17 おぞましい儀式
巣穴は深く、どこまでも続いているようだった。幾重にも分かれ道があり、その度にどちらを曲がったか、小さな印をつけつつ進んでいく。
定期的に通気口が空いているようで、どこまで歩いても空気が澱むような事はなかった。
行けども行けども周囲の光景は代り映えがしない。まるで自分達が蟻の巣に入り込んでいるような気分だった。
何度目かの分かれ道に辿り着いた時、、大は足を止めた。妙な気配と音が、大の耳に届いたからだ。
「何かあるみたいだね……」
大は後方の皆に目配せをする。全員大が感じ取ったものに気付いているようで、表情は真剣だ。
余計な音を立てないように慎重に、大達は音のした方に曲がり進んでいく。少しばかり歩くと、通路の突き当りに横穴が見えた、どうやら音はその先で鳴っているらしい。
大達はゆっくりと横穴に近づき、顔だけを出して中を確認した。
異様な光景が広がっていた。
広さとしてはちょうどバスケットコートくらいだろうか。地面が起伏に富んでいるせいで、正確な広さは把握しづらい。天井までも高く、ちょうど体育館を思い出すような空間だ。周囲の壁に沿って、螺旋状に上に登る通路が作られていた。通路のあちこちに穴がいくつも開いていて、そこを禍蟻が何匹か移動しているのが見えた。
天井の中央付近に、巨大な光の珠がうごめいていた。大は目を凝らして光を見た後、顔を歪めた。大の体程もある大きさの蛍に似た妖虫が、大量に集まって部屋を照らしていた。夏の夜に儚く輝く蛍の光も、この大きさと集まりかたでは、凶悪で禍々しいものを感じさせる。
更に奥、ちょうど大達の向かい側の壁に、奇妙なものが鎮座していた。
それは巨大な、人間と虫を合わせたような姿をしていた。巨大な複眼と凶暴な顎が特徴的で、蝗を思わせる顔をしている。平べったい岩に腰掛け、壁に背を預けた格好はまるで玉座に座り、民を睥睨する帝王の姿だ。腰をおろしていても、まだ大達が見上げる程の巨体だった。立てば十メートル近くあるかもしれない。
手足は細く、乾いていた。全身には骨と皮しか残っていないような質感で、腹周りは特にひどく、痩せ細っていた。
そして最も特徴的なものは、その巨体の胸を貫く、巨大な楔だった。巨岩をそのまま切り出したような三角錐の岩石が、蝗の巨人を突き刺して壁に固定していた。
(あれが……蝗神……?)
果たしてこの巨人は生きているのか、死んでいるのか。一見して石像のようだが、見る者にこちらを見返しているような、奇妙な錯覚を与えた。
「まるで祭壇だな」
言ってみてから、まさにぴったりだと大は思い返した。ここはおそらく、人と違う存在が崇め奉る、邪神の神殿なのだ。
「ちょっと、近くに寄ってみましょう」
いうが早いか、真尋は姿勢を低くして部屋の中に突入した。大達が声をかける間もなく走り出し、右手にあった岩陰に身をひそめる。度胸のある鮮やかな突入だった。
「おい、ったく……。綾さん、俺たちもいこう」
「ええ」
「おい、本気かよ!」
今度は金城が声を上げる中、大と綾は真尋のいる場所に向かって走った。誰にも気づかれずにたどり着き、軽く息を整える。
「無茶をするなよ、おい……」
大は声をひそめて言ったが、真尋は耳に入ってないようだった。何かに目を奪われているようで、大は真尋の視線の先に目を向けた
扉の位置から見た際に、視界を塞いでいた土山がなくなった事で、部屋の中央部が見えるようになっていた。そこには禍蟻や他の巨大な妖虫が何匹も集まり、輪を作っていた。そしてその輪の中心にある砂山に、少女が仰向けになって置かれていた。
まだ若い子だった。おそらくまだ十歳かそこらだろう。髪を二つにわけて束ねており、葛狩村の村人と同じ、簡素な服を身に着けている。村人の一人なのだろうが、大には区別がつかなかった。
「あれは……?」
「杏ちゃん……!」
真尋が苦しそうに言った。
「おい、あの子誰なんだ?」
いつの間にか背後まで来ていた金城が、目を白黒させて言った。
「湯島さんの娘の杏ちゃんです。でもなんでこんなところに……?」
「昨日の誠人君みたいに、妖虫がさらってきたのかもな」
「まさか、そんな……」
真尋の声にも顔にも、戸惑いが見えた。妖虫の頭は獣同然、言っていたのを大も覚えているが、信じられずとも、目の前で起きている事実は動かしようがない。
少女は身じろぎ一つしない。どうやら眠っているようだった。それはおそらく幸運であっただろう。目を覚ましていたならば、己にはどうしようもない恐怖を直視せざるをえない。
彼女を助けなくてはならない。だがどうすればいいか、大は周囲を確認し、思考を巡らせた。
禍蟻の数は多いが、巨神の力をもってすれば今部屋にいる連中とは十分に渡り合えるだろう。ここには大だけではなく、綾もいるのだ。
しかし、この妖虫達の巣に果たしてどれほどの妖虫がいるかわからない。このまま突っ込んで、杏を捕まえて一気に逃げ出すのがおそらく最良だろう。できれば巨神の力を使わず、正体を隠したままで事を運びたいが、はたしてそれは可能だろうか。
