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01 旧友との再会

 ガラス張りの自動ドアを通り抜けて室内に入ると、国津大は思わず身震いした。既に八月に入り、太陽は町中を熱気で支配しているのだが、映画館の中は冷房が効いていてまるで別世界だ。


「意外と混んでるみたいね。もうちょっと空いてるかと思ったんだけど」


 隣で天城綾が話しかける。日曜日の朝、映画館の受付周辺には人の列ができている。人気作の続編が最近封を切られたので、朝から見に来ている者が多いようだった。

 大もうなずいて、


「まあ、このくらいなら大丈夫でしょ。そんなに待たずに済むよ」


 大は鷹揚に答えた。せっかく二人で出かけているのだから、少々待つ程度なら楽しみの一つだ。

 大は綾と共に、映画を見に来ていた。ちょうど大学が夏季休暇に入ったところである。うだるような暑さの中で家にこもっているより、二人でどこかに出かけようという話になったのだ。


 大からすれば断る理由など欠片もない。綾は弟と遊びに行く程度にしか思っていないかもしれないが、大からすれば、例え友人と約束があっても優先する程の提案だった。


 二人は館内を奥に進み、行列に並ぶ。壁に据え付けられた今日のスケジュール表を眺めると、話題作から人気作、様々なタイトルが並んでいる。

 何を見ようか、と考えていると、綾が軽く肩を叩いた。


「ごめん、大ちゃん、ちょっと並んでてもらっていい?」

「ん?」


 どうしたの、と聞く前に、綾の表情で大体察した。


「いいよ、行ってきて。並んでるからさ」

「ごめんね」


 足早にトイレに向かう綾を見送ったところで、大は自分に向けられている視線に気が付いた。

 行列から少し離れた位置で、男が大を見つめていた。


 年齢は大と同年代だろう。背丈も同程度、ボクシングか何かをやっているのか、腕と肩が太い。

 浅黒い肌と鋭い目が印象的な男だった。一見すれば近寄りがたい雰囲気を出している。しかし今、大を見ているその目は敵意を向けているというわけではなかった。何かを思い出そうとしているような、疑問符を浮かべた顔だった。


 その顔を見た時、大も似たような表情になった。同じ大学に通ってるわけでもないが、どこかで見たような顔の気がしたのだ。向かい合って数秒、男が怪訝そうな口調で大に声をかけた。


「ひょっとして、あんた……国津か?」

「ん?」


 声の調子で、大の頭に一人の名前が浮かび上がった。


「もしかして……蘇我?」

「やっぱり国津か、久しぶりだな!」


 男──蘇我の目が和やかに変わり、顔をほころばせる。大も笑顔を返した。

 蘇我敏雄(そがとしお)、中学生のころまで一緒だった、大の同級生で友人だった。大とは別の高校に進学して以降は疎遠になっていたが、昔はよく一緒に遊んだ仲だった。

 

「国津とは中学以来か。お前は大学行ったのか?」

「一応、比良坂大だよ。そっちは?」

「俺は王仁大(ワニダイ)。まあ大したとこじゃねえよ」


「いいじゃないか、大学行けたなら」

「Y県の大学なんだ、ぶっちゃけ田舎だぜ? 地元のいいとこに通えるお前がうらやましいよ、俺は」


 あまりの懐かしさに、ついつい行列に並んでいるのも忘れてしまいそうだった。行列の進みに合わせて歩を進めつつ、大は雑談に花を咲かせていく。


「とし君。どうしたの?」


 大から見て左から声をかけられて、蘇我が顔を向けた。大もそれにつられて左を向く。

 亜麻色の髪が特徴的な小柄な少女が、不思議そうに首をかしげて二人を眺めていた。柔らかくいつも薄く笑みを浮かべた顔は、どこか浮世離れした印象を見る者に与えた。


「ああ、麻央。懐かしい奴に会ってさ」


 蘇我は軽く大を指さした。


「二人とも、覚えてるか?」


 麻央と呼ばれた女はきょとんとした顔で、大を見つめた。大も相手を見つめ返す。かなりの美少女だ。こんな知り合いが果たしていたか、記憶を探っていて、一人の名前が出てきた。


「……国津君?」

「薬師寺……さん?」


 名前を口にした時、大の胸が締め付けられるようにうずいた。薬師寺麻央。彼女も蘇我と同じ、大の小学生時代の同級生だ。

 麻央は小学校を卒業する前に転校してしまったが、その頃の面影を彼女は強く残していた。


「ほんと懐かしい。10年ぶりかな?」


 麻央はほがらかに笑った。白いシャツにふんわりとしたプリーツスカートが小柄できゃしゃな体を包み、穏やかで優し気な印象を与えている。男ならば誰でも、その笑顔を守ってあげたいと思う事だろう。

