04.天城綾は外国人である
大学での一輝とのやり取りを一通り聞いた後、天城綾はへえ、と興味深そうに軽く声をあげた。
「それで、皆で降霊会を見てみようって事になったの?」
「うん。だから明日の夕方は三人で出かけるから。綾さんも来る?」
「私は仕事があるから無理よ。何かあったら連絡をちょうだい。一応気を付けてね」
了解、と答えて、大は綾と共に前方に見えた建物に向かった。
葦原市の中心部にある美術博物館に、二人は来ていた。展示されている美術品や歴史的に価値のある様々な品は、市内だけでなく県でもかなり評価は高い。定期的に様々なイベントや展覧会を開催しており、今回二人はその展覧会を見に来たのだった。
「その、守護霊だっけ。話を聞いた限りでは藤沢君や凛は信じてないみたいだけど、大ちゃんはどうなの?」
「俺?そうだなぁ……」
自分の中の気持ちをどう形にするか少し悩むように、大は軽く頭をかいた。
「霊だとか死後の世界だとか、あってもおかしくはないと思うけど、そう簡単に死者の霊と交信できるとは思ってないよ。できるならそりゃ、俺だって会いたい人はたくさんいるけどさ」
「大ちゃん……」
何気なく口をついて出た大のぼやきに、綾が辛そうに目を細めた。大は思わず顔の前で手を振りながら、笑顔を作った。
「ごめん、変な事言っちゃった。早く行こう。楽しみにしてたんだしさ」
綾の心配そうな顔に大丈夫と言い聞かせながら歩いていると、展覧会のポスターが目に入った。ポスターには『タイタナスの歴史展――ティターニアの生まれた国――』と鮮やかに記されていた。
タイタナスの美術館より貸し出された貴重な品々を日本で見れるとあって、日本人とタイタナス人のハーフである綾の興味を惹いたのは当然だった。大としても綾と一緒に出掛けられるのが嬉しくて、綾からの誘いに即OKと答えたのだ。
展示室は大きくL字型に作られていて、南側と西側に出入り口がある。南側から中に入ると、入口脇に置かれたモニターの映像と複数のパネルに跨って、タイタナスという国の歴史が紹介されていた。
展示室内にいる他の客が、時たま大と綾の二人に訝しげな視線を向けた。おそらく大と綾の二人がどういう関係なのかつかめず、奇異なものに感じられたのだろう。姉と弟にしては歳が離れすぎているし、親子には近すぎる。まさか恋人というわけではないだろうし……。と、そんなところだろうか。
それも仕方ない、大はそう思っていた。百七十センチはある長身に、引き締まりながらも出るところは豊かに出ている見事な体型。それをホワイトデニムのジーンズとブルーのシャツに収めている。その上に乗った卵型の顔に切れ長の目にクールな顔立ち。セミロングの黒髪は黒曜石のように鮮やかで美しい。大より十歳ほど年上だが、同年代の女性よりずっと若く見えた。
少なくとも大は、今までの人生で綾以上の女性に出会った事はない。恋だ愛だと言った言葉の意味を理解するよりも早い頃から、綾が好きだった。だからこそ、大は綾に認められるような一人前の男になりたかった。今の自分では綾と釣り合うのはせいぜい身長だけだ。
繰り返し流れているモニターの映像はちょうど最初から始まったところらしく、タイタナスという国についての紹介映像を流すところだった。
『タイタナスという国は、大西洋に浮かぶ日本と同程度の大きさの島国である。古代ギリシャの哲学者プラトンが記した伝説の国、アトランティスのモデルではないかという説もあり、実際に古代にはギリシャ・ローマと交流があったと言われている。文化面においてもその影響は各所に見られ、彼らの信仰する巨神、タイタンもギリシャ神話の巨神、ティターンと同一視された。そのタイタナスが日本で一躍その名が知られるようになった最も大きなきっかけは、彼女と言っても過言ではないだろう。――ティターニア、十数年前、日本に現れたヒーローである』
音声に合わせて、モニターには青いコスチュームに身を包んだティターニアの写真が映し出された。見ただけで大には映像のティターニアがいつの頃か分かった。十二年前、まだ綾が高校生だった頃の写真だ。
綾がティターニアを名乗り、友人達とヒーローとして世の為に戦い出したのは、綾が高校に留学したばかりの頃だった。タイタナスの神を信奉する綾は、多くの仲間達と共に、己の欲の為に自身の力を使う超人犯罪者から、異世界からの侵略者に至るまで、様々な敵と戦ってきた。
当時大は小学校に上がったばかりで、初めてティターニアの姿を見た時の魂が震える程の感動と安心感を今でも覚えている。危険に陥った時、ティターニアは幾度も大を助けてくれた。大の精神の基盤に大きな影響を与えたのも当然と言えた。