そこまで考えたところで、不意に特徴的な足音が聞こえた。
二足歩行の足音だ。がしゃがしゃと動く妖虫の多足歩行の足音とは違う、正確な足音が部屋の奥から聞こえてきた。ちょうど大達が隠れている岩の反対側にいる為、姿はわからない。しかし、そこにいる何者かに、禍蟻の群れは司令官を前にした兵士のように、頭を下げていた。
そしてついに足音の主が姿を現し、大は息を呑んだ。
一見したその姿は、紫の鎧兜に身を包んだ武者を思わせた。しかしその両足は太く鋭い爪をつま先と踵から生やし、膝の関節が人間とは逆に曲がっている。右腕は左に比べて瘤が膨れ上がり、岩も砕きそうだ。頭部の外骨格は二本の角を生やした兜のようで、そこから見える口元は、凶悪な形をした牙が何本もむき出しになっていた。
昆虫と人を混ぜあわせたような、まさに異形だった。なまじ人間と似た点があるせいで、相違点が際立っていた。
虫人間は歩を進め、杏の前に立った。一匹の禍蟻が両の前肢で妙な物体を掴みながら虫人間の横に移動すると、虫人間はそれを右手で掴んだ。
その甲虫のような物体は、巨大な蠍を思わせた。全体的に白っぽい体で、太い足をうねうねと動かす様は見る者に生理的嫌悪感を催した。
昔、SF映画で似たようなものを見たな、と大は思い出した。あれは確か異星人の幼体で、人の顔面にしがみつき、卵を植え付けるのだったか。
虫人間が甲虫を掲げるのを見て、禍蟻達が騒ぎ始めた。しきりに顎を噛み鳴らし、鉄板を叩くような音が部屋中に響き渡る。
儀式が始まろうとしていた。彼らにとって重要な、邪悪な儀式を行っているのだ。そして儀式の生贄として、杏が選ばれたのだ。
禍蟻の怪音が引き金となったか、杏が軽くうめき声を上げた。不快そうに顔を歪めながら目を覚まし、周囲を確認するように二度三度とまばたきをする。
やがて目の前の光景に気付いた時、少女は叫び声を上げた。禍蟻達の出す音に負けぬ大きさの、恐怖に引きつった絶叫だった。
「わめくな、女よ」
虫人間が口を開いた。発音器官の違いか、多少聞き取りにくいところはあるものの、滑らかな日本語を発していた。
「お前は我らの同胞となるのだ。喜ぶがいい。その弱い心とも、体とも決別する事ができる。苦しむ事はない」
虫人間の手で、甲虫が獲物を見つけたとばかりに触手をうねらせた。
「まずいな……」
大は呻くように声を漏らした。奴が何者かはわからないが、言っている事からして、杏に良くない事が起きることは確実だろう。
彼女をどう助けるか。連携して動こうと綾に目を向ける。綾も考えは同じだったようで、大が顔を向けたらすぐに目が合った。
「あの子を……」
助けよう、と続けるより早く、緑の閃光が大の視界の端を横切った。
「!?」
声にならない声が漏れた時には、真尋の放った蜂の弾丸が真っ直ぐに敵に向かい、甲虫を粉砕していた。
突然の出来事に、虫人間が驚愕の声を上げる。
「なに!?」
「杏ちゃんから離れなさい、化け物!」
大達が止める暇もなく、真尋は岩陰から姿を見せて仁王立ちになり、虫人間を睨み返していた。
真尋が右腕を突き出すと、全身が緑の燐光を帯びていく。光は一気に右手に収束し、突如として現れた蜂が、弾丸となって一直線に虫人間へ向かって飛んだ。
「シャッ!」
虫人間の口から鋭い呼気が漏れ、左手を振り回す。蜂の弾丸は見事に左手に弾かれ、あっさりとかき消えた。
真尋が目を見開いた。虫人間の左腕から生えた鋭い刃のようなものが、飛来した蜂の弾丸を真っ二つに斬り捨てたのを、果たして彼女は見切る事ができたかどうか。
「貴様! 九段の娘か!」
叫ぶや否や、虫人間は真尋に向かって突進した。左腕の刃が先程よりも長く、太く広がって真尋を斬り殺そうと迫る。
もはや考えてはいられなかった。
「巨神!」
「巨神よ!」
大と綾が叫ぶと、閃光があたりを包んだ。光はそのまま身を硬直させた真尋を追い越し、虫人間へと真っ直ぐ迫る。虫人間が戸惑い動きを止めた瞬間、閃光の中から白銀の手甲を身に着けた二つの拳が、虫人間の顔面へと放たれた。
「ガッ!」
予想外の一撃を受け、虫人間は吹っ飛んだ。宙を舞って後数メートルほど地面に転がるが、勢いのままに置き上がり、己を殴りつけた相手をにらみつける。
そこにいたのは、青と赤の戦装束に身を包んだ二人の男女。白銀の手甲と足甲を煌めかせながら、戸惑う真尋の前で、油断なく構えをとっていた。
「貴様ら、一体……」
「私は偉大なる巨神の娘、ティターニア」
「偉大なる巨神の子、ミカヅチ!」
「巨神の、子……」
眼前で起きた事を理解しきれず、真尋が呆然とした表情で言った。
次回投稿は7日(水)21時頃の予定です。
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