はじめての授業
いよいよ学校へ出た。しかしすぐに教場へ入るわけじゃない。教員が職員室に集まるより早い時間に校長室に行った俺は、そこで辞令を受け取った。辞令と言っても朱印の捺った紙切れではない。一尺ばかりの短剣である。飾りが付いていていやに派手だが、肉を切るのには重宝しそうだと、その時には思ったが、結局そんなくだらんことに使うことは無かった。
校長は「君の仕事についてだが」と勿体ぶった口調で切り出した。
「君にはあるクラスを担当して貰おうと考えている。だが勉強を教えて欲しいわけじゃない。君に教えて欲しいのは人間としての模範だ。規律だ。生き方だ。というのも、君のクラスにいるのは少し問題を抱えた生徒ばかりなのだ。しかし彼らは完全に道を踏み外したわけじゃない。まだ見誤っているだけだ。由々しき現状ではあるが、情けないことに今この学校にいる職員ではどうすることもできん。もちろん私も同じだ。だから君のような男を呼んだわけだ」
由々しき現状ならもっと早く自分で何とかしてりゃよかった話だ。そいつを遠方から来た新任の俺に放り投げようた、とんでもない。しかも、言うに事を欠いて模範だの、規律だの、生き方だの。そんなものを教え込みたきゃ、俺みたいな無鉄砲じゃなくて、徳の高い坊主でも呼べばよかったんだ。
そういうことを踏まえて、俺は「出来かねます」とすっぱり答えた。すると校長はぐはと笑い、「そうやって答えられる人だからこそなおさら任せたい」と言った。
「しかし、校長がおっしゃったようなことが俺に出来るた思えません」
「できるさ。君は君のままで、いつも通りに生徒と接して貰えればそれでいい」
よくわからんが、それなら今すぐに帰る必要も無い。「それでいい」と言い切る校長の豪胆さも気に入った。俺が給金に見合わない仕事しか出来んとわかったら、その時に帰ればよかろう。
そうこうしているとかんかんと鐘が鳴った。教場の方からわいわいと声が聞こえてくる。
「では教員に挨拶でもして貰おう」と校長が言い、俺を職員室まで連れていった。広い部屋に机が並んだ部屋にみんなが腰掛けている。入ってきた俺を示し合わせたようにみんなが見て、「ほう」「あれが」と口々に言った。にやにやと笑みを浮かべる奴までいる。外から来た田舎者がそんなに珍しいのか。よろしい。それなら、田舎者っぷりを見せつけてやら。
校長は「みんなを集めよう」と言ったが、俺は「必要ありません」と断り、ぐるり部屋を見回した。それから注意をひくために、「みなさん」と声を張り上げた。部屋は水を打ったように静かになる。続けて、どういう場所から来たどういう者だと説明し、最後に辞令の短剣を掲げた。「どうぞよろしく」と付け加えると、やや間があってから拍手が起きた。自分でやったことだから仕方ないが、何だか見世物になった気分だ。
しばらくして始業の予鈴が鳴った。がやがやと職員室から人が出て行く。共に部屋を出た俺は校長に言われた通りに校舎の五階の一番奥にある教場へ向かった。なんだか除け者を一箇所に纏めておくような位置にあるなと思った。
戸を開けると、机が散り散りに並ぶ広い教室に生徒が四人いた。みんな席には着かず、窓際で固まって喋っており、中にはサクヤの姿もある。しかし部屋にある気配の数は五つだ。どこかに隠れているのだろうが、みんなしれっとしたもので、はじめから四人しかいませんよみたいな顔をしやがる。
俺は「席に着け」と生徒に言った。みんなおとなしく席に着いたが、しかし五人目はここまできてなお現れん。痺れを切らした俺は「もう一人いるだろう」と言ったが、同じである。このまま授業をはじめてしまっても構わんが、本来五人に教えなきゃならんところを四人だけに教えて給金を貰うのは上等ではない。何より、教師を教師と思わん態度が気に食わん。
その時、背後から何かが振り下ろされるような気配がした。咄嗟に避けて腕を伸ばすと、右手のひらが宙空で何かを掴んだ。ぐいぐいと押され抵抗されるような感触があるが、何も見えん。こうなりゃ構うもんかと、右手に掴んだ何かを力任せに黒板に叩きつけると、水面を打ったように空間が揺らいで、若い男の姿が現れた。この教室の生徒だろう。右手には泥で汚れた棒を握っている。どうやらこいつで俺を殴ろうとしたらしい。
「やめてくださいよぉ」とそいつは言った。「やめてやってもいいが、どうしてこんなことをした」と俺は返した。すると「ただの悪戯のつもりだったんですよぅ」と言うので、「ならいい」と言って、俺はそいつの頭に一発くれてやった。男はぎゃんと唸って、涙目になった。
