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10 初めての朝を迎えて

 朝の光に大が目を開けると、見覚えのない天井が出迎えた。

 何だ、と考えたところで、ここが自宅ではなく、迷い込んだ村の屋敷である事を思い出した。


 大は布団から上体を起こして、大きく伸びをした。窓から入ってくる朝日が部屋を白く染め、大が眠るベッドのシーツを輝かせていた。部屋に置かれている洋風の机の上に、竹を編んで作られた箱が二つ置かれていた。


 妙におかしくなって、つい笑みがこぼれた。すぐに帰る事ができるかどうか分からないのに、未体験の生活に心が浮き立っている。


「なんか、修学旅行みたいな気分だな……」

「なに? 何か言った?」

「わぁ!」


 横から話書けられて、大は思わず身をよじりながら叫んだ。声の主である綾が、隣のベッドで大と同じように上体を起こしていた。

 綾は体のストレッチをするように動かしながら、不思議そうに大を見た。


「なに、いきなり。そんなに驚かなくてもいいじゃない」

「いや、隣に綾さんがいるの、忘れてたから……」


 早めに気が付いてよかった、と大は心中で感じていた。気付かずに恥ずかしいところを見せていたらたまったものではない。

 心臓が勢いよく脈打つのを感じながら、大はベッドから降りた。体を軽く動かし、特に悪いところがない事を確認する。ちゃんと熟睡ができたようで、頭の働きも悪くない。


 旨そうな香りがふわりと漂ってきていた。部屋の外から流れてくるこの香りは、どうやら階下で朝食が作られているようだった。


「食事まで作られてるなんて、至れり尽くせりね。ほんと、旅行に来てるみたいだわ」


 綾も気付いたらしく、肩をすくめて言った。昨日の仁斎達の言葉通り、マレビトは村の客人としてもてなされているらしい。


 匂いに胃袋も刺激され、しきりに空腹だと訴えてくる。大はベッドを降りて、前方に置かれている机に向かった。丸い木の机の上に、四角い竹のカゴが置かれている。その中に、村人が着ているものと同じ、麻の簡素な服が畳まれて入っていた。


 昨日大達が着ていた服は、風呂に入った際に洗濯するとして村の世話役が持っていってしまったのだ。上に着ていたサマージャケットなどはそのままだが、とりあえずは向こうの用意した着替えを使わないといけない。


 早速着替えを、と思ってカゴに手をかけたところで、大は思いとどまった。今この部屋には男女二人。いくらなんでも同時に着替えるのはまずいのでは?


「綾さん、先に着替えなよ。俺は外に出てるから」

「そう? 悪いわね」


 綾がベッドから出るのを待たず、大は足早に部屋の外に出た。閉めた扉を背にして立ち、待っている間、食後にどう行動するかに思いをはせる。

 だが、背後からしゅるしゅると衣擦れの音が聞こえてくると、大の心は一気に平静ではいられなくなっていた。薄い木の扉一枚越しに綾の艶姿があると思うと、大の思考はあっさりとかき乱されていく。

