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37 日美香の告白

 一行は壁に開いた穴をくぐり、洞窟へと足を踏み入れた。この先がどうなっているのか、知る者は敵だけだ。皆細心の注意を払いつつ、先へと進んでいく。

 真尋と瀧彦は気虫術を使い、いつぞやの調査と同様に光る蜂を飛ばした。大達の前方三メートル程の位置を保つように飛ばし、自分たちの周囲は瀧彦が代わりを務める。緑色に輝く二匹の蜂が、奇妙なランタンとなって大達と、石造りの穴を照らした。


 穴に入ってすぐ、トンネルは石造りの階段へと変化した。なだらかに螺旋を描く階段は、やすりがけをされたように綺麗に作られている。

 長い階段が終わると、今度は横穴がまっすぐ続いている。壁を石を組み上げて補強するのは終わり、今度は磨かれた大理石のように滑らかな壁と床が広がっていた。


 通路自体は一本道だ。村がある山の中を下り、水田が広がる平野の下を移動しているところだろうか。果たして自分たちが今どのあたりにいるのか、かわり映えのしない通路を歩いていると不安がこみ上げてくる。


「あの巣穴の通路と、同じ作りだな」


 歩を進めながら、瀧彦が忌々しげに言った。寺の裏手にある、あの奇妙な通路の事を言っているのだ。

 先頭を歩く真尋は何も答えない。しかしちらりと見える横顔が、どこか辛そうに見えた。

 妖虫の巣穴へとつながるあの通路と同じものが、伽彦の部屋にもある。この事実は、瀧彦と真尋の心に重くのしかかっているようだった。


「やっぱり、兄ちゃんは俺たちをずっと前から裏切ってたんだ」

「よしなさい、瀧彦。家族を悪く言うんじゃありません」


 後方から日美香がたしなめる。しかし、瀧彦は憮然とした表情を崩さなかった。


「これほどわかりやすい証拠はないだろ、母さん。俺だって信じたくはねえけどさ……」

「それでもよ。伽彦はあなたの兄なのよ? 例え何があっても、伽彦は八十神を守る為に戦うはずです」

「……本当にそうでしょうか」


 ぼそり、と真尋が口を開いた。


「私にはもう、伽彦さんが信じられません」

「どういうこと、真尋さん。あなたも瀧彦の言葉を信じるの?」

「はい。私達は今日、瀧彦の言葉を信じるだけのものを見つけました」


 真尋が足を止め、振り返った。大達は皆、つられて足を止める。


「私達は今日、お父様が遺された日誌の中にあった秘密の文を読み解きました。それによると、伽彦さんは幼い時から妖虫に寄生されただけでなく、村の子供たちにも妖虫を寄生させる手伝いをして、奴らの仲間を村中に増やそうとしています」

「なん……ですって……?」


 おぞましいものを見たように、日美香の顔が歪んだ。瀧彦もそこまでは予想していなかったらしく、目を白黒させる。


「本当かよ、真尋!」

「ええ。だから私達も、誠人が連れさられたのは伽彦さんの仕業ではないかと考えたんです」

「嘘よ、そんな……。だって、あの子はそんな素振りは、一度も……」


 ひどく混乱しているようで、日美香は両手で頭を抑えながら、息を荒く、ぶつぶつとつぶやき続けている。

 その言葉を聞くうちに、大の頭に閃くものがあった。なぜ彼女はこれほどまでに伽彦をかばうのか。彼女の奇妙な言動の原因は何か。浮かんだ答えがどんどん形を取ってくる。


「日美香さん、もしかしてあなた、伽彦さんが妖虫の仲間でいる事について、心当たりがあるんじゃないですか?」


 びくり、と日美香の体が震えた。怒りの声が当然返ってくると思っていたのだが、それを発したのは日美香ではなく、瀧彦だった。


「おい、ふざけんなよマレビト野郎」


 凄みのある声を発しながら、瀧彦が大を睨みつけた。


「何が言いてえんだ。兄ちゃんだけじゃなく、母さんまで妖虫の仲間だって言うのか?」

「違う。ただ思ったんだ。伽彦さんに妖虫を寄生させるなんて事、誰ができるんだろう、って」


 瀧彦の突き刺すような視線を受け止めつつ、大は頭に浮かんだ疑問について語った。


「妖虫が子供の頃に取り付いたとして、八十神の長男に近づくなんて、誰か協力者がいなきゃできない。お手伝いさんが伽彦さんを外に持ち出せるわけはないし、当主である道元さんが妖虫に息子を差し出す理由がない。伽彦さんを妖虫に差し出せて、妖虫と取引したい理由がある人間は、マレビトだった日美香さんしかいないんだよ」


