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35 日美香の狂乱

 すべてを話し終えた時、瀧彦の体は一回り小さくなっているように、大には見えた。

 初めて出会った時の、自信と覇気に溢れた姿とはまるで別人のようだった。この世で最も信頼していた人間に裏切られた事実を再確認して、瀧彦の心は深く沈んでいた。

 俯いたまま、瀧彦は自嘲するように呟いた。


「兄ちゃんが、奴らの仲間だったなんて……。いきなり言われても、信じられないよな。わかってるよ」

「信じるわ」


 瀧彦は顔を上げて、真尋を見た。


「あなたは馬鹿で見栄っ張りで、他人には文句ばっかりで、日美香様に何度叱られても身につかないろくでなしだけど、嘘や言い訳はしない人だもの」

「真尋……。もうちょっと褒めてくれてもいいんだぜ」

「あなたがもっと、褒められるような事をしてくれたらね」


 いつもながら、真尋の瀧彦に対する言葉は辛辣だ。しかし現状の暗く危険な状況でかわされる、いつものやりとりが嬉しかったのか、二人の間に笑みがこぼれた。


「それに、私達も伽彦さんが妖虫の仲間だという情報は、既に得ていたわ」

「なに!?」


 さすがにこの答えは予想していなかったようで、瀧彦は思いっきり目を丸くした。


「お父様が残した日誌を見つけたの。そこには伽彦さんが、奴らの仲間なんじゃないかと調べた結果が残ってたわ」


 真尋はそこで話を切り、言いづらそうに顔を歪め、


「それに……夏菜さんが、私達の前で、奴らと同じ姿に……」

「夏菜が? ……くそっ、本当かよ……」

「伽彦さんの事は、私もどう確かめたらいいかわからなかったけど、あなたのおかげで確証が得られた、というわけ」

「なんてこった……。いったいこの村に、奴らの手先がどれだけ潜んでるんだ?」


 悩む二人の会話を断ち切るように、綾が話に割り込んだ。


「それは今考えても仕方ないこと。それより、今は巣穴に残ってる人たちの事を考えないと」

「そうだね。金城や自警団の人たちだけじゃない。村じゃ誠人君も行方がわからなくなってる」


 大も綾に同意する。誠人の話は瀧彦も初耳だったようで、驚きに目を瞬いた。

 大は手短に、誠人に関する話を瀧彦に説明した。話を聞いていると、瀧彦は悔しそうに顔を歪ませた。


「瀧彦の話の通りなら、おそらく誠人君は今頃、伽彦さん達の下に連れて行かれてるんだ。奴らの神の封印を解く為に、さ」

「そうだな……。くそっ、マレビトの女か。確かに兄ちゃんは最近、あの外川って女とよく話してたけど、誠人をさらわせるつもりだったのか?」


 瀧彦の疑問に、綾が不快そうに答えた。


「おそらく、誠人君とひきかえに、外の世界に戻すとでも説得したんでしょうね。蝗神が復活すれば、葛垣村は元の世界に戻る事ができる、って話だし」


 大勢の人の命と破滅を引き換えに、望みを叶える。まさに悪魔の囁きだ。大や綾なら、頼まれても断る。金城も村人とすぐに仲良くなったので、彼らが傷つくような頼みは受けないだろう。

 しかし、村に来たマレビトの中で、外川は村に馴染めていなかった。邪悪な取引を持ちかけるには、最適な相手といえるだろう。


 大の胸の奥で、嫌な感覚が渦を巻いていた。

 蝗神の封印を解き、自由を手に入れる。それが彼ら、蝗神の眷属にとって、至上の目的だという事は理解できる。しかし、その為に子供をさらい、生贄に捧げようというのだ。あまりにおぞましい話だった。

 そして彼らが自由を手にすれば、無用となった村と村人たちは滅びを待つばかりだ。その被害は村だけにとどまらず、大達が住む日本に、世界にも広がっていく。


「俺たちで止めよう。奴らにこのまま、好き勝手にさせるわけにはいかないよ」


 大は力強く、決意を口にした。綾も真尋も同意する。ただ一人、瀧彦だけが取り残された表情で、


「そりゃ、俺だってそのつもりさ。だけど、このままじゃ手が足りねえよ。禍蟻は自警団の手を借りるにしても、俺と真尋の二人で兄ちゃんに勝てるかどうか。せめて、あの巨神の子って二人組に協力してもらうよう、話をつけないと」

「その心配はいらないよ。巨神の子は当然、この戦いに参加する」

「あぁ……? そりゃ、どういう……」


 訝しむような表情を作った瀧彦が、気づいたように目を瞬いた。


「まさか、お前らが……」


 大が答えようとした時、医療所の外で、やけに騒がしい音がした。

 大達は振り向き、出入り口の方へ目をやった。どうやら大達が瀧彦と話す間、外に出てもらっていた医師と、誰かが言い争いをしているようだった。

 何と言ってるのかまではわからないが、話の主はずいぶん苛烈な人のようだ。声の調子から、医師が何かを言おうとする度に言葉を遮って、逆にまくしたてて医師を追い詰めているのが分かる。

