42 最終決戦
直撃を受けて、伽彦の体は浮き上がった。
まるで車と正面衝突したような一撃に体が回転し、受け身も取れずに地面に転がった。
「武器がなかったら戦えないと思ったか? 偉大なる巨神の子をなめるなよ」
半ば強がりの軽口を叩きながら、ミカヅチは投げた大剣を手元に引き寄せた。剣に絡まっていた伽彦の大剣は、既に無数の光の粒となって虚空へと散り消えてしまっている。
「伽彦さん!」
外川が悲鳴のような声を上げながら、伽彦の下へと駆け寄った。地に倒れ伏した伽彦の体は、全く動きを見せていない。既に意識を失っているのかもしれない。
できればそうであってほしい、ミカヅチは切実にそう思った。
「ミカヅチ!」
ティターニアが近寄ってくるのが見えた。少なからず傷を負ったようで、全身を包む巨神の衣に傷がつき、血がにじんでいる。
「イドムは?」
「なんとか倒したわ。後は誠人くんを助けないと」
周辺の禍蟻達は命令系統を失い混乱状態にあるようだった。こちらを攻撃するでもなく、ただせわしなく動きながら、ミカヅチ達を遠巻きに眺めているだけである。無理に相手をする必要もなさそうだった。
ミカヅチは祭壇に目を向けた。誠人に巻き付いた触手の動きは変わらず、血を吸い取るように収縮を続けている。最初に見た時と変化はまだ見られなかった。
「まだ間に合う……」
歩き出そうとして、全身を襲った気配にミカヅチは足を止めた。ティターニアも同じものを感じたらしく、弾かれたように気配の方向を見た。
気配は倒れた伽彦からだった。隣で抱き起こそうと膝をついていた外川が、恐ろしいものを見たように全身を小刻みに震わせていた。
突然、服が裂けた、露になった上半身で筋肉が膨れ、肌は次第に色を失っていく。全て燃やし尽くした灰のような色になった肌のあちこちが裂け、奇妙な紋様を全身に描いていく。
やがて肌の一部が膨らみ、硬質化していく。艷やかな光沢を放つミッドナイトブルーの鎧へと変わっていった。
ミカヅチの脳裏に、ラキの姿が浮かんだ。あの時と同じく、伽彦の体を奪った妖虫が、真の姿を見せようとしている。
手を使わず、伽彦は上体を起こした。布が裂けるような音がすると、両肩と脇腹に亀裂が走り、そこから細い触手が顔を出した。
ぬめぬめとした粘液に包まれた触手は、二度三度と振り子のように体を揺らすと、またたく間に硬質化した。二対の副腕が、動きを試すように手を握り、開く。昆虫の脚や動物の骨を思わせる細い腕なのに、その動きは力強かった。
外川が絶叫した。見てはならないもの、おぞましいものを目の当たりにしたような、今までの人生で得てきた理性や知性を吐き出すような、本能が出させる恐怖の叫びだった。
伽彦は立ち上がった。既に人間の姿を残しているのは、わずかに頭部の上半分のみとなっていた。仁王立ちとなったその体は、青黒い鎧に全身を包まれただけでなく、その骨格もどこか歪に変化しているように見えた。
「どいていた方がいいよ、外川さん」
恐怖に硬直した外川を、伽彦はちらりと見やった。ラキと同じく、口調は普段と同じだが、わずかにかすれた声だった。
しかし外川が我を保っていられたのはそこまでだった。目の前の恐怖の姿に、外川は気を失い、糸が切れたように地面に倒れた。
外川をそのままにして、伽彦は前に出た。自分の体の仕組みを思い出すように、伽彦は六本の腕を大きく伸ばす。元からあった二本の腕を胸の前で軽く合わせると、その姿は異形の神を守護する阿修羅を思わせた。
「この姿を見せたくはなかったよ」
しょうがない、とばかりに伽彦は言った。
「これをやると、元の姿に戻るのが大変でね。だが君達は恐るべき存在だ。何をやってでも、ここで倒す。我らの神の為に」
「それはこっちの台詞よ」
ティターニアが双棍を構えた。ミカヅチも続く。
この状況、普段ならば一方が時間を稼ぎ、その間にもう一方が誠人を助けに向かう。誠人が血を吸われはじめてだいぶ時間も経っている。できるだけ早く助けに向かいたいところだ。
しかし、今回は二人ともそういった事は口にしなかった。目の前にいる相手の放つ暴力的な気配が、一対一では危ういと感じさせているのかもしれない。
それに、例え一人が時間を稼いで誠人を助け出しても、誠人を抱えたまま二人がこの男から逃げ切ることは不可能だろう。
ミカヅチは棍を強く握りしめた。これほど危険を感じたのは、一ヶ月程前、過去から転生してきた英雄達と対峙して以来のことだ。
