32 誠人の失踪
大達が森を抜け、やっと葛垣村に戻ってきた時、村から妙に騒がしい声が聞こえてきた。
雑草をかき分け、鬼門屋敷の裏手にたどりつく。そこから村の通りに向かっていくと、声は更に大きくなってくる。村に残っている男女が忙しくなく動き回っていた。
「ひょっとして、ラキと一緒に飛んでいくのを見られたかな?」
困ったな、と大は眉を寄せた。そうなると説明が厄介だ。下手をするとミカヅチについて説明しなくてはならなくなる。
「どうもそうじゃないみたいよ。ラキの姿を見ているなら、村の人たちはもっと怯えてるはずだわ」
綾が言うとおり、村人の動きに焦燥感はあっても、危険が迫っていると感じている様子はない。注意深く村人の動きを見ていると、他の誰かを探して歩き回っているようだった。
村の中央にある大通りに出ると、通りに数人の男女が集まり、相談をしている姿が見えた。その中の一人、村人たちに指示を出している男に、大も覚えがあった。ここに来た初日に、大達を仁斎達の元まで案内した信蔵だ。
「信蔵! 何があったのですか?」
真尋は信蔵の元へ走り寄りながら、声をかけた。大と綾も真尋の後に続いて走る。声に気づいた信蔵は、真尋の方へ顔を向けて驚いたように目を見張った。
「おお、お嬢様! ご無事でしたか!」
信蔵は今にもへたりこみそうな程に脱力し、安堵の息を吐いた。周囲の村人たちもほっとして、口々に良かった良かったと言い合う。
「真尋お嬢様も誠人ぼっちゃまも姿が見えず、一体何が起こったのかと……!」
「私の事は後で説明します。それより今、なんと言いましたか? 誠人が?」
「は、はい……。お嬢様とご一緒ではなかったのですか?」
信蔵は目を瞬かせた。
信蔵が話すところによると、こういう事情だった。
先程、夏菜がラキへと姿を変え、ミカヅチとの戦いが始まった時、信蔵は屋敷の近くにある自分の家の前にいた。朝から森に入って薪を補充し、使いやすいように割っていたのである。
その時、屋敷の方から大きな羽音が聞こえてきて、信蔵は途端に不安になった。数日前に妖虫が襲撃してきたばかりであり、仁斎は病で寝込んでいる。真尋が一人いれば禍蟻の一匹や二匹、どうという事はないが、手違いがあってからでは遅い。
そう思い、信蔵は近くにいた男数人を連れて、屋敷に向かった。すると誠人も真尋も屋敷にいなかったのである。
言うまでもなく、信蔵が聞いた羽音とは、ラキがミカヅチを連れて飛んで行った時の羽音だ。そして真尋は綾が変身したティターニアに抱きかかえられ、ラキとミカヅチを追った為、ちょうど入れ違いになったのだった。
仁斎は眠っており、真尋達の行方など知るはずもない。屋敷で昼食を作っていたお手伝いに話を聞いてみたが、自分たちの仕事に没頭していた彼女達は、真尋達については何も知らなかった。
焦った信蔵は屋敷の外に出て村人を集め、真尋達の捜索を開始したのだった。
「そうでしたか……」
話を聞き終えて、真尋は信蔵に頭を下げた。
「ごめんなさい、信蔵。屋敷の裏手で妙な羽音を聞いたから、国津さんと天城さんに協力してもらって、一緒に外を調べにいっていたの」
真尋の話す内容は、後でどこに行っていたか聞かれた際にどう答えるか、三人で事前に考えておいたものだ。夏菜が虫人だった事に関して、大達は伝えるのをためらっていた。義一が日誌に記していた通り、迂闊に真実を伝えたら村は大混乱におちいるだろう。
「いや、こちらこそ申し訳ありません。私の早とちりだったようで」
信蔵も真尋の言葉を納得したようで、はずかしげに謝罪する。
「気にしないで。誠人が行方不明なのは事実です。早く見つけないと」
「ですな。ぼっちゃまは好奇心旺盛な方ですから、また村の外を歩いておるのかもしれません。誰かが見ておればよいのですが……」
信蔵は苦い顔をしながら言った。言ってはみたが、果たしてどうなるか自信が持てないようだった。
「信蔵さん!」
悩む大達の下に、村の男が大慌てで駆け寄ってきた。信蔵の前にまで来ると、よほど急いでいたのか、肩で荒く息をして言葉も発せられない様子だった。
「おう忠伍じゃねえか。どうした、何かわかったか」
「はい、その……、ま、誠人様の事で」
「誠人? 何かわかったのですか?」
あまりに慌てていた為に、忠伍と呼ばれた男は信蔵以外目に入っていなかったらしい。真尋の声に驚いて、勢いよく顔を上げた。
