05.鋼の獣人
ティターニアとミカヅチの気迫に気圧されたように、二人の悪漢は呻き、あからさまに狼狽する様を見せた。
「なに、巨神の子だと……?」
ドマが体を起こしながら、驚きの声を上げる。立ち上がり、ラクタリオンに顔を向けた。
「聞いたか、ラクタリオン。奴ら、自らを巨神の子だと名乗ったぞ!」
「まさか、この極東の地でか!?」
ラクタリオンも驚きを隠せない様子で、目を見開いてミカヅチ達を見た。先ほどまでの余裕のある、強者然とした佇まいが嘘のようだ。
ミカヅチの頭に疑問符が浮かんだ。彼らの驚きようは、単に目の前にヒーローが現れたというだけではないように感じられた。
だがそれも数秒の事で、ドマは仮面の形相にも劣らぬ殺気と気迫で全身に力をこめ、両足を踏みしめた。床のタイルがくだけ、破片が周囲に飛び散る。
「まあいい、なんでもかまわん! 巨神の子だというならちょうどいい、昔の恨みを晴らさせてもらうだけよ!」
引いた弓を放つように、ドマはミカヅチに向かって突進した。ミカヅチも対応して構えを取る。
「俺がこっちをやる!」
「わかった!」
ティターニアは応えて、ラクタリオンへと向かった。ラクタリオンも反応して黒い波が形を持ち、人の形をとってティターニアに襲い掛かる。そちらに目を向ける暇もなく、ドマはミカヅチの前に現れた。
高速で振り下ろされる巨大な拳を、ミカヅチは左右に体を振ってかわす。拳が空を切り裂き、旋風となって顔に叩きつけた。早く、隙のない連撃だ。ドマの巨体は、百八十センチを超えるミカヅチが見上げるほどで、繰り出される打撃は非常に防ぎ辛い。岩山からの落石をかわし続ける気分だ。
スウェーとパリィでかわしつつ、下がるミカヅチを、ドマは連打しながら前進し、追い詰める。背後に壁が近づき、追い詰められたところで、ドマの口が楽しそうに牙をむいた。
「シャァ!」
必殺の威力の拳が撃ち込まれる刹那、ミカヅチは逆にドマに向かって踏み込んだ。
頭上数センチを拳がかすめ、アドレナリンが脳内で放出されるのを実感しながら、ミカヅチは左フックをドマの脇腹に打ち込んだ。
「うわっとl!」
異様な感触に、思わずミカヅチの口から声が漏れた。ミカヅチの拳が触れた瞬間、柔らかくしなやかに動く巨大な筋肉の塊がまるで鋼鉄のように硬く変化して、打撃を弾いたのだ。巨神の加護がなければ、ミカヅチの手は砕けていたかもしれない。
次を撃とうとするより早く、ドマの拳が迫った。腕でブロックするが、衝撃を殺しきる事はできず、ミカヅチの体が浮いた。
「ぐっ!」
一メートルばかり横に飛ばされて着地し、展示のガラスケースに当たりそうになるのをこらえる。ここで戦って展示物を破壊でもしたら被害が一体いくらになるか、そう考えると背筋が寒くなった。
(外に連れ出すか)
ミカヅチはドマの左に回り込むように動いた。西側の出口に誘導する動きだが、ドマはそんな事を気にしないらしい。ミカヅチに向かって真っすぐ突っ込んだ。バックステップを繰り返して外の通路に出たミカヅチを追って、ドマが半開きだった鋼鉄のドアを引きちぎりながら突進した。
ダンプカーに追われている気分だ。ミカヅチは先ほど考えていた事を訂正した。ドマの肉体をもってすれば、先日の熊に変化した魔法使いなど、一分と経たずに肉の塊にできるのではないか。
通路の右手はガラス張りの壁となっていて、手入れされた中庭が見えた。十分に広く、人も物もない。ここなら被害も小さくて済む。