 しかし大は、どう反応すべきか戸惑っていた。顔が強張っているのが、自分でも感じ取れた。

 大の気持ちを知る由もなく、蘇我が麻央に声をかける。


「よく分かったな。俺も気付くまで時間がかかったのに」

「そう? 国津君、全然変わってないと思うけど」


 麻央の物言いに大は苦笑した。


「変わってないって、ちょっと複雑だな。小学生の頃から変わってないって事になっちゃうし」

「外見じゃなくて、なんていうか雰囲気がね。気は優しくて力持ち、って感じ」


 くすくすと麻央が口元を抑えて笑う。


「俺たち、これから他の奴も連れて遊びに行くんだけど、お前もどうだ?」

「他の奴って、学校の同級生か?」

「そう。まあ何人かはお前も知らない奴だけど、一人で映画見るならいつでもいけるだろ?」


 久しぶりの再会である。蘇我の誘いにも興味はある。

 しかし大は軽く首を横に振った。流石にこのタイミングで、先約を反故にする気は起きない。


「悪い。実は今日、一人で来てるんじゃないんだ」

「なんだ、誰か友達と来てるのか?」


 蘇我が尋ねた時、ちょうどいいタイミングで綾が姿を現した。


「ごめんなさい、大ちゃん。待った?」

「大丈夫。ちょっと友達と会ってさ」


 突然の乱入者に、蘇我も麻央も眼を瞬かせた。百七十センチを超える綾の長身と美しさは、ただでさえ周囲の人目を引く。それが友人の知り合いとくればなおさら驚きだろう。


「国津。お前、こんな美人と付き合ってるのか?」

「お前も知ってるだろ。小学生の頃うちに来てた、天城綾さん」

「ああ、あの高校生の。へえ……」


 蘇我が感心するような声を出す。大が小学生の頃、綾は大の叔父と親交があり、よく大の家にも来ていた。大の家に友達が遊びに来ていた時、綾と遭遇することも何度かあったのだ。

 綾がちらりと蘇我達に目をやり、軽くお辞儀する。


「はじめまして、でいいのかな。私は天城綾。大ちゃんの友達?」

「え? ええ、蘇我っていいます。こっちは薬師寺」

「よろしく」


 麻央も控えめだが会釈する。綾が気になるのか、何か不思議なものを見ているような目で、上から下へと視線を動かしていた。


「ええ、こちらこそ」


 綾は特に気にせず、挨拶を返した。驚きを隠せない蘇我の反応に、大は軽く胸を張りながら言った。


「まあ、そういうわけでさ。俺達これから二人で映画見るから」


 自分でも少々自慢げな物言いだとは感じたが、こればかりは仕方ない。大の顔を蘇我はにやにやと眺め、


「わかったよ、じゃ、また別の日に遊びに行こうや」

「ああ、そうしよう。また連絡するよ」

「よし。じゃ、麻央。俺たちも行こう」


 蘇我が促すと、麻央も我に返ったように頷いた。


「今度、また会いに行くね、国津くん」


 別れの声をかけながら、麻央は未練そうに大をちらちらと眺めつつ、出入り口に向かう蘇我の後を追った。

 蘇我達の向かう先に目をやると、出入り口の近くに男たちが数人、蘇我達に声をかけているのが見えた。おそらくあれが蘇我の言っていた友人達なのだろう。

 蘇我と麻央は柔らかく、しかししっかりと手をつないで歩いていく。


「へえ……」


 大の口から、思わず軽く声が漏れた。二人が深い関係になっているとは、大も驚きだった。

 麻央は蘇我に向けて柔らかく微笑み、もう大の事を忘れてしまったかのようだ。友人達と合流し、大勢で出ていく蘇我達を見送りながら、大は心中複雑な気持ちにとらわれていた。


