38.王国への誘い
「一輝!」
「大丈夫か」
ミカヅチとクロウが一輝の下へ駆け寄った。
「すごいじゃん! 一輝も超人になったわけだね!」
「なんかわかんねーけど、そうみたいだ」
クロウの笑顔に、一輝もどこか戸惑い気味の笑顔で応えた。
人を越えた力を得て超人と変わった時、多くの人はこういう顔をする。大が巨神の加護を得た時もそうだった。
会場で歓声が上がった。ライブ会場にいた者はここでの戦いに気付いていないようだった。
「喜んでる場合でもなさそうだ。早くラージャルを探さないと」
ミカヅチの言葉に二人も頷く。ここにラージャルがいる事は分かったが、今この状況でライブを中止させて皆を避難させようとするのもかなり難しい。仮に非常ベルを鳴らしたり、騒ぎを起こして観客を避難させようとした場合、外に出ようとする観客の騒動で、大勢が怪我をする事になるだろう。それどころか観客の興奮が一気に高まることで、ラージャルが那々美を使うかもしれない。
ミカヅチはラクタリオンが取り付いていた男に近づき、かがんで状態を見た。一輝に殴られた外傷はなく、ラクタリオンの魂が離れたと同時に元の体へと戻っている。恐らく先日の降霊会に参加した一人だろう。呼吸に異常はなく、目に見える傷もない。一輝と同様、相性のいい体だったという事だろうか。少しの間は放っておいても大丈夫そうだ。
粘液が消えた事で、取り込まれていた町田や他の警備員達も姿を見せていた。皆気絶しているが、命に別状はなさそうだった。
これから何をするにしても、ミカヅチ達三人では手が足りなかった。ミカヅチは顔を上げて、近づいてきたクロウと一輝に声をかけた。
「とりあえず、携帯か通信機を探して灰堂さんに連絡を取ろう。応援を呼んでもらうんだ」
「駄目だ。それはさせられん」
刃のような声が三人を貫いた。弾かれるように振り向いたその先に、あの巨大な剣を右手に握りしめてキリクが立っていた。
声をかけられるまで全く気配を感じなかった。まるで陽炎のように突如として現れたキリクに、ミカヅチ達は思い思いの構えを取る。キリクはそれを無視して、ラクタリオンだった男に目を配った。
「ラクタをやったのか、巨神の子。お前がそれほど我らの邪魔をするとは、陛下も想像していなかった事だろうな」
「ラクタリオンの野郎をぶちのめしてやったのは、この俺だよ。勘違いすんな」
一輝が自分を指さして言った。威嚇のつもりなのだろうが、声が上ずっているのはミカヅチにも分かる。キリクは反応を示さずに、ミカヅチを見据えた。
「どちらにしても、これ以上陛下の邪魔はさせられん。陛下の命に従い、ここで投降するがいい。それが出来ぬなら陛下の命に従い、お前達を殺す事になる」
「キリク。あんたは今日ここでラージャルが人々を転生させる計画があると教えてくれた。それはあんたがこれを止めたいと思っているからじゃないのか。もうやめよう。ラージャルを止めるのに、力を貸してくれよ」
「言ったはずだ。俺達転生者は陛下の命に逆らえないのだ。陛下からはもしお前達が現れた場合、逆らうなら殺して構わんと命を受けている」
キリクが剣を両手で握り、剣を掲げるように構えた。ただそれだけの動きなのに、ミカヅチにはキリクが倍以上に大きくなったように感じられた。
「さあ、どうするか決めろ。大人しく我らに降るか、このまま戦うか」
キリクの声は鉄の硬さで、心は全く読み取れなかった。
─────
扉を開くと、会場の音声が更に大きくなってミカヅチ達の耳に突き刺さった。
VIPルームの中は二十畳近くあるだろうか。先ほどミカヅチが外から見た時よりも広く感じた。競技場のグラウンドに面した壁一面には、強化ガラスがはめ込まれ、外の光景が見るようになっている。中央にはローテーブルを挟んで、柔らかそうな二組のシートが並べられている。その右側の席に、一組の男女が座っていた。
「陛下。ご連絡いたしました通り、巨神の子と魔術師を連れてまいりました」
「うむ」
ラージャルはシートに座ったまま、顔だけを向けた。キリクが頭を下げる。その隣には那々美が、身動きせずに席についている。
背後のキリクに促されて、ミカヅチとクロウは部屋の中に入った。二人とも、その両手には鋼鉄の手錠がかけられている。
「ラクタリオンはどうした?」
「この者との戦いに敗れた模様です。その後私が遭遇し、二人を捕らえました」
「ほう、さすがだな。ドマとラクタリオン、余の配下二人がこの者に敗れたわけだ」