 やがて、出入り口から声の主が姿を現した。


「母さん?」


 瀧彦が素っ頓狂な声を上げた。日美香は以前見たとおり、村人達とは全く違う派手な装飾品で着飾っていた。しかしその顔は以前とは違い、焦燥と絶望、恐怖と悲哀が入り混じった顔をしていた。大にもこの表情が何を意味するのかはわかる。我が子の喪失を恐れる、親の表情だった。


「瀧彦!」


 傷ついた息子の姿を目にして、日美香は悲鳴のような声を上げた。

 近くにいた大達を押しのけるようにして真っ直ぐ駆け寄り、瀧彦の肩を両手であらっぽく掴む。


「村の娘がわめいているから駆けつけてみれば、一体どうしたというの!? こんな怪我をして!」

「いた、痛ぇよ、母さん……」

「黙りなさい! 私がどれだけ心配したと思っているの!? ああ、やっぱりあなたをあんな所に、向かわせるべきじゃなかったのよ!」


 瀧彦の肩を強く握りしめながら、日美香は泣きわめくように声を上げた。その手は骨まで握りつぶすのではないかと思うほどに力が入り、瀧彦は痛みに顔を歪めた。

 日美香の言葉はどんどん強く、勢いがついていく。このままではらちがあかないと、真尋が軽く息を吐いて。


「あの、日美香さん。どうかそのくらいにしてください。今はもっと大事な話がありますから」

「大事? 大事ですって?」


 日美香が真尋に勢いよく顔を向ける。その目は刃物のように鋭かった。気の弱いものならば、胸を貫かれるような錯覚を味わう事だろう。


「親が子にする話より、大事な話があるというの? この不肖の息子が、私を心配させるだけ心配させて、心配した通りにぼろぼろになって帰ってきて! 私達の会話以上に、優先する事があると?」

「いえ、ですから」

「この子はいつもそう。何も考えずに好き勝手に暴れて、皆に迷惑をかけるのよ! ああもう瀧彦、伽彦はどうしたの? どうせ伽彦の話を聞かずに勝手な事をしたせいで、こんな傷を負ったんでしょう?」

「その伽彦さんが、瀧彦と自警団の皆を裏切ったんだよ」


 たまりかねて、大は口を挟んだ。


「なんですって?」

「伽彦さんが妖虫の巣穴で、自警団のみんなと瀧彦を殺そうとした。そこで金城が時間を稼いだおかげで、瀧彦だけがなんとか逃げてこれたんだ」


 このまま話していては、例え日が暮れても終わりそうにない。そう思っての一言だったが、日美香にはよほど衝撃的だったらしかった。

 日美香は目が裂けるかと思う程に広げた。震える両手で口を抑える様は、恐怖の叫びを漏らすまいとしているかのようだった。


「そ、そんな……。ありえない。伽彦が、この子を傷つけるなんて……!」


 子供が裏切ったと聞けば当然の反応かもしれない。しかし、日美香の反応は、大には奇妙に写った。日美香は伽彦が裏切った事よりも、伽彦が瀧彦を傷つけた事に驚きを感じているように見える。


「日美香さん。ひょっとして、伽彦さんと妖虫の間に、何か関係があるって知ってるんじゃないですか?」


 頭に浮かんだ疑問を、大は口にした。

 日美香は伽彦が、妖虫の側につくという事を受け入れているように思えたのだ。もしかしたら、彼女は伽彦について、義一の日誌に残された以上の事を知っているのかもしれない。

 日美香は首の骨が折れるのではないかと思うほど、勢いよく首を横に振った。


「違う、違うわ! わた、私はただ、伽彦がそんな事するはずがないと思っただけ……!」

「でもさっき、伽彦さんは瀧彦だけは傷つけない、って言いましたよね。他の自警団の仲間については何も反論しなかった」

「なによ、揚げ足取りはやめて! 私はただ、兄が弟を傷つけるなんて、そんな事はありえないと思っただけよ! 私の息子ですもの、当然でしょう!?」


 鼻息荒く返答して、日美香は瀧彦に向き直った。


「ねえ、瀧彦。あなたはきっと、見当違いをしているのよ。そうでしょう?」

「え? いや、母さん、それは……

「いいのよ。死ぬかと思うくらい、恐ろしい目にあったのだもの。記憶が混乱してても無理はないわ。そうよ、あなたは妖虫に殺されかけた記憶を、伽彦の仕業にすり替えてるのよ、ねえ……?」


 瀧彦だけでなく、自分自身にも言い聞かせるように、日美香は言葉を繰り返した。はたしてこれは、子を信じる母親の姿として当然なのだろうか。

 大には判別がつかず、ただ何か奇妙な違和感が増すばかりだった。

 どちらにしても、このままではらちがあかない。義一の日誌を見せて、伽彦の正体について話すべきか、大が考えた時、綾が一歩前に出た。


「わかりました、日美香さん。それでは伽彦さんについて、確認しに行きましょう」


 この場にいた全員の目が、綾に集中した。


「綾さん」

「確認……? どういう事なの?」


 困ったように眉を寄せる日美香に、綾はうなずいた。


「伽彦さんが果たしてどういう人間なのか。私達に調べさせてほしいんです」

次回更新は8日(日)21時頃予定です。


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