31 ラキと夏菜
「なら、やりあうしかありませんね」
ラキの声が途絶え、羽音が更に強くなった。風が震え、木々がざわめく。まるで姿が見えない餓えた獣が、獲物を狙う唸り声をあげているようだった。
ミカヅチは棍を地面と水平に構えた。意識を集中し、武器と体が一体になるイメージを作る。
全身に流れる巨神の力を手から棍へと伝えていく。目に見えない力が集まり、白銀の棍が光に満ちていく。今のミカヅチには、棍が太陽のように輝き、森の中を包む闇を跳ね返すような光景が映っていた。
敵が次に来る瞬間を狙う。間合いに入れば必殺の一撃を打ち込む。他は何も考えない。
周囲を羽音と風の唸りに包まれる中、ミカヅチは彫像のように動きを止めた。彼の周囲に、誰も踏み込めない、透明で硬質な空間が構築されていく。
不意に羽音が止んだ。
次の瞬間、より一層強い羽音を立てて、ラキが影の中から襲いかかった。
ミカヅチの空間がガラス細工のように壊れ、代わりに獰猛な殺気が爆発的に膨れ上がる。
「シャア──ッ!」
「りゃあ──ッ!」
二人が叫んだ。ラキはミカヅチの背後から飛びかかり、肋の刃で貫こうと迫った。ミカヅチは振り返り、棍を振り回した。
二人の超人の、必殺の一撃がぶつかった。
閃光と共に、棍がラキの鎧を砕いた。
「がっ……!」
巨神の一撃を受け、ラキの体は一気に吹き飛ぶ。姿勢すら制御できず木々に幾度となくぶつかり、やがて圧倒的な運動エネルギーも失われ、ラキは一際大きな木の根元にぶつかり、動きを止めた。
ミカヅチは大きく息を吐いた。右肩に切り傷がぱっくりと開き、赤い血が衣ににじんでいた。ミカヅチの反応があと少し遅かったら、ラキの刃は喉笛を貫いていたかもしれない。
細心の注意を払いながら、ミカヅチはラキに向かって近づいていった。ラキはちょうど木の根元に背を預けて座っているような姿勢を取っている。先ほどの一撃を受けた衝撃で兜が砕け、夏菜の顔を右半分だけ覗かせていた。
「なぜ……私より、早く、攻撃、できたんですか……?」
ラキが声を絞り出すように言った。
「あなたの、背中を、狙ったのに。動きが、読まれて、ました……?」
「君が飛んでいる時に、木の葉がわずかに揺れていた。そこから動きを読んだんだ。動きが読めると自信が持てるまで、結構時間がかかったけどね」
「あは……。すごい、ですね……」
割れた兜の奥、夏菜の表情が笑顔を作った。しかし傷が深いのか、どこか引きつったような笑顔になっていた。
ラキは木に体を預けながら何とか立ち上がろうと動く。しかしダメージは大きく、動きは緩慢で、両足は体重を支える事すら難しそうに震えている。
「よせ。もうこれ以上戦いたくない」
「できれば、そう、したいんですけど、ね……。私には、私に課せられた仕事があるんです」
ラキは血に濡れた唇を吊り上げ、肋の刃を全て解放した。両手を前方に構え、四本の刃をそれぞれ羽のように広げる。先程まで鳴っていた翅は、もう動きを止めていた。
彼女は邪神の眷属である妖虫の一味だ。偉大なる巨神の名にかけて戦うと誓った相手だ。しかし夏菜の顔を見てしまったその時から、ミカヅチの中に膨れ上がっていた戦意は雲散霧消していた。
「あなたが生きていては、伽彦様にとって害になる……」
「やめてくれ。もういいじゃないか。伽彦も蝗神も、みんな忘れて村の人間として暮らすんだ。それなら誰も咎めやしない」
「それこそ、私達を侮辱していますよ……!」
ラキは震える足を大股に開き、前に倒れるようにして走った。その動きは、空を飛んでいた時とは比べ物にならないほどに遅く、緩やかだった。
ミカヅチは顔を歪め、棍を握りしめる。次の瞬間、緑の光がラキの胸を貫いていた。
「あ……?」
「夏菜さん!」
突然の一撃に、ラキの姿勢が崩れる。ミカヅチは驚いて手を伸ばしたが、ラキは手を取ろうとはしなかった。