「てめえ、言っていい事と悪い事があるぞ!」


 母への侮辱に怒りが爆発し、瀧彦は憤怒の顔で大につかみかかろうと迫る。しかしそれよりも早く、背後から声がかかった。


「やめなさい、瀧彦」


 陰鬱な声に、瀧彦の手が止まった。振り向いた先にいた日美香はうつむきながら、軽く首を振った。その姿には、先ほどまでの強気な態度は欠片もなかった。


「もうやめなさい。あなたの気持ちは嬉しいわ。でももういいの」

「母さん……。じゃあ、本当に……?」

「正直に言うとね。私にも分からないのよ」


 一度深呼吸すると、日美香は決心したように話を始めていった。


「伽彦が生まれた直後、私は追い詰められてた。元の世界に帰る事ができなかったからね。八十神は外の世界に出られない掟っていうのは、夫からはマレビトに関係のない話だって聞いていたから。その時の衝撃は大きかったわ」


 都内でファッションデザイナーとして暮らしていた日美香にとって、村での生活はあまりに原始的だった。さらに村の周囲では命がけの戦いが起こり、生きた心地がしなかった。時には村すら妖虫との争いの舞台となり、その様は地獄のようだった。

 心身ともに合わない生活に、日美香は苦しみ続けた。それでも子供を産めば村から出られる、そう信じて必死に耐えの忍んできた。


 しかし子を産み終わった後も、戻る事はできなかった。

 夫である道元の醜悪な愛想笑いと言い訳に怒る間もなく、子育ての日々が始まった。

 伽彦は日美香がいないとすぐに感づき、火が付いたように泣き喚いた。手伝いは大勢いたが、日美香がつきっきりでないと嫌がる為、外に出る事も簡単にはできなかった。

 生活の中では道元の無神経な言葉に、何度頭をたたき割ってやろうと思った事か知れない。


「いわゆる、産後鬱の状態が続いてね。自暴自棄で、人生もどうでも良かった。そんな時、奴らに出会ったの」


 その日、日美香は衝動的に村の外の森に出た。毎日の生活に疲れきっていたのだ。いっそのこと禍蟻に食われて死んでもいい。そう思った。

 深い森の中をどれほど歩いたか。村への帰り道も分からなくなった頃、日美香は木の根に足を取られて倒れた。

 体の痛みと、情けない自分の姿に泣きながら起き上がった時、日美香はそれを見た。


 目の前に、見た事もない妖虫が立っていた。人間のように二本の足で立ち、全身を甲虫のような装甲で覆っていた。背は日美香よりも高く、体つきは鎧をまとった騎士のように重厚だった。


