43 決着
爆発と衝撃が部屋中に広がった。
緑と白銀、二色の閃光と共に土埃が巻き上がり、二人の姿を覆い隠す。
「ミカヅチ……!」
腕で土埃を防ぎながら、ティターニアが呻くように名を呼んだ。残っていた禍蟻達も騒ぎ立てる姿が、霞む視界の中に見えた。
二色の光が渦を巻いて膨らむ中、不意に一つの影がはじき出されるようにして宙を舞った。
影は受け身も取れず、ティターニアの近くに落ちて転がった。
「ミカヅチ!」
影の正体に気づき、ティターニアが声を上げる。走りよって上体を抱き起こそうとした時、光はあっさりと消えた。
光が消えた後、二人が衝突した地点に、伽彦は立っていた。三本の左腕から肩口にかけて、いくつも傷が走り、何本か指の骨が折れてあらぬ方向に曲がっている。どろどろとした赤黒い粘液のような血が左腕を染めていた。
「今のは、危なかったよ……!」
伽彦は断続的に、荒い息を吐いていた。
ティターニアは顔をしかめた。まさかという思いが走る。ダメージは負っているが、巨神の一撃の直撃を受けたにしてはあまりに浅い。いかに気虫術が強かろうと、あれだけ力を込めた一撃ならば、彼の半身を砕いてもおかしくはないのだ。
「ミスったよ……」
ティターニアの腕の中で、ミカヅチが苦しげにうめき声を出した。その脇腹には十字の傷跡が刻み込まれ、血が溢れ滲んでいた。
息をする度に激痛が走る。臓器までは届いておらず、巨神の加護が傷を癒やしてはくれるが、傷に熱した火箸を突き刺したような激痛が全身を貫くのだ。
なぜ伽彦を倒せなかったか、ミカヅチには分かっていた。ミカヅチが巨神の一撃を放った直前、伽彦は三つの盾を突き出して視界を塞いだ。それと同時に、右手から気虫術で蜂の弾丸を産み出し、ミカヅチの腹目掛けて打ち込んだのだった。
インパクトの瞬間、弾丸がミカヅチの腹に突き刺さった。その衝撃と痛みがわずかにミカヅチの集中を途切れさせ、巨神の一撃をわずかに弱体化させた。
ティターニアの牽制で動きを封じられながら、ミカヅチの一撃に対して完全に対処した。恐るべき判断力と技術だった。
「蜂の弾丸は敵を貫かずとも、致命の毒を打ち込む。君の体なら死ぬまではいかないだろうが、当分は動けないんじゃないか?」
伽彦の言葉の通りだった。肉を溶かし破壊しようとする猛毒と、傷を治癒しようとする巨神の加護が、ミカヅチの肉の中でぶつかり合っている。二つの力のせめぎ合いが起こる度、ミカヅチに痛みとなって伝わった。
ふらつきながらも、ミカヅチはなんとか立ち上がった。膝が抜けそうになるのをなんとかこらえる今のミカヅチは手足を動かすだけでも、ひどく精神を消耗していた。
「どうする、まだ戦えるか?」
対する伽彦の体から流れていた血は止まり、傷は既に癒えようとしていた。
生き残った禍蟻の群れがミカヅチとティターニアを囲い、逃げ出せないように輪を作っていた。奥の祭壇では、誠人への吸血はより強くなっているようで、既に儀式も終わりを迎えようとしているようだった。
自分達だけでは、もう間に合わないかもしれない。
「やるさ……!」
ミカヅチは構えようとしたが、その動きは緩慢だった。なんとか握っている棍も、振るだけですっぽ抜けてしまいそうだった。
その動きを見て、伽彦は軽く首を傾げた。
「ずいぶんな負けん気だね」
「うるさい」
「君達は、何故俺たちをそっとしておいてくれないんだ?」
今にもため息をつきそうな口調だった。
「俺たちのことなんて放っておいて、村でおとなしく子供を作っていれば良かったんだ。そうすれば君達は家族の元に帰れたのに」
