14 寺の跡地にて
真上から輝く太陽の光を浴びて、雑草が青々と輝いていた。
誰も手入れをしなかった寺の敷地内に、雑草が好き放題に生えているのだ。エノコログサにホトケノザ、ヒメジョオン。大も名前を知っている草も生えているが、半分は名前どころか見たこともないような、奇妙な形をした草が庭を覆っていた。
「こりゃ酷いな……」
大は思わず感想を口に出していた。田園の道から寺に続く石段の時点で、結構な荒れ具合だったので予想はしていたが、石段を登った先は更にひどかった。
目の前にある寺は形を残してはいるものの、長い蔦が全体に絡みついていた。屋根瓦は一部が砕けて地がむき出しになっているし、床板はところどころが腐り折れていて、土壁は割れて竹の骨組みが見えていた。これでは雨宿りにも使うのもためらう程だ。
「ひとまず妖虫はいないみたいね。相手しなくて済むわ」
周囲をぐるりと見渡して、綾は言った。無駄に巨神の力を使って戦いたくないのは、大も同感だった。必要ならば仕方ないが、無闇に周囲の正体をばらしたくない。
「相手にするとは言っても、その場合の武器ってこれだけでしょ?」
大は手に持った槍を軽く掲げた。屋敷で渡された槍は二メートル弱程の長さで、柄は堅い樫の木を削り出して作り、穂先には鉄で作られた三叉の刃がついている。確かにしっかりとした作りの武器ではあるが、あの大きな禍蟻をこれだけで相手にするには、少々心もとない。
「仕方ありません。外の世界みたいには色々な武器があると聞いておりますし、マレビトの皆さまも色々な知識を授けてくださいますが、材料がないのです」
真尋が残念そうに溜息をついた。
「でもこれで、あの禍蟻をやれるの?」
「一人では大変ですね。普段自警団が妖虫を相手にする際には、禍蟻一匹に対して三人で囲んで突き殺すのです」
大は自警団が禍蟻を狩る姿を思い浮かべた。まるで昔学習漫画で読んだ、古代人がマンモスを狩るような姿が頭に浮かぶ。
それとは別に、昨日瀧彦と喧嘩した時の事が浮かんだ。
「そういえば真尋は昨日、緑色に光る虫を出して瀧彦を気絶させてたね」
さらに気絶する直前、瀧彦の体もあの虫と同じ緑色の光を発していたのを思い出す。
「九段家と八十神家は、あの虫を使って蟻と戦うのか?」
「そのとおりです。こんなふうに」
真尋の右手が天を差すと、掌から緑色に光るものが飛んだ。それは空を高速で飛び回り、二度三度と回転すると、荒れ寺に向かって直進する。
光は寺の上から急降下し、屋根へと突っ込んだ。瓦がまるで焼き菓子のようにあっさりと砕けたかと思うと、光は屋根の別の箇所から瓦を吹き飛ばして出現する。光が慣性を無視して不規則に飛び、突進する度に進路上にあった寺の一部が破壊されていく。
やがて、真尋が手を翻して胸の前に下ろすと、光は真尋の下へと戻り、右手の甲に止まった。
見とれる三人の前で、光の主は巨大な蜂に似た姿で大達を見つめていた。
「九段家秘技、『気虫術』」
そう言うと、真尋はくるりと手を返す。右手に飲まれるように、蜂はかき消えた。
「正確には虫ではなく、自然の気を利用して作った、虫に似せた武器なのです」
「すごいな!」
興奮に思わず大は声を上げていた。巨神の加護を得て以来、様々な超人に遭遇してきたが、見たことない術や力にはいまだに興味をそそられてしまう。
「それ、他の虫にも姿を変えられるのか?」
「はいはい、大ちゃん。それは後にしましょ」
微笑む綾に肩を叩かれ、大は我に返って苦笑した。綾は真尋と向き直り、
「それで、まずはここで何を探すの?」
「とりあえず、人のいた痕跡を見つけたいと思うんです。国津さんの見た灯りが寺まで来たかどうか、本当に来てたなら、その人が何をしていたか」
真尋の提案はもっともな内容で、大も綾も文句はない。
「了解」
「それじゃ、調査を始めましょ」
屋敷から持ってきた軍手のつけ心地を確認しながら、大達はそれぞれ敷地内を散らばって調査を始めた。
槍の柄で邪魔な雑草をかき分け、奥に踏み込んでいく。大が灯りを見たのは昨日の事だ。あの灯りがここに来ているなら、この深い雑草の敷地をかき分け、踏み越えていった跡が必ずあるはずである。
土の上の足跡。草木が踏み潰された跡。そういったものを探すが、範囲は広い。それらしいものは何も見つからないまま、時間が過ぎていく。
