03 やりづらいデート
「薬師寺さん……?」
まるで奇妙なものでも見るように、大は薬師寺を見ていた。
確かに昨日、大はまた会おうと約束はした。しかし麻央は他の大学に通っているはずで、当然彼女もここにいるはずがない。
大の疑問に満ちた視線に気付いたようで、麻央は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの? 私の格好、どこか変?」
「え? いや、そうじゃなくて。何でここに?」
「なんでって、また会おうって約束したでしょ? だから会いに来たんだ」
麻央はさらりと言った。雰囲気から見て、彼女は本気で言っているようだった。
既に夏季休暇に入っている為、大学の構内にいる者は少ない。しかし卒論の為休暇を返上している学生や、サークル活動などで施設を利用している者が、ちらほらと歩いている。
彼らは誰もが、大なり小なり麻央の姿に目を奪われていた。彼女の可憐な肢体から、周囲の者を虜にする、見えない磁場のようなものが発せられているようだった。
大も初対面ならば、彼女の魅力に思考を奪われていたかもしれなかった。しかし今は苦い思い出を反芻していたせいもあり、どう答えるべきか戸惑うばかりだった。
(落ち着こう)
大は自分に言い聞かせた。考え方によっては、これは絶好のチャンスだ。新聞で見た事件について、蘇我と一緒にいた麻央ならば何か知っているかもしれない。
大はできるだけ穏やかに、麻央に尋ねた。
「会いに来てくれたのは、嬉しいよ。俺もちょっと聞きたい話があったから」
「なになに? どんな話?」
麻央が不用意に近づいてきて、思わず後ずさる。
「あ、いや。薬師寺さんにじゃなくて」
「麻央って呼んでよ」
「え?」
「名前。薬師寺さん、なんて他人行儀な事しなくていいから」
「ま、麻央……?」
うん、と麻央がうなずく。久しぶりに会ったというのにやけに距離感が近かった。麻央の物怖じしない姿勢に、どうにもやり辛いものを感じるが、大は気を取り直して話を続ける。
「話ってのは、蘇我の事なんだ。あいつと連絡つかなくって」
「とし君? とし君がどうかした?」
少しがっかりしたような口調で麻央が言う。
「ちょっと、あいつに聞きたい事があったんだけど、昨日から電話しても繋がらなくってさ。あいつがどこにいるか知らない?」
「うーんと、そうだね……」
麻央は少し悩む素振りを見せて、にんまりと笑った。
「じゃあ、あたしからとし君に連絡してみようか」
「いいの? ありがとう」
「気にしないで。だからさ」
大の前で、麻央は思いついたように言った。
「一緒に遊びに行かない?」
───・───
国津大は自分の事を、いわゆる「モテない」タイプの男だと思っている。
客観的に見た場合、彼はそれほど悪い相手ではない。百八十センチをわずかに超える長身に、贅肉のない締まった肉体。顔も真面目にしていれば整っている方だ。しかしその表情やしぐさが、どうにも気弱で奥手に見えて、あまり女性の気を惹かない性質らしかった。
実際に話してみれば、意外な頑固さや積極さが見え、意外と悪くない男だと感じるようになる。
しかしそこで興味を持った女がさらに踏み込もうとすると、大が現在「年上女性と同棲している」という話を聞き、そこでやる気をなくしてしまう。実際は同棲ではなくルームシェアだが、そこまで踏み込む者はいなかった。
大本人が綾以外眼中になかった事もあり、女性との付き合いは下手だと言っていい。
それだけに、大は今、麻央と連れ添って歩くだけで異様な緊張を強いられていた。
時刻は夕方五時を回ろうかとしていた。夏の太陽は最盛期を迎え、沈むにはまだまだ時間がありそうだった。
今の時間、葦原市の中心部に位置する葦原駅、そこから少し南に行ったところにあるアーケード街を、大と麻央は歩いていた。
一緒に遊ぼうと言われて断る理由もなく、大は麻央に連れられるまま、足を運んだ。
麻央が蘇我に連絡すると、蘇我は後から遅れてくるという事だった。適当に待ち合わせをするとして、蘇我が来るまで二人で店を見て回ろうという話になったのだ。