「……子供を、家族を見捨てて帰るなんてできない」
「子供なんてまた作ればいいじゃないか。自分の血を後に残すなら、それが一番の方法だよ」
肩を竦める伽彦を、ミカヅチは辛そうに顔をしかめつつ、だがはっきりと気持ちを言葉にして言った。
「伽彦さん。あなた、家族が理解できないんですね」
「なに?」
「蝗神の眷属として生まれたのに、ずっと八十神の家で人間として生活してきた。自分とは違う存在なのに、家族はみんな自分を人間として愛してくれた。だけど自分は家族を信じられない。人間じゃないから」
「……」
伽彦は答えなかった。
初めて出会ったときから、伽彦の言動や表情には違和感があった。まるで人間の感情を計算して表現しているような、どこか歪に感じるところがあった。妖虫がとりついた為だと思っていたが、それだけではないのだとミカヅチは気付いた。
彼の感情はどこかが欠落していた。喜怒哀楽自体はある。だが人間が感じる愛情や信頼、そういったものが抜け落ちていた。それを今まで、周囲の人間を観察し、計算で補っていた。
「あなたが日美香さんに、家族だから約束は守る、って言ってたところを見ました。ずっとそう言い聞かせてきた。だけど何故家族が大切なのか、自分でも分かってないんじゃないですか」
「……」
「俺達の気持ちは、あなたには一生わからないよ。そうじゃなきゃ、子供をまた作ればいいなんて言えない。俺達とあなたは、心の根っこの所が全く違うんだ」
「……そうだね。そうかもしれない」
伽彦の目が冷たくミカヅチ達を見据えた。六本の腕を振るい、全てに緑の剣が生み出される。
「それで、君の無駄話の間に俺は傷を癒やした。君の毒はまだだろう?」
それは正しかった。全身の痛みは未だ激しく、まともに動けそうにない。一発拳を振るうだけで力尽きてしまいそうだ。
しかし、話で時間を稼いだのは相手だけじゃない。
「ティターニア」
ミカヅチは指を二本伸ばし、ティターニアに見せる。
「正直、俺はちょっと動けそうにない。うまくいくかわからないけど、やってくれる?」
「ミカヅチ……」
ティターニアは心配そうにミカヅチを見た。しかしミカヅチの目を見て頷いた。
「やるしかなさそうね」
ティターニアが棍を変えて双剣にし、構えをとる。ミカヅチは呼吸を必死に整え、意識を集中させた。
それを見て伽彦も臨戦態勢をとった。獲物に飛びかかる肉食獣のように、一気に飛び出す瞬間を狙う。
引絞った矢のように、伽彦が動こうとする瞬間、ミカヅチは術を発動させた。
ミカヅチとティターニア、二人の姿が無数に分かれ、周囲の禍蟻と伽彦に向かって飛びかかった。
「む!」
意表をつかれ、伽彦は動きを止めた。左右からティターニアが斬りかかるのを、副腕で十字に切り裂き、前方のミカヅチの喉笛を貫く。破壊された人影は血を吐き出す代わりに、光る泡となって弾けて視界を塞いだ。
周囲の禍蟻も、状況の変化に驚いて混乱していた。幻影を切り裂き、噛みつくが弾けて消える。どれが本物かわからず混乱し、互いに体をぶつけるものもいた。
ミカヅチの幻術としては最大規模のものだった。これだけの数の幻を産み出し、ばらばらに動かし続けるのは精神力をひどく消耗する。あまり長くは持たない。使い続ければいずれ失神する。そうすれば後に待つのは死だけだろう。
しかし今は、後先など考えていられなかった。できるだけ時間を稼がなければならない。
「ちっ」
伽彦は舌打ちし、近寄る幻を斬り捨てていく。本物のティターニアは自分の幻影達と共に走った。ミカヅチが動けない今、幻影に気を取られているこの瞬間しか伽彦を倒す機会はない。
