エピローグ
戦いが終わった後、ミカヅチとティターニア、そして日美香は、祭壇の間で座り込んでいた。
大達の前にいる蝗神は完全に石像の姿に戻り、待っている間も動かなかった。最初に見た時と違い、何かにすがりつこうとするように手を伸ばしている。その姿からは最初に感じた威厳は消え去り、一種の哀れさが感じられた。
大は視線を石像から下に移した。瀧彦が人一人を担ぎ、こちらに向かってきていた。
「見つけたぜ。生きててくれたよ」
三人の前で瀧彦はにやりと笑い、肩に担いでいた男を慎重に下ろした。金城は腹に灰色の糸を包帯のように巻かれ、荒いがしっかりと呼吸を繰り返していた。
瀧彦に聞いた話では金城の傷はかなり深かったはずだが、ある程度動いても問題ないように治癒されていた。蝗神の復活の後、超人である彼も眷属として利用しようと、伽彦は考えていたのかもしれない。
「これで、ここにいるマレビトは全員ですね」
瀧彦の隣で真尋が言った。金城の隣では外川が横になっている。彼女は金城とは対照的に、穏やかな眠りについていた。
彼女は気を失ったまま、未だ目覚めていない。無理に起こす事もないとミカヅチたちは思っていた。また騒ぎを起こしかねないし、目覚めれば伽彦の事を思い出す事になるだろう。
真尋は大達の前にある幕を見た。ゆらゆらと不安定ではあるが、半透明の幕はいまだ外の世界の姿を映していた。
「良かった。これで全員、外の世界に戻れますね」
「それじゃ、本当に戻っていいの?」
大は真尋達に問いかける。真尋はためらいなく頷いた。
「はい。伽彦さんの言った事が本当なら、これを通れば外の世界に戻れるんですよね」
「だけど、村の方も大変なんじゃない?」
今回の作戦で、村の自警団は多大な被害を負っていた。伽彦は死に、自警団の半分近くがやられている。加えて村人たちの中に、伽彦や夏菜のような、蝗神の眷属がいる可能性が高いのだ。
大としても、元の世界には戻りたい。しかし葛垣村が危険に晒されている事もまた事実である。
「味方が一人でも多い方がいいだろ?」
「だから、外の世界から味方を連れてきてほしいんです」
真尋は言った。
「外の世界には、国津さんや天城さんみたいな超人が大勢いるんでしょう? その人たちの力をお借りできるようにしたいんです」
「あんたらが俺達の事を伝えてくれたら、俺達の世界と外の世界を行き来する方法が見つかるかもしれないしな」
瀧彦が援護する。
「俺達はここで、蝗神の封印を見張るよ。村も守っていく。だから、いつか俺達のところに、味方を連れてきてくれ」
「そうよ、瀧彦。村を守るのは、私達八十神と、九段の家なのだから」
日美香も頷いた。三人の瞳には、先程までの哀しみの色はもうない。
彼らはこれからもずっと、この村の為に戦っていくのだろう。どれだけ辛くとも、それを乗り越えていく強さを持った人達だった。
これ以上反論する言葉は、ミカヅチには思いつかなかった。
「分かったよ。行こう、ティターニア」
「ええ」
金城と外川を肩に抱きかかえ、二人は幕の方を向いた。蝗神が封印されたためか、幕は既に不安定になっている。一度幕を通ればかき消えてしまいそうだ。
なんとなく、ミカヅチは右隣りのティターニアに手を伸ばした。ティターニアは不思議そうな表情をしたが、意図を理解して左手を伸ばし、しっかりと握りしめる。
ここをくぐった先に何が待っていても、二人はけして離れない。
「待ってます、みなさん。またいつか」
真尋の言葉にうなずき、二人は同時に足を踏み出し、思い切って跳んだ。
幕をくぐった瞬間、世界が一変した。
うっすらと見えていた世界が急に色濃く見え、全身が痺れるような感覚に襲われる。
ミカヅチはふらつく足取りで、なんとか屋敷の床に着地した。膝を曲げて金城を落とさないようにバランスを取る。
ゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。窓から入ってくる光はわずかで、視界は悪い。外は既に夜になっているようだ。
寂れた建物の中には、黒っぽい機材があちこちに置かれ、それを繋ぐ配線が足の踏み場もない程に散らばっている。葛垣村に来るときに、大達が運んでいた機材だ。
外からはけたたましい車のエンジン音が、あちこちから聞こえてくる。いつもならうるさくて顔をしかめる音だが、今は無性に懐かしかった。
