33 瀧彦の傷
倒れた瀧彦を村人たちに医療所へ送るように頼んだ後、真尋は信蔵に、村の外も合わせて、誠人の探索を頼んだ。
大達の推測が正しければ、おそらく村の外を探しても誠人はいないだろうが、万一という事もある。
「私達は瀧彦の話を聞きに行きます。場合によっては、そちらの問題を優先するかもしれません。誠人についてはお願いしていいですか?」
「九段様あってのわしらじゃ。おまかせください」
意気込む信蔵と村人に後を任せ、大と綾、そして真尋の三人は、はやる気持ちを抑えつつ、村の医療所へと向かった。
村の中央にある医療所は、村の一般的な民家二軒ほどの大きさだった。家の前に集まっている人々をかきわけ、中に入る。家の半分は住人が生活する為の空間のようで、台所や土間が広がっている。そこから右手の方を見ると、竹で組まれた簡素なベッドが、左右の壁に頭をつけて一つずつ、三列で合計六つ、等間隔に並んでいた。
そのうちの入り口から最も近い一つを、瀧彦が占領していた。ベッドの上で上体を起こした姿勢で、息を整えている。初老の医者と手伝いの看護婦が、瀧彦の顔と体の汚れを濡れ布巾で拭き取り、手や肩に包帯を巻いていた。
「さっさとしてくれ。腕の包帯はもっときつくしろ!」
「は、はい、瀧彦様!」
きつい口調の瀧彦に、看護婦が仕事を早める。看護婦より医者の仕事が先に終わったようで、瀧彦の体から手を離し、手で額の汗を拭った。
「智和さん」
真尋の声に振り向いた医者が、相手に気付いて頭を下げた。
「これは、真尋様。おいでになりましたか」
「瀧彦の体の具合は?」
「体中に切り傷はありますが、深い傷はそれほどありません。村で倒れたとの事ですが、傷や出血ではなく、おそらく疲労によるものでしょう」
「当たり前だ。俺は動ける! あんたらはさっさとやる事をやってくれりゃいいんだ!」
瀧彦の荒っぽい言葉に、医者は身をすくませた。
「お前、治療してくれてる人にそんな言葉は……」
大が文句の一つも言おうとした時、真尋が瀧彦に近づいていった。目の前に立ち、瀧彦が口を開こうとするより早く、瀧彦の左頬が快音を立てた。
「へばっ!」
高速の平手打ちを食らって、瀧彦が意味不明の奇声を上げる。突然の暴力に抗議するよりも早く、真尋が往復で平手打ちを叩き込んだ。
あざが残るのではないかと思うほどに、瀧彦の両頬が真っ赤に染まる。目を白黒させている瀧彦を、真尋が鬼の形相で睨みつけた。
「今あなたがやるべき事は、くだらない暴言を吐くことでも、人を怒鳴りつける事でもないわ。さっさと答えなさい。一体何があったの」
鋼を思わせる強い真尋の声色に、他人事ながら大は思わず身震いした。
「女は怒らせたらいけないね」
密かに呟いた大の言葉を聞き取り、隣の綾が軽く苦笑した。
瀧彦は二度三度と口をぱくぱくと開け閉めした後、やっと我を取り戻し、おとなしく話を始めた。
早朝に巣穴の襲撃に向かった瀧彦達自警団一行は、特に障害もなく、問題の荒れ寺までたどり着いた。大達が来た時と同じく、寺の周囲には妖虫はおらず、裏手の崖にある大岩も、そのまま置かれていた。
金城が変身し、岩を押して穴を開けた。この数日間、金城は献身的に自警団に協力していた為、一行や瀧彦からも信頼を得ていた。
意を決して、一行は皆巣穴へと突入した。前方を瀧彦と伽彦、そして金城が先導し、巣穴を破壊する為の火薬樽と油を、後方の輸送隊が運び、槍を持った攻撃隊が周囲を固める。大達と同様に彼らも、穴の通路に施された見事な技術に驚きながら進んでいった。
「まるで、人間用に作られた穴みたいだな。奴らの中にも人間みたいな連中がいるんだったか? そいつら専用の通路なのかね」
瀧彦は妙な不安を感じたが、それを表には出さず、軽口を叩く。伽彦だけがいつもと変わらず、何を考えているのかわからない薄い笑みを浮かべ、黙ったまま歩を進めていった。
やがて通路が終わり、分岐点にたどり着いた。三叉路の手前で、先頭に立つ金城が皆を止め、周囲を確認した。前回は歩き回っている禍蟻に対し、大が幻を見せる事で遭遇を回避したが、今回はそうはいかない。出逢えば倒して進むつもりだったが、不用意な遭遇は控えたかった。
しかし、金城がどれだけ目を凝らしても、禍蟻の姿はなかった。前回は定期的に禍蟻が行き交っていたのに、今回は影一つ見えないのだ。耳を澄ませても、あの禍蟻が出す独特な足音や顎を噛み鳴らす音はなく、静寂だけが伝わってきた。
「やっぱり、何かおかしいぞ」
自警団の一人が言った。
「どこにも妖虫がいないじゃないか。真尋様の話じゃ、ここが奴らの巣だったはずなのに、一体どういうことだ?」
「何の気配もないな。奴ら、真尋様が暴れたから、また誰かが来る前に巣穴を引き払ったんじゃないか?」
「冗談だろ、あいつらにそんな知恵があるもんか」
「でも真尋様が言ってたじゃないか。人間みたいに二本脚で立って、しゃべる妖虫がいたって……」
皆口々に疑問を述べ始めた。巣穴の襲撃など、皆初めての経験だ。これまで募っていた不安が、謎を提示された事で吹き出してきていた。
そんな中、瀧彦はまだ冷静さを保っていた。その根拠は、自分が自警団を率いる立場にいるという自負が半分と、兄の伽彦ならなんとかしてくれる、という気持ちが半分だった。
幼い頃から、いつだって兄は冷静だったし、人をまとめるカリスマを持っていた。大人にもそう簡単にできない事を、あっさりとやってのける才能があった。立派な兄の姿に、瀧彦は絶大な信頼を置いていた。今も伽彦なら、きっちりとみんなをまとめてくれるに違いない。
団員達をこのまま騒がせておくわけにはいかない。誰かが統制を取らなくてはいけないと、伽彦を頼るように顔を向ける。
「兄ちゃ……」
声をかけようとして、瀧彦は凍りついた。
伽彦の笑みが、いつもよりずっと鋭くなっていた。狩りで獲物を追い詰めた猛獣が、舌なめずりをしているような。冷たく、喜悦に満ちたその笑みは、見ただけで背筋に氷の刃物を突き立てられたような気分だった。
だがその笑みも一瞬で消え去り、伽彦はいつもの微笑に戻った。そして全身を硬直させた瀧彦の前で、団員に向かって声をかけた。
「落ち着くんだ、みんな。奴らがいないなら、それはそれでいい。この巣穴を潰して使えなくしておけば、奴らも戻って来れないんだ。そうすれば村を襲いにくくなるはずだ。奴らがいるかは気にせず、ここを潰してしまおう」
冷静な伽彦の声に、浮足立っていた団員達も、次第に落ち着きを取り戻していった。
「よ、よし。行こう」
「そうだな。奴らがいるかなんて関係ねえ、ここを吹っ飛ばせばいいんだ。金城、どっちに行けばいいんだ?」
「あ、えっと、こっちです」
我に返った金城に率いられて、自警団は皆穴の一つを進んでいく。
瀧彦もそれに続いて歩きだした。考えまいとしていても、先程の笑みが頭から離れなかった。
次回更新は4日(水)21時頃予定です。
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