 いや、これは良くない。本当によくない……。


「……ねえ、大ちゃん。褌の付け方って分かる?」

「知らないよっ!」


 思わず声が裏返る大だった。



 着替えを終えた二人は外に出て、匂いにつられて一階に降りていった。

 一階にある食事室に入ると、六人掛けのテーブルの上に朝食が用意されていた。米の飯に野菜の入った味噌汁、少しだが燻製肉を焼いたものもある。


「お目覚めになりましたか?」


 大が声の方を向くと、見慣れない娘が皿を運んでいるところだった。歳は大より少し下だろうか。着物に真っ白なエプロン姿という格好で、てきぱきと皿を並べていく。


「できたらお呼びするつもりだったのですが。明日からはもっと早く用意した方がよろしいですか?」

「いや、別にそんなことはないよ。これ、君が作ったの?」

「はい、他の人たちと一緒に。今日から私達が、皆様のお世話をいたします」


 村娘が、ぺこりと頭を下げた。小柄で地味な顔立ちだが、はきはきとした元気ある口調がかわいらしかった。


「ありがとう。えっと……」

「夏菜と言います。夏に菜っ葉の菜と書いて、夏菜」

「夏菜さんか。よろしく」


 大が感謝の言葉を伝えると、夏菜は薄く頬を染めて大から目を反らした。


「あの……、皆様の着ていた服は夜の内に洗濯してありますので、もうじき乾くと思います。……その、他にも御用があれば、いつでも言ってくださいね」


 夏菜は妙にそわそわしながら、奥の部屋に隠れるように戻っていった。その反応が、大には妙に気になった。ただ挨拶をしただけなのだが、何か変な事をしただろうか。

 そう考えていると、隣で綾がああ、と納得するような声を出した。


「大ちゃん。あの子、あなたに気があるんじゃない?」

「ええ? いきなり何言い出すんだよ。さっき会ったばっかりじゃん」

「この村の若い子はみんな、マレビトを狙ってるんじゃない? 村の人が外の世界に出る方法は、マレビトと子供を作るだけなんだから」


 そう言われて、大も合点がいった。相手の気持ちは二の次で、子供を産む事を考え、まずお近づきになる事が重要というわけだ。

 大からすると、あまりいい気分のしない考えだ。しかしこんな奇妙な村で暮らしていれば、そういった価値観、倫理観が醸成されていってもおかしくはないかもしれない。


「そういう事なら、綾さんの方が危ないよ。綾さん美人なんだから。昨日の瀧彦みたいな奴が来るかもしれないだろ」

「そうかもね。その時は大ちゃんが守ってくれる?」

「当然」


 意気込む大を見て、綾は嬉しそうに微笑んだ。


「それじゃ、お互い村の人に迫られて変な気を起こす前に、帰る手段を探しましょう。とりあえず、朝食をとってからね」


 話している内に隆生と香織も現れて、皆揃って朝食をとる事になった。

 どれも味がよく、大も綾もあっさりと平らげていく。特に綾の健啖ぶりは見事なもので、あまりの食欲に、金城が変なものでも見るような目で見つめていた。外川は偏食なのか、顔をしかめながらもなんとか出された料理に手をつけていく。


「あらあら、見事な食べっぷりねえ」


 感心するような声と共に、夏菜とは別の女性が調理場から姿を現した。格好は同じだが歳は夏菜の倍以上だろう。姿も夏菜の可憐で華奢な体型と違い、饅頭か鏡餅のように丸々と肥えている。いわゆる「食堂のおばちゃん」と言った雰囲気だ。

 女は両手に抱えたおひつをテーブルの上に置き、しゃもじで軽くご飯を整えていく。


「お兄さんもお姉さんも、朝から元気だねえ。ごはんのおかわりはいかが? まだありますよ」

「あ、じゃあお願いします」

「私も」


 大と綾が争うように茶碗を出すと、女ははいはい、と受け取ってご飯をよそいでいった。渡された茶碗の飯を黙々と平らげていく大と綾を見ながら、女はほう、と感心したように息をついた。


「たくさん食べて元気になってくださいよ。何せこれから、たくさん子作りしないといけない体だからねえ。お兄さん、手始めにあたしからどうです?」

「はは……遠慮しときます」


 愛想笑いを返す大に、女は思い出したように口を開いた。


「そういえば、ゆうべ八十神の瀧彦さんを叩きのめしたマレビトがいるって聞きましたよ。ひょっとしてあなたがやったんですか?」

「え? ああ……そうです。俺です」


 大はためらいがちに口にした。あまり掘り返してほしくない話だ。村の有力者らしい八十神の息子を蹴り倒したとなれば、さすがに村の人達の印象も悪い事だろう。

 しかし大の予想に反して、女は嬉しそうに笑顔を見せた。


「ああ、そうなんですか。よかったよかった。あのドラ息子を蹴り飛ばすなんて、あたしゃスカッとしましたよ。さすがマレビトさんですねえ」

「ど、ドラ息子?」


 確かに初対面の印象にぴったりな表現だが、普段から接している村人から言われるとは、大も思っていなかった。


「瀧彦って奴は、普段からそんなにひどい奴なんですか?」

「そりゃねえ。妖虫が襲ってきた時は頼りになりますけど。普段は八十神の家だってのを笠にきて威張り散らすし、喧嘩っ早いし。母親の日美香様が出てくると、借りて来た猫みたいに大人しくなるんですけどね」


 女は元来お喋りな性質なのだろう。雑談の新しい話し相手が欲しかったのか、話がどんどん広がっていった。


「先に知っておいた方がいいと思うから、言っちゃいますけどね。葛垣村には二つの勢力があるんですよ。昔から村を統治してきた九段家と、九段の分家である八十神家ですね。この両家がそれぞれ、村の男衆を集めて自警団を作ってたんですよ。でもそれが何年か前に、自警団を八十神家に全部取られちゃって」

「九段家に何かあったんですか?」


 綾が尋ねると、女はよくぞ聞いてくれました、とばかりにうなずいた。


「そう、九段家には真尋さんのお父様で、義一様ってのがいらっしゃったんです。これが立派なお方でねえ。村のみんなからは慕われるし、虫が襲ってきたら華麗に倒す。頭も切れるし顔もよくて。それに引きかえ、八十神家は当主の道元様がもうパッとしない。こりゃ当分九段様の天下だと思ってたんですけど、何年か前に、義一様が突然行方をくらましちゃって」


「行方不明に?」


「ええ。その当時、真尋様は子供だったし、仁斎様は病の身だった。そしたら道元様の奥方の、日美香様が色々手を回してね。それで九段の自警団は全部、八十神に奪われちゃった。それで今、村を守ってるのは八十神の自警団、ってわけなんですよ」

「なるほど……」


 昨夜、大達を仁斎と真尋が出迎え、真尋の父親が出てこなかった事や、真尋と瀧彦の険悪な関係など、色々な事が腑に落ちた。大が知らない複雑な事情が絡み合い、この村は外だけでなく、内側でも問題がある、危うい状況で成り立っているようだった。

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