そのままラキの体は回転して、仰向けに倒れた。
「国津さん!」
「ミカヅチ!」
声のした方に顔を向けると、十メートル程向こうの木の近くに立つティターニアと、彼女に担がれた真尋がいた。真尋は右手をこちらに向けて伸ばし、指先には緑色に光る蜂が止まっていた。
綾がミカヅチを援護する為に、ティターニアとなって駆けつけたのだ。そして真尋の発した蜂の弾丸が、ラキを貫いたのだとすぐにわかった。
真尋はティターニアから降りて地に立ち、ティターニアと共にミカヅチの下に駆け寄った。
「大丈夫ですか? あなたが襲われてると思って、つい……」
「あ、ああ……。俺は、うん……」
ミカヅチは曖昧に答えを返した。予期しなかった突然の決着に、頭がついていかなかった。ただ地に倒れ、致命傷を負ったラキを見つめていた。
三人が見下ろす先で、ラキの体が変化を始めていた。
全身を包んでいた鎧がゆっくりと収縮し、溶けるように肌へと変わっていく。頭を覆っていた外骨格は、硬度を失うと髪へと戻っていく。
ラキは完全に人間の姿へと戻っていた、だが胸に空いた穴は戻る事はなく、流れ出る血が、元に戻った服を真っ赤に染めていた。
夏菜はもはや助からない。それは見れば誰もが感じ取れるだろう。しかし夏菜は苦痛も感じないのか、満足げに薄い笑みを浮かべていた。
「まさか、真尋様が、もう追い付いてくるなんて、ね……。見つかるまで、もう少しかかると、思ってたんですけど……」
「夏菜さん……」
「真尋様。申し訳ありません。私も命令がなければ、あのまま村で過ごしたかったのですが……」
複雑そうな真尋の顔に微笑みかけ、夏菜は大の顔に驚いたように眉を寄せた。
「どうしたんですか、国津さん。敵が死ぬのに、そんな、悲しそうな顔をして……」
「……俺は、例え敵に回ったからって、知ってる人が死んだら喜べないよ」
夏菜は少し驚いたように目を見張った。
「あなた、面白い人ですね。まさかそんな事を言われるとは思いませんでした」
「夏菜さん……」
「ねえ、国津さん。私、本当にあなたとの子供が欲しかったって言ったら、信じますか?」
不意打ちを食らって戸惑う表情を見せるミカヅチに、夏菜は少しだけ嬉しそうに笑い返した。
やがて夏菜が完全に動かなくなると、彼女の体に変化が現れた。
日に焼けた肌から艶がなくなり、急速に肉体がしおれていく。かさかさになった肌がひびわれ、砕けて塵となって崩れていく。
数十秒と経たずに彼女の姿は完全に崩れ去り、大地へと還っていった。
ミカヅチは目を閉じ、変身を解いた。一瞬光に包まれ、光が消えると元の服に身を包んだ大の姿へと戻っていた。
大は再び目を開け、夏菜がいたところを見下ろした。彼女は誰かに操られていたのではない。彼女は文化も価値観も違う異種族だ。衝突したならば、戦う以外に解決する方法がない相手だった。
しかし、脳裏に浮かぶ夏菜の姿が、これ以外の結末があったのではないかと訴えてかけてくる。
果たして、葛垣村で送った彼女の人生は、どこからどこまでが嘘だったのだろうか。大には分からない。分かっているのは、それを知る術はもうないという事だった。
「大ちゃん」
いつの間にか大の隣に、変身を解いた綾が立っていた。
綾は何も言わず、大の肩に手を回した。触れ合った肌から伝わってくる綾の暖かさが、大の心を癒すようだった。
「何か、他にできる事があったんじゃないかって、思ったんだ。戦わなきゃいけなかったのは、分かってるんだけど」
「大ちゃん」
「許せない相手だった。戦わなきゃいけなかった。だけど、何かあったかもって……」
いつしか、大の声は震えていた。
綾も真尋も黙ったまま、ただ大が落ち着くのを待っていた。
風が木々を揺らす音が、時折聞こえてきていた。
次回更新は31日(土)21時頃予定です。
面白かったと感じていただけたら、ブックマーク・評価等していただけると嬉しいです。