「え? あ、こりゃお嬢様。気づきませんで……」
「気になさらないで。それより、誠人のことについて教えて下さい」
「へ、へい。さっき村のもんに聞いて回ってたんですが、誠人様をマレビトの、外川さんが連れて歩いているのを見た奴がいるとかで……」
「外川さんが?」
意外な名前が出てきて、真尋が困惑気味の声を出した。大も同じ気持ちだった。仮に誠人が捕らえられているならば、夏菜と同様に虫人となった村人が拉致したのだと考えていたのだ。
「それで、外川さんはどちらに?」
「それが、八十神様のお屋敷の近くで見かけたという話はあるんですが、それ以降はさっぱり……」
大と綾は顔を見合わせた。今最も警戒すべき相手の名前が出てきて、緊張に顔を固くする。
都会暮らしが長く、村での生活に馴染めていなかった外川が、村の外に出るというのは考えにくい。ほとんど接点がない誠人を連れて出歩くというのも妙だった。やはり、外川が誰かに頼まれて誠人をさらったのだと考えるのが、一番妥当に思えた。
そして外川にそれを頼んだ人間として、最も可能性が高いのは、八十神家の住人達だ。
義一の日誌だけでなく、ラキも伽彦の名を口にした今、八十神家は村で最も危険な家である。仁斎が倒れた今、誠人に流れる九段家直系の血を狙って八十神家が行動を起こしたというのが、最も自然に思えた。
今朝の伽彦と外川とのやり取りを、大は思い出していた。あの時伽彦が言っていた「約束」とは、誠人をさらう事だったのだろうか。
「信蔵。八十神の屋敷は調べましたか?」
「いえ、まだです。さすがにわしらが無作法に入るわけにもいかず、他を探してからにしようとなりまして……」
「なら、八十神さんの屋敷に行ってみた方がいい。今は手がかりが何もないし、誰かが誠人君の行方を知ってるかもしれない」
大が口をはさむと、信蔵は複雑そうに顔を歪めた。
「確かにマレビト様の言う通りなんですが、わしらが屋敷に踏み込むわけにも……」
「そこは私が向かいます。八十神の皆さんを説得できるのは、今は私だけでしょうから」
真尋も決意を固めたようだった。最悪の場合、九段と八十神が争う事になるかもしれない。だがやらなくては、村の未来がなくなるかもしれないのだ。
真尋が大と綾の方に目を向けた。
「国津さん。天城さん。お二人もついてきてもらえますか? 屋敷で何か起きた時には、お二人の力を借りたいので」
「もちろん。いいよね、綾さん」
「ええ。当然、お供するわ」
ちょうどその時だった。村の入り口から、女の悲鳴が聞こえた。
「なんだ?」
「まさか、誠人様に何かあったんじゃ……」
村人達が口々に不安の声を上げる。嫌な予感に、大は心臓が縮むような感じがした。こんな状況で妖虫が出てきたりしたならば、混乱は一気に加速するだろう。
「行ってみよう」
大達とその場にいた村人が数人、入り口の方へ走って向かった。
大達がたどり着いた時、入り口の付近には既に人だかりができていた。皆が騒ぎの主を囲むようにして立ち、どう対処したものか、困惑したようにどよめいている。
大達は騒ぎの場に近寄った。真尋が人の輪の一番外にいた、若い女に声をかけた。
「一体どうしたのですか。何があったのですか?」
「ああ、真尋様!」
女が悲鳴のような声を上げると、集まっていた人が真尋達に気づき、騒ぎが更に大きくなる。
真尋は彼らを落ち着かせるように両手を前に出した。
「落ち着いてください。この騒ぎは一体何なのです。誠人が見つかったのですか?」
「誠人? 誠人に……、何か、あったのか?」
人混みの奥から、聞き覚えのある声がした。
声の主を避けるように、人混みが二つの山に割れる。そこから現れたのは、全身が血と泥にまみれ、今にも倒れそうに疲労困憊した瀧彦の姿だった。
「瀧彦? どうしたの、その怪我は? 他のみんなは一緒じゃないの?」
「どうもこうも、ねえよ……」
穂先の折れた槍を杖代わりにして、瀧彦は今にも崩折れそうな膝を必死に持ちこたえていた。その顔は今にも泣き出しそうで、出撃する前の自信に満ちた顔とは別人のようだった。
困惑する真尋の前で、瀧彦は腹の奥から嫌なものを吐き出すように、声を出した。
「兄ちゃんが、俺たちを裏切ったんだ」
次回は11月1日(日)21時頃予定です。
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