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29 夏菜

「真尋様? 何か声が聞こえましたが、誰かおられますか?」

「夏菜さん。私ならここにいます。どうかしましたか?」

「ああ、よかった。姿が見えなくて探してたんです」


 夏菜はほっとしたように言う。真尋は緊張した面持ちで、書庫の扉を開いた。

 外の光とともに姿を現したのは、朝見た時と同じ夏菜の姿だった。

 大は思わずほっとしそうになったが、隣の綾に視線を送られて、気持ちを引き締める。綾は緊張の糸を切らさず、相手の挙動を読み取ろうとしていた。


「もうすぐお昼ですけれど、何か食べたいものがあるかと思いまして。今日は自警団の方もいませんし、手のこんだものも作れますよ?」

「悪いけれど、ゆっくり食べている暇はないわ。これから自警団の応援に行かないといけないから」


 受け答えできない勢いで言い放つと、綾は夏菜の隣を横切り、一気に屋敷の出口に向かって歩き出した。真尋と大もあとに続いていく。


「ちょ、ちょっと。どうされたんですか?」


 夏菜は予定外の反応に驚き、慌てて三人のあとを追う。前を行く二人の代わりに、大は長廊下で足を止めて、夏菜に顔を向けた。


「ごめん、夏菜さん。今急いでるんだよ」

「急いでるのはわかります。でも何があったんですか?」

「えっと……」


 果たしてどこまで話していいものか悩み、大は口元を歪める。綾達はそのまま玄関に向かって歩いていく。説明は任せた、という事だろう。


「国津さん、どういうことなんですか。真尋様が村を出るなんて、一体何が起きてるんですか?」


 何か大きな事が起きているのは、夏菜も感じているようだった。胸中に膨れる不安が顔に現れているように見える。しかしこれがどこまで本当なのか。既に彼女も妖虫の魔手が伸びていたとしたら。

