05 蝗神の呪い
仁斎が言った『呪い』という言葉に、大は表情が険しくなるのを感じていた。
先程見た巨大な蟻の化物といい、「子作りしないと出られない」というルールといい、何か得体のしれないものが、この地には根を張っているようだった。
「さて……皆様、我々が歓迎の準備をしている間、村の外を色々と見て回ったと思われますが、この村の事、どのように感じられましたかな?」
仁斎の問いに、一同は答えに窮した。なんと答えたものか迷っている間に、綾が率先して答える。
「失礼な事を言うようですが、かなり古い町並みだと感じました。未だに電気がほとんど使われておらず、農具も機械化がされていないようですし……」
「日本にこんな遅れた田舎があると思わなかった、といったところですかな?」
「いえ、そこまで言うつもりは……」
口ごもった綾を見て、仁斎はカラカラと笑った。
「良いのですよ、それくらい。この村に参られたマレビトは、皆一様にそう答えます」
「マレビト?」
「ええ。この葛垣村に、外の世界……いえ、我らの先祖が元いた世界から訪れた人の事を、我らはそう呼んでおるのです」
(外の世界……)
大の腹の奥に、重いものが生まれた気がした。昼間の大蟻を見て感じていた事だが、やはり今、大達がいるこの世界は、日本とは別のどこからしい。
「元々はこの葛垣村も、日本の出雲近くにある、何の変哲もない山村でした。ですがある時を境に、葛垣村には呪いがかけられたのです。邪悪なるものの餌となる為の呪いが」
仁斎はゆっくりと語りだした。
「葛垣村が現在のように世界から隔離されたのは、今から二百年程前の事と伝えられております。当時この村は、邪悪な妖のものに支配されておりました」
その妖は、残忍で狡猾な奴だった。蝗神と呼ばれていたそれは、村を守る為と称して毎年生贄を要求し、断れば田畑を枯らし、家々を荒らして回ったという。勇気ある村人が何度も退治しようとしたが、その度に返り討ちにあって骨だけが村に放り出された。
人々は苦しみ、恐怖しながらも毎年若い娘を贄として与え、妖魔の機嫌を取り暮らしていた。
「そこに、九段家の祖先である、術師が現れたのです」
村人が苦しむ姿を見かねた術師は、ちょうど行われる生贄の儀式に立ち会い、現れた妖魔と戦ってついにこれを封じたのだという。
ここまでならよくあるおとぎ話だ。しかし封じられる直前、蝗神は儀式に出ていた生贄を使い、ある術をかけたのだった。
それにより、葛垣村は周辺の山ごと削り取られたようにして、日本の地図から消え去り、この異界に送られたのである。
村人達は恐怖し、絶望した。村の周囲は見たこともない怪物がうろつき、何度も襲われた。いずれ滅んでしまうはずだった村を救ったのは、妖魔と戦った術師だった。
彼は己の力不足を悔み、文字通り命がけで村を守り抜いた。それまでの修行で身につけた知識を披露して人々を助け、自給自足の生活を送る事ができるようにした。
そして術師は村長の娘と結婚し、その子孫は代々、村を守護する役目を担ってきたのだった。
「我ら九段家と、分家である八十神家。我らはこの地を守り抜く為に、長年魔物と戦って参りました。そうして村で生活を続けてきたある日、この村に日本からのマレビトが現れたのです」
彼は洒落た洋装で村に現れた。葛垣村が異世界に追放されてから数十年が経ち、村人は自分達と元の世界で、これほどに文明に差が生じているのかと驚いたという。
「そのマレビトは元の世界に戻れない事に絶望しましたが、やがて村娘と恋に落ち、子を生みました。そして子を生んでから数日後、両親は村から姿を消し、元の世界と戻ったのです」
「姿を消したって……。それが、元の世界に戻ったって、分かるんですか?」
大が口を挟んだ。姿を消したという言い方だけでは、果たしてその二人がどうなったのか分からないではないか。
これもよく言われた質問だったのだろう、仁斎はうんうん、と頷いた。
「二人が光に包まれて消える瞬間を、村の大勢が見ていたのです。その時父親であるマレビトは光に包まれながら、『東京が見える、東京に帰れる』と言っていたそうです」