「大ちゃん、どうかした?」


 綾が声をかけた。


「なんだか辛そうな顔してるね」

「そう? 参ったな」


 付き合いの長さのせいか、綾にはすぐに大の考えが読まれてしまうらしい。


「別に、大したことじゃないよ。昔あった事を思い出しただけ」

「なになに、思い出話? 一体何があったの?」

「映画を見た後で話すよ。ほら、行こう行こう」


 行列の前方が終わるのを見て、大は少々強引に話を打ち切った。

 券売機に向かいながら、大は胸に、苦いものがじわりと広がっているのを感じていた。



 薄暗い室内に、肉を打つ音がこだましていた。

 市内にある、つい最近閉店したボウリング場である。


 小物はすべて撤去されているが、大きな機械類や備え付けのソファはそのままになっている。照明も音楽もない娯楽施設の残骸は、見ていてひどく物悲しい。


 その中のボウリングレーンの一つで、二人の男が向かい合って立っていた。


 どちらも二十歳そこそこといったところか。無傷の一人に対して、もう一人はひどい顔だった。殴られた跡があざになり、荒い息を吐く口元からは血が垂れている。茶に染めた長髪にも、ところどころに血がついていた。

 口内を深く切られて、溢れた血が唾と混じったのだろう。よだれのように流れる血が、シャツを赤く染めていた。


 荒い息を吐きながら、血まみれの男が右拳を握りしめた。大ぶりな右フックを、無傷の男があっさりとスウェーでかわす。

 返す刀で、無傷の男が動いた。長い両腕をコンパクトにたたみ、一気に右ストレートを放つ。一直線に放たれた拳は、狙い違わず男の鼻に打ち込まれた。


 血まみれの男が、両手で鼻を抑えた。激痛を必死に耐え、くぐもった悲鳴を漏らす。指の間から、どろりと血が垂れていた。骨にひびくらいは入っているかもしれない。

 それでも、血まみれの男の戦意は衰えなかった。顔の下半分を真っ赤に染めながら、それでも拳を握り構えを取る。気の弱いものが見れば気絶しそうな、凄惨な姿だった。


 両足の位置は固定したまま、男たちは交互に殴り合う。先に倒れたほうが負け。逃げることは許されない。血と暴力を生むだけの、単純で残虐、残酷なゲームだった。

 座席に座った男達が、二人に応援や罵声を浴びせかける。互いに足を止め、血まみれになりながら殴り合うこの異常な状況下を、この場にいる者は皆受け入れているらしい。


 はあ、と無傷の男が嫌そうに溜息をついた。構えた状態で軽く体をゆすり、タイミングをはかって拳を放つ。

 茶髪は腹を後方に引こうとしたが、間に合わなかった。左のフックが脇腹に突き刺さる。

 今度は茶髪男も耐えられなかった。その場に倒れ、脇腹を抑えて悶え苦しむ。そのさまを、無傷の男は冷たく見下ろした。


「これで、終わりだな」


 無傷の男がぼそりとつぶやく。それよりも早く、座席から少女が駆け出し、倒れた茶髪男に駆け寄っていた。


「時田くん!」


 少女は時田と呼ばれた茶髪男の下で膝をつき、上体を起こす。その瞳からは大粒の涙がこぼれ、時田の顔にぽたぽたと落ちた。


「ごめんね、時田くん。あたしの為に頑張ったね。ありがとう。ごめんね……」


 少女の言葉に、時田が切り傷だらけの唇を笑顔に歪めた。血に濡れるのもいとわず男を介抱する彼女の姿に、時田は痛みも忘れたように恍惚の表情を作っていた。


「もういいだろ、麻央」


 無傷の男が冷たく声をかけた。


「そいつはもうほっといて、俺を見ろよ」


「蘇我くん……」


 少女──麻央は蘇我を複雑そうに見上げた。蘇我の言葉に逆らうまいとするように、時田の体をゆっくりと下ろした。

 そのまま立ち上がり、蘇我と向かい合う。白いシャツとプリーツスカートが血の赤に染まり、異様なコントラストを描いていた。


「わかっただろ。こいつの愛なんて口先だけだ。お前を一番愛してるのは俺なんだ」

「……」


「お前のためなら俺はなんだってしてやる。俺は強い。お前が頼むならヒーローだってぶちのめしてやる。それこそミカヅチだろうが、ティターニアだろうが、グレイフェザーだってな」

「でも……」

「まだ足りないのか? なんでわからない? 俺の何が満足できないんだ?」


 麻央は何も答えない。蘇我は苛立ちを隠さずに、ため息をついた。


「国津か」


 びくり、と麻央が震えた。蘇我は鋭い目つきで、麻央をなぶるように睨んでいる。


「久しぶりに会ったもんな。あいつの事が忘れられないのか?」

「それは……」

「あいつはお前の事なんか、なんとも思ってないぞ。別の女と一緒にいたのを見ただろ?」


 麻央は口をつぐみ、ただ蘇我の言葉を受けるだけになっている。そんな麻央の肩を、蘇我は両手でつかんだ。


「俺だけを見てろ。お前の一番は俺なんだ」

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