34 伽彦の本性
金城に率いられた自警団一行は、妖虫に一切出会わないまま、先に進んでいった。
いつ襲ってくるともしれない緊張に、最初は団員達も口を閉ざしていたが、全く影も形も見せない状況が続くと、次第に軽口を叩く者も出始めるほどだった。
瀧彦も文句を言う気にはならなかった。何かがおかしいとは感じてはいたが、伽彦が自信満々に歩く姿を見ていると、その不安もただの杞憂ではないかと思えてくるのだ。
(兄ちゃんが大丈夫だっていうなら、大丈夫さ)
そうやって無理に不安を抑え込みながら、瀧彦は黙々と足を運んだ。
やがて、一行は目的地へと辿り着いた。
以前は禍蟻達が集まっていただだっ広い空間にも、やはり妖虫の姿はなかった。杏が拘束されていた岩も、砂山の起伏に富んだ地面もそのまま変わらない。しかし禍蟻がいなくなった事で、がらんと殺風景な雰囲気がした。
ただ一つ、出入り口の向かい側にある壁に鎮座した、巨大な像だけはそのまま残り、瀧彦達を見下ろしていた。
「ここが、この間奴らが集まっていた場所です」
金城に言われて、皆がおう、と反応して足を止めた。輸送隊の肩から火薬樽の籠が降ろされ、重量に苦しんだ団員が安堵の息をつく。団員達から、既に仕事が終わったような弛緩した空気が流れていた。
「まだ終わりじゃねえぞ。こっからだ。さっさと火薬をしかけてくれ」
瀧彦が激を飛ばす。準備した大型の爆弾をここに設置し、小型の爆弾はできるだけ多くの通り道に設置する。そして別に樽に入れた火薬を垂らして導火線を作り、できるだけ入り口近くで火薬に火をつけ、巣穴の道をいくつか吹き飛ばすというのが今回の計画だ。
まだ樽の設置すらしていないのに、皆が落ち着きすぎている。それが瀧彦には気に入らなかった。もし仮に今、妖虫に襲われでもしたら……。
「そうだな、瀧彦の言うとおり、ここから始まりだ」
伽彦が冷たく言った時だった。
地面を踏みしめる無数の足音が、瀧彦達の耳に届いてきた。
足音は部屋の周囲に空いた無数の穴の、いたるところから聞こえてきて、しかも足音は、またたく間に数を増やしていった。
部屋の穴から現れた禍蟻達はみるみるうちに増えていき、部屋の壁を埋め尽くすほどになっていた。
部屋の中央で驚き、慌てふためく団員達に、瀧彦は鋭い目を向ける。
「落ち着け! 陣形を組むんだ!」
瀧彦の激が飛んで、団員達もなんとか我を取り戻していく。近くにいた数人ごとに集まり、内側に背を向けて円陣を組む。瀧彦も気虫術を使い、百足を模した大剣を産み出して握りしめた。
こみ上げる不安に、瀧彦は唾を飲み込んだ。妖虫がここまで統制された動きを見せるなど、これまでに経験した事がない。近くに命令を出す個体がいるのかもしれない。
真尋が話していた通り、人の言葉を話す妖虫が関係しているのかもしれなかった。
禍蟻はじわりじわりと包囲を狭めてくる。見つからない限り奥に火薬を仕掛け、吹き飛ばす予定だったが、こうなっては撤退するしかない。置土産に爆弾を吹き飛ばせれば万々歳だが、その場合はこちらも相当の被害を覚悟しなくてはならないだろう。
「やばいぜ、兄ちゃん……」
どう対応するか考えながら、瀧彦は伽彦の方を見た。きっと伽彦ならば、冷静に状況を判断して皆を助けてくれる。
この伽彦を見るという何気ない動作が、瀧彦の命を救った。
瀧彦が目を向けた時、伽彦は両腕に気虫術で作った蜘蛛の手甲をとりつけ、淡い緑色に輝く無数の糸を、自警団に向かって放っていた。
「な!?」
瀧彦はとっさに、迫る糸に向かって剣を振り回した。糸が剣に絡みついて締め上げるが、剣の鋭い刃に負け、無数の細い線となってちぎれ飛ぶ。糸の切れ端は四方に勢いよく散って、瀧彦の腕や頬にかすり、皮膚と肉を浅く切り裂いた。
しかし、瀧彦以外の者はそうはいかなかった。迫る妖虫の群れに完全に意識を向けていた為、伽彦の行動に防衛意識を向ける者はいなかった。
伽彦の長い指がしなるたび、妖しく光る糸が団員の手に、足に、首に巻き付いていく。ある者は巻き付いた箇所を、野菜でも切るかのようにすっぱりと切断され、ある者は骨を砕かれ、ある者は糸が生み出す剛力に、無造作に放り投げられる。
あっという間の出来事だった。伽彦の美貌と相まって、その動きは神秘の世界に生きる者の舞を思わせた。