それから定期的に、マレビトは現れるようになった。マレビトは元いた場所も年齢も様々だったが、どれも皆、マレビトと子を成した村人は、二人の子を産んで数日以内に姿を消した。
「我らは悟りました。我々がこの異界から元いた世界に帰る方法は一つ。それがマレビトと子を作り、子をこの村に残す事なのだと」
「ですが、私達は外の世界に戻る為に、皆様を利用したいのではありません」
仁斎の言葉を継いで、真尋が言った。
「マレビトは元の世界で起きた出来事や、新しい知識を与えてくれる貴重な存在なんです。そのおかげで、葛垣村は見た目よりもずっと発展しました。だから私達は貴方がたを歓迎します。だから子を作り、産まれて帰るまでの間、どうか私達の暮らしを手助けしてください」
二人はまた頭を下げた。
仁斎と真尋、九段家を代表する二人の言葉を受けて、皆押し黙っていた。
あまりに奇妙な内容だった。どう受け止めればいいのか、大だけではない、ここにいる者は皆、これからの事について考えを巡らせている事だろう。
村の呪いについての話を受けて、大の胸中にある想いは、嫌悪感だった。
ここに来たよそ者は、子供を作り、産み、しかし育てる事もなく、ただ捨てるように去っていく。
(……嫌だな)
親にも子にも、あまりに悲しく、むごい仕打ちだ。
この村に来た時、真尋から初めて聞いた時には困惑するばかりだったが、詳しく説明を受けて内容を理解すると、呪いに対する怒りと嫌悪が、心の中でどんどん比重を増していくようだった。
いつしか陽は沈み始めていた。闇が濃くなる室内に、真尋は立ち上がって部屋の隅に置かれていた灯籠に火をつけた。
「さて、それではささやかですが、歓迎の証として夕食を馳走したいと思いますが、いかがですかな?」
仁斎が人を呼ぼうと、手を叩こうとした時だった。
「おやおや、今回のマレビトはずいぶんと多いんだな」
背後から声がして、大は振り向いた。
大達が入ってきた入り口に、若い男が一人立っていた。
歳の頃は二十歳程度だろうか。細身の体に、黒いズボンと綺麗に折り目のついたシャツを身につけている。素材自体は他の村人と同じものだろうが、体にぴったりと合ったデザインで似合っている。
肩に軽く当たる程度の長さの髪を、後ろで束ねている。真面目にしていれば見れた顔なのに、相手を見下すような目つきとにやけた口元が、人に不快感を与えていた。
「瀧彦……」
真尋が険しい顔を作りながら、嫌そうに男の名を呼んだ。
「一体何をしに来たの。マレビトを歓迎するのは九段の役目、あなた達八十神には関係ないでしょう?」
「そんな事は分かってるよ。でも俺達が歓迎の気持ちを伝えに来ちゃいけない、なんて約束事はないだろ」
どうも彼は、先ほど話に出てきた八十神家の人間のようだ。真尋の言葉づかいも、先ほど大達に話していた時と違い、酷く刺々しくなっていた。
瀧彦のにやけた顔が更に深くなった。部屋に上がって大達に近づきながら、皆の顔を品定めするように眺める。
「それに、俺もそろそろ成人だ。子供を作る権利はあるぜ」
「はあ……?」
話の内容が信じられない、と言った風で、真尋の端整な顔が険しくなった。
「あなた、本気? 村から出ていくって言うの?」
「ああ。ここで暮らすより、村の外に出た方が楽しいんじゃないかと思ってさ。それで相手の下見をしに来たってわけさ」
言葉の通りに、瀧彦の目は女を重点的に見ているようだった。道場の中を歩き回りながら、綾と外川を無遠慮に確認していく。
「九段と八十神は村を出ていく事は許されないはずよ」
「気にすんなよ。うちは兄ちゃんがいるんだ。俺がいなくなったって大してかわりゃしねえさ」
雑に言い放つ瀧彦に、真尋は更に言葉を続けようとして、止まった。仁斎が手を伸ばし、真尋の手を握ってそれ以上の怒声を封じ込めていた。
「ふうん……」
やがて、瀧彦の足が綾の前で止まった。正座している綾と視線を合わせるようにしゃがみ込むと、楽しげに「おう」と声を漏らした。




