46.巨神と軍神
等間隔に設置された街灯が、二人をあらゆる方向から照らし、複雑な陰影を生み出していた。
ライブ会場となっている競技場に隣接した専用駐車場は、今日のライブを見に来た観客の車でいっぱいだ。大小様々な車両の持ち主は今頃夢のような気持ちで、演奏に聞き惚れているに違いない。幸せな思い出のワンシーンを、脳内に刻み込んでいる事だろう。
それを思うと、できればここで戦いたくはなかった。ライブが終わって帰ってきた時に、大破した愛車を見て悪夢に突き落としたくはない。
(つっても、こいつにはそんなの関係ないよな)
心中独白するミカヅチの眼前で、ラージャルが大剣を振りかぶった。
「ぬん!」
気合と共に下ろされる一撃を、ミカヅチは長棍で受け止める。脳天から股間まで真っ二つにされそうな剛力に、足腰がきしむ。
ミカヅチは棍を振り回し、剣を右にいなした。反撃に出ようとしたところで、ラージャルの動きに気付いて後方に跳ぶ。
ラージャルは剣が落ちた勢いのまま体を回転させ、剣を振り回すように薙いだ。ミカヅチのいた場所を、巨大な刃が高速で通り抜ける。
「しゃあっ!」
ラージャルはそのまま、大剣を振り回しつつミカヅチを追う。剣を振るう度に、空気が爆ぜるような唸り声を上げた。
ミカヅチは以前に読んだ歴史小説の事を思い出していた。かつてラージャルはキリクに師事し、武術の腕を磨いたという。確かにラージャルの剣技は鋭い。ミカヅチも気を抜けば瞬く間に細切れにされる事だろう。
ミカヅチはタイミングを計りつつ、後方に下がる。袈裟切り、胴薙ぎ、ラージャルの剣の動きを見定める。目から怒りの炎をほとばしらせて、ラージャルが胴薙ぎを放つ。
ここだ。右から左へ、高速の剣先が通り過ぎる。剣に触れないすれすれをスウェーで避け、ミカヅチは長棍をもって突きを放った。
白銀の棍がきらめいて、一筋の閃光となる。鉄をも砕く一撃は、ラージャルの左肩をかすめ、戦装束を切り裂いた。
心中で舌打ちする。鳩尾を狙ったのに、体を捻り半身になることでかわされた。
下から上へ、返ってきた剣の一撃を、ミカヅチは棍を叩いて防いだ。そこから棍を跳ね上げて、ラージャルの首筋を狙う。それもかわされた。
剣の乱舞をこれ以上受けきれず、ミカヅチは後方に跳んだ。
突っ込んできたラージャルの大剣を、ミカヅチは棍を交差させて防ぐ。鍔迫り合いの形になって、ラージャルが押し切ろうと圧をかける。
負けるか、と棍を押し返したところで、するりとその力が抜けた。前につんのめりそうになり、引こうとする。
瞬間、ラージャルの左拳が、鮮やかにミカヅチの右頬を叩いた。
無防備になった意識の隙をつく一撃だった。硬い拳が、激痛と目眩を無理やり連れて来る。
拳はそのままミカヅチの胸元へと伸びた。ジャケットの襟を掴むと、そのままミカヅチを片手で吊り上げる。
「フン!」
気合と共に、ラージャルはミカヅチを無造作に振り回した。自身の体を軸にして回転し、その勢いのままミカヅチを地面にたたきつけようとする。
アスファルトが顔面と衝突する前に、ミカヅチは棍を上空に放り投げた。空いた手を伸ばし、迫る地面に両手をつく。
手首、肘、肩と連動させることで、激突の衝撃を吸収する。そのままためたバネを一気に解放し、ミカヅチは逆立ちの姿勢のまま宙を跳んだ。
空中で回転し、ラージャルと向かい合う形で着地する。ちょうどその位置に、先ほど放り投げた棍が放物線を描いて落下する。棍を両手で掴むと、ラージャルが舌打ちした。
「しぶといな。何故貴様ら巨神の子は諦めんのだ?」
「あんたこそ、俺一人を殺せない癖に、まだそんなにえらそうな事言ってるのかよ。だいぶ疲れてるんじゃないの?」
ミカヅチの息は荒い。強がりからくる煽りなのは見え見えだ。しかし、ラージャルの動きが鈍っているのも事実だった。彼の動きには、先ほどVIPルームで戦った時のようなキレがない。その原因はラージャルの戦装束の胸元で、赤い染みとなって現れていた。
「キリクがつけた傷、結構深いんだろ。痛くて動きづらそうだね」
ラージャルの目が血走った。剣の柄を強く握り締め、手が真っ白に変わった。