ミカヅチは距離を取り、腰に下げた二本の棍を取り出した。巨神の加護を得た者の意志で自在に形を変える、五十センチ程の白銀の棍を軽く振ると、右手の棍はそのまま一瞬で六尺程の長さに伸びる。そして左手の棍は手甲と混ざり合い、腕を守る小型の盾へと姿を変えた。
半身になって棍を中段で構えると、ドマは間合いの外で止まった。ミカヅチの姿を眺め、仮面の奥でにやりと笑う。
「おお……まさしく巨神の子が持つ銀の戦棍。確かに貴様は、巨神の加護を受けているらしい。ならばこちらも得物を使わせてもらおうか」
ドマが両手を前に突き出し、一度強く拳を握って開いた。手甲につけられていた黒光りする金属板が滑らかに形を変え、膨れ上がって指を覆っていく。みるみるうちに禍々しい黒い爪を生やした手の指を、ドマは感触を確かめるように二度、三度と握った。
凶悪な爪を見せつけるように構えたドマを、ミカヅチは嫌そうな顔で見つめた。
「……もうちょっと、痛くなさそうな武器にしてもらえると嬉しいな」
ミカヅチのぼやきにドマは愉快そうに鼻を鳴らした。
「そんな事を口にする戦士など初めて見たわ」
「俺はできれば、殺し合いなんてせずに終わらせたいんだ」
「それは残念だったな!」
巨大な砲弾のように走るドマが間合いに入った瞬間、ミカヅチはドマに向けて突きを放った。鳩尾を狙った一撃はドマの左手に弾かれ、軌道がそれて空を切る。踏み込んだドマの右の拳を、ミカヅチは頭を下げてかわす。左に低く移動しながら、ミカヅチは棍を横薙ぎにドマの腹を薙いだ。
拳の時と同じ、鉄塊を叩いたような感触に手が痺れる。ノーダメージのドマは壁を背にしたミカヅチに向き直り、丸太のような脚で前蹴りを放った。
「フン!」
「ぐっ!」
重たい蹴りを盾で受け止める。さらに続いて放たれた貫手を、ミカヅチはスウェーでかわした。
嫌な音がした。勢い余ったドマの貫手が背後のコンクリート壁に手首までめりこんでいた。直撃した時の事は想像したくない。
代わりにミカヅチは棍を勢いよく振り回し、ドマが手を抜くまでの隙を狙って連打を放つ。袈裟がけの振り下ろし、膝への横薙ぎ、顎への振り上げ。体を鋼鉄に変えるドマも、ミカヅチの力による連打でさすがに怯んだ。その間に軽く距離を取ったミカヅチは、気合いと共に突きを放った。
「せいっ!」
床がひび割れる程の震脚と共に撃ち込まれた腹への一撃で、ドマは吹き飛んだ。先にあった大きな窓ガラスが割れて、中庭に倒れこむ。
ミカヅチは追って外に出た。規則正しく配置された低木の間に石畳が敷かれた中庭で、ドマはちょうど倒れた先にあった植え込みを邪魔そうに押しのけ、へし折りながら立ち上がった。
腹をさすりながら、ドマはミカヅチを睨みつけた。
「やるな、巨神の子。その若さ、この温い時代で一端の戦士の実力を持っているらしい」
「俺はミカヅチだ。巨神の子、なんて呼ばずに名前を覚えろよ」
ミカヅチはつい抗議したが、ドマはそんな事など聞く耳を持たないようだった。
「しかし俺の肉体を破壊するには、いささか力不足だな。俺の体は我が主より頂いた加護により、鋼よりも強く硬い。お前に壊せるか?」
「やり方次第さ」
ミカヅチは返したが、内心どうしたものかと考えていた。窓を破った時のガラスの破片のうち、ドマの下敷きになったものは粉のように砕け、ドマに傷一つつけていない。ドマの全身を覆う鱗と皮膚を破壊するのは酷く厄介だ。並みの打撃や斬撃では傷一つつくまい。もっと大きな威力を与える必要がある。
(あれを使うか……)
次の手を考えた時、左奥の壁に張られているガラス窓が勢いよく割れた。