42.妖樹、再び
キリクの事は気にはなるが、今はそればかり気にしてもいられなかった。
ティターニアはひとまず外に出た。まずは灰堂と大に連絡を取りたかったが、部屋には固定電話は置いていなかった。どこかで借りるか、思い切って外に飛び出すか。
あまり長居はしたくなかった。自分を監視する為の見張りが、二人だけしかいないとも思えなかった。ひょっとしたらこの階全体の住民が、ラージャルの配下として転生している可能性すらある。
とはいえ、戦うとなれば武器が欲しかった。手許の小刀一本では正直心もとない。双棍は捕らえられた時に奪われてしまっていた。あれを呼び出す事ができれば、もっと早く逃げ出せていたかもしれない。
だが拘束されていた時は、棍から感じる力の波動が全く感じ取れなかった。どうやらアイオーナの樹木には、巨神の加護を遮断する呪術的な力があったらしい。
(今ならいけるかも)
そう思い、意識を集中させる。部屋の外に出た今なら、見つける事もできるだろう。近くに保管されているならぜひ取り戻しておきたい。
そうしている内に、彼女の聴覚がこちらに近づいてくる足音を聞きつけた。
目を見開き構えた。気配は右手の通路の奥にある階段を駆け足で登ってくる。先ほど倒した兵達がやられたことで、連絡が取れない仲間が気付いたのかもしれない。しかしそれにしては、足音が一つしかしないのが奇妙だった。
果たして階段を上がって姿を現した、予想していなかった者の姿に、ティターニアは目を丸くした。
「あなたは……」
「ティターニア!」
姿を見て、エイレーナはティターニアの元に駆け寄った。エイレーナは焦りと安堵と悲しみが入り混じったような顔で、目尻に涙をにじませていた。
「よかった! 無事だった! あなたに何かがあったら私どうしようと思って、怖くて、怖くて……」
「一体どういう事なの? 何故あなたがここに?」
「話は後です。あいつが目を覚ます前に早く逃げないと!」
必死の表情でエイレーナがせがむ。逃げるのはティターニアとしても同意見だが、その前にやっておきたいことがあった。
だめもとでティターニアはエイレーナに尋ねた。
「私の武器を知らない? できればあれを取り返しておきたいの」
「それなら下の階にあります。でも見張りがいますよ」
「見張りだけならどうにでもなるわ」
「……分かりました。ついてきてください」
そういってエイレーナは回れ右をして、先導するように走り出した。状況が上手く飲み込めないでいたが、ティターニアもついて行く。
ラージャルの兵達についても詳しく、ティターニアの武器が保管されている場所も知っている。そもそもここにいる理由が分からなかった。少なくとも彼女の顔には嘘はないように思えたが、怪しいのは間違いない。
走りながらティターニアは問いかけた。
「教えて。あなたはラージャルとどういう関係があるの」
「……私のせいなんです。私が全部悪いんです」
言っていることが分からず、ティターニアは眉を寄せた。深刻な口調で、エイレーナは言った。
「あいつが地上に現れたのは私のせいなんです。半年前、彼と降霊会に参加して。ほんのお遊びだったんです。『ラージャルを呼び出してみよう』なんて彼が言って、そうしたら本当に成功して。会から帰った後、彼が彼の顔のまま、別人の声で言ったんです。『余に協力すれば、お前の愛する男の体と魂を返してやる』って。だから、私……」
エイレーナの告白を、ティターニアはただ聞いていた。ラージャルが現世に蘇った理由がこれ程近くにあるなど考えもしなかった。だが言われてみれば腑に落ちる事もある。遥か海の彼方の国で、ラージャルが蘇った理由。
遊びの中で生まれた、ただの思いつきが、世界すら揺るがしかねない大事件の始まりを産む。ひどいジョークだ。
果たして彼が蘇ったのはエイレーナが呼んだことによる偶然なのか、それとも超常的な何かが関与した必然だったのか、それは分からない。だが彼女達の何気ない思いつきが、とてつもない災厄を巻き起こす事になり、エイレーナはそれの片棒を担がされることとなったのだ。
それ以上声をかける気になれず、ティターニアはエイレーナの後をついていった。
数階下に降り、二人は通路に出た。ここまで近くに来ると、棍の持つ力を強く感じられるようになっていた。
部屋の外に立ち、扉に耳を当てて中の様子をうかがう。兵が二人はいるだろうか。ティターニアの力なら、鍵のかかった扉を無理やりこじ開けるのも造作もない。
器物損壊もこの際どうこう言っていられないか、などと考えがよぎった時、不意にエイレーナがうずくまった。
「あぐ……っ! あう、うぐぅ……!」
「エイレーナ?」
突然顔を抑えて苦しみだしたエイレーナに、ティターニアは駆け寄った。
「どうしたの? しっかりして」
「あう……に、逃げてください、ティターニア。あいつが来る……!」
「あいつ……?」
不意にティターニアは気がついた。エイレーナがラージャルに従わされていたならば、彼女を器に使わないわけがないのだ。ならば誰が彼女を転生の器として利用しているのか。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」
うわごとのように繰り返すエイレーナが顔を上げた。それを見て、ティターニアは息を呑んだ。
彼女の両の眼窩から、かわいらしい瞳を覆って灰色の枝が生えていた。樹皮が広がり、目元全体を覆いだす。ダークブラウンの髪が根元から赤く染まり伸びていく。小柄だった体の手足が伸びていく。
「エイレーナ!」
「うあああっ!」
叫んだ瞬間、彼女の体から無数の枝が生えた。一瞬早く後方に跳んだティターニアの目の前で、枝は槍衾となって周囲の壁や床に突き刺さる。
「アイオーナ……!」
ティターニアは忌々しげにその名を呼んだ。
「こいつに貴様を逃がさせようと思ってたのだけどね。どうやったのかは知らないけれど、正直好都合よ。巨神の娘」
全身から生えた枝を体内に戻しながら、エイレーナだった者は頭を軽く振って赤い髪を揺らした。
「これで何の負い目もなく、陛下に逆らう事なく、貴様を殺せるんだからね!」
獣のように牙をむいて威嚇するアイオーナと対峙して、ティターニアは両手を突き出した。念じて数秒としない内に、壁を貫いて棍が高速で飛来する。
双棍を両手でそれぞれ掴み、ティターニアは構えた。
「やれるものならやってみなさい。偉大なる巨神の名にかけて、外道は正す!」