「八十神の女よ。お前と取引がしたい」


 その虫人は重苦しい、威厳のある声で言った。


「お前の子を、一晩我らに差し出せ。そうすればお前の願いを叶えてやる」


 そう言われた時、日美香は自分が完全に狂ったのだと思った。人の言葉が話せる妖虫など、見た事も聞いた事もなかった。自分は白昼夢を見ているのだと思った。

 それでも、日美香の衰弱した精神は、目の前の妖虫に対する恐怖よりも、言葉の内容に強く引き付けられた。


「願いを? 私の元の世界に、東京に返してくれるの?」

「容易い事。取引を望むならば、次の満月の晩、子を連れて森に入るがいい」

「伽彦は……。伽彦は、どうなるの?」


 重ねて日美香は尋ねた。


「殺す気なの? 私から家族を取り上げる気なの?」

「安心せよ。肌に傷一つつけず返すと約束する。それとも、お前は元の世界に戻りたくないのか?」

「それは……」


 言い淀む日美香に、妖虫は尾を天に伸ばした。


「待っているぞ」


 更に話を聞こうとした時、不意に日美香の意識は遠のいた。

 次に我に返った時、日美香は森に接した村の外れで、ただ一人ぼうっと立っていた。


「その話を本気にして……、母さんは、兄ちゃんを差し出したのか?」


 瀧彦は茫然として、呟くように言った。

 日美香は今にも泣きだしそうな、悲痛な表情をしていた。皆の視線が剣となって、彼女の心を苛んでいた。


「あの時の私はどうかしていた。狂っていたのよ。妖虫なんかより、ずっと恐ろしい怪物になっていた」


 妖虫との邂逅以来、日美香の頭からは妖虫の言葉が頭から離れなかった。

 伽彦を差し出せば、この地獄の生活から逃れられる。それは甘い悪魔のささやきだった。ここから出る為とはいえ、伽彦は自分がお腹を痛めて産んだ子だ。愛情がないはずがない。

 しかし、日々の生活で己の心に重圧がかかるたび、妖虫の言葉が頭の中で繰り返され、心が実行に移すべきだと訴えかけていた。


 そして満月の晩、日美香は体調を崩したからと早くに一人で床につき、皆が寝静まった頃を見計らって、ついに伽彦を連れて森に出た。

 どこへ行けばいいか見当もつかないのに、足が勝手に動いた。青白い月光が暗い森の通り道を照らすようで、光が見える先に向かって夢遊病者のように歩を進めて行った。


 気付くと、日美香の前に、あの日見た時と同じ妖虫が立っていた。


「これでやっと終わる。あの時はそう思ってた」

「そこで、伽彦さんは妖虫に取り付かれた……」


 真尋の言葉に、日美香はかぶりを振った。


「分からない。その時、私は直前で断った」

「断った? どうして?」

「あの子の顔を見たからよ」


 妖虫に伽彦を手渡そうとした時に、日美香は伽彦の顔を見た。

 その時、伽彦は目を覚まし、日美香を見つめていた。ただ自分だけを信じている、純粋な瞳。ここまで来る間に、伽彦が全く泣かず、声も挙げなかった事を、日美香は思い出した。伽彦は自分が抱いている限り、決して泣かないのだ。

 母親に抱かれている時が、自分にとって一番の幸福であり、安心できる時だと、本能で感じ取っているから。


 月光に照らされた美しい顔に、日美香は自分の醜さを、愚かさを思い知らされるようだった。


「どうした。渡せ」


 妖虫に言われて、日美香は反射的に伸ばした手を引っ込め、伽彦を胸に抱えていた。


「嫌。嫌よ! この子は私の子! 誰にも渡さない!」

「もう遅い。お前はここまで子供を連れてきた。今更何もなく帰れると思うか」


 妖虫は日美香に向かって、一歩踏み出した。禍々しい足の爪が地面を抉る。

 日美香は引きつった声を上げつつ、それでも恐怖に打ち勝ち、一目散に逃げ出した。伽彦だけは守る。そう心に決めながら。


「……そこが、その夜の私の、最後の記憶」


 日美香はぼそりと、重いものを吐き出すようにつぶやいた。


「気が付いたら、前と同じ村の外れにいたわ。伽彦を抱いたままね。とんでもない事をしてしまったと思った。それでも、そのまま家に帰ったわ」

「その事、誰かに話さなかったんですか?」

「言えるわけないじゃない。それに、私もあの夜の事を信じたくなかった。伽彦に何が起きたのか、考えるだけで身震いがしたわ」


 日美香はちらりと瀧彦を見やり、


「それから私は、変わろうと決意した。もう二度とあんな事はしない、息子を守る為に強くなろうと思った。伽彦と瀧彦、あなた達だけがこの村での、私の宝物だった。あなた達の為なら何でもやると決めた。それなのに……」

「母さん……」


 瀧彦の言葉からは、大の言葉にかみついた猛々しさも、日美香が話し始めた時の怒りも、完全になくなっていた。

 瀧彦が作っていた気虫術の蜂が、一瞬かき消えるように揺らいだ。


「ねえ、教えて。あの子があの子じゃないとしたら、私は今まで誰を愛してきたの?」

次回更新は14日(土)予定です。

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