「ほんとに、戻って来たんだ……」
間違いなく、ここは葦原市のあの幽霊屋敷だった。
ミカヅチは大きく息を吸い、そして吐いた。葛垣村とは匂いが違う、空気すら違う。だが息をするだけで、帰ってきたとという実感が湧いてきた。
ふと、ミカヅチは振り向いた。先ほど自分達が通ってきた幕は既にかき消え、あとには何も残っていなかった。
「待ってます」
真尋の声が、葛垣の風に乗ってまた聞こえた気がした。
─────
大達が葛垣村から葦原市に戻って、一週間が経った。
帰還した大達は、屋敷の外にいた『アイ』の調査員たちに、手洗い歓迎を受ける事となった。消えたはずの二人が、更に別の場所で行方不明になっていた二人を連れて帰ったのだ。この事件は大々的に取り上げられ、各地でニュースとなって広まる事となった。
驚く事に、幽霊屋敷で大達が消息を経ってから帰還するまで、こちら側では半日程しか経っていなかった。専門家は時空のねじれが、いや時間の進み方の違いが、などと色々話しているようだが、実際のところは定かではない。
何にせよありがたいことに、大は休日に精密検査を受けただけで済み、月曜から変わらず大学に通う事ができたのだった。
大達が発見された報告を受けて、灰堂は風のような速さで大と綾のもとに現れ、頭を下げた。
「すまん。まさかこんな大事になるとは思わなかった」
そう謝罪する灰堂をなだめ、大達は葛垣村の事について語った。灰堂は村と村に行き来する方法について『アイ』が徹底調査すると請け負ってくれた。
「そんな恐ろしい神がいるというなら、これは村だけじゃない、世界にも関わりの有る問題だ。俺達が対処しなきゃな」
そう語る灰堂は流石に頼もしかった。
そして今、大と綾は事件の発端となった屋敷を見にきていた。
屋敷に面した道路の端に車を止め、車内から様子をうかがう。屋敷の庭には『アイ』の車両が何台も止まっている。専門の調査員たちが、車両と屋敷を行きかう姿が見えた。
大達が帰還して以降、『アイ』は葛垣村と日本を繋ぐための手段を構築する為、研究に躍起になっている。当然ながら、しがない大学生でしかない大には、研究に参加する事はできない。帰ってきた当初に、職員からの質問に答えた程度だ。
今の状況がどうなっているのか、大には既に分からなくなっていた。
「ねえ、綾さん。俺達、もっと他にできる事ってなかったのかな?」
屋敷をぼんやりと眺めながら、大は呟くように言った。
葛垣村は今頃、山積みの問題苦しんでいる事だろう。真尋達が抱えている問題は、どれも一朝一夕には解決しない難題だ。例え村に大が残っていたとしても、できる事はあまりないのかもしれない。
しかし、村の事が完全に自分の手から離れてしまった事が、大には酷くもどかしかった。
「自分が何もできないでいるのが嫌?」
綾に尋ねられて、思わずどきりとする。
「俺って、そんなに分かりやすい?」
「まあね」
思わず悩む姿を見せる大に、綾が微笑んだ。
「人間、やりたい事全てをやる事はできないわ。それでも私達は、村の為にできる事をやった。そうでしょう?」
「うん」
「今は他のできる人達が、やるべき事をやってる。また私達にできる事が起きたら、今度は私達がやる番。そういうものよ」
「……そうだね」
例え英雄を名乗っていても、今の大にできる事はあまりに小さい。それでも、自分にできる事が見つかったならば、迷わず進んでいきたい。大はそう思うのだった。
「それじゃ、帰りましょうか」
綾が車を発進させた。ゆっくりと車は加速し、バックミラーに映っていた屋敷はだんだんと小さくなっていった。
後に、『アイ』は日本と葛垣村がある異世界とをつなぐ技術を開発し、大と綾は真尋達と再会する事となる。しかしそれは、また別の話である。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
区切りのいいところまで投稿しましたので、一旦完結とします。
また新しい話を考えつき次第、ここで続きを投稿していきたいと思いますので、宜しくお願い致します。
面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価等していただけると嬉しいです。