幻影を合わせ、四人のティターニアが剣を構えて突撃する。左手の剣を前に、右手の剣を担いで斬りかかる。
瞬間、伽彦は己から向かって右方向のティターニアに突進した。
「!」
振り下ろされる本物のティターニアの剣を左手で受け、右の剣で横薙ぎに切払う。ティターニアは剣で受け止めるが、伽彦の副腕が更に剣を振り回す。
首を狙う右からの一撃を体を反らしてかわす。左脇腹の副腕が突き刺そうと迫るのを、右の手甲で弾く。更に続けて左肩の副腕が振り下ろされた。
緑色の閃光が煌めき、赤い線が飛び散った。
「くぅ!」
「ティターニア!」
ミカヅチは思わず叫んでいた。集中が切れ、幻影が消え去っていく。
ティターニアの手から双剣が離れ、軽い音を立てて転がる。
倒れたティターニアの胸元は、伽彦によって真っ直ぐ切り裂かれていた。首から下をぴったりと覆う青い衣が裂け、白い肌をのぞかせている。肌には浅いが切り傷がしっかりと縦に走り、吹き出た血が肌と衣を赤く染めていた。
「消える以外にも、幻を作る事もできるのか」
伽彦が大剣を、ティターニアの首元に突き立てた。ティターニアは悔しげに歯を噛み締めながら、火が出るような視線を伽彦にぶつけていた。
斬られる瞬間、ティターニアは軸足をわざと抜き、後方に倒れていた。転がるようにしてでも回避しなければ、おそらく真っ二つにされていたことだろう。
「少し驚いたよ。だが俺には幻を見切れると言っただろう? これだけなら、結局ただの時間稼ぎでしかなかったな」
「……ええ、そうね」
目の前に突き出された剣に怯えることもなく、ティターニアはゆっくりと息を吐いた。
「とりあえず、十分に時間稼ぎはできたわ」
「なに?」
言葉の意味を捉えきれず、伽彦が眉を寄せる。不意に、弾かれたように振り向いた。
部屋の奥、祭壇の前に置かれた円卓。そこにいるはずの誠人は既になく、代わりに触手を切り刻んだ瀧彦と、誠人を担いだ真尋の姿があった。
「瀧彦……!?」
予想外の存在に、伽彦の目が大きく見開かれる。
ミカヅチがここまで大量の幻を見せたのは、祭壇の間まで来ていた真尋達の動きから、注意を反らす為だと気付いたのだ。
伽彦に初めてできた大きな隙を、ティターニアは見逃さなかった。
勢いよく右足を蹴り上げ、突き出された剣を持つ手首を蹴り飛ばす。腕が弾き飛ばされ、剣は手から離れて宙へと舞い上がった。
そのまま勢いをつけて立ち上がり、一気に前に出る。力強く踏み込んで懐に入る。
足先から全身の関節を回転させ、力と速度を高めた左の鈎打ちが、伽彦の脇腹に綺麗に打ち込まれた。
「がっ!」
この姿になってから初めてのクリーンヒットに、伽彦の体がくの字に曲がる。たたらを踏んだ伽彦に向かって、ティターニアは右の拳を握りしめ、狙いをつける。
「やぁーッ!」
右ストレートが伽彦の胸を打ち、瞬間、今日二度目の閃光が胸を貫いた。巨神の一撃のエネルギーが放出され、爆発となって伽彦の体を吹き飛ばす。
伽彦の体が宙を舞い落下する先で、ミカヅチは拳を握りしめていた。
足はまだまともに動かない。今使える力は拳にまとめて溜め込んでいる。ティターニアと事前に決めていた、巨神の一撃の連携がうまくいくか自信はなかった。
だがティターニアは完璧にお膳立てをした。ならこちらもやるしかない。
回転しながら落下する伽彦目掛けて、ミカヅチは全身の力を振り絞って右拳を振り回した。
打ち込まれた巨神のエネルギーが、硬い腹の装甲を砕いた。




