親譲りの無鉄砲
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
騎士団で見習いをしていた時分、宿舎の屋根から飛び降りてしこたま背中を打ち付け、一週間動けなくなった事がある。なぜそんなことをしたのかと聞く人は多いが、そこにたいした理由はない。屋根に上って雲を見上げていたら、同期の一人が冗談に、「ドラゴン以外じゃ馬鹿と煙しか高いところにゃのぼらんぜ」と囃したからである。
医者に連れられ痛む身体を引きずって帰ったら、寮長が額にしわ寄せて「いくらなんだって屋根から飛び降りる阿保がいるかい」と呆れた様子だったから、「今度は空を飛んで見せます」と答えたらなお呆れられた。
親戚筋から業物の小太刀が贈られ、綺麗な刃紋が日にゆらりと光るのを友達に見せていたら、一人が「光るだけじゃ刀とは言えんぜ」と偉そうにした。「なんでも斬れるに決まってら」と請け負うと、そいつが「じゃ人の身体も斬れるってんだな」と突っ張ってきたから、「当たり前だ」と自分の左腕を一振りに斬ってやった。
幸いなのは治癒術を使える奴がその場にいたことで、不幸なのがそいつの腕前が中途半端だったことだ。おかげで俺の左腕は細かい仕事が未だにできぬ。針の糸通しなんて一週間掛けたってできやしない。武器を扱うのには困らないから良しとする。
宿舎の庭の南南東最端にはいささか花を植えてあるところがあって、真中には小さな石碑が立てられている。これは宿舎がはじまって百年のおりに当時の寮生が少ない小遣いを出し合って立てたものだそうだ。当時の寮生のことなどちっとも知らぬが、俺はこいつを大事にしていて、花壇も含めよく手入れをしてやっていた。花と石碑は無暗にもの言わぬところがいい。
さて宿舎から出て北側すぐのところに商人の通う学校があり、ここにリックという気取った名の生徒がいた。リックは無論弱虫だ。弱虫のうえに痩せ細っていて弱っちい。ゆえに金で用心棒を雇い、ずらりと自分の横に並べて威張り散らしている。自分の庭で威張っているだけなら構わんが、夜になると時折宿舎までやって来て、なにが楽しいのか石碑に小便を掛けては帰っていくことがあった。
ある日の夜、宿舎の二階から見張っていたら、リックが用心棒を連れて石碑に小便をかけに来たもんだから、窓から「えいや」と飛び降りて頭をぶん殴ってやった。用心棒も頭数に入れれば、向こうは六人。多勢に無勢とはこのことだが、拳をぶん回していたらなんとかなったから拍子抜けした。弱っちい奴の周りには弱っちい奴しか集まらん。
はじめのうちは寮長から大いに感謝され、褒めたたえられたが、リックの野郎が「法的措置も辞さない」なんて言いやがったもんだから、駒をひっくり返したみたいに態度が変わって冷たくなった。「恥知らず」なんてことも言われた。リックの言葉がただの脅し文句だとわかると、寮長は「あん時はああ言うしかなかったんだ」なんてえへえへと笑いながら言った。恥知らずはどっちだ。
俺には二つばかり歳の離れた弟がいる。透き通る白い肌が、俺とは違っていかにも優男といった体の奴だ。
どうやら俺の両親は男よりも女子が欲しかったようだが、そう上手くはいかず、ぽこぽこと立て続けに男ばかりが産まれた。だから両親は可愛らしい顔つきで産まれた弟に赤ん坊の時分から女子みたいな恰好をさせ、女子同然に育てた。だから弟は今でもしょっちゅう女の恰好をしている。恐ろしいほどよく似合っているのが不気味だ。兄弟仲は悪くは無いが、だからこそ弟がいつか道を踏み外さないものかと不安になる。そもそも、すでに踏み外しているのかもしれん。
十六の時に俺はなんとか見習いを卒業し、はれて騎士団に加入した。これでも喧嘩の腕だけは一人前だったが、持ち前の無鉄砲が祟り、騎士になれたのは同期の中で一番遅かった。そういう人生のうまくいってる時に母は死んだ。死の間際には「おめでとう」と言い残した。俺は危うく泣きそうになった。
だがおやじは俺に「家に帰って来い」と言い、無理に呼び戻した。「勝手にやればよかろう」と言ってやったが、おやじは「弟のことを考えろ」と言った。なるほど。女房に先立たれた後、見た目には若く美しい女と一緒だと、近所の目が厄介なのだろう。不憫に思った俺は早々に騎士をやめて実家に戻り、身体が鈍らぬよう力仕事で日銭を稼いで日々を過ごした。
全身汗だくにし、泥だらけになって家に帰ってくる俺を出迎えるのは、いつもクラリアという名の下女だった。後ろ手一本に藍色の髪を纏めた、あまり表情を変えない美人だ。この下女は俺と同い年なもんで、おまけにもとは隣近所に住んでいた馴染みの顔だったもんだから、俺の扱いがいやに適当だ。俺が家に帰ってきて「ただいま」と言うと、「おかえりなさいませ」ではなく「なんですかそのように汚して。誰が洗濯するとお思いですか?」なんて言ってきやがる。仕方なしに「まあ」と頷くと、今度は「あなたは本当にいつまで経っても子供ですね」なんて言ってきやがる。それからようやく「おかえりなさいませ。お疲れでしょう」だ。順序があべこべだ。