 昨日まで普通に接していた相手の事も疑わなくてはならないのが、酷く嫌な気分だった。


「真尋様がいないと、村の人たちはどうすればいいんですか……?」

「その、あれだよ。書庫で本を調べてたら、妖虫についてすごい情報を見つけたんだ」


 日誌に書かれていた内容にできるだけ触れないように、悩みながら大は言葉を選んでいく。


「もしかしたら、今外に出てる自警団にも関わってくるかもしれない。だから早く追いつきたいんだ」

「そんなものが……」


 夏菜はぱちぱちと目を瞬かせたが、不安は更に濃くなったようだった。


「ごめん。だから俺も急がないと」

「待ってください!」


 玄関に向かおうとした大を、夏菜は腕を掴んで引き止めた。


「みなさんが何か大事なことをやろうとしているのはわかりました。だけど、どうかあなただけでも、ここに残ってくれませんか……?」

「夏菜さん?」

「仁斎様が倒れて、瀧彦様も伽彦様も外に出られました。真尋様まで村を離れられる時に、妖虫が来るような事があったらと思うと……。怖いんです、私」


 腕を握る夏菜の両手から、体温が伝わってくる。その熱と涙にきらめく瞳は、大を硬直させるに十分だった。


「せめて、あなたがそばにいてくれたら……。私、あなたを危険な目に、あわせたくありません……」


 夏菜の言葉に、大は数秒動きを止めた。やがて、大は夏菜の両手を、空いた右手で触れた。


「ごめん。夏菜さん」


 夏菜の手を取り、ゆっくりと外してく。夏菜は弾かれたように、

 勇気を振り絞って発した告白にどう対応するのが正解なのか、大の拙い女性経験では判断がつかない。だが今はやらなければならない事がある。それは間違いなかった。


「行かなきゃいけないんだ。今俺たちが行かないと、大勢の人が命を落とすかもしれない」

「国津さん……」

「村は残ってる自警団が守ってくれるよ。俺たちも帰ってくるから、安心して」


 相手の気持ちを落ち着かせるように、大は笑顔を作る。夏菜は俯いたまま、その表情はわからなかった。

 大は回れ右をして、そのまま玄関にあるき出した。急いで綾達に追いつかなくてはならない。


「……残念です」


 ぼそり、と夏菜が呟いた。

 不穏な言葉の響きに、大は眉をひそめた。今この状況で、使われる言葉だろうか。

 大が振り向いた次の瞬間、夏菜の腹から巨大な刃が飛び出した。服を破って現れた巨大な二本の刃は、ハサミとなって大の体を両断した。


「本当に残念です。私、あなたの子を生みたかったのに……」


 音を立てて廊下に落ち、ばらまかれた大の体と血を、夏菜は悲しげに見下ろしながら呟いた。


「でも、伽彦様の命なんです。皆さんをここに釘付けにしておけと……?」


 言葉の途中で、夏菜は妙なものを見たように顔を歪めた。廊下に広がった血の海が、ぶくぶくと泡立って膨れ上がり、弾けて消えていく。

 血だけではない。大の体も溶け、液体は蒸気となって一気に消えていく。理解の追いつかない奇妙な光景に、夏菜は己の目を疑うように二度三度とまばたきをした。


「こ、これは……?」

「俺も残念だよ。君が奴らの仲間だったなんて」


 うろたえる夏菜の眼前で、何もない空間がゆらいだ。風がふき、光が走り、次の瞬間、傷一つない大が姿を現した。

 大が振り向いたと見せたのは幻術が生み出した幻であり、自分は幻の大を引き裂いたのだと、果たして夏菜は理解できたか否か。


「シャァ!」

巨神タイタン!」


 再度夏菜が刃を振るうより早く、大は信奉する神の名を叫ぶ。大を包んだ閃光を刃が切り裂いた時、刃はあっさりと光をすり抜ける。

 夏菜が次の動きをするよりも早く、光球から現れた拳が弾丸となり、夏菜の鳩尾に打ち込まれていた。

 夏菜の体はあっさりと宙を舞い、庭に転がった。長廊下に光が消えた代わりに現れたのは、首から下を紅の戦装束に身を包んだ戦士。

 ミカヅチは目元を覆う青い仮面の奥で、悲しげに夏菜の姿を見つめていた。



 広い庭に倒れた夏菜は、吐くように咳き込むのを繰り返しながら、うつ伏せの状態から必死に体を起こそうとしていた。

 ミカヅチは構えたまま、注意深く夏菜の動きを監視していた。追撃の好機と見える状況だが、そう見えるだけの擬態かもしれない。


 先程夏菜に一撃を打ち込んだ時、拳は異様な感触を伝えてきていた。まるで鉄の鎧に布団を巻いたような、頑丈かつ柔軟な感触。その一点だけをとっても、ミカヅチは彼女が人間とは別物の、脅威として扱うべき存在だと感じ取っていた。

 玄関の方から、どたどたと慌ただしい足音が聞こえた。玄関に向かっていた綾と真尋が、突然の異音に驚き、戻ってきたのだ。


「国津さん! 一体何があったん……」


 ですか、と答える前に、真尋は言葉を失った。目の前で起きている光景に、何が起きたか察したのだ。


「夏菜さん……。そんな……」


 困惑と悲しみに顔を歪める真尋の前で、夏菜は姿を変えていった。額が裂け、現れた硬質の物質が兜のように頭部を覆う。破れた割烹着を乱暴に引き裂くと、服の下に緑色の外骨格が姿を表す。腹の刃が更に二本突き出て、昆虫の脚のようにわらわらと蠢きながら伸縮し、肋骨のように脇腹に収まった。


 夏菜だったものは立ち上がると、全身に力をこめ、威嚇するように羽を広げた。透き通った羽が高速で震えると、腸にまで響く重低音が鳴り響いた。


「そんな、まさか夏菜さんまで……?」


 夏菜の声を背中で聞きながら、ミカヅチは廊下から庭に降りた。綾達二人の前に立ち、夏菜の動きを牽制するように構える。


「この間、夏菜さんの親がマレビトだと聞いてなかったら、俺も斬られてたかもね」


 それを思い出した事で、大は夏菜から離れる時に自分の姿の幻を創り出して、夏菜に自分の姿を誤認させたのだ。

 なんとなく嫌な感じがした、その直感に従っただけなのだが、それは見事に当たった。

 できれば当たってほしくはなかった。


「そんな世間話で、気付かれるとは思いませんでした」


 変身によって発声器官にも変化が生じたのか、夏菜の声はどこかかすれて聞こえた。


「その術と、怪力。私達には危険な力です。やっぱり、伽彦さんに会わせる訳にはいきませんね」

「夏菜さん……」

「その名前で呼ぶの、やめてください。今の私は、蝗神様の下僕、ラキ!」


 叫ぶと同時に、ラキはミカヅチに向かって突進した。


次回は26日(月)21時頃予定です。

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