『彼女は仲間達と共に、世に現れた悪と戦った。十年前、異世界シュラン=ラガによる侵略戦争の際には、現代の超人管理機関の前身となるヒーローチーム、ジャスティス・アイを結成し、人類を守る為に活躍した。タイタナスの守護者がなぜ日本に現れたのか、それは不明である。だが、日本人の多くは彼女の活躍に感謝し、敬意を払っている』
ナレーションを聞きながら移り変わっていく写真を見ていると、当時の事を思い出されて、大の胸に熱いものがわきあがってくるようだった。
そんな大の隣で、綾が恥ずかしさと嬉しさが入り混じったような顔を見せた。
「なんていうか、複雑な気分ね。昔の自分の映像がこんなところで使われるなんて」
「みんなティターニアが好きなんだよ。かっこよかったもの、あの頃の綾さん」
「ちょっとやめて、そんないきなり言われると照れくさいわ……」
苦笑いする綾に、大も笑顔を返した。戦う時は冷静沈着にして勇猛果敢、いかなる敵も圧倒する英雄の正体が、普段は穏やかで知的にふるまう淑女だと、この場で知っているのは自分だけだ。
室内の展示を、大と綾は並んでゆっくりと歩きながら見て回った。綾の心が浮き立っているのが、表情からも察せられた。故郷の歴史と文化が生み出した作品の数々を、目にするのが嬉しいのだろう。
剣や盾に首飾りといった古代の歴史的な装飾品や、色鮮やかな絵画、様々な品を綾は大に紹介しながら見て回る。時折タイタナス語で歴史や逸話を交えながら楽しそうに話すのを見て、大も心が浮きたつような気持ちだった。降霊会を見に行こうという凛達の誘いにも断りを入れ、早々に大学を後にした甲斐があったというものだ。
「大ちゃん、これ見て、これ」
綾に手招きされて、大は近寄った。展示室の北側の壁にあるガラス張りの箱の中に、今回の展示物で最大の目玉が鎮座していた。
マネキンの頭に被せられた、黄金の仮面と兜だった。頭部全体を覆った兜は流線形の鋭い角がいくつも並び、見るものを威嚇している。それにつけられた仮面は目鼻口を丁寧に象った造形で、左のこめかみから頬にかけて、うっすらと蛇のような紋様がつけられていた。
「ラージャルの仮面だわ……」
綾が興奮気味につぶやいた。大もその名は記憶にあった。タイタナスでは有名な英雄の名だ。
十世紀頃、複数の国家に分裂して争っていたタイタナスの地で、ラージャルは数多の戦を駆け、無数の国々を征服して王を名乗った。謎の多い男で、軍神と契約して神秘の力を得たとも、当時タイタナスに現れた巨神の子と幾度も戦ったとも伝えられている。その波乱万丈の生き方にファンも多く、様々なフィクションの題材にも何度も選ばれているそうだ。大も綾から借りた小説や映画で、その活躍を目にした事があった。
この兜と仮面はラージャルが愛用したもので、特に仮面は晩年のラージャルが着用し、素顔をめったに晒さなかったと言われている。その話を思い出したからだろうか、この仮面を見ているとその美しさと共に、その瞳の奥の空洞に光が灯りこちらを見返してくるような、なんともいえない妖しさを大は感じた。
「すごい……子供のころに見て以来だけど、以前よりずっと美しくなったみたい。どこか鬼気迫るっていうか、妙な迫力を感じるわ」
綾も似たような感想を持ったようだったが、それ以上に歴史的な一品に心をときめかせているようだ。
(考えすぎかな……)
大は心を切り替え、不安を頭から追い払った。結局はこの博物館に飾られた仮面一つ、何か悪い事が起きるはずもない。
「ラージャルはこの仮面をずっとつけてたんだよね。一体何を思ってそうしてたのかな」
何の気なしに、大はつぶやいた。大国を築き上げた王であり、歴史に名を残した程の偉大な人物だ。仮面の下の素顔も、きっと今の大のような、想い人に対する悩みなどとは無縁だったに違いない。
「そうね……」
綾が答えようとした時だった。不意に入口の方から聞こえてきた悲鳴に、大と綾は弾かれたように反応して振り返った。
南の出入り口に、この場には相応しくない時代錯誤な格好をした対照的な二人の姿があった。
一人は二メートルを超える巨漢だった。腕も足も、胴も首も太い。二の腕の太さは並みの女性のウエスト並みで、さらに青緑のラメがかかった、鱗のようなものが肌を覆っている。肩から首にかけては、まるで山脈のジオラマのようだ。
この間の暴行魔が変身した熊とも張り合えそうな、筋骨隆々の胴体を赤褐色の胴鎧が包んでいる。手志は鋼のグローブと脛当てをつけていた。ウェーブのかかった長い黒髪を後ろで束ね、顔には武者がつける面頬のように、牙をむいた悪鬼を思わせる赤い仮面を被っている。
