのかもしれん。
「鼻だ! 鼻をやりやがったこいつ!」
「おう、やった。動物なんざ、鼻が弱いもんだ。無事か」
「無事なわけあるかよクソっ! 痛ェよ! 死ぬほど痛ェ!」
「そんだけ咆える元気がありゃ無事だ。痛むのはまあ仕方ない。鼻が潰れたからな」
「他人事かよ畜生!」
倒れ伏すタローマルをひょいと跨ぎながら「強いなぁ、センセ」と言って、俺の前に対峙したのはアカリだった。
「ほな、次あたしの番ってことでええよな?」
「いつから喧嘩大会になったんだ」
次の瞬間、アカリの姿が忽然と消えた、と思ったら頬を思い切り殴りつけられたような感触があった。何が起きたのかと混乱していると、後ろから「ごめんなぁ」とアカリの声がする。なるほど。姿を消したというよりも、思い切り早く移動したのだろう。それこそ目にも止まらぬ速度で。何でもありか、スキルってのは。
「どう? あたしの『Cute&Flash』。普通の人の百倍以上の速さらしいよ。早すぎて見えんかったやろ?」
「確かに見えんな」と答える間にまた殴られた。今度は背中だ。
「センセ、もう降参した方がええんちゃう? 痛いのはイヤやろ」
「好きじゃないな。でも、そりゃお前も同じだろ」
「そりゃそうやけど、あたし、痛い目に遭ったことないんよ。この速さやし」
「だったら今日はじめて痛い目に遭うかもな」
「生意気やなぁ」と言ってまたアカリの姿が消える。顔、背中、腹と次々殴られる。確かに速いことには速い。だから捕まえづらい。だがそれだけだ。速くて捕まえづらい相手に何も出来んなら、人間なんぞとっくに滅んでる。
地面に目を向けると、アカリの走った跡が付いている。これさえありゃ何とでもなら。背中、顔、腹、背中、顔、腹と心の中で打たれた箇所を数え、背中を打たれた次の瞬間にアカリが走りそうな場所に足を伸ばした。地面を滑りながら豪快にこけるアカリの姿が現れた。
「い、痛ぁ! ひどない?!」
「足引っ掛けただけだろ。それより顔洗ってこい。泥だらけだ」
自分の負けを信じられないといった体のアカリに冷たい視線をくれながら、「次、私」と短く言ったのはトウカだった。全員やられないと気が済まんと見える。
「言っとくよ。私はあの馬鹿ふたりみたいに甘くないから」
言うや否や、両腕をこちらに伸ばして構えたトウカの手のひらから白いもやのようなものが煙を纏って噴射され、こちらに向かって高速で伸びてきた。なんぞと思いつつ避けたが、いやに冷たい。こりゃ氷だ。
「先生みたいないんちきは嫌だから説明しとく。『氷転華』。自分の周りの温度を下げて、大気中の水分を凍らせるの」
トウカは次々と氷を放つ。やたらめったら撃つもんだから、辺りが冬みたいに寒くなった。汗まで凍り付きそうだ。しかしこの攻撃もまた直線的で避けやすい。「甘くない」なんて口では言ったが、同じ程度の甘口だ。
氷を避けながら一気に近づいた俺は腕を掴みにかかった。殺し合いでも無い限り、女の顔と腹は殴れんから、腕を抑えて動きを止めようと考えてのことだった。しかしその瞬間、掴んだ腕が凍ってく。トウカはわずかに笑みを浮かべ、「甘くないって言ったでしょ」と言った。
「いやまだ甘い」と応じた俺は、すかさずトウカの脳天に頭突きをかましてやる。しかし当たった手応えは無く、直前で何か固い物にぶつかった。どうやら咄嗟に自分の周りに氷を張って受け止めたらしい。
「無駄だから。さっさと凍って」
「無駄かどうかは俺が決める」
俺はぐいと大きく腰を逸らせて勢いをつけてから、先ほどよりもうんと力を込めて頭突きを放った。氷は割れ、勢いそのまま俺の額とトウカの脳天がぶつかる。ぐらりと身体の倒れるのを支えてやると、トウカはぎょっとした様子で俺を見て、赤い顔して「まだ負けてないから」と言い放った。
そこで終業の鐘が鳴った。俺は一番怪我の酷いタローマルと共に学校の治療室へ向かった。そこで常駐の治癒師の言うことを聞くに、一週間は痛むだろうが、折れた鼻は明日にでも治るらしい。腕のいい奴だ。俺の左腕も、もう一度切り落としてこいつに看てもらえば、細かい仕事ができるようになるかもしれん。そう思って提案したが、「そりゃ勘弁してくれやせんか」と治癒師が青ざめた顔で言ったので諦めた。