三人から溢れ出る戦意が、互いを制しようとぶつかりあい、ちょうど中間の空間で圧を高めていく。
伽彦の瞳が糸のように細められた。笑っている。いつもの何を考えているのか、感じているのかわからない薄い笑みとは違う。歓喜を感じているのが伝わる強い笑みだった。
瞬間、圧が弾けた。
「ふっ!」
「はぁっ!」
「しゃあ!」
三人が同時に走った。
先にミカヅチが前に出た。伽彦が左の剣で、ミカヅチに向かってから竹割りに振り下ろす。
左手の棍で剣を弾きながら、ミカヅチは右に回り込んだ。右手の棍を首筋目掛けて思いっきり打ち込む。牽制の一撃など無用だ。怪物相手には最初から全力を叩き込むしかない。
白銀の光が筋となって放たれた棍は、首に当たる前に動きを止めた。左肩から生えた副腕が、棍を掴んで長い指で握りしめていた。
まずい、と考えた時には、ミカヅチの体は浮き上がっていた。
脇腹の副腕が地を這い、アッパーカットがミカヅチの腹を打ち抜く。
腹に刃物を突き刺された気分だった。骨のような細さでありながら、副腕の怪力は巨神の子にも匹敵する。
「シッ!」
追い打ちをかけようとする伽彦に、ティターニアが迫っていた。ミカヅチとは逆方向から、棍を長巻のような形をした剣に変え、袈裟斬りに剣を振るう。
「おっと」
伽彦は空いていた右手の剣で棍を受ける。同時に右肩の副腕が爪を立てて、ティターニアの頭目掛けて振り回された。
「くぅ!」
屈むようにして爪を避ける。更に迫る腹の副腕を剣で受ける。刃とぶつかった副腕の拳は、鉄塊をぶつけたような音と感触があった。
その隙に、ミカヅチは掴まれた棍を力任せに引き抜いた。二人同時に後方に跳び、構えをとる。
「ひゅっ……」
細く息を吐くと、伽彦は両肩の副腕を天に掲げた。芝居がかった動きと共に、左右の掌に緑色の光が集まり、百足を模した大剣の形をとっていく。
「しゃっ!」
左右の副腕を振るうと、二つの大剣は無数の節に分割され、ミカヅチとティターニアに襲いかかった。
「おっと!」
「ちっ!」
天から頭頂部目掛けて降ってくる剣先を、二人は左右別々に跳んでかわした。伽彦が副腕を振り回すたび、大剣は軌道を変えて鞭のようにしなり、時には触手のようにカーブを描いて伸び、巨神の子の急所を目掛けて執拗に迫ってくる。
二対一の状況も、伽彦は問題にしていなかった。六本の腕がもたらす未知の戦闘技術と、蝗神の眷属が持つ超人的身体能力。加えて八十神の気虫術が組み合わさり、伽彦の力は恐ろしいものになっている。もし一人でこの伽彦に戦いを挑んでいたら、ミカヅチは死を覚悟しなくてはならなかったことだろう。
だが二人ならば違う。巨神の娘、ティターニアが隣にいるならば、何も恐れるものはない。自分が彼女に恥じない戦いをしている限り、例えどんな強敵が相手だろうと、困難な相手だろうと、二人で必ずぶち破ってみせる。
師への信頼が、ミカヅチに巨神の加護にも劣らない、無限の力と自信を与えていた。
「ティターニア!」
迫る剣を棍で弾き、ミカヅチは声をかける。ティターニアと視線を合わせて、左手の指を三本伸ばす。以前から決めていた、指の数に対応した作戦の合図だ。
ティターニアはすぐに理解し、すぐさま行動に移った。波打つように迫った蛇腹剣を思い切り弾き飛ばすと、両足を開き、右拳を体に引き寄せて構える。
弾かれて宙を舞った剣が戻ってくるまでの間に、ティターニアは巨神の力を右拳に集中させる。そして剣が落ちるよりも早く、ティターニアの右拳は閃光となって地面を叩いた。
「はあーッ!」
溜め込んだ力が地面を砕き、えぐり取る。爆発的なエネルギーに吹き飛ばされ、無数の岩塊が雨のように伽彦へと飛来する。
「ちぃ!」
伽彦は蛇腹剣を元に戻し、直撃する岩を弾き返していく。足が止まったのを見て、ミカヅチは棍を収めた。ティターニアと同様、右腕を引いてエネルギーを集中させながら、伽彦に向かって走る。
伽彦の目がミカヅチを捉えた時、既に力は限界まで溜め込まれていた。
伽彦の左方にある三つの手に、それぞれ緑の光が集中した。それぞれに甲虫を思わせる盾が現れ、折り重なるようにして壁を作る。
ミカヅチはそのまま突っ込んだ。ここで止まるわけにはいかない。例え伽彦が気虫術の武具で防ごうとも、巨神の一撃で武具ごと破壊する。
「いぃ……りゃあーッ!」
気合と共に放った一撃を、エメラルドの盾が迎え撃つ。
ぶつかった瞬間、閃光が二人を包んだ。