蘇我と連絡がついたことで、大はひとまず安心した。蘇我の話は来てから聞くとして、今の問題は過去の件をどう切り出すかである。
大としては、正直やり辛い気持ちで一杯だった。
ちょうど昔の事を思い出したところに麻央が来たのはいいが、どう切り出したものか悩む。そもそも彼女が覚えているかも分からないのだ。変に切り出せばこの空気が壊れるだけなのではないか。
頭の中でごちゃごちゃと考えが渦巻く中、麻央はそんな事を知らずに、大を引っ張り回していた。
「ほら国津くん、こっち見てよ!」
麻央は大の右腕を引っ張りながら先導し、通りを進んでいく。通りを行きかう人々は、二人の姿を見て奇妙なカップルだと感じたかもしれない。麻央の浮き立つような表情と動きに対して、大は困惑気味で、足取りも重かった。
「分かった分かった、ついていくから、そんなに引っ張らないでくれよ!」
「あ、ごめんね」
やっと気付いたように手を離し、照れくさそうに笑う。まるで友達と走り回る小学生のようだった。
彼女の精神年齢は肉体ほど成長していないのではないか、などと失礼な考えが頭をよぎり、大は急いでかき消した。
「ついついテンション上がっちゃって。国津くんと会うの久しぶりだから」
「いや、いいよ。それより蘇我はいつ来るのさ?」
「うん、その内来るんじゃないかな」
「そのうちって……」
適当な言葉に、大は思わずぎょっとした。来るという話だけ聞いて、それ以上何も確認していない事に気付く。
「待ち合わせの場所は?」
「だいじょうぶ、向こうから見つけてくれるよ」
無茶苦茶な事を、麻央は表情を変えずに答える。別に悪いとも思っていないようだった。
「それより、今は二人で遊ぼうよ。ほら、あれとかかわいくない?」
近くのアクセサリーショップに足を向ける麻央に、大は心中複雑な気持ちでついて行った。
彼女と付き合っているであろう蘇我は、果たして普段どれほど苦労している事だろうか。
店をいくつか見て回り、ゲームセンターで遊び、結局二人はたっぷり一時間は遊ぶこととなった。いい加減日も傾き、空が赤くなり始めている。
最初は蘇我の事を気にしていた大だったが、いつしか二人で色々見て回るのが楽しくなり、時が過ぎるのを忘れていた。
冷房の効いたゲームセンターから外に出ると、耳を刺す騒音が消えた代わりに熱気が肌を包んだ。
「あー、遊んだ遊んだ」
外の風を受けるように、麻央が大きく伸びをした。
「昔はよく遊んだよね。一緒に遊んだのって、いつ以来かな?」
何気ない麻央の質問に、大は思わず顔をしかめた。
「……十年、いや、九年ぶり、かな。麻央が引っ越したのが、小四の頃だから」
「そっか。もうそんなになるんだ」
感慨深そうに、麻央がうんうん、と首を動かす。他意はない口ぶりだったが、それでも大の心をかき乱すには十分だった。果たしてあの日、最後に話した時の事を覚えているのは自分だけなのだろうか。それとも……。
「ねえ、国津くんは」
「ごめん」
今しかない。心の勢いに任せて、大は深々と頭を下げた。
「なに? いきなり」
麻央が驚き、戸惑うような声をかける。麻央からすれば、大の突然の行動は意味不明だろう。大にしても、もっと上手い時期や状況を見計らって言いたかった。
しかし大は、そういった事が器用にできる人間ではなかった。
(今更迷うな)
恥ずかしさに震える心と体に叱咤して、大はずっと溜めていた謝罪の言葉を吐き出した。
「謝りたいんだ。俺達が最後に話した日の事。君に酷い事を言った」
大からは麻央の顔は見えない。果たしてどんな顔をしているのか、確認するのも怖かった。
「麻央の言葉も聞かずに、ついかっとなって、君を侮辱した。俺は嫌な奴だった。もう覚えてないかもしれないけど、ずっと謝りたかった。ごめんなさい」
麻央が口を閉ざしている間、大はずっと頭を下げ続けた。周囲に人がいれば、一体何事かと眉をひそめる事だろう。
冷や汗が吹き出る。体が芯から固くなっていくようだった。