周囲で起きている事が信じられず、団員の悲鳴をぼんやりと聞きながら、瀧彦は呆然と立ちすくんでいた。
「なんだよ……。兄ちゃん、何やってるんだよ!」
瀧彦の涙がにじんだような叫びとほぼ同時に、伽彦の舞は終わりを告げた。手を払い、手甲から吐き出されていた糸がかき消える。
自分の声を聞き届けてくれたのかと、瀧彦が感じたのは一瞬だった。伽彦は既に仕事を終えていたのだ。
団員の半分以上は絶命し、生き残りも地面に倒れ、耳にこびりつくような臨死のうめき声を上げるばかりだった。
仲間の多くを死に到らしめながら、伽彦の表情はいつもと変わらず、涼しげですらあった。
「腕を上げたな、瀧彦。手足の一本か二本はもらうつもりだったんだが」
「兄ちゃん……。どういう事なんだよ……」
「見ての通りだ。俺は彼らの同胞なんだよ」
伽彦が合図を送るように右手を上げると、それに呼応するように、周囲の禍蟻が音を立てて顎を鳴らす。
「そんな……」
「仁斎翁が健在の間は、黙ってお前の家族として暮らすつもりだったんだがな。ここに入る通路を見つけられたのでは、計画を早めるしかなかった」
「け、計画って……?」
「決まってるじゃないか。我らの主、蝗神の復活と、外の世界への帰還だよ」
伽彦は弟に言い聞かせるように、優しく言った。いつもと同じ声色で、気負ったところのない声だ。なのに今、瀧彦は生まれて初めて感じる類の恐怖を感じていた。
よく知っているはずの、最も信頼していたはずの人間が、薄皮一枚剥いだ下に、邪悪なおぞましい本性を隠していたという恐怖。
「九段家男子の血を捧げて蝗神の封を解き、そして俺達の血で蝗神の楔を外す。それで復活がかな、俺たちは呪いから解き放たれ、晴れて自由の身だ。もう子を作り、村に残すという契約を果たさずとも、外の世界に出る事ができる」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ、兄ちゃん!」
瀧彦は思わず叫んでいた。声が震えているのが自分でも感じ取れた。
「蝗神が復活すれば、村どころか外の世界にだってどんだけ被害が出るか。この世をぶっ壊すつもりか?」
「それが俺に課せられた務めだ。目的を果たす為にずっと時期を待ち、仲間を増やし、計画を練ってきた」
「嘘だ! あんたは俺の兄ちゃんだ! 八十神伽彦だ! 葛狩村を守って、家族を守るのが俺たちの務めだろ!?」
「ああ。俺もお前とは家族だと思っているし、この務めが邪魔にならない程度には、八十神の掟に従うつもりだったよ。だがもう無理だ。瀧彦、お前こそどうだ? 俺と共にこないか?」
伽彦は愛する弟を抱きしめようとするかのように、両腕を軽く開いた。
「お前も、外の世界が見たかったんじゃないのか? 八十神の掟になど縛られる事はない。お前も俺たちに協力すればいい」
「本気、なのか……?」
「当然だ」
伽彦の顔はいつもと変わらない。優しい兄の笑顔だ。それを見ているだけで、瀧彦の中にあった怒りや敵意の炎が、じわじわと小さくなっていくようだった。
兄がこう言っているのだ。それが一番いいのかもしれない。兄と戦っても勝てやしない。それなら二人で共に生きた方が、ずっとましなのではないか。
情けない父も、厳しい母も、俺の人生に必要ない。
一度服従の快感で頭がしびれると、それに合わせて全身を襲っていた恐怖が消えていくようだった。
「俺と共に来れば、妖虫の誰にもお前に手出しはさせない。たった二人の兄弟として、外の世界を見て回ろう」
「だ……、駄目、だ……!」
背後からの声に、瀧彦は我に返った。全身を痺れさせるあの快感は消え去っていた。
伽彦も声の方向に目を向けていた。瀧彦が振り向くと、金城が全身を鋼色に変えたまま、倒れて血に染まった団員達の間を抜けて、おぼつかない足取りで二人に向かって歩いていた。
「へえ。胴体を斬ったつもりだったんだが。ずいぶん頑丈だね、金城君」
伽彦が感心したような声を出した。
「あとひと呼吸、力を使うのが、遅れてたら、真っ二つだったよ……」
言葉の通り、金城の体には右肩から左の脇腹にかけて、血の赤に染まった線が通っていた。伽彦が放った妖糸が体を切り裂いた直後に、体を鋼に変えたのだろう。出血は止まっているが傷はかなり深かった。
