012話:止まらぬ0(ゼロ)
家に着き、車は車庫に収まった。自転車とは違い、片道20分もかからなかった。
それにしても紅水には驚いた。左ハンドルの車をいともたやすく乗りこなすなんて…
以前担任がドイツに行って、左ハンドルの車で事故りそうになった、と言っていたから難しいんだと思っていたが。
もしかして3つ目の魔法ってどんな乗り物でも運転ができる、とかなのかな?
車から降りて車庫のシャッターを下ろす。
今日から紅水の言っていた“ラーニング”をする。今日もバイトがあるので時間を無駄にしてはいられない。
俺達はリビングに入りテーブルについた。
「ラーニングをしてもらう前に、最低限知っておいてほしい事を確認するね」
「うん」
「って言っても全部話してたら時間かかっちゃうからさ 白露はどれほど周りのことについて知ってる?」
「周りのこと?」
「まず今の時代が情報時代と呼ばれているのは知っているわよね」
「ああ、何もかも情報で解決するってやつだよね」
「そうそう!」
「モノの修復は地面に埋め込まれた基盤で、
ヒトの修復はこの銀の輪で…だよね」
現在、以前とは次元の全く違う方法でヒト・モノの修復を行っている。
ヒトの修復はこの紙テープのように薄い腕輪で行われる。メインコンピュータと腕輪はリアルタイムで情報を送受信している。やり取りする主な情報は、着用者の身体の情報である。
仮に突然の事故に巻き込まれて骨折したとする。
すると、コンピュータに残っている事故前の“健常な骨のデータ”をダウンロードされて折れた骨は元通りになる。読み取りには情報庁にある専用の機械が必要となる。
“元通り”なのだからリハビリもする必要がない。
モノの修復もヒトと同様である。ビルが地震で壊滅したらリングの変わりに地中の電子チップが情報のやり取りをする。モノは直したいエリアの座標を指定して修復をする。
こんな方法ができてしまい、医者はシステム開放前と比べ12パーセントにまで、建築業は60パーセントまで減少した。
文字通り医者いらずな世界になりかけている。
右手首を見せて答える
「ところで知ってた?その腕輪I-ブレスレットって言うのだけれど、絶対に取ることはできないって」
「え。そうなの?」
「うん。人体から取り去ろうとすると電気が流れる。それでも取り去ろうとするなら…」
「死ぬ、と?」
「ええ」
「どうして開発者はそこまでしてその、I-ブレスレット?を取らせたくないんだろう」
「うーん、私にも詳しくは分からない。
多分できるだけ多くの人のケガを治したかったんじゃないのかな?ブレスレット無しでは治療ができないし。
聞こうにもシステムを作った大学教授は亡くなっているから無理なんだけどね。」
「さてと…」
紅水は続ける
「ここまでが公に公開されている情報。 それで今から言うのが…
公開する訳にはいかない、トップシークレット。」
「今、怪我や病気になったらこれで治療できるって言ったよね」
ぴとり、とゆっくり指で俺の手首に触れる。
「!? …ああ、そうだね」
いきなり触られ、びくっとなる。
「それを仮に、身体全体に使うとなると、どうなると思う?」
「え?ああ!そうだな。筋肉も臓器も、そして脳も、すべてが死ぬ前の状態になるな」
「そう。右腕さえ残っていれば、いいえ。リングさえあれば死んだ人間を生き返らせることができるの」
「……… それって、倫理的にまずいんじゃないの?」
ライフが尽きてしまったらやり直せばいい。一度電源を切って再起動すればなかったことにできる。
でもそれはゲームの中での話。
命ともなればそういう訳にもいかない
ゲームのように“やり直し”が効かない
ライフがゼロになったらゼロのまま。生は生、死は死。逆はできても死を生にはできない。
俺達人間はそれを定にして生きてきた。
命を大事にしろと。
「だから、技術的にもできないことだ、と報じているわ。 でも本当にできることなんだよ? 実行された事はないらしいけどね」
「なんでそんなことを俺に?」
「白露に知っておいてほしかったから」
手首から指を離す。
「…じゃあ、」
「ん?」
「父さんや母さんにも会えるってこと?」
「あっ… ごめんなさい それはできないの」
「え?人間を生き返らせれるんじゃないの?」
「そう、そうなの。でもお父さんとお母さんはそもそもブレスレットを付けていなかったの」
「付けていなかった?」
「ええ。発明者本人にお願いしたんだって『付けないでください』って」
「そんな…」
だから再会はできない。
ブレスレットさえしていれば生き返れたのに…また会えたのに… どうして着用を拒絶したんだ!! 父さん、母さん!!
二人に対しての疑問が怒りに変わった。しかし抑える。
「…ずっと引っかかってたんだけど、このラーニングってやっぱり俺よりも情報庁の人とか専門の人の方が適任なんじゃないの?」
そんな素晴らしいシステムを構築できる組織だ。日本屈指の天才もいるだろうに
「まだ自分の能力に気づいていないの!!?」
「分身じゃないの!?」
他に何かあるのか?俺に!?
おいおい、マジか! ここで新たな能力の発覚!?
「ま、まあ。分身なんだけどね」
「言いたいのはその能力の絶大な可能性よ」
紅水は通学カバンからのプリントを出す。
「情報庁の研究者は確かに信じられないほどの知識を持っているわ」
「今の彼らの知識量を1,000,000(百万)とする。白露は今ほとんど0ね。」
言った数字をプリントに書く。
「そうだなあ」
常識となっていることすら今になって知ったのだから。
「一日に吸収、理解、記憶できる情報量は科学者は1,000として…」
「秋野白露が分身を最大値“17”まで増やしてラーニングするとするなら、
脳を17個持つ人間なら その一日で扱い得る情報量は…」
カツカツカツ
「3,000?」
カツカツカツカツカツ…
ふるふる、と首を横にふる。数字を書くその手は止まらない。
そして出た数字は
「300,000,000(三億)。」
「さ…んおく?」
「要するに、ほんのちょっとの時間で最高峰の科学者を追い越せるってこと!」
「………あ」
「確かに!」
考えもしなかった。分身はアルバイトのためにしか使っていなかったが、そうか。そうだよなー、そういう使い方だって確かにできる。
“肉体だけでなく脳も増えている”のだから!
「俺、すご…」
俺、すご…
「そうなのよ! それなのに成績は中の下って言ってたから、もしや…とは思ったけど」
本当に気づいてなかったのね、と紅水は少し驚いた顔で続けた。
「ちなみにラーニングは1週間もかからないから」
「なんだ~ もっと大変なことなんだと思ってたけど大丈夫そうだな…」
俺はこの時に気づくべきだった。
ラーニングは序の口であって、父さんと母さんが本当に俺にしてほしいのは別にあったのだということを。