36 八十神の屋敷へ
大達は医療所を出て、八十神の屋敷へと向かうこととなった。大と綾の他に、真尋と日美香、瀧彦も同行している。
瀧彦は傷もあるので休んでいてはどうか、と大達は言ったが、瀧彦はついていくと強硬に主張した。
「俺も兄ちゃんの事を見極めたいんだ」
そう言われると、大には反論できなかった。怪我を推して向かおうとする息子に、最後まで反対していた日美香もついに折れた。
屋敷に向かう大達を、近くにいた村人達が眺めていく。その顔はどれも不安げだった。瀧彦がたった一人で帰還してきた事は、既に村中に広まっている。他の自警団がどうなったのか、聞きたい者は多いはずだ。しかし、信蔵からきっちりいい含められているのか、誰も話しかけようとはしなかった。
一行は八十神の屋敷へと辿り着き、立派な門をくぐった。屋敷の中にある庭は立派に手入れがされており、苔むした岩と太い松の木が見事だ。九段家の庭も素晴らしいものだったが、あちらと違って妖虫に破壊されていない分、こちらの方が手がかかっているように見える。
これまでの九段と八十神は、こんな小さなところでも張り合っていたのかもしれない。そんな考えが大の頭に浮かんだ。しかし今は、両家の動ける者が互いに手を取り合わなければ、破滅を回避する事ができない。
「伽彦さんの部屋はどちらです?」
綾が日美香に尋ねた。日美香は少し言い淀んで、
「……裏の、離れを使ってるわ」
「離れを? こっちの屋敷ではないんですか?」
「別にいいじゃない。あの子が、夜は一人で静かに寝たい、って言うから、そうさせてるだけよっ」
日美香は乱暴に言い放った。しかしその振る舞いはやけに挙動不審で、口調は苛立ちより、焦りがあるように思えた。綾はそれ以上は追求せず、そうですか、と引き下がった。
庭をぐるりと回って、一同は離れへと向かった。離れは門と反対の位置、ちょうど南西の方角に建てられていた。
廊下に上がって襖を開くと、十五畳ほどの広さの座敷があった。伽彦は普段ここで寝泊まりしていたという事だから、村で何か手がかりがあるとしたら、ここが最有力のはずだ。
皆部屋に入り、中の確認を始めていった。
「……本当にここ、誰か住んでたんですか?」
調べ始めてすぐ、大の頭に疑問が浮かんだ。部屋のどこにも、生活感が全くないのだ。
十五畳の部屋に文机と本棚が置かれており、隅には折りたたんだ布団が置かれている。どちらも丁寧に整理されていた。されすぎているというほどに。
布団は定規で測ったように丁寧に畳まれ、文机の上に置かれている筆記用具は、等間隔かつ平行に並べられている。本棚は丁寧に整理されていて、塵一つ落ちていない。
まるで清掃を完了した後の、ビジネスホテルの一室のようだ。ホテルには照明や装飾など、客を出迎える温かみや準備があるが、この部屋には愛想も何もない。
「伽彦さんはよっぽど神経質だったか、潔癖症だったとか?」
「兄ちゃんは俺たちを、誰も部屋に近づけさせなかったんだ」
本棚から本を引っ張り出し、何かないかと探しながら、瀧彦は言った。
「ここで兄ちゃんがどう過ごしてたか、誰も知らないんだよ」
「別にそんな、気にするほどのこと? あの子は昔から出来が良かったもの。自分の部屋の整頓くらい、やって当然でしょう」
日美香が不機嫌そうに鼻を鳴らした。部屋の真ん中で腕を組んだまま動かず、調査に加わるつもりはない、と全身で訴えている。
「ねえ、みんな。ちょっとこっちに来て」
部屋の裏手から、綾が声をかけた。大達は手を止めて、綾の方へと歩いていく。
座敷の裏にある納戸に向かうと、納戸の奥で綾が突き当りの壁をにらみ、軽く叩いていた。
「綾さん。どうしたの?」
大が尋ねると、綾は壁の下を指差した。
「これ。おかしいでしょう? 壁の隙間に、挟まってる」
綾の言うとおり、縦に並んだ板壁の、ちょうど床から十センチほどの高さのところに、布切れのようなものが挟まっていた。薄い隙間が開いていて中に滑り込んだ、という風ではなく、布切れは壁の板と板の間に挟まり、歪んでしわになっている。
「それ、誠人のハンカチです……」
真尋が目を見張り、震える声で言った。
綾が手の甲で壁を叩くと、ハンカチが挟まっていた周辺の壁だけ、中に空洞があるような軽い音がした。
「どうやらここに、何かがあるみたいね……」
「隠し扉かな。ならどこか近くに、鍵があるはずだね」
大も納戸に入り、壁の周囲に何かがないかと調べ始める。やがて、左の壁の隅に、小さな出っ張りがあるのに気付いた。
大人が拳を立てた程の大きさをした木の出っ張りを、大は下に押し込む。すると、壁の奥で、何かが外れる音がした。
大と綾はうなずき、同時に奥の壁に手を当てる。突き当りの壁のうち、地面から1メートル四方ほどが、あっさりと外に開いた。
「うちに、こんなもんがあったのか……」
納戸の入り口に立っていた瀧彦が、驚きに目を丸くした。
大は開いた穴に上半身を入れて、中を覗き込んだ。天井までの高さが二メートルほどの、人が行き来できる程度の通路が奥へと広がっていた。前方がどこまで続いているかはわからないが、見える範囲では、しっかりとした石造りのトンネルが作られている。
体を戻しながら、大は言った。
「たぶん、外川さんはここを通って、誠人君を連れていったんだ」
「伽彦さんから、ここを使って誠人を連れてくるように、事前に連絡を受けていたんでしょうね」
綾も同意する。マレビトである外川だけでなく、こんな隠し扉の事を知っている者は伽彦以外にほとんどいないはずだ。
「そういや兄ちゃん、あの外川って女と親しげにしてたっけ……。これについて話してたのか」
瀧彦は思い出したように呟く。その背後で日美香は気まずそうに顔をしかめ、目をそらしていた。
「誠人君がこの先にいる。だったら、俺たちも中に入るしかないね」
固い決意で、大は言った。誠人が村の外に連れて行かれたと判明した今、今すぐ追いかける以外にない。そしてこの先には、おそらく伽彦がいる。
「もちろん」
当然、と言いたげに綾もうなずく。
「私も行きます」
「兄ちゃんに会いに行くんだ。ちょうどいいや」
真尋と瀧彦も、納戸へと入ってきた。その後を追って入ってくる日美香に、大は眉を寄せた。
「日美香さん?」
「私もついていきます」
昂然と言い放った日美香に、皆が目を丸くした。
「母さん、よせよ。危険なんだぜ?」
「いいえ。この先に伽彦がいると言うのでしょう? 伽彦が私達を裏切るなどありえません。私がこの目で確かめます」
慌てて引き止める瀧彦の言葉も、日美香は聞く耳を持とうとはしない。たじたじとなる瀧彦に、真尋が仕方ないと言いたげにため息をついた。
「言い争っている時間はありません。瀧彦。日美香さんを守ってあげて」
「お、おい。真尋」
「文句があるの?」
冷たい目で射竦められると、瀧彦はそれ以上、何も言えずに押し黙った。
大は心中で苦笑した。日美香と真尋、果たして瀧彦にとってどちらが扱いにくい女なのだろう。
次回は11日(水)21時頃予定です。
面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価等していただけると嬉しいです。




