06 誰にも渡さない!
「お姉さんあんた、すごい美人だね。村の連中とは、どっか違った感じがする」
「天城綾。違って見えるのは、日本とタイタナスのハーフだから、かしらね」
「タイタナス? 外国か。外の世界にはそんな国があるのか。でもまあ、あんたみたいなのが生まれるって事は、きっといい国なんだろうな」
瀧彦は綾の体を上から下まで、なぶるように眺めた。
大の胸中に苛立ちが湧き上がってきた。こんな場でナンパまがいの話をしだすなど、非常識極まりない。目を向けると九段家の二人も酷く嫌そうに顔を歪めている。どうやら今日だけではなく、普段から似たような事をやっているようで、叱るのも諦めているようだ。
瀧彦がポン、と胸の前で手を打った。
「よし、あんたどうだい? 俺と一緒に子作りして、元の日本に帰ろうや」
「私があなたと? 何故?」
「そりゃ、あんたがこの中じゃ一番の美人だからさ。もう一人は辛気臭くてカビが生えそうだ」
「カビ……」
外川がぼそりと呟く。きつめの顔をさらに険しくして睨みつけるが、瀧彦は気にもしていない。
「それに、あんたからは外見以上に、もっと違ったものを感じるぜ」
違ったもの、という単語に、大は何か引っかかるものを感じた。どうやら綾も同じだったらしく、表情に変化が出ている。大と綾は世の理からは外れた力を持つ、いわば超人だ。それを何か感じ取っているならば、彼もまた……。
「なあ、いいだろ? 色々教えてくれよ」
「……あなた、私の言った事を理解してなかった?」
綾が挑戦的な顔で、軽く笑った。瀧彦は意外そうな顔で、
「理解って、どういう意味だい?」
「私が言った何故、っていうのは、『何故あなたが私を選んだのか』ではなくて、『何故私があなたの相手をしなくちゃいけないのか』って意味よ」
「ぷふっ……」
真尋が耐えきれないように口に手を当てた。周囲の者も皆、笑いをこらえるのに必死になる。
「こっ、この……!」
恥をかかされた瀧彦の顔が、耳まで真っ赤に染まった。何か言おうとするが舌がもつれ、やっと言葉になったのは罵倒だった。
「っざけんなよ、この女ァ!」
怒りに任せて動いた右手が、綾の胸元を掴む。眼前で怒りに燃える目を向けられても、綾の表情は冷静なままだった。
「馬鹿にしてんのかよ」
「してないように見えた? 女を相手にしたいなら、まずは礼儀を学んできなさい」
「この……」
引っ張り上げようとした瀧彦の手が、びたりと止まった。立ち上がった大の手が瀧彦の手首を掴み、動きを完全に押さえていた。
「大ちゃん……」
綾の美しい瞳が瞬いた。
「やめろ。綾さんから手を離せ」
できるだけ冷静に、大は警告した。正直なところ、何も言わずにこの恥ずかしい男の顔面に、思い切り拳を叩き込んでやりたかったのだが、客人の身で波風を立てすぎるのもいけないと思ったのだ。
だが言われた当人は、大のそんな気持ちには全く気付いていないようだった。瀧彦は怒りの矛先を、綾から大に向けた。
「なんだよ、この女の知り合いか? 黙って下がってな、お姉さんの前で恥かくぜ」
「今恥かいてるのはお前の方だろ」
言葉の刃がぐさりと突き刺さり、瀧彦の目が血走った。
「しゃっ!」
呼気と共に、瀧彦の掴まれていない左手が、大の顔面目がけて放たれた。手を離し、体をひねってかわすと、拳が通り過ぎた耳元で風の唸る音がした。
大は軽くステップを踏んで距離を取った。大から向かって右側にいる綾達マレビトは驚いて、大と瀧彦を交互に眺めている。左側の仁斎と真尋は止めるべきかと悩んでいるようだ。そして対面している瀧彦は完全に頭にきたようで、左拳を前に突き出し、右腕を胸元に畳んだ構えをとった。
「長い付き合いになるんだ。今の内に格の差ってやつを教えといてやる」
言うが早いか、瀧彦は大目がけて突進した。
「シャッ!」
怪鳥のような声と共に、瀧彦は大きく踏み込んだ。左拳が真っ直ぐ伸びて、大の胸元目がけて打ち込まれた。
大は左腕で受けた。ずしりと来る一撃だった。体重をかけた拳が骨まで響く。そのまま体当たりしてくるのかと思うようなストレートだった。
「シッ!」
大が防いだのを見る前に、瀧彦は拳を繰り出していた。右鈎突き。左の直突き。休む事なく連続で、全力の拳を打ち込んで来る。
どれも速く、重い一撃だった。様子見や牽制が一切ない。それでいて動きに無駄がない。かわせるものはかわし、パリィで弾いているが、直撃を受ければ大怪我は避けられまい。