「……国津くんも、覚えてたんだ」
麻央がぼそりと呟いた。
「ねえ、国津くん。とりあえず顔を上げてくれる?」
大は恐る恐る顔を上げた。麻央は真顔になり、その目は冷ややかに見えた。
「私ね。あの時、あなたに嫌いだって言われた時の事、よく覚えてるよ」
「……」
「正直すごいムカついた。大事な事を話そうと思ったのに、国津君はすごい不愛想で」
「いや、それは……」
「黙って」
きつい言葉が突き刺さり、大は押し黙った。
「あたし、すごく悲しかった。だけど、あれからずっと経って、あたしの言った事がすごく不用意で、酷い事だったって分かった」
麻央は辛そうに目を伏せ、大を上目遣いで見た。
「あたしの方こそ、ごめんなさい。あなたの家族を、悪く言うつもりなんてなかった」
「麻央……。その、こっちこそ」
なんだか照れくさくなって、大と麻央はお互いに苦笑した。もっと険悪な空気になると思っていたのに、こう返されるとは大も思っていなかった。
「じゃあ、この話はこれでおしまい。それでいいでしょ?」
「ああ、そうだね。ありがとう。でもまだかな、蘇我は」
大の言葉に、麻央は動きを止めた。不審げに眉を寄せ、
「国津くん。なんでそんなにとし君の事気にするの?」
なんと答えるべきか、大は口ごもった。新聞に載っていた事件について話を聞きたいだけなのだが、麻央に話していいものかどうか。下手に話したら、蘇我を犯人扱いしているのか、と怒らせる事にならないかと少し心配になる。
とはいえ、蘇我と話せばいずれは分かる事だ。できるだけ穏やかに聞こえるように、少し考えて大は口を開いた。
「その……。今朝の新聞に、ちょっと事件の記事が載っててさ。昨日蘇我と一緒にいた人が大怪我をして入院した、って。それで、蘇我が何か知らないかと思って」
「一緒にいたってことは……時田君かな。新聞に載ってたの?」
「ああ。麻央は何か知らないか? 昨日その時田が、蘇我と何か話してたとか、何でもいいんだ」
「……国津くんは、とし君の事を疑ってるの?」
麻央に言われて、大は言いよどんだ。怒っているのかと思ったが、麻央はそのまま言葉を紡いでいく。
「とし君はいい人だよ。あたしを大切に思ってくれてる。あたしを大事に扱ってくれる、優しくて素敵な人なの。もしとし君がその人に酷い事をしたんだとしても、それはきっとあたしの事を思ってのことだよ」
麻央は大を非難するのではなく、言い聞かせるような口調で言った。
恋人を暴行事件の関係者として扱えば、怒っても当然だ。しかしそんな素振りを見せないところに、大は麻央のやさしさを感じた。
「そんな事を聞きたくて、とし君を探してたんだ」
ふうん、と声に出しながら、麻央は大と距離を詰めた。思わずぎょっとするほど近くに寄って、大の顔を見上げる様は、まるで親しい人に抱き着く子供のようだった。
「ありがとう、あたしととし君を心配してくれてたんだね。優しいね、国津君」
ぞくり、と大の背筋に電流が走った。
先程まで全く感じていなかったのに、麻央が酷く魅力的に、扇情的に見えた。
麻央が発した声、彼女の体が放つ香りや熱、彼女自身が気配のようなものまでまとめて、大の五感を強く刺激する。
大の全身の細胞が、甘美な感覚に痺れるようだった。。熱病にでもかかったように頭の芯が熱くなり、思考力が鈍っていく。
(なにかおかしい……)
理性が警告を発するが、体も心も応えてくれなかった。このままではまずい、何かおかしい……。
「おい」
鋭い口調で声をかけられ、大は我に返った。
先ほどまで周囲を包んでいた蠱惑的な空気はあっさりと消え去り、体の異変も急速に正常な働きを取り戻していく。
(なんだったんだ、一体)
頭を切り替えようと、大は軽くかぶりを振った。訳の分からない気持ちを振り払い、声のした方向を向く。
アーケード街の方向から、蘇我が険しい顔をしながらこちらに近づいてきていた。
次回は1日(土)21時頃予定です。
面白いと思っていただけたなら、ブックマーク・評価等していただけると嬉しいです。