ラージャルの実力は、ミカヅチも嫌という程知っている。お互い万全の状況ならば、恐らく向こうが上だ。それでも今なんとか渡り合えているのは、キリクがつけた傷により、ラージャルの動きが弱っているからだ。
既に冥府の底に堕ちた身でありながら、彼はなおも主君を諌めようとしていた。
「キリク程の男が、貴様などの説得にほだされるとは……」
「違う。俺は確かに説得はしたよ。それでも俺の話を聞いたから、あんたに立ち向かおうと思ったんじゃない。今のあんた達を見ていられなかったからさ」
「何?」
「キリクはこの時代に転生したあんた達に、心を痛めてた。軍神の力を得て姿を怪物に変えただけじゃなく、大儀もなく争い続けるあんたを理解できなかった」
かつてキリクがラージャル達と共に兵を挙げたのは、圧政に苦しむ民と、腐敗した政治状況を見かねての事だった。
自分達の手でより良い国を作る。その意志あっての戦いだった。だからこそ、魂の弱肉強食を語る、転生後のラージャルの姿に、キリクは違和感を覚えずにいられなかったのだ。
「キリクはずっと悩んでた。あんたに対する敬意の心と、裏切られたという思いのギャップに苦しんでた。もしあんたが、キリクが裏切ったと感じているならそうじゃない。逆だよ。あんたがこの時代に現れた時から、あんたはキリクを裏切ってたんだ」
ラージャルはうつむき、何も答えなかった。信頼していた部下でも、莫逆の友であっても、人の心を完璧に理解する事はできない。昔も今も、それは変わらないのだろう。
「……そうか、キリクはそれほどまでに悩んでいたか。俺はそれもわからず、あいつを苦しめていたのだな」
ラージャルが顔を上げた。ミカヅチは思わずぎょっとした。その瞳からは涙が溢れ、黄金の頬の上を伝っていた。
「余は最早、友の願いも理解できぬ愚者に成り下がったというわけだ。ならばせめて、今この心に燃える野心を果たすのみ!」
「やめろ。そんな事に何の意味があるっていうんだ!」
「それをやる以外に、余がこの世にいる意味がないからだ!」
ラージャルが左手を突き出した。それに呼応して、周囲に停められていた車が破壊されていく。フレームがひしゃげ、ボンネットが曲がり、いくつもの破片が宙に浮き上がっていく。
ラージャルが左手を握り締めた。それがスイッチとなって、無数の鉄塊がミカヅチへ向かって飛んだ。
「マジかよッ!」
ミカヅチは車のない方に向かって走った。それと同時に、手に持った棍で飛来する塊を打ち落としていく。まるで大砲サイズの散弾銃だ。狙いを外した塊は、勢いそのままに次々とアスファルトを貫いていく。
(これが軍神の力か)
ラージャルが契約したという軍神アルザルは、戦を司る神だ。そして鉄と火は、古来より戦に密接に関わっている。軍神の力を持つラージャルは、鉄と火を操ることができるという訳だ。
周囲に車のない広場に出たところで、ミカヅチはラージャルの方を向いた。ミカヅチと距離を保ったまま、ラージャルが左手をひねる。
鈍い音がして、ラージャルの背後から巨体が浮き上がった。ライブ客を乗せてきたらしきツアーバスが、車体を歪めてきしんだ音を立てながら、放物線を描いてミカヅチ目掛けて飛んできた。
恐るべきラージャルの力だった。
いくら巨神の加護をもってしても、この質量を棍で弾くのは無理だ。
一瞬の判断で、ミカヅチはバスに向かって跳躍した。バスをかすめる程度の高さでとび、空中でバスの屋根に着地する。バスが落下する前に、ミカヅチは屋根からラージャルに向かって跳んだ。
ミカヅチの姿を捉えるラージャルを見下ろしながら、その三白眼に向かって落下していく。
ラージャルが左手を翻した。それに呼応して飛ぶ鉄塊を、棍で弾く。右へ、左へ、上へ弾き、四つ目は体をひねってかわした。そして五つ目が来る前に、ミカヅチはラージャルに向かって双棍を振り下ろした。
「ぬぅ!」
ラージャルが棍を手甲で受けた。そのまま後退する。ミカヅチは追いかけて走った。鉄の操作と白兵戦、同時に行うのは困難なはずだ。だからこそ、ラージャルは今のミカヅチの攻撃を、剣ではなく手甲で防いだのだ。
今の隙は、ミカヅチにとって最大の好機だった。
「ジャッ!」