どれほどにも思ってない余裕の口調で応えながら、ラージャルは自分の隣にある席を指さした。
「まずは席につけ、巨神の子。これでは話し辛い」
何も言わずに、ミカヅチとクロウは席についた。那々美は体を席に預け、眠っているように動かない。胸元が呼吸でわずかに動いている為、生きてはいるらしかった。
部屋の周囲には白い仮面をつけた男達が、ガラス張りの壁以外の三方に二人ずつ、壁を背にして立っている。この状況では、仮にキリクが見張っていないとしても、ミカヅチとクロウで那々美を奪って逃げるのは難しい事だろう。
果たして作戦が成功するだろうか。不安だが、既に賽は投げられている。
覚悟を決め、神経を張り詰めさせるミカヅチと対照的に、ラージャルは余裕の雰囲気だ。二人の全身を眺めると、少し嬉しそうに目を細めた。
「予期せぬ来客だ。もっとも、どこかで期待はしていたがね。一体どうやってここを嗅ぎつけたのだ?」
「さあ。どうでもいいだろ。それより、俺達が嗅ぎつけたって分かってる癖に、ずいぶん余裕だね」
「この状況で、何か気にしなくてはならない事があるか?」
「あるさ。俺達がここにいる事は『アイ』も警察も知ってる。定時連絡がなければすぐに応援が駆け付ける。あんたはもう終わりだ」
「強がりはよせ、巨神の子。ここに余がいると感づいた頭があるのなら、その応援とやらがここに来て余の首を取るより、余がここにいる者達を転生の器にする方が早いと分かるだろう。その応援の数はどの程度かな?果たしてその後やられるのはどちらかな?」
ミカヅチが睨みつけるのを、ラージャルは余裕の姿勢を崩さずにいなした。しつこく歯向かってきた敵は捕らえられて目の前におり、計画は成功の一歩手前。この状況であれば、誰もが勝ちを確信する事だろう。キリクがミカヅチ達を捕らえたという報告を、ラージャルは全く疑っていないようだった。
「改めて聞こう、巨神の子。余に降り仕えんか。余が作る不死の王国の下で、永遠の命と栄光がお前を待っているぞ」
ミカヅチは答えず、ただ真っすぐにラージャルを睨みつけるだけだった。その真意は感じ取れたらしく、ラージャルは溜息をついた。
「駄目か。余に仕える気にはなれんか。一体何が気に入らん?」
「あんたのやろうとしている事は、この世を壊そうとする行いだ。それを続けようとするなら、偉大なる巨神の名にかけて、俺はあんたと戦う」
「模範解答だな。今代の巨神の娘も、余が生前戦った巨神の子も同じ事を言った。今も生きているのに、生前と呼ぶのは妙な気分だがな」
「あんたは生きてない。何かの手違いで化けて出てきた何かが、人の体にしがみついてるだけさ。大体今の時代に王国だ支配者だなんて、時代錯誤もいいとこだよ」
「そうかな? 余がこの地に降り立って数か月、力を蓄える間に知った事があるぞ。人は皆潜在的に支配者を求めているという事だ」
ラージャルは右手を上げて、自身の頭を指さした。目を細めながら、額を軽く叩く。
「文明は成長し、人の平均的な知能は飛躍的に向上した。だが精神はどうだ。誰もが愚痴と陰口で己を慰め、人を貶め、己の行いに覚悟など持ちたがらず、誰かに責任を取らせたがっている。奴隷になるのは嫌だと口では言いながら、自分から進んで首輪をつけたがる者どもばかり。ならば余が全ての責任を取り、この世を動かしてやる」
「誰も望まないさ、そんなもの」
「いいや、天は望んでいる。この巫女と人の戯れによって余はこの地に降り立ち、新たな命を得た。これは偶然でも奇跡でもない。軍神アルザルがこの地を正しき混沌で満たす為に、余に与えた天命なのだ」
「何だって……?」
「嘘でしょ……?」
巫女を指さすラージャルに、ミカヅチは驚きに声を失った。隣でクロウも目を見開いて、信じられないといった表情をしている。
今までミカヅチ達は、ラージャル達がどうやって地上に現れたのか、理由をほとんど考えていなかった。漠然と何かの偶然や、封印のようなものが解けた結果、今の時代に魂の寄生者となって現れたのだと考えていた。だが、そうではなかったのだ。
ラージャルの言葉が真実ならば、那々美が降霊会で誰かの願いを聞き届け、ラージャルを呼び寄せた。その時にラージャルは消える事なく、降霊された者の肉体をそのまま奪った。そしてこの地で自身の王国を再建する為の計画を、何か月にも渡って築き上げて来ていたのだ。
「そして今、余は再び王国を築く。今この場でな」
黄金の仮面の奥に潜む、ラージャルの勝ち誇った顔が見えるようだった。