「先生、暴力反対ですよ」とサクヤが言って、他の生徒が「そうだ」「そうだ」と口々に続いた。
「暴力じゃない。罰だ」
「罰だろうがなんだろうが暴力は暴力じゃないですか。駄目ですよ、そんなこと」
「駄目たなんだ。こいつは悪戯をやった。悪戯には罰が付きもんだ。それが物事の道理だ。悪戯をして罰を食らわないなんて、店で飯を食って金を払わんようなもんだ。誰だって悪戯をしたくなる時がある。そりゃわかる。俺だってお前たちみたいな年頃はずいぶん悪戯をやった。だが罰からは逃げなかったし、罰を受けて泣き言垂れたりはしなかった。それが当たり前だからだ。そうじゃなけりゃ悪戯の後ろめたさが残るからだ。お前たちも前向いて生きたきゃ、罰の一つ二つくらい黙って受けやがれ」
ぎゃあぎゃあと喚いていた生徒が軒並み黙った。ただし顔はむっとしている。ずいぶん不服と見える。耳に痛い言葉は誰だって嫌いなもんだ。俺だって嫌いだ。だが、黙って受け入れなくちゃならんもんだ。
透明男を席に着かせ、教壇に立った。生意気盛りの十二の目がこちらをじぃっと見ている。俺はとりあえず自己紹介し、それから生徒にも促した。
いの一番に名乗ったのが、例のサクヤという生徒だった。喋った内容は大方昨日と同じであった。金髪がやけにてらてらと日に反射し眩しかった。
それに続いたのが先の透明男だ。名前をセブミという。気弱そうに眉の下がった、うらなりのように顔の青い男だ。体調が悪いのか、それとも未だ罰に怯えているのかとこの時は思ったが、後になって常時こんな感じらしいと知った。
続いて、アカリという名の細身の女が名乗った。この女がやたらと早口で、その上多弁だ。一人で十分は喋り続けたかもしれん。狐めいた顔と相まって、俺は化かされてるもんだとさえも考えた。適当に遮ると、「ああー、どもー、すんません」とへこへこ頭を下げたから、人の話を聞くつもりがないというわけでもないのだろう。
続いたのがトウカという目つきの悪い女。こいつはアカリと違い寡黙だ。名を名乗るだけで終わったから、話を聞き逃したのかと思ったほどだ。
最後に名乗ったのがタローマルという男。こいつはずいぶんと上背があり、横にも大きい。身体だけなら俺よりも上だ。俺の故郷には相撲という裸一貫で身体をぶつけ合う競技があるが、こいつならすぐにでも相撲の大将になれるだろう。
自己紹介を終えたところで、俺は授業に取り掛かることにした。したのだが、そこでようやくどんな講釈をすればいいのかという問題があったことに気が付いた。校長は模範だの規律だの生き方だのを教えろと、いつも通りに生徒と接しろと俺に言ったが、そのいつも通りがわからん。
困ったので、とりあえず俺は「何か知りたいことはあるか」と生徒に問うた。
「俺の知ってることなら何だって教えてやる。ただし、知らんことは教えられんが」
「だったら、知りたいことがある。先生、さっきどんなスキル使ってセブミを捕まえた」
こう言ってきたのはタローマルだ。睨みつけるように俺を見てきている。背中を向ければ最後、喉を食い破ってきそうな顔だ。だいたい、俺はスキルなんぞ使っとらん。思い込みでものを言って思い込みであんな顔が出来るた、役者みたいな奴だ。
「スキルなんぞ使っとらん」と答えると、タローマルは「嘘つくんじゃなか」と言い張ってきた。
「あんたはこの教室に来た瞬間、セブミがいることに気が付いた。それどころじゃねえ。セブミの攻撃を楽々躱した。スキルじゃなきゃ何使ったんじゃ」
「勘だ。それ以外にあるか」
「適当言いよる。だいたい、スキルも使えん奴が校長を素手で倒せるわけなかろうがよ。このいんちき教師が」
いんちきたなんだ。誰がいんちきなんぞ使った。俺は学の無い男だ。俺は融通の効かない男だ。頭がそこまでよくないから嘘は見抜けんし、本音と建て前の区別が付かん、騙されたことは一度や二度では済まされん、とんだ大馬鹿の無鉄砲だ。だが生まれてこの方正直に生きてきたつもりだ。正々堂々生きてきたつもりだ。嘘や卑怯とは無縁で生きてきたつもりだ。そんな俺を捕まえて「いんちき」た、ふざけてやがる。いくら子供の言うことだって我慢できぬ。
俺は怒りで頭がぐるぐるするのを感じながら、「なら、いんちきかどうか試せばいい。校庭に出ろ」と言った。タローマルは「待ってました」と言わんばかりににやりと笑った。