まるで古代の拳闘士のような姿だった。ガントレットに包まれた太い手の指が警備員の頭を掴んでひきずる様は、大蛇がネズミをひと飲みにしているようだった。
その隣の男は対照的に、百五十センチ程の小柄な男だ。頭の下半分は包んだ黒い仮面に覆われていて、見えている目は爬虫類のような酷薄さがある。足元まで覆い隠した、裾の長い白い外套に身を包んで、その足元の周囲には、黒く艶めかしい液体のようなものが波打っていた。
どちらの格好も、時代錯誤も甚だしい。まるで博物館の展示品が、命を持って動き出したかのようだった。
「それで、どこだ、ラクタリオン。陛下の遺物は?」
巨漢が隣の男に声をかける。ラクタリオンと呼ばれた白い男は、軽く肩をすくめた。
「落ち着け、ドマよ。いくら神秘の品とはいえ、羽を生やしてあたりをさまよっているわけではあるまい。すぐ見つかるさ」
「うむ……」
ドマと呼ばれた巨漢は手に掴んだままだった警備員に目をやり、手に力をこめた。軽く握りしめる程度にしか見えなかったその動きで、警備員はまた絶叫した。命の危険が迫った時にだけ放たれる、本気の叫びが、大音量で室内に響いた。
叫びが消えると、ドマは手に握ったものを無造作に放り投げた。床に転がって動かなくなった警備員の姿を目で追った後、ドマは退屈そうに鼻を鳴らした。
「下らん。この時代の人間はひ弱だな」
「こいつらは戦士でも兵士でもない、雇われの門番だ。我らと比べるのは酷と言うものよ」
二人が会話している間に、異変に気付いた他の警備員が駆け付けた。
「き、君たち。大人しくしなさい!」
リーダーらしい警備員の男が、震えながら声を上げた。南から二人、西から二人の警備員が警棒を持って二人を囲んだが、二人の気配に圧倒され、どう取り押さえるべきか困っているようだった。
ドマが嘲笑の声を出した。
「なるほど、雇われか。それでも勝てんと分かっている相手に向かわねばならんとは、哀れなものよ」
「うむ」
口の端を釣り上げながら、ラクタリオンが一歩前に足を踏み出した。瞬間、足元でゆらめていた黒い粘液が一気に膨れ上がった。それは意志を持ったように広がって、獲物に襲い掛かる豹のように警備員二人に向かって襲い掛かる。
「ひっ!ひいぃ!」
警備員が恐怖の叫びをあげた。広がった粘液は全身を締め付け、口内から体内に入り、やがて全身を包んで飲み込んだ。数秒後、潮が引くように粘液がラクタリオンの足元に戻ると、後には完全に動かなくなり、倒れて伏した警備員達が残った。
ラクタリオンの魔術を愉快そうに見た後、ドマは背後の警備員達に目をやった。
「お前達もああなりたいか? それとも俺にやられたいか!」
蛇に睨まれた蛙のように震える警備員達に、ドマの無造作な裏拳が叩き込まれた。巨大なハンマーで殴られたような恐ろしい破壊音を立てて、二人はまとめて吹き飛ばされて動かなくなった。
突然現れた二人の男の凶行に、館内は混乱に陥った。恐怖の叫びをあげる者、逃げだす者、目の前の惨劇に怯え動けなくなる者。反応は様々だった。
「綾さん」
大が小さく声をかけるのと同時に、綾は大に目配せをした。まさに以心伝心、師弟ならでは心のつながりといったところだ。
ドマ達は逃げ惑う人々になど興味がないらしく、周囲の展示品から目当ての品を探しているようだった。大達は西の出口に向かって走った。人気のない通路に向かい、周囲に誰もいない事を確認する。
「あいつらの狙いは、タイタナスの古美術?」
「かもね。どっちにしても止めなきゃ。準備はいい、大ちゃん?」
「もちろん!」
呼吸を整え、意識を集中させる。そして二人が信奉する神の名を、二人は同時に叫んだ。
「巨神よ!」
「巨神!」
刹那、あたりは閃光に包まれた。光は二つの塊へと姿を変えて、そのまま通路を高速で駆け抜けていく。
先ほどの展示室に入ったところで光は崩れ、二人の戦士の姿を明らかにした。
展示物の保護ガラスを破壊し、今まさにラージャルの仮面を取り出そうとしていたドマ目掛けて、二人はそのまま跳躍する。
「!?」
ドマが反応するより早く、二人の飛び蹴りがドマの胸に突き刺さった。驚きと苦痛の声を漏らしつつ、ドマは宙を舞い、背後にあったコンクリートの柱に衝突した。
「なに!?」
「なんだ貴様ら……!?」
ドマとラクタリオンが、突然の敵の襲来に驚く。そこにいたのは青と赤、対照的な戦装束を身にまとった二人の戦士だった。
「偉大なる巨神の娘、ティターニア」
「同じく巨神の子、ミカヅチ!」
「偉大なる巨神の名にかけて、外道は正す!」