「瀧彦さん。こいつの言うことを、聞いちゃ駄目だ」
荒い息を吐きながら、金城は言葉をぶつ切りにしながら、力をこめて語っていく。
「こいつは、村の仲間を、殺したんだ。分かるだろ。村の掟と、奴らの掟、どっちかを、選べって、言われたら、伽彦さんは、虫どもの方を、選ぶぜ……!」
「それを言う為に起き上がったのか? ずいぶんつまらない事をするね」
「うるせえ。今、俺が、動かなきゃ、村の人たちまで、ひどい目に、あっちまうだろ」
金城は伽彦に近づこうと、真っすぐ前に出ていく。その動きは緩慢で、今にも倒れそうだ。しかしその瞳は強い決意の光に輝いていた。
「金城……」
「思い出したんだ。俺は、ヒーローになりたかったんだ。有名になれるかとか、どうでもいい。誰かの為に、会ったこともない人の為に、何かしたかったんだ。俺は、あの、ティターニアみたいな、ミカヅチみたいな、ヒーローに……」
「……誰かの為に、か。そういうのは好きだよ」
伽彦はふいに優しげな表情で、金城を眺めた。だがそれも一瞬で、右手を掲げると、蜘蛛の手甲が緑の糸を吐き出していく。
たとえどんな相手であっても、手負いの相手にいくらでも対応できる。そういう思いが、わずかにでもあったのかもしれない。
糸を吐き出し、金城へと放つ直前。金城は駆け出していた。
動くのもままならない姿は擬態だったのか、驚くような速度で伽彦に飛びかかり、手甲ごと両腕を握りしめる。
「ちっ……!」
伽彦の舌打ちは、無駄な抵抗を続ける金城への怒りか、相手の擬態を見抜けなかった自分への苛立ちか。
金城は体を回して、右肩を思い切り伽彦の胸に叩きつけた。鋼鉄の塊となった人間が思い切りぶつかったのだ。人間ならば胸骨が折れてもおかしくない。
さらにそのまま怪力を生かし、伽彦の体を押し倒そうとする。小刻みな足の運びで一気に前進する動きは、しかし数秒ともたずに止まった。
金城の鋼色に染まった顔が、驚愕の形に歪んだ。大岩も持ち上げる金城の剛力を、伽彦は片足を後方に下げ、腰を落としただけであっさりと持ちこたえてしまった。
胸の痛みも感じないのか、伽彦は顔色一つ変えずに左手を金城の頭に当てる。いくらも力を込めたように見えないのに、金城の体はどんどん沈み、あっさりと膝をついた。
「いいね。君のような超人が外の世界には大勢いるそうだが、ますます会ってみたくなったよ」
「くそっ……!」
金城が毒づく。目の前の相手が、見た目よりも遥かに恐ろしい怪物だと、わずか数秒の接触で理解したが故だった。
金城は瀧彦の方を振り向き、いまだ呆然としている瀧彦を見た。
「瀧彦さん! 逃げろ!」
「え……」
「真尋さん達にこの事を伝えるんだ! はや……」
早く、と言い切る前に、金城の体が宙を舞った。伽彦が腕をつかまれたまま高速で金城の懐に入り込み、強引に担いで投げ飛ばしたのだ。
金城の体が回転し、頭から地面に落ちる。金属がぶつかる音が大きく鳴った。
「がっ……!」
内側に伝わった衝撃に、金城が苦悶の呼気を発する。伽彦は子供をあやす親のように目を細め、立ち上がろうとする。その途中で、伽彦は動きを止めた。
倒れた金城が伽彦の右足を掴み、必死に動きを制しようとしていた。
「瀧彦さん……! 早く……! 今やらなきゃ、みんな死んじまう……!」
金城の必死の声が、瀧彦の麻痺した心を殴りつけた。
我に返った瀧彦は、わずかに毒づいて、そのまま来た道に向かって走っていった。
「後で必ず、助けに来るからな!」
背後の金城に届くように、大声で叫んだ。足元に広がる血の海が、自分の情けなさを煽っているようだった。まだ生きている者のうめき声が、後ろ髪を引くようだった。
それでも、このまま残っているわけにはいかなかった。
瀧彦の動きに反応して、禍蟻達が瀧彦を追いかけてくる。どこにいたのかと思うほど大量の蟻達が、瀧彦の前方に立ちふさがる。
「どけよ、クソ虫ども!」
瀧彦は叫び、光る大剣を握りしめた。
そしてそのまま無我夢中で禍蟻の群れの間を突っ走り、瀧彦は村までの生還を果たしたのだった。
次回更新は7日(土)21時頃予定です。
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