こいつは強い。大の頭が興奮に沸き立つ。全身にアドレナリンが流れ込み、心臓の鼓動がどんどんテンポを上げていく。
顔面狙いの右拳、更に左フック。軽く距離を撮ろうと動いた時、瀧彦がこれまで見ない動きをした。
危険を感じ、背筋にぞくりと来た。そのまま思い切って後方に跳躍する。
「りゃあ!」
跳んだ直後、瀧彦の右足がしなり、大の腹に瀧彦の横蹴りが叩き込まれた。
跳躍と蹴りの勢いが合わさり、大の体は後方に大きく跳んだ。数度たたらを踏み、なんとか着地する。
両腕が肉から骨まで痛みを訴えた。とっさに反応して両腕で防いでいなければ、鳩尾に打ち込まれた蹴りで悶絶していた。
好機と見て、瀧彦が突進した。床板が割れるような踏み込みと共に、右の回し蹴りが地を這うような軌道で脇腹に迫る。
だが大の動きはそれより速かった。
瀧彦の蹴り脚に左足を合わせ、ちょうど足首のあたりを踏んで蹴りを受け止める。更にその勢いを利用しながら大は跳んだ。
蹴りの勢いを利用しつつ放った大の右膝が、狙いすましたように瀧彦の顎に突き刺さった。
「ぐえっ!」
意味の分からない言葉を吐きながら、瀧彦は床に倒れ転がった。鮮やかに決まった顎への一撃に、体を丸めて悶絶している。
「おう……」
「すごい……」
仁斎と真尋が、感心するような声を出した。
「ふう……」
倒れた瀧彦に残心をとりつつ、大は軽く息を吐いた。やりすぎたかと少し罪悪感が湧いたが、加減できるほど瀧彦は弱くはなかった。
いきなり動きはしないと見て顔を上げると、綾と目が合った。綾も大の気持ちが分かっているのか、あれで良かったと言いたげに軽く頷いた。
「あがっ、が……っ、てめ、てめえ……!」
くぐもった怨嗟の声がして、大は声の先に目を向けた。瀧彦が右手で口元を塞ぐように顎を抑えながら、なんとか立ち上がろうとしていた。
片足をついて体を上げようとするが、不意に力が抜けて片膝立ちになる。気迫はまったく収まっていないが、頭部へのダメージはかなり深いらしい。瀧彦は鼻息荒く、火の出るような目で大を睨みつけた。
「ゆる……許さねえ……!」
「許さないのはこっちの方だ。綾さんに手を上げようとしておいて、その程度で済んで幸運だと思え。いいか!」
二度とこんな事は起こさせない。胸の奥から湧き上がる強い気持ちに突き動かされ、大は瀧彦を睨み返しながら、綾を指さした。
「綾さんに二度と手を出すな! 綾さんは、俺の女だ! 誰にも渡さない、お前にも指一本触れさせない!」
普段なら恥ずかしくて、二人きりの時でも言えないような啖呵だった。
言い放った言葉の内容で恥ずかしさに悶絶する前に、大は危険を感じて構え直した。
瀧彦の気配が変化していた。片膝立ちで顎を抑えた姿は変わらない。だが彼の体内で、強大な力が膨れ上がっているようだった。力の一部が、瀧彦の全身の毛穴からわずかに吹き出て、霧となって周囲に散っているような。それが大の第六感が感じ取り、危険信号を全身に送っていた。
「おもしれえ……。俺を馬鹿にした奴がどうなるか、教えてやるよ……!」
ぼそりぼそりとつぶやきながら、瀧彦の体の表面が緑色に輝き始めた。敵意の込もった力が今にも襲いかかってきそうで、大の首筋に冷たい汗が吹き出る。
瀧彦は加減できる相手ではない。もし大と同様に、超人だというならばなおさらだ。
(いざという時には、人前でも巨神の力を使うか……?)
どうすべきかと悩んだ時、不意に瀧彦の体から、力の気配が消えた。
「あが……」
瞳が焦点を失い、ぐるりと回る。そのまま瀧彦の体は糸が切れたように力が抜け、床に受け身も取らず倒れ込んだ。
一体何が起きたのか。大が目を瞬かせていると、瀧彦の首筋に奇妙なものがいる事に気がついた。
それは翡翠のように鮮やかな緑色に輝く、拳大の蜂に似た虫だった。腹にある針を瀧彦の首に突き刺しており、どうやらそこから流れた毒で、瀧彦は昏倒したようだった。
はあ、と溜息が聞こえた。見やると真尋が座ったまま手を瀧彦に向けて伸ばしている。そしてその手が、蜂と同様の鮮やかな緑色の輝きを見せていた。
「馬鹿。マレビト相手に力を使おうだなんて、何を考えてるの……」
真尋が吐き捨てるように言った。それに反応したように、蜂が針を引き抜いて飛び上がった。蜂は一直線に真尋の右手の甲に戻ると、ふっと空に溶けるようにかき消えた。