ラージャルは迫るミカヅチに向かって、剣を胴薙ぎに薙いだ。ミカヅチは双棍を交差させ、はさむようにして防ぐ。そのまま棍を剣に滑らせながら懐に踏み込む。ラージャルのがら空きの胸に向かって、ミカヅチの肘が突き刺さった。
「ガッ!」
並みの相手ならば骨が砕け、絶命しかねない一撃に、ラージャルがくぐもった声を吐く。胸元の血がさらに濃く広がった。そこから肘を抜きながら体を回転させ、棍を側頭部に打ち込む。
たたらを踏んで下がるラージャルに、ミカヅチは追撃しようと迫る。足を踏み込もうとしたところで、ミカヅチの首筋に死の恐怖が突き刺さる。
殺気に逆らわず、ミカヅチは思いっきり体を沈めた。頭上すれすれを、ラージャルの剣が一文字に切り裂く。寸前に反応していなければ、頭を両断されていた事だろう。
「なめるな!」
体勢を整えたラージャルが、大剣を上段から振り下ろした。かわす暇はない。
棍を交差させ、頭上で剣を防ぐ。次の動きは、と思った瞬間、衝撃が顎を襲った。
顎の骨が砕けたかと錯覚する一撃に、アスファルトに転がったミカヅチの視界が明滅する。膝だ。ラージャルの膝が、大剣を防いで動きを取れなくなったミカヅチに向かって放たれたのだ。
揺れる頭で敵の姿を捉えた時、ラージャルはミカヅチに向けて大剣を突き下ろそうとしていた。
「フン!」
必死に回転してかわすのと、大剣の先がアスファルトに突き刺さるのはほぼ同時だった。
「あぐっ!」
左肩に火がついたような痛みが走る。かわしきれなかった大剣の刃によって、左の肩口が切り裂かれていた。
転がって勢いをつけ、膝立ちになる。ラージャルはそのまま、ミカヅチに向かって突っ込んでくる。体勢は不利だ。このまま迎撃すればやられる。
ならこの手段しかない。
ミカヅチは意識を集中させながら跳躍した。
八方向に飛んだ八つのミカヅチの姿に、ラージャルが足を止めた。
「また幻影か、巨神の子! 同じ手がそう何度も通じると思うか!」
吐き捨てるラージャルに向けて、八方に散ったミカヅチが構えた。それぞれ棍を別の武器へと変えて、半数が突撃する。
剣を大上段に構えたミカヅチが振り下ろすより早く、ラージャルの大剣が頭から股間まで縦に両断した。
槍斧を振り回して両断しようとするミカヅチに対して、大剣が脇腹を切り裂いた。
槍を突き刺そうとしたミカヅチの両腕を、刃が槍の柄ごと両断した。
ミカヅチのハンマーがラージャルの頭を砕くより早く、大剣の剣先が心臓を貫いた。
四人のミカヅチが瞬く間に惨殺され、幻影を保ちきれずに空へと溶けて消えていく。
「無駄なことを!」
ラージャルは残ったミカヅチ達のうち、一人に向かって突進した。確かにラージャルはミカヅチの気配を見抜いている。残った幻影のうち、本物のミカヅチに向かってきていた。このままだとミカヅチの準備が終わる前に、ラージャルの攻撃が届く。
意識と力を集中させる。ミカヅチが立ち上がって双棍を構える姿に、ラージャルの目が妖しく光る。二人の距離はあと五メートル。
宿敵の抹殺を確信し、大剣を握り締めた瞬間、ラージャルが足を止めた。瞬間、眼前から飛来する見えない何かを感じ取り、それに向けて大剣を振り下ろす。
真っ二つに切り裂かれたそれは、甲高い音を立てて地面に転がった。鉄塊だ。先ほどラージャルが車を分解し、武器として使った残骸を、ミカヅチは幻影によって姿を隠して投げた。
見える幻影と見えない幻影、二つの組み合わせによって、ラージャルは勝利を呼ぶ大事な時間を失った。
構えるミカヅチの姿が掻き消えて、本物のミカヅチが現れる。本物のミカヅチと幻影のミカヅチ、二人の位置が同じだった事、そして慢心が原因で、ラージャルはミカヅチの行動に気付くのが遅れた。
長棍へと形を変えた、白銀の戦棍に巨神の加護が満ちる。ミカヅチは一気に走った。今の自分が出せる最大の攻撃をぶつける。それだけを考える。
「せいぃ……やあぁーッ!」
「ちいィッ!」
棍を使って放つ巨神の一撃を、ラージャルの大剣が迎え撃つ。
二人の一撃がぶつかり合った瞬間、閃光と爆発的な衝撃が二人を包んだ。
光と音と、圧倒的な力の塊が、夜の闇に大輪の鼻を咲かせる。やがて全てが消えうせ、静寂が戻った。