それにしたって、クラリアの妙なところは俺以外には至ってまともに応対するところだ。おやじや弟に対し、悪態をつくどころか皮肉のひとつをこぼしたところも見たことは無い。きっと俺を馬鹿にしているに違いないと思い、「もっとまともに応対したらどうだ」とひとつ文句をくれてやったことがあるそしたらクラリアは「してますとも。むしろ、あなたが一番」とやけにむきになって口答えした。だから「どこがしてるってんだ」と言うと、今度は「でしたら、あなたに対しては金輪際気を遣わないことにしましょう」なんて言いやがった。
その時は「つまり今となんら変わらんわけだ」と高を括っていたが、一週間後に音を上げたのはこちらだった。クラリアがいなけりゃ俺は、自分の靴下のしまってある位置さえもわからん。ほつれたシャツのボタンだって縫い直せない。丁寧に謝って花を贈ってやったら、翌日から今まで通り、朝起きた俺の枕元にその日の着替え一式が用意されるようになった。しかしクラリアの俺に対する適当な応対は今もって変わらん。
おやじはこんな女の顔以外どこが気に入ったのか、しばしば「息子の嫁に来い」と言った。クラリアは無論「嫌ですわ」と断った。それから「御召し物の在りかひとつもわからない坊ちゃんのお世話なんて」と続けるのが、恒例の文句だった。
母が死んでから五、六年はこんな暮らしが続いた。おやじは嫁問題を心配する。弟は女装に磨きをかける。クラリアは俺を適当に扱う、時々労わる。別に望みもない。凪の日々だった。人生なんてこんなもんだろうと思っていた。ただクラリアが何かにつけて、俺のことを「坊ちゃん」「坊ちゃん」と呼ぶのだけが不服だった。十八を超えて坊ちゃんとは、まったく参る。「昔のように名前で呼べ」と言っても、一向に聞く耳持たなかった。
母が死んでから七年目におやじが病で倒れた。それから間もなく亡くなった。家には三人だけになった。その時分の稼ぎ頭は断然おやじだったから、大黒柱が倒れた家は瞬く間に貧しくなっていった。俺の給金では三人は食わせてやれなかった。先祖代々の我楽多を二束三文で売って生活の足しにしたが、それにもすぐに限界が見えた。
俺一人ならば暮らすのには何とかなる。弟もまあ、ああ見えてたくましいところがあるからいざという時は問題なかろう。困ったのはクラリアだ。「親戚を頼れ」と言っても「嫌です」の一点張り。別の奉公先を探してやっても、「気に入りません」と首を横に振る。「嫁の貰い手を探してやろうか」と提案したら、「馬鹿にしないでください」とはねつけられた。
「坊ちゃんが今以上に稼げばよろしいのです。まったく気が利かない」
雇われの身というのにクラリアはぐいとこちらを上から見るようにものを言う。
とはいえ仕方ない。俺は三人で食っていく方法について寝ながら考えた。仕事の量を増やすといっても身体は一つだ。限界がある。家を売ってそれを元手に商売という柄でもなかろう。もっと給金の良い仕事を探さねば。
そういう話を、当時見習いをやっていた時の同期に話したら、「地元からはずいぶんと離れた田舎だが、ある学校で教師を探してる。月給も今の倍は入るから、是非とも行ってみたらどうだ。紹介ならしてやる」と言われた。俺は学のない男だ。魔術も使えん。剣を振るしか能はない。「教師なんて俺ができるかね」と不安がったが、そいつは「大丈夫さ。腕っぷしが強けりゃ問題ない」と請け負った。
腕っぷしだけなら昔から自信はある。教師が何を教えるか知らんが、喧嘩の仕方でも指南してやればよかろう。俺は即座に「なら行こう」と返事をした。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。しかしこれが大変だった。家に帰って「これこれこういう訳だから」と話をすると、クラリアが鬼の形相で俺を睨んだ。「この家を棄てるおつもりですか」と嘆いた。棄てたいから家を出るわけではない。棄てたくないからこそ家を出るのだ。だいたい、もっと稼げと言ったのはクラリアである。この女は相変わらずあべこべだ。
あべこべのクラリアを説き伏せるのには苦労した。三日三晩話し合い、「必ず戻る」と約束したら、条件ひとつを代わりになんとか納得した。その条件というのが可愛いもので、指輪を買って欲しいというものだった。なけなしの金で銀の指輪を買って贈ってやると、クラリアはたいそう嬉しそうに目を細めた。一方の弟はあっさりしたもんで、「いってらっしゃい。お土産よろしく」と軽く言うだけだった。
それから二日経って出立の日になった。わざわざ駅まで見送りに来たクラリアは、しばらく会えないぶんを前借しておくかの如く、いつもよりいっそう適当に俺を扱った。「一人で暮らして何日持つんですか」だとか、「わたしに泣きつくのは勘弁してくださいね」だとか、「クビにならずに一月持てば奇跡です」だとか、色々言いやがる。全部事実だから言い返せないのが悔しい。
それでもいよいよ汽車が駅まで来ると、憎まれ口も幾分ましになって、クラリアは「向こうへ行ってもお大事に」と小さな声で言った。右目が僅かに潤んでいるように見えたのは、気のせいではないはずだ。俺の右目もまた僅かに潤んだ。もう少しでいっぱいに泣くところだった。
汽車に乗り込み、よっぽど動いて引き返せないところまで来てから、窓から首を出して振り向いたら、クラリアは未だにこちらをじっと見ていた。あの憎まれ口が、もう懐かしくなった。