どれほど時間が経ったろうか、寺の右側で、庭の草木をかきわける大背後から、不意に声がした。
「あの、国津さん」
大は振り向いた。大の後方三メートルほどの距離に、真尋が立っていた。
「ちょっとそちらに行きますから、槍を振り回さないでくださいね」
「いいよ。わかった」
大が前方に伸ばしていた槍を引き寄せると、真尋は大の方に歩いて行った。大の隣に立つと、周辺を確認する。
「何か見つかりましたか?」
「今のところ、こっちは何もないね。森の方まで行けばわからないけど」
庭は大達の前方で終わりを告げ、後には鬱蒼とした森が広がっている。見晴らしのいい寺の周辺ならともかく、森の中に槍だけ持って一人で行くのは流石に危険だった。道もない森に入るなら、十分な準備がいる。
「そうですか……」
そう言うと、真尋は少し考えるような表情を作った。
「どうかした?」
「いえ、少し気になる事がありましたから、仕事のついでに聞いておこうかと思って」
「ん? 何?」
言っていいものかどうかと悩んだ素振りを見せた後、真尋は心を決めたように口を開いた。
「国津さんは、昨日瀧彦と喧嘩した時に、天城さんの事を自分の女だ、って言っていましたね?」
「ああ……。あったね、うん」
照れくさくて大は頭をかいた。昨日も綾にからかわれたが、当分はこれを笑いの種にされそうだ。
真尋は頬を染め、自分が同じことを口にしたように恥ずかしそうにしている。
「正直に言うと私、あんな熱烈で率直な告白を初めて見たんです。外の世界では、みんなああいった風なんですか?」
「いや、どうかな。俺もあの時はその場の勢いというか。普段ならあそこまで言えないかな……」
「本気ではないんですか?」
子供が疑問を抱いたような口調で、真尋は言った。
「そりゃ……本気だよ」
大は何とか言い変えした。言葉に力がないのが、自分でも分かった。
「そうですか。ただ、国津さんと天城さんはなんというか、あまりお似合いという風には見えませんよね」
陽気な真尋の声が、大の心にぐさりと突き刺さる。
「歳も離れてますし、どちらかというと、仲のいい姉弟みたいというか」
「そう言われると辛いんだ」
「それに、国津さんはあんなに情熱的な事を口にしたのに、天城さんはあまり気のある素振りも見せませんし」
「それは……綾さんはいつも、あんな感じだから」
「そうですか。国津さんは本気なのかもしれませんが、天城さんは国津さんをどう思ってらっしゃるんですか?」
真尋からすれば、ただの興味本位で聞いた質問なのだろう。しかしずけずけと言われた言葉の全てが、大には非常に重要な問題だった。
大が偉大なる巨神の加護を得て、ミカヅチを名乗ってから数カ月が経とうとしている。同時期に綾がティターニアであると知り、大は綾に告白した。
「時間がほしい」
綾はそう返した。大からしても、綾の気持ちは分かるつもりだ。いきなりそんなことを言われても困るだろう。
だからこそ、綾に認められるようにと、大は努力してきたつもりだ。だがどれだけ学業に精を出しても、ヒーロー活動を続けても、どこかで自分に自信が持てずにいた。
(自分は綾さんと釣り合っているんだろうか)
そういう気持ちはいつも大の心に潜んでいた。
顔も体も、性格も変えようと思えば変えられる。だが年齢だけは、人間には手を出せない領域だ。
もし綾と同年代の男性が綾にアプローチを始めたら、自分はその男と張り合えるのだろうか。そんな気持ちはずっとあった。
例え昨日のように、一時の感情が強い事を言わせても、一度落ち着いてしまうと弱い気持ちが自分を責めてくる。
この弱い心とは、一生付き合っていかねばならないのかもしれなかった。
大の微妙な心中を察したのか、真尋は言い過ぎたのを責めるように口元に手を当てた。
「あの、すみません。もしかして私、言いすぎましたか?」
「いや、別にいいよ。気にしてない」
「あの、ごめんなさい。私、外の世界の人はあんな事を言えるんだと感動したんです。嘘じゃありません。本当ですよ?」
真尋は真剣な顔で必死に弁解する。その様が妙におかしくて、大は苦笑を返した。
「大ちゃん、真尋さん!」
よく通る綾の声に、二人は振り返った。生い茂る草の向こうで、綾が手を振っていた。
「ちょっとこっちに来て! 何か見つけたかも!」
次回更新は明日(土)21時予定です。




